騒動の場所に行けば
急いで森から町まで戻ると、町の中は随分と混乱しているようで、騒動が起きている場所から逃げようとしている人達が門番へと詰め寄っていた。そのおかげで、門番に止められることなく町の中に入る事が出来た僕は、僕達が泊まっていた宿があるだろう方向へと視線を向ける。
そっちの方はどうやら無事のようだったけれど、兄様が僕の事を探して町の中にいる可能性が高い分、楽観視出来る状況じゃなかった。だから、僕も兄様の事を探そうと町の中に向かって走り出せば、そんな無謀とも思えるような僕の行動を止めるように静止の声が後ろから響く。
「今はそっちに近付かない方が良いぞ!!衛兵の静止も聞かず町で暴れている奴がいるんだ!」
そこから逃げて来た人なのか、まるでそれを見てきたかのように言う人は、僕の事を心配してくれている雰囲気があった。だけど、その言葉で止まるわけにはいかない。いくら周りから心配する必要がないと言われるような兄様でも、兄様が僕を心配してくれるように、僕も兄様の事が心配だった。それに、父様の件があった事もあり、兄様まで傍からいなくなるんじゃないかという漠然とした恐怖が消えてくれない。だけど、建物の角を曲がった先に広がった光景に、僕の足はピタリと止まった。
「わぁ…派手にやったわねぇ…」
手加減しながら走っていたのか、後ろから余裕そうな顔で僕に追いついたロウさんの肩から、まるで大人げない行動を嗜めるような声を上がった。そこは灰になってしまった店の一つのようで、その店の前には屍のように地面に倒れた人が大勢いて、中には衛兵の服を来た人もいた。でも、建物内には誰もいないのか、倒れている人を介抱する人が数人いても建物内を捜索している人はいないようだった。そんな悲惨な光景を前に、僕は倒れている人の中に兄様がいないかと見渡していたけど、そこには兄様らしき姿がないようだった。僕がそのことに安堵していると、ロウさんが無駄な心配は終わったのかとでもいうに声を掛けてきた。
「お前、迷わず駆け出してたが、何処にいるか検討付いてるのか?」
「それは…」
「まぁ、走ってる方向を見て、そうだろうなとは思ったけどよ」
当てもなく走り出していただけの僕に、呆れたような声を上げるロウさんだったけど、それが真実だっただけに何も言えない。何処に行けば良いのか分からなくなった僕は、視界の端に見えたティへと問い掛けた。
「ねぇ?ティなら兄様が何処にいるか探せる?」
「まぁ…探さなくても居場所くらいは分かるけど…何か危なそうだから行かない方が良いと思うわよ…?」
町中でロウさんの事を見つけられたティなら、兄様の事も探せるんじゃないかと思って尋ねれば、ロウさんの肩の上でそこに行きたくなさそうな渋い声を上げる。
「でも、兄様が危ない目にあってるかも知れないし…」
「危ないのはむしろアイツの方でしょう…。それに、怒りで気が触れてそうな奴の所に急いで行く必要ってあるの?」
「本音を言えば俺もそれには同意したいが、あの様子を見る限りこれ以上被害が拡大しねぇよう急いだ方が良いんじゃねぇか?」
「そうね…この光景を見たらさすがにねぇ…。はぁ…アイツならあっちにいるわよ…」
2人しか分かっていないような話しをしながらも、ロウさんが口添えみたいな事を言ってくれたからか、ティは嫌々ながらも兄様がいる方向を指差してくれた。だけど、そこはまだ火が消えていないどころか、一番燃え盛っている場所だった。
「兄様!?」
その事に慌ててそっちへと駆け出せば、徐々にだけど夕焼けとは違う赤色が大きくなって行く。距離が近づき熱気さえも感じられるようになった頃、ようやく見えて来た建物の傍に立っている人影が見えた。だけど、燃えている建物が逆光になって顔がよく見えなかった。
誰なのかと目を凝らしていれば、周囲に倒れている人だけで視界が良かった事もあり、その影が兄様達だと気付いた僕は、大きな声で相手の名前を呼んだ。僕が声を掛ければ、怖そうに見えていたその横顔も、こちらを振り返った時には憑き物でも落ちたような何時もの顔に戻っており、瞳には安堵したかのような色があった。
「兄様!犯人がまだ近くにいるかもしれないって町の人が言ってたから、急いで逃げた方が良いよ!」
「大丈夫だ」
側へと駆け寄りながら兄様へと声を掛ければ、兄様はどこか確信でもあるかのように一言だけそう言った。
「どうして分かるの?」
「……悪党がいなくなったからだ」
僕が理由を尋ねれば、どこか歯切れ悪そうに物語の主人公が言いそうなセリフで答えていた。
その後、疑問符を浮かべていた僕に兄様が、悪人を狙った襲撃騒ぎがあったと説明してくれたけど、いくら悪人を狙った襲撃だったとしても、これだけの被害を出した人なら気性も荒そうだ。だから、そんな人と鉢合わせでもしたら危ないんじゃないかと僕が思っていると、その後ろにいたアドさんがもの凄く何か言いたそうな顔で兄様の事を凝視していた。
「何だ?」
「いえ、何も…」
兄様が視線の意味を問い掛ければ、自分はそんな視線なんか向けていないとでもいうように、スンとしたような表情を浮かべながら答えていた。何だか2人にしか分からない事があるようだったけど、こんな騒動が起こっている間も僕の事を探してくれていたようで、アドさんの服は煤などで汚れていた。兄様の方も、普段の兄様も想像出来ないくらいに服が乱れていて、生地が紺色で目立たないけれど、泥でも跳ねたような黒い汚れが足元に付いていた。
「ねぇ、その泥どうしたの?」
雨が降ったわけでもないのに、何処で泥が付いたのかと何故か気になって兄様へと問い掛ければ、アドさんの方を向いたままの姿勢でピクリと反応した後、ゆっくりとこちらを振り向きながら言った。
「……何処にいると知れないリュカが巻き込まれたら危ないと思ってな。探す合間に水魔法で鎮火して回っていたから、その時にでも泥が飛んだんだろう…」
まるで泥という言葉を強調しながら、兄様が燃え盛っていた火に水魔法を放てば、途端にその勢いをなくして鎮火したようだった。だけど、ただ上から水を掛けただけでは店の中までは完全に消火出来ないようで、まだ燻ったような煙が上がっていた。だけど、その建物が大きかっただけに、さすが兄様だなと僕が思っていると、兄様の後ろでアドさんは目を見開き、口をパクパクと動かしながら声にならない声を上げていた。すると、そんな気配に気付いたかのように、兄様は僕に背中を見せるようにして振り返る。すると、途端にアドさんは何か恐ろしいものでも見たような顔で固まり、全ての言葉を飲み込むようにして開いていた口を静かに閉じた。
「お前等の周りにいる奴は、常識があるほど苦労人なんだぁ…」
そんな兄様達の様子を見ていたロウさんが、さらりと失礼な事を言ってのけると、その声に反応したように兄様が振りかった。だけど、ロウさんの事なんか見えていないかのように、僕へと声を掛けてきた。
「リュカ。怪我はないか?」
「うん!兄様は?」
「私の方も怪我などない。だが、どうして宿を出たりしたんだ?」
「えっと…窓からちょっと知り合いが見えたから…」
「そうなのか。それで?その知り合いとはその男のことか?」
さらりと無視して僕に話し掛けていたのに、急に矛先を変えたようにジロリとした視線をロウさんへと向ける。すると、ティは影に隠れるようにして完全に姿を消していた。
「今まで見た記憶もなければ、見たところリュカとは歳も合わないようだが?ソイツとは、いったいどういう知り合いだ?」
「えっと…この人はロウさんって言って…バルドが王都の下町でバイトしてた店の先輩で、兄様とも同学年だったって…」
「そんな事を聞いているのではない。王都にいるはずの者が何故ここにいて、何故関わりのないリュカと共にいる?」
気でも立っているのか、たどたどしく話す僕の話しを遮り、ロウさんへと厳しい目を向ければ、ロウさんの方も売られた喧嘩は買うとでもいうように、兄様へと負けじと言い返す。
「コイツとは関わりなくても、お前となら関わりあるだろう?それに、何度か廊下ですれ違った事もあるっていうのに、下は興味ないってか?さすがは貴族様だな?」
「……ただすれ違っただけの人間など、記憶に残るわけがない」
関係あると言われ、兄様も何か思い当たる事でもあるのか、どこか喧嘩腰で話すロウさんに、少し間を開けながら言い返していた。だけど、お互いトゲがあるようなやり取りなだけに、少しずつ穏やかではない空気が流れ初めていた。そんな時、この事態を収束させるための増援でやって来たのか、遠くの方から衛兵らしい騒がしい声が聞こえ始めた。
「何処に行っていたのかや、その男についても聞きたい事などがまだあるが、今は此処から離れた方が良さそうだな」
舌打ちでもしそうな様子で眉をしかめると、兄様達はその衛兵を避けように、声が聞こえて来ない逆方向へと歩き出す。その方向は宿がある方から少しずれていたけれど、みんな何の疑問も持たずにそれに従っていたため、僕もそれにならって歩き出しながら町の様子を見れば、賑やかだった町並みからはすっかり人の気配が消えていた。その様変わりしてしまった様子で、今回の騒動が如何に大きかったか分かるけど、この騒動のせいで父様の問題の解決が遅れるんじゃないかと不安になった僕は、最後尾を歩くアドさんへと問い掛ける。
「この騒動って、直ぐに納まりそうなの?」
「いえ、今回の首謀者が捕まらない限り住民の警戒がなくなる事はないと思いますので、騒動はまだ続くと思います」
「直ぐに捕まるかな?」
「そうですね…。捕まる事はないと思いますが、その犯人は以外と近くにいるかも…っ!いえ!もう遠くに逃げてしまったので、町の騒動も直ぐに落ち着くと思います!!」
僕が問い掛けていれば、嫌味でも言うように小さな声で答えながら前を向いていたアドさんが、途中で急に姿勢を正しながら直立不動で言い直してしていた。だから、僕も前の方へと視線を向けて見たけれど、こちらを見ていた兄様とは視線が合うだけで、それ以外に何かあるというわけでもなかった。だけど、その後はティでさえも言葉を発さない気まずい空気が流れ、無言のまま宿へと戻って来ると、兄様はその空気を無視したように僕達のこれまでの経緯について聞いてきた。
少し重い空気の中、兄様に聞かれるまま僕が宿を出たところからロウさんに合うまでを話した。その後の上手く説明出来ない所は、ロウさんが僕の変わりに説明してくれたけど、その際も精霊の事を抜きにして、少しぼかしながら兄様へと説明してくれた。
「事情はだいたい分かった。だが、いくら後悔して寝返ったとしても、私の弟に手を出して無事に済むとは思っていないな?」
「あぁ、それに関しては逃げも隠れもしない」
自身の非を素直に認め、包み隠さず話しながら兄様からの問い掛けにも堂々と答えるロウさんの姿に、兄様は少し面白くなさそうな顔をしていた。
「その度胸は買うが、お前程度の人間が弟を連れてソイツ等を撒いて逃げて来るのは不可能に思えるのだが、ソイツ等はそんなに無能だったのか?」
「疑う気持ちは分かるが、俺から話せる事はそれ以上はない」
「……そうか。まぁ、今はそれで納得しておこう」
ロウさんの説明に納得がいかないとでもいうように問い掛ける兄様にも、きっぱりとした態度で答えれば、これ以上追求しても何も話さないと感じたのか、兄様は一旦は聞くのを諦めてくれたようだった。だけど、ここからが本題だとでもいうように、兄様はこの場では不自然な程の笑みを浮かべる。
「それで…リュカに手荒な事をしたソイツは、まだ森にいるのか…?」
「あ、あぁ…計画が失敗した以上、町に戻っても危険と判断しておそらく向こう側に逃げたと思う…」
「そうか。ならば、面倒事の一端を担ってくれた他国に逃げた奴等を捕まえる必要があるな」
自分の回答で笑みを深める兄様を前にして、ロウさんはそこから何か仄暗いものでも感じたかのように、その顔を少し青白くしながら頷き答えていた。だけど、兄様の表情はそれとは逆に、満足したかのような笑みへと変えながら言った。
「他国に行ってしまったのでは仕方がない。それで多少森が燃えたとしても、それは罪人を捉えるための不可抗力ということだ。自国にいなくて残念だ」
「いえ、精霊が住む森としてこの辺りの者達も大事にしている森ですので、燃やすのは…」
「こちら側に被害が出ないようにする」
「そういう意味では!」
全く残念そうじゃない兄様に苦言めいたことをアドさんが言えば、兄様の機嫌が少し下がったのが肌でも感じた。
「何だ?お前は精霊信仰でも掲げているのか?」
「いえ、ですが、ルーカスでも聖域として…」
「ただの森だ」
「だから、せいい…」
「ただの森だ」
「はい…ただの森です…」
有無を言わさない兄様の圧力に負けたように、アドさんは兄様の言葉を復唱すれば、話しはここで終わりだとでも言うように背を向ける。だけど、精霊が実際に暮らしている事を知っているだけに、兄様を止めるべきかと迷うけれど、何でそれを知っているのかと兄様から聞かれたら、ロウさんがせっかくぼかして説明してくれた事が無に返ったし、それ以外の事も知られてしまう可能性がある。
「ねぇ?大丈夫かな?」
「へっ?あぁ、長く生きてると住処を変える事も珍しくないし、そこまで気にしなくても大丈夫なんじゃない?」
存在を消していたティにこっそりと聞けば、隠れながらも話しはちゃんと聞いていたようだったけど、完全に他人事のような楽観的な返事だけが返って来た。そのあまりの軽さに拍子抜けしてしまい、止める機会を逃してしまった。だけど、兄様ならそこまでは被害が出る事もないだろうという思いもあったっから、そのまま微かな笑みを浮かべている兄様を僕は見送る事にした。
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