職権乱用
約束していた日。昼も少し過ぎた頃に父様に連れられてやって来たのは、屋敷の庭にある少し開けた場所だった。だけど、周りを見渡して見ても特に何か変わった物などがあるわけでもなく、何時か見たような変わりばえしない光景が広がっていた。
「何かあるの?」
「此処と言うよりも、彼等が先に来て待っているはずなんだけどね」
此処で何があるのか全く分からない僕が、隣にいる父様を見上げながら問い掛けると、父様の顔は少し困ったような顔をしながら、懐から取り出した懐中時計の蓋を開く。
「私を待たせるとは、本当にいい度胸をしているな…」
約束の時間を過ぎていたのか、懐中時計を手にしたまま父様の顔に冷ややかな笑みが浮かぶ。そのせいもあってか、時計の蓋を閉めた時のパチンという音も、何だかやけに大きく聞こえた。
「誰かが来るの?」
最近父様が不機嫌そうにしている所を見る機会が増えたからか、何となくそれが分かるようになって来た僕は、父様の気が少しでも紛れるようにと声を掛ければ、少し表情を緩めながら僕の問に答えてくれた。
「待っている相手は人でないから、誰かと言うのは正しくないかもしれないが、とある依頼をしていてね」
「依頼?」
「あぁ、子連れであるため、警戒心が強く接触するまでに時間を取られるかと思ったのだけれど、予定よりもそれが早く片付いてしまったようでね。そのせいで、私も急遽計画を変更しながら予定を開け、今日のために色々と段取りも全て整えておいたんだ。それに、昨日届いた最後の報告の手紙でも、遅くとも明日の昼頃に付くと言う報告を受けたはずなんだけどねぇ…」
誰の事を言っているのかは分からないけれど、にこやかな笑みを僕へと向ける父様の声が質が、少し下がりだしたような気がする。だけど、特に何かあるような場所じゃないこの場所では、話題にするような物がなく、僕がどうしようかなと思っていると、父様は何かに気付いたかのように横にある生け垣の方へと視線を向けた。
「あぁ、ようやく来たようだよ」
そこには生け垣だけで誰の姿もないのに、何処か核心めいたように言う父様の姿を不思議に思いながら見上げていると、その生け垣がガサガサと音を立てて揺れ、何か小さな物がぴょっこりと顔を出した。
「どうして此処にいるの!?」
そこから顔を出したのは、前にラクスの町で出会った子狐だった。その証拠に、子狐には額にはあの時に付いた召喚獣を表す紋があった。
「キュン!」
僕の姿を見つけると、子狐は可愛いらしい声を上げながら生け垣から抜け出そうとした。でも、生け垣に体が引っかかっているのか、なかなかこちらへと来る事が出来ずに、手足をジタバタと動かしていた。僕はそれを見て、子狐の傍へと近付いて抜け出すのを手伝って上げていると、屋敷の中では聞く事がないような騒がしい声が生け垣の向こう側から聞こえて来た。
「アイツ何処行った!?ただでさえ、時間が押しててヤバイって言うのに!!」
「愚痴ってないでお前もさっさと走れ!見失ったりしたら事だぞ!!」
「分かってるって!それにしても、何で急に走り出したんだ!?」
「知るかそんなの!!こんな場所で勝手に変な所にでも行かれたら、今度こそ俺達の首が飛ぶぞ!!」
ようやく生け垣から抜け出した子狐を腕に抱きながら、段々と大きくなる声に耳を傾けていると、目の前の生け垣を掻き分けるようにして現れたのは、ラクスの街で会った冒険者の2人組だった。
ラクスの町を出る時、一緒に王都にはやっては来たけれど、その後は仕事の依頼とかで王都を離れる事も多く、僕達も冒険者に依頼するような用事がなかったため、あれ以来滅多な事で会う事もなかった。だけど、前は中堅の冒険者らしく少し年期の入ったような装備を身に付けていたのに、今は何処かのお抱え冒険者のような身綺麗な装備を着ていた。でも、そんな装備も今は生け垣の葉や折れた枝がくっついていた。
生け垣から顔を覗かせていたハリソンさんが、僕の腕の中にいた子狐を見て安堵したような顔を浮かべるけれど、僕と再び目線が合うと、何かに思い至ったような様子を見せた。すると、錆びついたようなぎこちない動きで、ゆっくりと僕の後ろへと視線を向けた。
「無駄に騒々しいうえに、遅かったな」
父様の姿を見た途端、後ろにいたデリックと一緒に、まるでヘビに睨まれたカエルのように顔を強張らせ、固まったように動かなくなった。
「それで、いつまでその壊れた生け垣の中にいるつもりだ?何か、私に報告する事や言う事はないのか?」
ハリソンさん達が踏み荒らした事で、綺麗に整えられた庭の生け垣が見るも無惨な様子になっていた。父様の責めるような言葉を聞き、それに気付いた2人はそこから急いで抜け出すと慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません!門の所で止められ、時間を取られてしまいました!!って、お前もさっさと頭を下げろ!!」
「いっ!っッ!!」
身体が大きくて通り抜けるのに手間取り、ようやく側へとやって来たデリックさんの脇腹を苛立ったように、ハリソンさんが肘で打ち付けれる。すると、デリックさんの方は痛みに呻くように頭を下げた。
ハリソンさんの方が細身のはずなのに、自分よりも体格が大きいデリックさんに一撃を入れられるのは凄い。けれど、何だかとても痛そうに見えて、何だか可哀想に見えて来る。そんな2人の様子を父様は気に留める事もなく、何だか考え込んでいる様子だった。
「ふむっ、門番の方にも話しを通しておいたはずなのだがな…」
「ねぇ、父様?どうしてこの子達や、この2人が此処にいるの?」
2人の後ろから付いて来ただろう母狐が、ちゃっかりと生け垣を飛び越えて来たのを横目で見ながら、考え込んでいる父様へと問い掛ければ、父様はゆっくりと僕へと視線を向ける。
「ん?あぁ、来年からリュカも召喚獣に関する授業も始まるからね。その兼ね合いも含めて親子を元から呼び寄せる予定だったんだ。何せ、森の主くらいになれば、人語をある程度理解する事は出来るからね。顔見知りしの方が警戒心も緩むかと思ってこの者達に依頼したのだが、存外この者達の匂いを覚えていたようでね。すんなりと接触出来たんだんだよ」
「なら、2人に会えるのは今回だけなんだね?」
「いや、最初は少し頼み事をして終わるつもりだったが、思いの外使い勝手良さそうだったから、そのまま家で雇用する事にしたんだ」
また会えなくなるのを少し残念に思って言ったら、父様からは爽やかな笑みと共にそんな答えが返って来た。何処かのお抱えのようだとは思ったけれど、僕の父様が雇用主だったようだ。
「それに、リュカが世話になったんだ。簡単に手放す気はないよ。だから、装備費用など生活費に関しても全面的に面倒を見ていくつもりだよ」
「はっ…ははっ…ありがとうございます…」
全くありがたがっていないような乾いた笑い声を上げながら、ハリソンさんは逃げ場を失った獲物みたいに、何処か虚ろな目で父様へと返事を返していた。
「でも、王都まで連れて来て良かったの?」
あの時、子狐を連れて来なかったのは、母狐と引き離せないと言うのもあったけれど、母狐があの森の主であった事が一番の理由だった。
「本来、森に住む主を人の手で勝手に移動させるのはいけない事なんだが、それは力の均衡が崩れるからであって、その分の穴埋めがいれば多少不在でも何とかなるからね。今は、カルロにその分の穴埋めをお願いしてるよ」
「えっ!?カルロ1匹で大丈夫なの!?」
イグニスやアクアのようなドラゴンなら大丈夫そうだけど、鷹であるカルロはお世辞にも強そうには見えないから、カルロだけで大丈夫なのかと問い掛ければ、一瞬、何を言われたのか分からないようなキョトンとした顔を浮かべた後、何かに納得したかのように頷き笑みを浮かべた。
「普段は鷹に見えるようにしているだけで、カルロもそれなりの力はあるから穴埋めくらいは問題ないよ」
「で、でも、此処に森の主がいたら父様が怒られたりしない!?」
「従魔という事で書類の方は処理してあるから平気だよ。まぁ、最後は少し怪しまれたようだが、国で獣魔を雇用する事が決まったおかげで、道中も比較的楽に連れて来られて良かったよ」
「それで誰かに気付かれたりしないの?」
そういった許可はいろんな人からの審査を受けてから初めて許可が下りると前にオスカーさんが言っていたのもあるけれど、父様でも少し無理をしたような物言いに、僕は大丈夫なんだろうかと不安になって問い掛ければ、至極当然のような顔をしながら言った。
「そういった書類も最終的に私の所に来るからね。だから、私のサインさえあれば、そういった事の許可は簡単に取れるんだよ。それに、わざわざ処理済みの書類を掘り起こすような暇人は私の部下にはいないからね」
清々しいまでの職権乱用をしている父様に、ハリソンさん達も何とも言えないような笑みを浮かべていた。そんな僕達の間で、子狐だけは腕の中で何も分からない様子で首を傾げていた。
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