番外編 私の上司(部下視点)
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「皆休め」
いつも通りの低い声でそう宣言すると、私の上司。アルノルド様は、無駄のない動きで机の書類を整え、静かに部屋を出て行かれた。その背中を見送りながら、私は胸の内でそっと息をつく。
(やっぱり、この人は怖い。……けれど、良い上司なんだよな)
アルノルド様は、滅多に笑わないが、かといって、理不尽に怒鳴ったり、八つ当たりしたりもしない。淡々としているようでいて、実際は私達の負担や体調をよく見てくれている。
休憩時間は必ず確保され、しかも上司である本人が率先して部屋を離れ、“私達が休みやすい空気” まで作ってくれる。さらに、「家族が体調を崩した」と申告すれば、その瞬間に「休め」と言ってくれるのだ。
(……まあ、“家族の病気を理由に嘘をついて遊びに行った者”が、その後に消息を絶ったこともあったが。あれは……仕方ない。あんな嘘が、あの人に通じるわけがない。それに、深く関わってもろくな事にならない…)
ある意味で身の危険は感じるが、城勤めということもあり、給料は高い。もちろん、その分に見合った山のような仕事をこなさなくてはならないがアルノルド様の方針で、定時には必ず家に帰れる。それに、事前に申請しておけば休暇も取れるため、家族持ちには特にありがたい環境だ。
しかし、そんな給料と待遇を知って、たまに移動を希望して来る者もいるが、実際は、あまりの仕事の多さに付いていけず、長続きする者はほとんどいない。でも、この仕事量にさえ慣れれば、定時に帰れて残業もないので、私は今の職場を良い職場だと思うし、先輩達は天国だと言う。
なぜなら、アルノルド様が就任する前は、今とは違って大変だったそうだ。
アルノルド様の父上が、かつては宰相の座にいた。だが、その統治は、“血統主義”そのものだった。
家柄さえ良ければ採用され、そこに能力は問われない。そうして集まったのは、ろくに仕事も出来ない者たちばかりだったらしい。
結果、執務室には書類が山のように積み上がり、処理できる者だけが終わりの見えない負担を背負わされ、休みもなく、家に帰れぬ日々。「このまま死ぬまで働かされるのでは…」そんな声すら囁かれるほどだったという。
しかも最悪なのは、彼らが責任転嫁だけは一人前だったことだ。
仕事は出来ないのに、言い訳と他者のせいにする術だけは磨かれており、仕事でミスをすれば、必ず“出来る者”が罰を受けた。そのため、優秀な者から辞めていき、残った者達の仕事はさらに膨れ上がる悪循環の波に飲まれていった。
そんな地獄のような日々が続いたある年。若くして現陛下が即位され、宰相も交代することが決まった。
「齢17の息子が後を継ぐそうだ」
そう聞いた瞬間、職場では諦めに似た空気が流れた。“どうせ父親と同じだろう”、“また、地獄が続くだけだ”と、辞めようと準備を始めた者もいた。しかし、就任したアルノルド様は、予想とはまったく違った。
横暴な態度など一切見せず、むしろ誰よりも早く出勤し、誰よりも多くの仕事をこなした。さらに、不正を働いていた者たちを淡々と処罰し、腐敗していた部署を次々と立て直していった。気が付けば、長年動かなかった組織が嘘のように回り始めていた。人々は口をそろえて言ったという。
“本物”が来た、と。
その後、”幼いから侮れる”などと思う者は一人もいなくなった。
就任後も、働く者一人ひとりの得意分野を驚くほど正確に見抜き、最良の組み合わせで仕事を割り振っていった。その配分は、無駄がまったくない。
仕事が得意な者には相応の裁量を、苦手な者には手を貸し、気付けば職場には効率という風が吹き始めていた。
そしていつの間にか、血筋だけで採用されていた“何も出来ない連中”は、跡形もなく消えおり、残ったのは、本当に働く意思と能力を持った者だけ。あまりの変わりように、職場の空気が明確に澄んでいくのが分かるほどだった。
私は今の環境しか知らないが、先輩たちはよく言っている。「昔はもっと地獄だった」と。その言葉は、今しか知らない私には、信じられないほどだ。だが、その中で聞いた一番の恐ろしいのは、騎士団での話だ。
当時の騎士団は、今と違い、提出期限を守らない者が多かったらしい。
騎士団長であるベルンハルト様も、その件では憂いていたが、文官に比べて書類作成が苦手なのを理解していたアルノルド様は、提出期限を他部署よりも長めに設定することで、そういった騎士達にも考慮していた。
(……それにも関わらず、守らない者が増えた)
期間が伸びたことで気が緩んだのか、それとも優遇されていると勘違いしたのかは分からないが、結果は、地獄絵図だった。
ある日アルノルド様は黙って騎士団に乗り込み、提出期限を破った者達を、全員、たった一人で叩き伏せた。
優秀な文官であり、宰相である彼が、屈強な騎士たちを一瞬で沈めていったと聞き、私が思ったのはただ一つ。
(……この人、何で文官やってるの?)
しかし、一人で全てを回しているような人なので、いなくなられては非常に困る。なので、この疑問を本人に言うつもりは一切ない。
ベルンハルト様もその件に関しては、「本人達の過失が大きい」として処置なしの判断をされたようだ。しかし、アルノルド様の”やり過ぎ”については容認できないとして、相当に揉めたらしい。最終的には、レクス陛下が間に入ってくださったことで事なきを得たそうだが、その場にいた者の話では、「生きた心地がしなかった」とのことだった。
その一件以降、両者の仲が悪いという噂が立ったが、その事件以来、騎士団は嘘のように提出期限を守るようになったという。むしろ、ベルンハルト様自身が「弛んでいる」と判断し、その者達を新たに鍛え直した結果、締め切り前日に提出するほど優秀になったらしい。
アルノルド様からの怪我が治った後、ベルンハルト様からも襲撃されれば無理もない。恐怖とは、時に教育の最短ルートなのだろう。
休憩から戻ったアルノルド様は、静かに執務室へ入り、私達全員を見渡して言った。
「……皆に話がある」
その一言で、室内の空気がピンと張る。誰もが手を止め、姿勢を正した。
「私は、新年祭の後に三日間の休暇を取る」
その言葉に誰もが耳を疑い、場が一瞬ざわめいた。だが、アルノルド様は続ける。
「そのため、それまでの間、私も出来る限り仕事を片付ける必要がある。……申し訳ないが、皆にも協力して貰いたい。そのため、一定期間、残業を頼むことになる」
普段のアルノルド様であれば、どれほど忙しくとも 自分の仕事をすべてある程度片付けてから 休暇に入る。それが当然だと言わんばかりの人だ。だが、さすがにこの時期だけは無理があるようだった。自分の都合で私達を巻き込む形になることに、謝罪の言葉を口にしたが、それだけで終わるわけないと、私達は静かにその後の言葉を待つ。
「もちろん、残業代に加えて私から特別手当も付ける。さらに、最も働いた者には、報奨金として金貨百枚を出そう」
その瞬間、その場にいた者達は押し殺した歓声を漏らす。
もともとこの部署では、“仕事の量と難易度”によって給金が変わる。だからこそ、皆が少しでも多く、少しでも難しい仕事をアルノルド様から回してもらえるよう日々努力していた。そこに“金貨百枚”。
喉が鳴る者もいたが、かく言う私も同じだった。
ちょうど最近、娘が生まれたばかりで、色々と買ってやりたいと思っていたこともあり、金は、いくらあっても困ることはない。ならば、この機会を逃す手はない。
(絶対に取る……!報奨金、絶対に!)
胸の奥で闘志が燃えるが、それは私だけではなかった。周囲の同僚達は、既に眼差しは書類へ向かっており、ペン先が紙を滑る音が、まるで戦場の合図を聞いたかのように、一斉に鳴り出した。それを聞き、私も負けじと書類へとペンを走らせるのだった。
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