森の中へ
昨日、父様から森に入る許可を貰っていた僕達は、その翌日、兄様と一緒に裏庭の奥にある森の前へとやって来ていた。
「昨夜、森を上から一通りは見て回ったが、父上の言う通り、魔物はいないようだった。たが、何かしらの気配を感じた」
「何かしらって?」
「分からん。少し探ってみようとしたのだが、森に流れる不規則な魔力に邪魔され、上手くいかなかった。私も、父上のように探索が得意であれば良かったのだが…」
何処か真剣味をおびている兄様に僕が尋ねると、兄様の表情は変わる事がなくても、その声には僅かに悔しさと申し訳なさが滲んでいるようだった。
「危ないの?」
「少なくとも、悪意ある者ではないようだった。おそらく、父上達が言っていた森の管理者なのだろう。念の為、私も少し離れて付いて行くが、それでも十分に気を付けろ」
そう言った兄様の服は、無駄な作りがない戦闘服みたいな服を着ていて、少しピリついた雰囲気を纏っていた。普段はラフな作りの服を着ていても、貴族としてのオーラがあるからか礼服を着ている雰囲気があった。でも今は、武器は持ってなくとも、まるで騎士みたいな雰囲気を醸し出していた。
「それなら、離れて付いて来るとかじゃなくて、普通に俺達に混ざれば良いんじゃないですか?」
「それは遠慮する」
敬語とタメ語が混ざったバルドの誘いを、兄様はきっぱりとした様子で断っていた。森の中に入りたくない兄様に取っては、虫取りに行く僕達に付いて来るだけでも凄い葛藤があるようで、何となくそれが僕に伝わって来る程だった。
「そうですか…」
兄様の言葉にコンラットは少し残念そうにしていたけれど、兄様は僕の方へと向き直る。
「リュカ。これを渡しておく」
「何?これ?」
兄様の葛藤に気付かないように視線を逸らしてしていた僕に、兄様は上品な白い入れ物に入った何かを差し出して来たので、僕はそれを両手で受け取りながら首を傾げる。
「虫よけの薬だ。森には、毒虫なども数多く生息している。だから、使っておいて損はない」
「ふ~ん」
兄様の説明を聞きながらまじまじと容器を見ていたら、そんな僕の肩越しから、ネアが持っている物を覗き込んで来た。
「俺も見た事ない商品だな?」
商会をやっているネアでも見た事がないのか、薬が入った容器を見ながら、ネアが不思議そうな声を上げていた。
「これ、何処から買って来たの?」
「私が作った物だ」
「これ!兄様の手作り!?」
「是非、使わせて下さい!」
僕が興味本位で聞いてみたら、兄様からは思ってみなかった答えが返って来て、僕は驚きの声を上げる。だけど、それと一緒にコンラットが真っ先に手を上げていた。虫が得意じゃないと言っていたけれど、兄様の手作りと聞いたからか、キラキラとした目をしていた。
「使っても損はなさそうだし、コンラットが使うなら俺も使おうかな?」
「それなら僕も使う」
2人が使うみたいだし、せっかく兄様が作ってくれた物だから、僕もみんなと一緒に兄様から貰った薬を腕などに塗っていれば、1人だけ手を伸ばそうとしない人がいた。
「ネアは?使わないの?」
僕達の様子を見ているだけのネアに、僕達が使い終わった薬の容器を差し出しながら問い掛ければ、何とも微妙そうな顔しながら、僕に確認するように聞いて来た。
「お前等は…それで良いのか…?」
「何が?」
「いや、お前等がそれで良いなら、俺からはもう何も言わない」
何が言いたいのか分からなかったけど、ネアが話しを切り上げてしまったので、話しがよく分からない。だけど、とりあえず塗り薬はネアへと手渡し、僕は心の中で首を傾げつつも、ネアが塗り終わるまでの間、兄様へと声を掛ける。
「これ、僕にも作れる?」
「材料は屋敷の庭の一角に栽培してある。だから、薬草学の授業を受けているリュカならば、そのうち作れるようになる」
僕が問い掛けると、兄様は表情を僅かに緩めながら、既に確信しているように頷きながら断言してくれた。その様子は、僕なら出来ると信じてくれているようで、何だかそれが嬉しい。
「これって、どれくらいの効果があるの?」
「半日程だが、全ての虫に効果がある」
「それって凄いの?」
少し照れ臭くなって、その気持ちを誤魔化すように兄様に聞いたけど、そういうのが分からない僕は、それがどれくらいの物なのか分からない。だから、それをよく知ってそうなネアへと視線を向けながら、薬の効果に付いて尋ねる。
「凄い方だぞ。市販の物は数時間程度の物が殆どだし、一部にしか効果がないからな。だから、これは普通に売っても高値で売れるだろうな。だが、制作者の名前込みで売れば、付加価値が付いて、もっと高値で売れそうだな」
「……売る気はないぞ」
悪巧みしてそうなニヤリとしたネアの笑顔に、他人が見ても分かるくらい嫌そうな顔を浮かべていた。だけど、ネアはそんな兄様を見て、笑みを深くする。
「もし、そのような話しを耳にした場合、リュカの友人とはいえ、厳正に対処するからな…」
「私も、公爵家と揉めるつもりはないですので、今のはただの冗談です」
「………」
再度、念を押すように苦言を呈する兄様に、ネアはよそ行き用の笑顔と口調で返す。その様子を兄様は、無言で不審そうな眼差しを向けていた。
「なぁ?まだ、話し終わらないのか?そろそろ行こうぜ?」
「そ、そうだね!兄様!行ってきます!」
「あぁ」
無言で見つめ合っていた2人の空気を終わらせると、僕は待ちきれない様子のバルドの言葉に乗っかって、兄様へと声を掛けて森の方へと歩き出す。すると、それを待っていたように元気な声が響く。
「よし!冒険の始まりだな!」
兄様に一端見送られながら、僕達はその掛け声と一緒に、森の中へと足を踏み入れた。
森に入ってからのバルドは、機嫌よく楽しげな様子を見せていた。だけど、コンラットは反対にキョロキョロと辺りを見渡しながら進んで行く。そんな僕も、コンラットと一緒になって周りを見渡していた。
森は高い木々に覆われているうえに、下の方には余り日差しが入って来ないせいか、日中でも薄暗く感じる。一応、道みたいな物はあるけれど、植物が生い茂っていて歩き辛い。だけど、所々誰かの手が入っているような場所もあった。
「虫、いないね?」
「こんな深い森に入ったら、もっといると思ったんですけど、意外といないものなんですね?」
辺りを見渡していた僕達が、肝心の虫の姿が見当たらない事に気付いて疑問の声を上げれば、それを否定する言葉が飛んでくる
「でも、屋敷の庭にもいたんだから、森にいないなんて事ないだろ?」
バルドの言葉で、昨日の様子を思い出すけど、今は森に入る前は聞こえていたセミの声すら聞こえない。
「虫よけの効果だろ」
「「「………アッ!」」」
「お前等…今頃気付いたのか…?」
ボソリと言ったネアの一言で、ようやく虫がいない原因に思い至った僕達が驚きの声を上げれば、ネアはそれに呆れたような目を向けて来た。その様子に、一番を楽しみにしていた人物が真っ先に声を上げる。
「気付いてたなら言えよ!!」
「だから聞いただろ?それで良いのか?って、だけど、お前等はもう使った後だったから、もう言ったって仕方ないだろ」
「「「…………」」」
「文句を言うなら俺じゃなくて、それを出して来た人間に直接言えよ」
僕達が揃ってネアに白い眼を向けるが、そんなのはどこ吹く風と言った感じで、姿が見えない兄様へと責任転換を始めた。だけど、兄様に文句なんて言える訳がない。そんな僕達の耳に、聞いた事もない声が聞こえて来た。
「ようやく来たわね!謝罪に来るのが遅いわよ!!」
声の方へと視線を上げると、4枚の羽が生えた15センチくらいの女の子が、腕を組みながらふんぞり返った様子で、僕の事を見下ろしていた。
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