因習
「それで、バルドが意地を張っちゃってね」
「嘘偽りがなく、誰に対しても態度を変えないのはアレの利点ではあるのだけどね」
リータス先生との含めて朝の出来事を話せば、父様は楽しそうだった笑みを少し困ったような表情に変えながら言った。すると、ティは不思議そうに小首を傾げた。
「それにしても、アンタがよくそんな態度に許してるわね?舐めた真似されたら、首根っこを引っ掴んで締め殺しそうなのに?」
ティには父様がどう見えているかは分からないけれど、ティがそれを言うのと僕は思ってしまう。だけど、そう思ったのは僕だけじゃないようだった。
「それに一番該当しそうな者は、お前なんだがな…?」
「ふんっ!そんな事言うなんて、アンタとそのリータスって奴は嫌みな所が良い勝負ね!」
「黙れ」
「エレナー!アイツ、私に今黙れって言ったー!」
失礼な事を言うティに父様が少し怒った様子で答えれば、途端に母様へと付け口するかのように助けを求めて母様の背の後ろへと隠れる。
「アル、あまり強く言っては可愛そうよ」
「……」
母様が可哀想とでも言うように父様へと話し掛け、父様もそれに何も言わずに黙って聞いていた。だけど、その視線は母様の後ろで舌を出しているティに向いており、苦々しそうに眉をを寄せていた。ティは父様が母様に強く出ない事にすっかり味をしめたかのようで、悪戯が成功した子供のように笑っていた。
最初はハラハラしながら見ていた光景でも、段々と見慣れてくると子供同士の喧嘩にも見えてくる。兄様に至っては、もはや興味も感心もないような普段通りの様子に戻っている時もあるけれど、今は膝の上に乗るルイの方の方に意識が行っているみたいだった。
「ティも、あまりアルをからかわないであげてね?」
「は~い」
父様の表情が曇っている事もあって、母様も優しくティに注意するけれど、元気な返事を返すだけで全く悪びれる様子がなく、むしろ何処か楽しんでいるような雰囲気さえもあった。だけど、そんなふうだったティもまるで悪ふざけは終わったかのように母様からの背から出て来ると、先程とは少し違って真面目な顔を浮かべながら言う。
「でも、本当に何でそんな人間を放ってるの?そう言う人間って真っ先に潰されるのが常識なんでしょ?えーっと…出る杭は打たれるってやつ?」
「人間の本質としては間違っていないかもしれないが、出過ぎてしまえば返って打たれない杭もある」
ティがそんな言葉を知っている事に驚きそうにもなったけれど、それ以上に父様がそれに普通に同意を返しているのに驚いてしまった。そんな僕の雰囲気が伝わったのか、僕の方へと視線を向けながら話しの方向性を変えるかのように言った。
「だけどね。あれでも地方では私よりも顔が広かったりするんだよ?」
「そうなの?」
「昔の杵柄があるから、名前は知られていなくとも顔を覚えている者は多いんだよ。だから、子供から頼まれて意気揚々と乗り込んで来た親が自分の顔を見たい途端、急に勢いがなくなる様を見るのが楽しいと言っていたな」
父様はその時の事でも思い出したのか、少し鼻で笑うような笑みを浮かべたけれど、性格が悪いリータス先生ならそれもありそう得そうだなと思う。僕が心の中で頷いていると、少し話しに飽きて来たのかお菓子に手を伸ばし始めたティが口を開く。
「やっぱりアンタと性格が同じだわ。それで、杵柄って言うけどソイツ何してたのよ?」
「……私の元で少しお使いをしていた時期があったんだ」
「お使い?」
「そう。ちょっと忘れている物を取りに行って来るだけのお使い」
少し投げやり気味に言う父様に僕が問い掛ければ、父様はにっこりと笑みを浮かべながら答えてくれた。だけど、父様の言っている意味が分からなくて小首を傾げていると、まるで僕が分からなくて当然みたいな顔で軽く頷くと、僕に分かりやすいように説明をしてくれた。
「王都にいる人間と違って、地方にいる貴族は書類仕事が苦手なのか、よく書類の内容を間違えて払うべき税を払わない者がいるんだよ。多少くらいの誤差なら不備として目を瞑ってあげなくもないんだけど、その値が大きすぎる連中はちょっとね…。だから、不足分の回収をしながら、もう間違えたりしないように少しお灸を据えて貰ってたりもしてたんだよ……」
「へぇー」
満面の笑みを浮かべながら言う父様に、僕は納得するように頷きながら相槌を返す。普段から失敗とかをしなさそうな人しか見ていないからか、大人になってもそういう失敗をするという印象がなかった。それに、僕もたまに試験の記入欄を間違えて書いて慌てたりしているから、少しだけその人達に親近感が湧くし、リータス先生に怒られる事が多いから何処か仲間意識みたいなのが僕の中に産まれる。
「私の家でも間違えがないか何度も確認しているようだけれど、それでも不安になる時があると父が言っていた事があったわ」
「そういう家ばかりだと、こっちの仕事もだいぶ減るんだけどね…」
母様が溢すように言った言葉に、父様は少し言葉を濁しながら返事を返していた。だけど、何かあるたびに仕事を休んでいる父様だけに、父様の仕事はあまり変わらないんじゃないかなと思う。僕がそんな疑惑に満ちた目を向けながら父様を見ていると、父様は僕の心情を知ってか知らずか爽やかと言って良いような笑みを浮かべていた。
「だけど、エレナの所は今ままでも不備らしい不備はなかったから大丈夫だよ。でも、例え不備があったとしても、私の方で修正して補填はしておくから心配はいらないよ」
「それは…大丈夫なの…?もし私の家のせいでこの家紋に傷を付けたとあっては、お義母様達にも申し訳が…」
「そんなの今さら1つ、2つ増えた所で大して変わらないよ?それに、家紋に傷を付けるような行動をしてたのはあの連中の方だ。だけど、エレナはそれでは納得出来ないんだよね?」
「……」
この前の旅行での間の事もあってか、無言でいる母様の様子を見て父様は肯定と取ったようで、何処か困ったように眉を下げながらどうしようか悩んでいるようだった。
「勝手に忖度して動いたりする連中の尻拭いをするよりも、私はエレナ達に時間を掛けていた方が有意義であるから問題ないんだけどね。無駄に歴史が長いと、本当にその連中との関わりが煩わしい…
「長く続いていると、そんなに大変なの?」
たまにクラスで長く続く家柄の自慢をしている子の話しが聞こえて来たりはするけれど、父様は本当に不快そうに顔を歪めながら、まるで愚痴を溢すようにして話す。
「そうだね。長く続いている分、横やら縦の繋がりが根深くなるうえに保守的な人間も多いから、過去の因習が残っていたりするんだよね」
「因習?」
「簡単に言えば悪い習慣かな?甘い蜜を吸おうと媚だけ売って来る無能の連中が集まって来たり、何時までも過去の栄光にしがみついて下の者に役職を譲らない者とかね。だから、私も速く次の者に譲りたいのだけど、レクスからの妨害があるせいで、なかなか実現出来ていないのが現状なんだよね」
父様はやれやれと言った様子で肩を竦めるけれど、それを聞いていた兄様の方は下げていた顔をそっと上げた。けれど、その気配を感じただろう父様は、兄様が何か言うよりも先に口を開いた。
「何か期待させてしまったようで悪いけれど、オルフェにはまだ速いかな?」
「父上は私とそう変わらない歳で既にされていたと思いますが?」
「それはまた話しが別だ。なにせ、前任者は私よりも遥かに無能だったからな。だから、どうしてもやりたいと言うのならば、それは私を超えるしかないな。だが、他の役職なら何時でも空けるから、今はそれで満足してくれないか?」
「……」
父様は諭すような笑みを浮かべながら言うけれど、目指す理想像が父様だからか兄様の方は納得出来なさそうな不機嫌な顔をしていた。そんなふうに無言のままでいる兄様や、未だに押し黙っている母様の間に挟まれた父様は、心底困ったような様子で頼りなさげに視線を動かすと、少し躊躇いがちに口を開いた。
「何か要望などがあればこっちで融通が効くようにするから、それで機嫌を直して貰えないかな…?」
「それなら、街のお店に行って買い物をしてみたいわ!だけど、私に対して便宜を図ろうとするなんて良い心掛けよ!」
「お前には言ってない。そもそも、お前相手に私がそんな事をするわけないだろう」
「はぁっ!?私にこそ、そういう事のはやりなさいよね!!」
頷きながらティが口を開けば、スンとしたように父様の表情がなくなって否定の言葉を口にする。そして、その言葉にティが抗議の声を上げながら父様の頭を叩くけれど、全く痛くも痒くもないといった様子で相手にもしていなかった。
さすがに母様は止めに入ってはくれたけれど、何時もだったら助ける事はしなくても視線くらいは向ける兄様が、今回は拗ねたように視線すら向けず、ルイの方へと視線を向けていた。だけど、ティのおかげでその場の空気が変わった事に、父様じゃないけど僕はちょっとだけ感謝した。
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