ジジイ
「はぁ…何で召喚術に関する授業がないんだ…」
「彼奴、まだ言ってるぞ…」
聞こえてきた声に顔を上げると、やりかけの宿題から顔を上げたバルドが、窓際の近くに一人で座っているネアへと呆れた視線を向けていた。
「ところで、お前は今日も宿題やらないのか?」
「やるわけないだろう。それに、そんなのとっくに授業中に終わらせた」
「全部っ!?」
「当然だろう。この時間を一秒でも無駄にするつもりはない」
最近は寝ずに授業を受けているとは思っていたけれど、学院で出される少なくない宿題を終わらせていた事に、バルドが少し驚いたような声を上げる。だけど、涼しい部屋の中、窓際で日向ぼっこをしながら寝ているルイの姿を見つめるネアの瞳には、少しの迷いすらなかった。
これまでも僕の屋敷で宿題をするのは恒例みたいにはなってはいた。ルイが僕の屋敷に来てからは、ネアの強い希望もあって、ずっと僕の屋敷に集まっているけれど、もはや、ネアはルイに会いに来るのが目的になっているような気がする。そんなネアの様子に、コンラットが助けを求めるように疲れたような声を上げる。
「ネアの気持ちも分かりますが、ほんの少しで良いのでその関心を私の方にも向けて貰えませんか…?」
ここ数日は、コンラットが1人で僕達に宿題を教えているうえ、ラザリア様から課せられた課題があるバルドに時間を取られ、自身の宿題も思うように進んでいなかった。そんなコンラットを目の前で見ているから、僕も迷惑を掛けているのは十分理解しているけれど、だからと言って変わりに兄様や父様にも聞けない。
暗記科目は一度見たり聞いたりすれば覚えられ、計算は公式を見ただけで即座に答えが出せる父様達は、僕が暗記方法など聞いても覚えられない事が分からないから答えられないし、最短計算で途中の式が飛んでいたりするから、僕には付いて行けない時がある。
1を聞いて10を知れる人達に勉強を教わるのは、やっぱり無理があると何度目かで気付いてしまった僕は、申し訳なく思いながらも、僕は今日も変わらずコンラットから教えて貰ってる。ちなみに、母様は所々間違って記憶している所や、物忘れている箇所もあったから早々に諦めた。
「はぁ…ルイのような存在がもっと学院で見れるなら、あのうんざりするような授業も耐えられるのに…」
「貴方…人の話しを全く聞くきありませんね…」
コンラットの嘆きの声を無視するかのように、敢えてこちらへと視線を寄越さなくなったネアに、コンラットは酷く諦め切ったような顔をしていた。
「でも、ネアの言う通りだよな。色々と理由があるのは分かるけど、学院にいるのも見て駄目だからな」
「そうだよね。僕達は連れて行けないにしても、見るくらいは良いと思うよね?」
学院内では上級生が連れて来る召喚獣が過ごす区画も明確に決まっていて、こちら側に迷い出て来ないように厳しい警備が敷かれていた。だから、幾ら学院が広いと言っても、僕達みたいな下級生は同じ学院内にいるのに、その姿を見る事すらない程だった。
「上級生のとか色々と見て見たいよな?」
「それは私も少し思いますけど、無理だと思いますよ。学院側も生徒を預かる以上、わざわざ危険を犯してまで許可はしないでしょうから」
「危険?何処がだ?ルドは利口で可愛いだけだぞ?」
自身の召喚獣の事を思い出しながらバルドが疑問の声を上げる。実際、バルドの屋敷に行った時に見るルドは、お利口で可愛い子犬で危険どころか、怖いとも思った事もなかった。それはコンラットの召喚獣も同じで、僕もバルドと同じように不思議そうな顔をしていれば、コンラットはまるで的外れの事で言っているかのような顔をしながら、まだ何処か暗い表情を浮かべながら言った。
「不用意に手を出して怪我をする可能性がある以上、やっぱり無理ですよ。それに、召喚獣という存在自体、学者の間でもあまり多く分かっていないそうですからね」
「でも、それって学院側の考え過ぎなんじゃないか?分かってなくても、親父や兄さん達も普通に使っているわけだしさ」
「そうだよね。ネアはそういう事情とか何か知ってたりしないの?」
「何で俺に聞くんだよ…。そんなの俺が知るわけないだろう…」
学者でも分からないような事を俺に聞くなと言わんばかりの態度で答えるネアに、僕もそれもそうかと納得する。何かあればネアに聞けば良いと思っていた所を反省していると、それまで僕達の様子を退屈そうに見ながらお菓子を食べていたティが、誰ともなしに呟いた。
「気になるなら、ジジイにでも聞きに行けば?」
「ジジイって?」
「私よりも長生きしてるジジイが、北の森にいるのよ。私は然程興味ないから召喚獣の事なんか知らないけど、ジジイなら人間の国にも行った事があるもあるから、色々と知ってるかもしれないわよ?」
「えっと、その人はティのお爺さんなの?」
「はぁっ!?アンナ奴と私が血縁なわけないでしょう!!それに、妖精に親なんていないわよ!」
ティが失礼な事を言うなとでも言うように反論する姿を前に、そんな事を言っていたなと思いながらティの言葉に耳を傾けていると、ぶつぶつと文句でも言うようにその相手の事を話す。
「あのジジイ、精霊王なんて偉そうな名乗ってるけど、私から言わせればはた迷惑なただのジジイよ。ドジで抜けてるし、周りを振り回して周囲を困らせてばかりだから、あんな王を持った連中には本当に同情しかないわ」
「それ…自分の事を言っているわけじゃないよな…?」
そっくりそのまま自分へと返って来そうな事を言うティに、バルドにしては珍しく真顔な顔を浮かべながら問い掛ければ、キョトンとした顔で返事が返って来た。
「何言ってるの?私の事のわけないじゃない。むしろ、私ほど周りに慕われている王なんていないわよ!」
「えっ…う、うん…」
本気でそう思っているかのように胸を張るティに僕はあいまいな返事を返しつつ、僕でも知っている名前が出て来て、僕が覚えている存在であっているかを確認するためにコンラットへと会話を振る。
「精霊王って、前に授業で言ってたルーカスの国の神様だっけ?」
「あの国は精霊信仰なので神と呼んでいますが、他の国は一切それを認めていませんから、神と称するのは少し違うような気がしますけどね」
「当たり前でしょう!!あんなジジイが神なわけないわ!!そもそも、私を差し置いて神とか図々しいわよ!!」
後半の方がティの本音のような気もするけれど、建国時の神話の話しとして聞いていたから、精霊なんて作り話の存在なのかと思っていた。だけど、おとぎ話だと思っていた妖精も実在したんだから、精霊王がいてもおかしくはないのかと思い、知り合いそうなティへと何気なく尋ねてみた。
「ティは、何処に住んでるのとかも知ってるの?」
「知ってるわよ。北に大きな山があるでしょう。ジジイはその山の麓の森に住んでるわ」
「その山って、ルーカスとの国境沿いにある山の事ですか?」
「さぁ?人間達が決めた境目なんて知らないわよ。でも、高い山と大きな森がある場所なんて北にはあまりないから、たぶんそうなんじゃないの?」
「あの付近に住んでいるのなら、ルーカスとの関係性にも納得が行きますね」
「でも、あっちはその事知ってるのか?」
「それはないんではないでしょうか。もし知っていたら、聖域として扱っていそうですし」
「それもそうか」
コンラットの言葉に、バルドは大して興味もなさそうに納得したような言葉を呟く。でも、僕も学院の授業でもそんな話しは聞いた事がなかったから、たぶんコンラットの推測であっているんだろうけど、父様達もこの事を知っているんだろうか?だけど、子供の頃からティと知り合いで、物知りな父様達なら当然この事を知っているかと思っていると、コンラットはそんな事を議論しても仕方がないとでも言うように、少し冷めきったような声を上げる。
「まぁ、国境沿いなんて危険なうえ、そう簡単に行ける場所ではないですけどね」
「えっ?何でよ?ちょっと行って帰って来れるでしょう?」
「いや!遠いだろ!」
「えっ?あぁ、人間はあの乗り心地の悪い馬車に乗らないと移動出来ないんだけ?人間って不便ね」
僕達に妖精みたいな移動手段がない事に気付いたティが、何処か納得するような声を上げるも、何処か可哀想な物でも見るような目を向けて来る。便利な移動手段があるせいか、ティの距離感はだいぶ人とは違うようだった。だから、もし僕達が行くとしたら、夏休みなどの長期の休みでなければ無理そうだ。
「私達にとっては普通なので、あまり不便とはあまり感じませんけどね」
「それに、そこまでして聞きに行く必要がある話しじゃないしな。そんな事よりも、もっと身近な事の方が大事だ…」
「何ですか?まだ謝りに行ってないんですか?」
「ちゃんと実技の授業があった時に謝ったって!」
「それで、許して貰えなかったんですか?」
「いや、アリアは許してくれたけど、周りの目が厳しい…」
「あぁ、仲間意識が高いから、そういう所あるような」
アリアは意外とさっぱりした所もあるせいか、バルドがちゃんと謝ったら許してはくれたようだった。だけど、一度周りから下された評価を覆すのは容易ではないようで、今も女性陣からは厳しい評価のままみたいだ。
「もう、ほとぼりが冷めるのを待つしかないんじゃないか?」
「それって何時だよ…?」
「あっちの気分次第だな」
「……」
ルイの方から視線を向けなくとも、バルドの悩みにはちゃんとアドバイスの言葉をくれるネア。それが優しいのか冷たいのか分からないけれど、バルドはネアの言葉に意気消沈していた。
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