認識の違い
不用意な一言で怒らせてしまい、僕達に背を向けながら歩く。そんな男の子に気付かれないよう、コンラットが耳打ちするように小声で2人に注意する。
「精霊教の信者は熱心な方が多いと聞きますし、あまり刺激するような事は言わないで下さいよ!」
「悪い…全く似てなかったからつい…」
「正直に言い過ぎだったな」
「ネア!貴方もですよ!」
まるで自分は何も関係ないかのような顔で言うネアに、小声ながらも怒りを表して注意すれば、多少はそれが響いたのか、少し悔いたような表情を浮かべながら言った。
「そうだな。狂信者は何をするか分からないからな」
「それが分かってて言ったんですか!?」
「…何だ?どうした…?」
ネアの言葉に驚きを隠せなかったコンラットが思わず大きな声を上げれば、少し不機嫌そうではあるけれど、こちらを心配するような様子で振り返る。すると、その声を上げた本人も前へと視線を向け、それを誤魔化すように言葉を発する。
「い、いえ、こっちのことなので気にしないで下さい!!」
「……そうか?それなら良いんだけどよ…」
いまいち納得していないような顔をするけれど、こちらの事情を深く聞いてくる気はないようだった。けれど、それでも何か気になったのか、少し躊躇うような素振りを見せつつ、静かに口を開いた。
「あのよ…。お前ら…あの爺さん達は置いて行って良いのか…?」
そう言われて、僕達も男の子の視線を追うように後ろを振り向けば、僕達はコソコソと話しながらも進んでいた間もグレイ達はその場を一歩も動いていなかったようで、迂闊な事を言ったお爺さんに冷たい目を向けながら無言で見下ろしていた。
「うわぁ…こういう時って、ああいうのが一番嫌なんだよなぁ…」
特に怒鳴られているわけではないけれど、そういった経験があるバルドが、いっそ怒鳴られた方が楽だとでも言わんばかりの声を上げており、言い訳すら出来ずに黙って立っているしょぼくれたお爺さんの姿を見ると、父様達のしかり方が優しいのも実感してしまう。そして、無駄に圧力のある無言の説教は、僕達が可哀想になって止めに入るまで続いていた。
「爺さん…元気出せよ…?」
「優しさが身に染みるのう…」
さっきまでの怒りは収まったのか、一回り小さくなったようなお爺さんの姿に、男の子の目も同情めいたものへと変わっていた。
「此処が教会だ!」
気を取り直したように案内を続けた男の子が次に案内した場所は、教会というよりも小さな城のような形をしていた。だけど、何処にいても先端だけがずっと見えていた建物は、どうやら此処だったようだ。
「さっきから遠目では見えてたけど、近くで見るとまたデカいな!!」
「だろう!かつて此処には王族が住んでいた場所だったんだぞ!でも、王都の移転によって王城を別に建てる事になって使われなくなったから、今は教会として使っているんだ!だけど、今でも王族が定期的にお祈りに訪れるくらいに凄い建物なんだぞ!!まぁ、そのせいで立ち入り禁止の場所が多いけどな」
嘘偽りのない称賛の声を受けて、得意げに胸を張りながら自慢話でも話すよう語りながらも、最後だけは言葉を濁していた。でも、それを聞いていたバルドが疑問符を浮かべた。
「わざわざ此処までお祈りに来るくらいなら、王都を移さずに此処に王城を作った方が良かったんじゃないのか?」
馬車などの移動が大変なのを知っているだけに、そんな手間を掛けるくらいなら、最初からこの町を発展させた方が早そうだ。それに、周辺には森はあるけれど、そこを開拓していくには問題なさそうに見える。
「精霊教は自然を重んじる教えだからな。もし此処に王城なんて建てたら、周囲の森を切り開く事になるからなって、聖域の森も傷付けることになるから、城は別な場所に建てたんだよ」
「おぉ、それは何とも良い心がけの教えじゃのう。その教えを考えた者は、優しい心持ちの者じゃったのじゃな」
「あぁ!精霊王様からの教えらしいけど、初代女王の慈悲深さとかが窺い知れるよな!それじゃあ、最後に2人が出会った場所に案内するな!」
自分が信じているものを褒められるのは嬉しいのか、上機嫌な様子でクルリと向きを変えて歩き出した男の子の背を見ながら、隣を歩いているお爺さんへとバルドが問い掛けた。
「なぁ?その初代女王って、そんなに優しい人だったのか?」
宗教画には聖女のように描かれ、解説では慈悲に溢れた人みたいに語られていたけれど、あまりにも現実感がない所が多くあったので、実際に会った事がある人に詳しく聞いてみようとしたのだろうが、想像していなかった返事が返ってきた。
「それがのう…全く覚えとらんのじゃ…」
「覚えてないのか!?」
「どうした!?」
「何でもないです!案内を続けて下さい!!」
「そ、そうか?でも、何か気になった事があったら言えよ?金をもらうからには、ちゃんと案内はするからよ」
「えぇ!何かありましたら言いますので、特に彼の言動は気にしないで下さい!」
バルドが急に大きな声を上げたから、びっくりして前を歩いていた子が何事かと僕達の方を振り返ったけれど、こっちが心配するような事が何もないと伝えれば、不思議そうにしながらも、再び前を向いて歩き出した。向こうの意識がそれた事もあり、コンラットが無駄に目立つ事をした事を責めるような視線を向ければ、自分は悪くないとでもいうように、原因を作った者へとバルドが詰め寄る。
「何で覚えてないんだよ!?あんなに神秘的な感じで一緒に描かれてたじゃんか!?」
「それは…そうなんじゃが…。絵を見ても全く思い出せんくてのう…」
「でも、その子のために国を救っても良いと思うくらいには、気に入ってたんじゃないのか?」
雨を降らせた後も、何かしら手を貸していたようだったし、絵を見ている時に静かだったので、その頃を懐かしんでいるのかとばかり思っていたのに、そんな情緒は少しもなかったようだ。バルドの方も優しいと評価しておきながら、その相手の事を全く覚えていない事を少し非難するように言えば、お爺さんは少し困ったように目尻を下げながら言った。
「ワシとしては、道端にいた子供に気まぐれで飴でも与えたくらいの感覚じゃからのう。それに、それくらいの事はそこかしこでやっておったし、それら全てを覚えておくなんぞ不可能じゃて…」
「では…歴史で語られていた精霊王に選ばれた一族というのは…」
「特に誰かを選んだ覚えなどないのう。たまたま目に付いて声を掛けたのが、その者じゃっただけじゃないかのう?」
「「「……」」」
あまりにも身も蓋もないような言い草に、僕達は揃って言葉を失うしかなかった。精霊は気まぐれな性格だとはティから聞いてはいたけれど、人間との認識の差が酷すぎる。
正直、ここまで来る道すがらも、町の人達が感謝の言葉を唱えている声を何度か耳にしたし、おそらく、こうしている今も、この教会の中では熱心に祈りを捧げている人もいるはずだ。それだというのに、その本人には自覚どころか、気にした様子すらない。だから、目の前に建っている絢爛豪華な教会が、急に張りぼてのように見えてきた。
「ここが精霊王と初代女王が出会ったとされている場所だぞ!」
そう言って案内されたのは、教会の少し裏手にある何の変哲もない道端の一角を柵で囲ったような場所で、これまでと同様に、多くの人が見学にやって来ていた。
もし、何も知らなかったのなら、こんな場所でも周りの人達みたいにとはいかなくても、ある程度は感動できたのかもしれない。だけど、真相を知ってから見てしまうと、何とも言えない複雑な気持ちになる。そんな気持ちを抱えながら黙ってその場所を見ていると、案内を終えた子が僕達へと手を差し出してきた。
「それじゃあ、ここまで案内してやったお代!」
「はい。これで足りますか?」
「良いのか!?こんなに!?」
「えぇ、正当な対価ですから」
「ありがとな!この後も精霊王様の加護の下にいい旅を!!」
後ろを付いてきていたグレイが金貨一枚を手渡すと、その金額に驚きの声を上げた。けれど、爽やかな笑みと共に掛けてもらった一言に満足そうな笑みを浮かべて受け取ると、僕達に感謝と祝福の言葉を言ってから、楽しげな様子でその場を走り去って行った。
「ほんにん…ここにいるけどな…」
未だに複雑な心境を隠せないのか、その小さくなって行く背に呟くけれど、次の客を探しに行っただろうその子の耳には届いていなさそうだった。そんな中、バルドの横を一歩前に出る影があった。
「私達の代わりに払わせてしまってすみません。皆でお代はちゃんとお返ししますので」
「これくらい気にしなくて良いよ。大人がいるのに子供に払わせるのも変だと思って払っただけですから。それに、大した金額でもないですしね」
僕達の代わりに料金を払ってくれた事に礼を言えば、気軽な様子で返事が返ってきたけど、金貨一枚は結構な額だと思う。現に、コンラットの言葉を聞いて、自分が持ってきたお小遣いをこっそりとバルドが確認していた。
「お金なんて必要なさそうなのに、ちゃんと持っているんだね?そのお金ってどうしてるの?」
今の僕達よりもお金を持っていそうなグレイに、どうやって手に入れているのかと尋ねれば、懐に財布をしまいながら、なんて事ないような様子で答えた。
「これがないと町では何も出来ませんし、あの方に頼まれた品も手に入りませんので、必要に迫られて調達したといった感じですかね。まぁ、幸いな事に、人間達は珍しい鉱石に高値を付けますので、ちょうど良さそうな物を適当に見繕い商人に渡せば、金貨が入った袋を簡単に手渡してきますからね」
「でも、それって大変なんじゃないの?」
それだけの大金を渡すのなら、それだけ珍しい鉱石で探すのも大変なんじゃないかと思って尋ねたけど、余裕そうな笑みを浮かべながら言った。
「いいえ。なにせ、私は何処にどの鉱石があるかなどは、目を瞑っていても分かりますから。それに、例え手間だとしても、盗みなどという低俗な事はしたくないですからね」
「ちょっと!そんなどうでも良いことよりも、私は何時まで隠れてればいいのよ!?」
案内役の子がいなくなり、ようやく声を出すことが出来るようになったティが、暇を持て余したように不満を口にする。だけど、まだ人が多い中心部なだけに、僕達の反応は鈍く、無言で互いに顔を見合わせる。だけど、1人だけ見ている事しか出来ないのは退屈なうえ、のけ者にされているような疎外感を感じるのは分かる。だから、僕達が何も言えないでいると、そんなことに遠慮しない人が、きっぱりとした口調で言った。
「ここは人が多い。面倒だからお前は出て来るな」
「そんなこと言ったって、隠れてばっかりなんてつまらないのよ!!」
「お前の事情など知らん。つまらないのならば一人で帰れ」
「私がここまで連れて来てあげたんだけど!?」
「そうか。では、後は俺が引き継いでやろう」
「アンタの出番はないって言ったでしょう!?」
配慮の欠片もない言葉の数々に、自分の見せ場を取られまいと、対抗意識のようなものを燃やしながら反論しているけれど、ただ単に良いように遊ばれているとしか見えない。でも、ティは隠れているのもあって、声は雑踏に紛れてしまっているから気にはならないけれど、目立つ容姿で周囲の注目を浴びていたキールは、大きな独り言を言っているように見えて、先ほどとは違って周囲からは奇異の視線が送られていた。
僕達はその視線を向けられるのが嫌で、ティと話す時はいつも小声で話していたけれど、キールはそういったことを気にせず普通に話しているからか、ティの方も隠れているという事を意識しないで済むようで、少し楽しそうでもあった。
「案外、面倒見が良いやつなんだな?」
周囲からの視線を気にせずに相手をしてあげている様子に、見直したみたいな様子で口を開けば、それを聞いていたグレイが、そんな事を言われるのは心外だとでもいうような様子で言った。
「私達にとっては、人間にどう見られようがどうでも良いという理由がありますが、生物は水がなければ生きられないという意味では、生き物という他者に一番寄り添っているのはキールだからね」
一番の恩恵を与えている者を取り違えるなとでもいうような刺を感じさせるも、まるで自分には真似できないといった態度を見せれば、バルドは卑屈になる事もなく、素直に納得の声を上げながら返事を返す。
「そうだよな。水は何より大事だもんな!でも、それ以外も大事だと思うから、そっちにも感謝しないとだよな!」
「おまけのような感じはありますが、感謝されて嫌な気はしないので、こちらも礼だけは言いましょうかね」
嘘が付けない性格なのは見ていても分かるのか、悪意を感じさせないようなバルドの振る舞いなだけに、向こうも毒気を抜かれたような様子を見せ、騒がしいけれど穏やかな空気が流れだす。だけど、面倒事の種は既に蒔かれていて、その人物もこの町に来ているのを僕達はまだ知らない。
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