宵の静けさの中で (アルノルド視点)
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皆が寝静まった深夜、私はそっと執務室の扉を押し開けた。
壁際には、背の高い本棚が二つ、まるで壁に溶け込むように並んでおり、その棚にはぎっしりと書物が詰め込まれている。
部屋の中央には、大きな事務机が一つ置かれているが、机の上には積み重ねられた書類とインク壺、それから金具の装飾もないシンプルなペン立てだけがあるだけ。どれも必要最低限のものばかりで、無駄な装飾はなく、仕事のためだけに整えられた質素な部屋。
その空間には不釣り合いとも取れるとまり木の上が、その一角に置かれており、そこで一羽の鷹が眠っていた。
片目だけを薄く開き、こちらを一瞥したが、私だとわかるとすぐにまた瞼を閉じる。人の気配にとても敏感で、誰か来れば眠っていても必ず目を覚ます。それは私に対しても同じなため、起こさぬよう足音を殺し、事務机に腰を下ろした。
止まり木で静かに眠り続けている鷹。それは、幼い頃からずっと私の傍にいる召喚獣カルロだ。
頭頂から羽先にかけて、茶から黒へと滑らかに移り変わる色合いをしており、嘴から目元へと伸びる細い白のラインが印象的だった。胸元には、召喚獣だけが持つ証となる紋が淡く浮かんでいる。
本来の姿は鷹などではなく、“聖獣”に分類されるシルフに近い存在だ。しかし、その正体を周囲に知られても何も得はないため、脚に装着した魔道具によって、今の鷹の姿へと偽装している。本来の姿を知る者は限られていて、召喚契約を結んだ私と、ごく一部の腐れ縁の者達しかいない。そのため、エレナでさえカルロの本当の姿までは知らない。
「はぁ……」
ため息と共に壁時計に視線を向けると、針はすでに日付が変わる直前。だが、今日も仕事は山積みで、寝る暇などない。
リュカに意識を回し過ぎ、昼間に終わらせられなかった案件。明日の会議資料の再点検。財務・軍部からの継続報告の整理。それ以外にも、探せばいくらでも仕事はある。しかし、宰相職とは、そういうものだ。
一日に発生する仕事の案件が日々増えていくばかりなのは、毎年の事なのだが、連日の徹夜が堪えるようになったのは、歳のせいだろうか。
しかし、家族と過ごす時間を確保するためには、どうしても夜遅くに仕事を回すしかなかった。だが、エレナが私の徹夜を知れば、きっと心配してしまうだろう。だから、エレナが完全に眠ったのを確認してから執務室に向かう。そのため、仕事の開始はいつも遅い時間になってしまう。
屋敷はすでに静寂に包まれ、使用人達も皆寝息を立てている。ドミニクには「先に休め」と何度も言っているのだが、彼は私の夜着では仕事がしにくいだろうと気を利かせて着替えを用意し、エレナが起きる前には、それをすっと片付けておくのだから、本当に頭が下がる思いだ。
だが、こうして一人になると考えるのは、やはりリュカのことだ。
フェリコから授業での態度も聞いていたが、儀式の後から様子がおかしい。医師からは心的外傷のため、行動に変化が見られる可能性がある。そのため、注意深く様子を見ているように言われていた。ストレスなども論外と言われたため、気晴らしになればと、外出の許可も出した。
しかし、今日の行き先は貴族街ではなく一般街。あからさまな護衛をつけることはできず、代わりにカルロをつけた。
その結果、カルロの警戒音で逃げ出した小物のスリを、護衛が捕らえたと報告が来ている。
貴族だと知らず、商人の子供と思ったのだろう。だが、契約紋を持つ召喚獣が傍にいた時点で、貴族の可能性が高いと、まともな者なら近づかない。
(……愚か者め)
フェリコには、私が管理する店を中心に巡らせていた。
エレナの装飾店もそうだが、オルフェのために書籍関係の店とも頻繁にやり取りし、他国の本まで取り寄せてもらっている。さすがに、屋敷に置ききれなくなった本については、オルフェの許可を得てから孤児院や学院へ寄付していた。そして、リュカのために用意したチョコを多く扱う例の店は、廃業間際の店を安く買い取った店であった。だが、今では賑わう店になっているのは、リュカの日頃の行いのおかげなのだろう。
二人が店に入っている間に逃げた者は、護衛がすでに捕らえ、衛兵へ引き渡したと報告を受けている。私もそれほど暇ではない。リュカに実害がないのなら、わざわざ私が手を下す必要もないだろう。あの子が楽しめたのなら、それで十分だ。
その間に、帰りの馬車の準備を整え、終わると手紙を飲み物と一緒にフェリコへ届けさせたらしいが、夕食の席でのリュカの様子から判断する限り、どうやら気づかれてはいないようで安心した。
せっかくの気晴らしの外出なのだ。あんな小物ひとつで台無しにされては、あまりに可哀想だ。
「……ふむ」
机の引き出しを開けると、視界に入った一本のペンに手が止まった。
”ペレニアルペン”
数年前、妙な商人が「この世に一つしかない」と売り込んできた品だ。薄紫の目に灰色の髪で、どこか胡散臭い男だった。品も入手経路も曖昧なため、私に猜疑心を抱かせた。
しかし、実際にペンとしては優秀で、私は資金を与えて技術者に解析させた。そして、技術などがようやく追いつき、先日ようやく量産が可能となり、試作品を受け取ったばかり。
だが、夕食の席でリュカは、“使うほどに味が出る”と、まるで実物を知っているように語っていた。
この国にはまだ流通したばかりで、使用感などまだ誰も知らないというのに。
本人は隠したがっているようなため、こちらから追及するつもりはない。だが、心の奥にはわずかな引っかかりが残る。
「さて…いったい何処で使ったのやら……」
あれこれ考えていれば、日付はすでに変わっていた。私は原本のペンを引き出しに戻し、胸元からリュカにもらったばかりのペンを取り出す。
(“明日使う”と約束したが……日付はもう変わった。なら、嘘にはならないな)
たとえ眠れぬ夜でも、家族のために働くこの時間が少しだけ心地良く、静かな決意と共に、私はペン先を紙に走らせた。
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