新年祭の終わり
ようやく新年際が終わりに近付いて来た頃、何時もより少しだけ疲れていそうな父様が、珍しく1人で僕の所までやって来た。
「リュカ。そろそろ屋敷へと帰ろうと思うんだけど、お友達との時間はもう良いかな?」
官職に付いるという理由もあって、何時もは嫌そうにしながらも国賓が帰るまでは残っているのに、今日は先に帰ってしまっても良いんだろうかと思いながら、僕は父様へと聞き返した。
「僕は良いけど、もう帰っても良いの?それに、母様は?」
「レクスからも、今日は少し速く帰って良いと少し前に許可は貰っているよ。エレナは、巻き込まれるといけないから、今はラザリアの所で待って貰っているよ」
後ろで小さなバルドの呟きを聞きながら、父様が視線を向けた方向を一緒に見れば、そこにいた陛下と目線が合った。すると、僕達の視線の意味を直ぐに理解したのか、笑みを浮かべながら小さく頷くような仕草をしていた。どうやら、陛下とさっき話していた時にでも、許可を貰っていたようだ。
「兄様には?もう声掛けたの?」
「オルフェにはこれから声を掛けるつもりだよ。リュカも、少しだけ此処で待っていなさい」
僕にそう言うと、父様は兄様を探しに会場の中心部の方へと戻って行った。だけど、会場に戻って来た時にも見た兄様の状況を知っていただけに、父様もそれに巻き込まれるんじゃないかと不安になる。少し心配になった僕は、2人に別れの挨拶をすると、父様の姿を探しながら後を追い掛けた。
最初は、この広い会場で父様達を見つけられるかと少し不安だったけれど、兄様のいる所は思ったよりも分かりやすくて、2人は直ぐに見つかった。父様は兄様を取り囲んでいた令嬢達と何か話しているようで、父様と向かいあっている令嬢達は顔を赤らめていた。だけど、父様の方は笑みを浮かべながらも、何処か興味なさそうな冷めた様子だった。
その間、中心部にいた兄様はというと、父様が注意を引いているその隙に令嬢達の輪を抜け出すと、さり気なく父様の横に並び立つような立ち位置へと移動していた。だけど、それに気付いた令嬢達は直ぐに兄様にすり寄ろうと距離を縮めた。だけど、そんな令嬢達に父様が何かしら言葉を発すると、名残惜しそうな顔をしながら歩みを止めていた。そんな令嬢達に、父様は満足そうな笑みを浮かべると、その場を去るようにその令嬢達に背を向けると、父様は僕の姿に気付いたようで、振り返る様子もなく僕の方へと真っ直ぐに近付いて来た。
「何を話していたの?」
「少し、淑女としての立ち居振る舞いについて話していただけだよ」
僕の所まで来た父様に声を掛けると、父様は少しだけ意地悪そうな笑みで返した。そんな父様の影越しから彼女等の様子を見て見ると、呼び止めたくとも出来なかったような恨みがましいような目でこっちを見ていた。
「さぁ、新しい者達が集まって来ないうちに、皆で屋敷へと戻ろうか?」
そんな令嬢達に父様は気付かない振りをしているのか、動けずにいる僕に声を掛けると、促すようにしながらその場を後にしようとする。だから、僕もその声に従うように待たせていた母様の事を迎えにために、その場を静かに後にした。
父様に続くように母様がいる所に迎えに行くと、母様は何故か少しだけ不機嫌そうな顔をして待っていた。でも、僕や兄様の方にその視線が向くと、その表情が少しだけ緩む。そんな母様に父様が話し掛けると、途端に母様は攻めるような視線に戻っていて、意味が分からない父様は少したじろいだ様子を見せていた。だけど、それを横で見ているラザリア様は、扇で口元を隠しながら笑っているようだった。
母様は怒ってもしょうがないとでも言うように、父様を見ながら軽くため息を付くと、屋敷へと帰るために会場を後にしようと外の方へと歩き出す。そんな母様を父様と追いながら、外に待たせている馬車へと向かうけれど、何故かそこまで行く道すがら、兄様はまるで僕達から距離を取って付いて来ていた。
「父様?何で、兄様は僕達から離れて歩いてるの?」
「リュカ。そこは察して上げなさい」
「?」
母様の機嫌を伺いなら歩く父様はそう言うけれど、いったい何を察すれば良いのか分からず、僕は疑問を浮かべながら後ろを振り返りつつ付いて行く。だけど、外に待たせていた馬車までやって来て僕達がそれに乗っても、兄様はその前で立ち止まったまま馬車に乗って来ようとはしない。
「私達は気にしないから、オルフェも乗りなさい」
「兄様?乗らないの?」
何処か気遣うような声で言う父様の後に続いて僕も声を掛ければ、何だか兄様らしくもない何処か消え入りそうな小さな声で呟いた。
「今の私は…その…臭うだろう…」
躊躇いながら言ったその言葉は、兄様にはおよそ似つかわしくない言葉だった。何時もグリーン系の爽やかな匂いがしていて、夜に会った時だって石鹸の良い匂いしかしない。だからこそ、意味が分からずに兄様を見つめると、兄様は決まり悪そうな顔で一歩後ろへと下がった。
「でも、何の匂いもしないよ?」
「今は風で匂いが飛んでいるが、近場に寄れば嫌でも分かる。だから、私が馬車に乗れば迷惑になる」
僕は試しに馬車を降りて兄様に近付いてみると、兄様の服に色んな香水の匂いが染み付いていて、鼻が曲がりそうになりそうな凄い悪臭となっていた。おそらく、令嬢達にずっと囲まれたせいで付いた匂いなんだろうけど、どうしてもその不快な匂いに僕の鼻の上にもシワがよる。
「……歩いて帰る」
僕の表情を見た兄様は、馬車に背を向けて早々に一人で帰ろうとする。だけど、王城は同じ貴族街にあるとしても、此処から屋敷まではかなり距離がある。だから、もし此処から歩いて帰ろうとしたら、それなりの時間が掛かってしまうため、兄様にそんな事をさせられない僕は急いで兄様を止めた。
「兄様の服が臭いだけで、兄様は臭くないから大丈夫だよ!!」
「リュカ。それは何の慰めにもなっていないよ…」
僕の言葉でさらに落ち込む様子を見せる兄様に、父様は憐れにも似た視線を向けながら僕を軽く嗜める。そして、その視線を兄様へと向けた。
「オルフェ。それはオルフェが悪いわけではないのだから、そこまで私達に気を使う必要はない。それに、匂いなど窓を開ければ済む話しだ」
「そうよ。こんな寒空の下、オルフェ一人で帰らせるわけがないでしょう?」
「兄様!風邪引いちゃうよ!」
母様も心配そうに声を掛けるも、まだ何処か迷っている様子で兄様は乗るのを躊躇っていた。そんな兄様を何とか説得して馬車に乗せたけれど、馬車の扉が閉まると僕達から出来るだけ離れるためなのか、その扉に寄りかかるようにして座り、静かに馬車の窓を開けた。すると、その開け放たれた窓から外から冬の寒い空気が入って来たけれど、それは一瞬の事で、直ぐに暖かい風へと変わった。
「そこまで気を使う必要などないというのに…」
兄様の方を見ながら苦笑して言う父様の口振りからすると、兄様が何かしてくれたようだけど、僕には兄様が何をしたのかが全く分からない。だけど、窓に寄り掛かるようにして座る兄様は本当に疲れ切っている様子で、父様のそんな声も聞こえていないようだった。そんな様子の兄様を見て、父様の笑みにも同情めいたものが混じる。
「こればかりは、私もオルフェを応援する事しか出来ないな」
「父上は、どうされていたのですか?」
兄様が助言でも求めるように父様に問い掛ければ、父様は虚を突かれたような顔で、少し昔を思い返すような仕草をする。
「そうだね。あの頃の私にはしっかりとした防波堤がいたうえ、これ見よがしに近付いて来る者なんて、あれの半分くらいしかいなかったからな」
「やっぱり…半分はいたのね…?」
「いや!私は全く相手にした事などなかった!それは、ラザリアに聞いてくれればはっきりするはずだ!」
まるで無実でも訴えるかのように語る父様だったけど、そんな様子を見せる母様は、会場で見せたような冷ややかな視線を向けていた。
「えぇ、さっきの様子を見ても、アルが周囲から好意を寄せられていたのは想像出来ましたから。それに、今でも色々なご婦人方から手紙が届いているようですしね」
「何故…それを…」
「貴方が言うそのラザリア様が教えてくれましたわ」
「余計な事を…だが…何処からアイツに情報が漏れたんだ…?」
母様が不機嫌そうにしていた理由が分かったからか、父様は少し仄暗いような笑みを浮かべながらも、何処か訝しげな表情で何か考え込んでいるようだった。だけど、何の助言にもならなかった事に、兄様は静かに落ち込んでいるようだった。
「兄様はどんな人が好きなの?」
今までそういった話しを兄様から聞いた事がなかったから、少し興味本位で問掛けれてみれば、何処か虚ろな目に鳴りかけながら外を見ていた兄様が、僕の方を振り返りながら答えた。
「そうだな…。とりあえず、ベタベタ触って来ない人間。化粧や香水がキツくない人間。無駄に煩くない人間。けばけばしい服を着ない人間だな…」
まるで呪文のように一息で言った言葉は、好きな人間というよりも、嫌いな人間の事を言っているようだった。それに、兄様が今上げた人達は、今日のパーティで兄様を取り囲んでいた人達の事を言っているようだった。そんな兄様の返答を聞いた父様は、怒っていたのも忘れたように、何と声を掛けたら良いのか分からず、言葉を探して迷っているようだった。
「まあ…気長に探しなさい…」
だけど、結局は言葉を見つける事が出来ず、父様は無難な労いの言葉だけを兄様へと掛ける。だけど、それを聞いた兄様の目は、まるで死んだような暗い目へと変わって行く。まるで女性嫌いになりそうな勢いの兄様の表情に、父様は他人事ではないような同情めいた視線を向けていたけど、何の打開策がない父様にはどうする事も出来ない様子だった。
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