口には出来ないが… (アド視点)
誰かこの人を止めてくれ…
今も目の前で続いている惨状の数々に、俺は途方にくれながらそう願うしかない。荒事には不慣れな俺の変わりに、何人も衛兵が止めに入ったが、今ではその全員が地面に横たわり動く気配がない。だが、ソイツ等は一撃で気絶させられているだけだからマシは方だが、それ以外の連中は俺が情報を聞き出せるよう、ギリギリで生かされているといった感じで悲惨な状況だった。たが、出血死しないよう表立った怪我がないにしても、建物の中から人を排除するために、骨が折れたり内臓を負傷しているそんな奴等を建物の外まで俺が連れ出さなければならないのは何の罰ゲームだ?
関係のあった店を次々に根こそぎ灰にするのは良いが、自身の店が燃える様を見て心まで折れた人間の側に何度もいると、こちらの心も折れそうになってくる。それに、空が黒地んで来たにも関わらず、町の中が未だに明るく燃えている所がある状況も、それに拍車をかけていた。しかし、そんな状況だというのに、その周辺の者達に人的被害がないのが全くないのが不思議なくらいだ。こんな所で無駄にその制御力を発揮しなくても良いだろうにと思いながらも、とりあえず今は、呆れを通り越して関心すれば良いのか分からない上司の様子を窺う。
何で向こうの状況を察しているのかは分からないが、まだ坊主は危機を感じるような状況には陥ってはいないらしい。それに、防衛用の魔道具も渡していたからか、まだ冷静に判断できる理性は残っているようだが、だからこそあの坊主に何かあって、その理性の糸が切れたりした時が恐ろしい。何でこんな事態になってしまったのかと、振り返り後悔を滲ませるが、今さらそんな事をしたところで何一つとして好転してくれない。
店に内情を探りに行く前からこの方の機嫌は良くなかったが、その帰りはさらにそれが低下しており、普通なら声を掛けられそうな容姿なのに、道行く人間も揃ってそれを察し、道を譲るくらいだった。そんな重苦しい無言の重圧に耐えながら、やっとの思いで宿の前まで引き返して来ると、何故か宿に入る扉の前でピタリとその足を止め、上の階にある部屋の窓へと視線を向けた。すると、次第にその目が開かれ、冷静さをかいたような速さで宿の中へと入って行った。俺も遅れを取らないよう急いで後に続けば、食堂内にいた人間を押しのけるように上へと続く階段を登って行き、自身が借りている部屋の鍵を壊すような勢いで扉を開けた。
鍵がかかっていなかったからか、その扉は壊れる事なくすんなりと開いたようだが、その後は立ち尽くしたように動かない。周囲に頭を下げながら遅れてやって来た俺も、一緒になって部屋の中を確認するが、そこは人の気配もなくもぬけの殻になっていた。しかし、部屋の中に揉み合った形跡がないことから、自らの意思で外に出て行った事は簡単に予想が付いた。俺ですら予測出来る事柄など、説明せずとも理解出来ているはずの方は、感情が抜け落ちたような顔をしていた。日頃から表情が変わらない方ではあるが、そこから漂う気配は、まるで波紋すら立たない綺麗な水面のようでありながら、迂闊に近付けば深海までそのまま引きずり込まれそうな怖さがあった。
「や、宿の者に話しを聞いて来ます!」
その場から逃れたい気持ちもあり、急ぎ下に確認に向かえば、やはり自らの足で外に出たようだった。部屋の扉の鍵を掛けていないことから、直ぐに戻って来るつもりだったようだが、宿を出たのはだいぶ前だと言う。ならば、未だに戻っていない事が不自然だ。嫌でも感じる不穏な予感に、あの人の波風を立てたくなくて報告を躊躇いそうになるが、それを隠せば自分に被害が来そうな予感もし、虚偽なく報告を上げる。
「お前は俺と来い。それ以外の者達に至急探させろ」
「はっ!」
俺の報告を聞き、淡々と命令を下す方の指令に従い他の者達に連絡を飛ばすが、嵐の前の静けさのように完全に無のようになってしまった方と一緒に行くのは嫌だと思ってしまう。だが、そんな事を口にすることなど許されるわけもなく、粛々と命令通りに共に目撃者を探すが、目立つ様子を隠しているせいで中々に情報は集まらない。しかし、何とか消息が追えていた周囲で、私達が調べていた店によく出入りしていた元締めらしき者が目撃されていたとの情報が入った。それを急ぎ報告すれば、先程までの凪のようだった空気が、急に深海にでも迷い込んだような息苦しさへ変わり、ジリジリと素肌を焼かれるような殺気が辺りを支配する。
周囲に誰もいない場所だったから良かったが、殺意だけで人を殺してしまいそうな気配に、この方はあの人の息子だと肌で感じてしまう。あの方の影響で、殺意にだけは慣れている俺でも冷や汗を掻きながらもその気配に堪えていると、ゆっくりと歩き出す気配を感じ、慌てて伏せていた顔を上げる。
「お待ち下さい!まだその者と決まったわけではないのですから…!」
「……黙れ。どうせ罪人だ。今回の件と関わりなくとも、他の罪で罰すれば良い。だからお前等も、疑わしきは全て罰しろ…」
いくら罪人とはいえ、少しばかり理不尽すぎるような気がするが、暴君のような空気を放っている上司の命令に、俺達みたいな人間が逆らえるわけもなく、他の者も自らに火の粉が降りかからないようにと、それぞれの場所へと散って行った。俺もその中に入って此処を去りたいが、傍を離れる許可が出ていない以上、このお方の傍を離れられない。
なるべく穏便に終わることを願いながらその店へとやって来たが、そんなこちらの願いなど知らないとばかりに、向こうは知らぬ存ぜぬの態度を取った。あまりの空気の読めなさに、お前等は命が惜しくないのかと言いたくなったが、俺がそんな事を言う前に、無駄に時間を浪費させたというこの方の怒りに触れ、最後は泣きながら今回と関係ない悪事まで話しては命乞いをしていた。
しかし、そんな事で許して下さる方ではなく、他の悪事などどうでも良いとでもいうように切って捨てると、容赦なく元締めの居場所を吐くように強要していた。だが、その相手が居場所を特定されないよう、定期的に根城を変えている用意周到な者ようで、その者も何処にいるのか分からないと言う。その後はもう町を上げての大混乱だ。
身分を隠して此処に来たため、あまり派手に動くのは得策ではないと分かっているはずなのに、時間が惜しいと言って、聞き出した根城に正面切って乗り込むため、当然のように町の住民から衛兵に通報されてしまった。そして、一切の躊躇いなどなく、駆け付けた衛兵さえも邪魔するなとばかりに、ゴロツキ共と一緒に排除してしまった。
戦力にならないのなら、せめて邪魔にだけはならないようにと他人の振りをして見ていたが、店から出てくるゴロツキ連中や応援で駆けつけた衛兵を一人でなぎ倒す大立ち回りをしており、怒りのまま人で山を作っているようだ。
あの坊主といる時はまだ普通に見えたのに、あまりにも戦闘能力が高過ぎて、本当に同じ人間なのかと疑いたくなる。それに、今は赤い眼も合わさって、血に飢えた鬼にしか見えない。それに、建物に入ってからも窓からは頻繁に人が降って来ていた。最初はその地獄絵図に引いていたが、段々とその光景に慣れて来ると、運ぶ手間が減ると思えるくらいに感覚が麻痺していた。
時間を掛けて尋問していただろう最後の1人も窓から蹴落とされ、派手な音を立てて俺の目の前の地面に落ちてきた。その後を追うように、鬼がゆっくりと顔を出して3階の窓から飛び降りると、すかさず背後の建物を燃やしていた。だが、この男がなんの情報も持っていなかったのか、次の獲物でも求めるようにゆっくりと私の方へとやって来て言った。
「次は…何処だ…?」
「どうやら、他に拠点はないようです…。他の者達と、もう一度捜索範囲を広げて探してまいります」
此処にいた連中からも聞き出したが、あの店と関係があった場所は全て周りきったようで、この町の中にはもう残っていなかった。だが、そんな私の返答が気にいらなかったように、険しかった目がさらに細くなる。
「それは、おかしいな?その者達から新しい情報が入っていたようだったが…?」
「そ、それは…」
万が一の事態を考慮し、この町の門番の方を当たらせていたのだが、こちらの方は証拠や確証があるわけでもなく憶測と念のためだけの行動だった事もあり、どうにも慎重にならざるを得なかった。そのため、自白させるのにも時間を要してしまっていたのだが、此処で待つ間に町の外に出てしまったという確定情報が入ってしまった。
「どうした?私に話せない理由でもあるのか?」
これだけ暴れておきながら、姿が見えていなかったはずのこちらにまで動きを把握していた方が黙り込む私へと優しげに聞いてきた。だが、その表情が無なだけに、首に刃でも押し付けられているような気になってくる。
こちらとしも、正直に話して楽になりたいうえに、このまま町にいられても困るという思いがあるが、時間が経つにつれて理性が薄くなって来ていそうなこの方を町の外に放つのは、色んな意味で危険な気がする。もし犯人を目の前にしようものならば、他国でもなく関係なく、そのままの勢いで暴れそうな雰囲気がある。
あの方も他国で似たような事をされたが、その際は戦争になる可能性を考慮して、裏工作もしっかりとされていた。だが、その冷静さが掛けているような今の状況では、戦力が過剰過ぎて問題がさらに大きくなる予感しかしない。せめて、今追わせている者達から大義名分が届くまでは、まだ根回しなどが付くこの町に居て欲しい。でも、どうやったら暴走しそうなこの人を留めておけるかと考えていると、天の助けとなる声が聞こえて来た。
「兄様!?」
俺は今まで一度として神という存在なんて信じた事なんてなかったが、その声が聞こえた瞬間だけは神に感謝した。隠しきれない喜びを胸に抱きながらに声の方を向くと、懸念していた怪我などもなく元気そうだった。だが、当然のように一緒にこちらへとやって来る見知らぬ青年は誰だ?
他にも、これだけ騒ぎの中何処に行っていたのかと聞きたい事や言いたい事などが多くあるが、こちらがそんな事を聞く暇もなく、向こうから焦った声が飛んでくる。
「此処に来る前に、静止を無視して暴れている人がいるって言われたけど、兄様は大丈夫だった!?」
「えっ…あぁ…」
この近辺にいた町の者も避難し、破片などが飛び散り、怪我人が多く倒れている無惨な状況だけの現場に、それを作った人間とは思えないような不釣り合いな声が響く。そして、狂気でも感じそうだった目は、今は頼りなさげに泳いでいた。
「どうやら、悪事を行っていた者達を狙った襲撃があったようだが、衛兵もそれを止めきれなかったようだな…」
いや!犯人はお前だろうが!!
坊主の問い掛けに他人事のように答えている人に声を大にして叫びたかったが、そんな恐ろしい事を口にすれば、自分も周りにいる人間と同じ様になる未来しか見えない。だが、胸で燻っているこの気持ちが簡単に消えるわけでもなく、せめて衣類に返り血などの証拠が残っていないかとさりげなく確認している人に、大暴れしたとは思えないくらいには身綺麗ですよと言うくらいは許されるだろうか?
坊主に取り繕うような表情を浮かべだした方を前に、そんな無謀とも言えるような考えが、僅かばかりに頭を過ったのだった。
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