実家へ
昨日より、ほんの少しのんひりした時間に起きたけれど、まだ疲れが取れないのか、少しだけ眠気を感じる。普段なら、朝からきっちり身形を整えているコンラットも、今日は服は何処かよれっとしていた。
そんな様子の僕達だったけど、体力があるバルドは今日も元気そうで、先に朝食に下りて来ていた父様や兄様はもちろんだけど、母様もそんなに疲れていないように僕の目には見えた。
「ねぇ?母様?母様は、どうして疲れてないの?」
席へと座る前の母様の呼び止め、朝から化粧もしっかりとしている母様に、疲れてない理由を尋ねると、母様は少しだけ苦笑したような笑みを浮かべた。
「そうね。子供の頃に乗っていた馬車と違って、そんなに揺れないからかしらね?」
「これで揺れてないの!?」
母様の言葉に僕が驚きを隠せないでいると、母様は苦い記憶でも思い出すような渋い顔で僕に言った。
「私が子供の頃に乗ってた馬車なんて、お世辞にも良いとは言えない馬車で、舗装されてない田舎道が多いから、毎回移動する度にお尻が痛かったのよ。だけど、アルと結婚してから乗る馬車は、揺れないように作られているし、座席も柔らかくしてあるからとても楽よ。でも…余りにももこれに慣れすぎて、昔に乗っていたような馬車にはもう乗れないと思うけれど…」
僕は少なからずその言葉に衝撃を受けていた。今まで、舗装されている道しか通らなかったのもあるけれど、あれで揺れてないって言うなら、母様が言う馬車にはとても乗れそうにない。
今思えば、ラクスへと行く道でも揺れを感じなかったから、貴族の避暑地に行く道とあって、きちんと舗装されていたんだろう。その事に気付いた僕は、その場で肩を落とすしかなかった。
昨日と変わらず馬車は揺れていたけれど、これでも揺れていない方だと言い聞かせながら我慢するしかなかった。遊ぶ気さえも起きない中、僕達が目的の場所に着いたのは、そろそろティータイムになるような頃の時間帯だった。
だけど、最初その町を見た時は、本当に此処であっているのかと疑問に思った。てっきり大きな街の一角に住んでいると想像していたのに、この町は此処に来るまで見た町よりも大きいかなと思うくらいの広さの町だった。そんな街に、見慣れない立派な馬車が来たからか、街の人達が何事が起きたかのように、遠巻きにしながら僕達の馬車を見て、小声で何か話しているようだった。
そんな人達を横目に見ながら町の進んで行くと、一軒の大きな屋敷が見えて来た。他の家が小さいから大きく見えるけど、僕の屋敷の半分くらいの大きさしかなかった。それに、庭はあっても、直ぐに見渡せるような広さしかない。
そしてその屋敷は、町の入口からでも見えていた背の高い木々が生えた大きな森の手前建っており、町の外れと言ってもいい場所だった。
みんなの後に続いて馬車を下り、2階建てのこじんまりとした屋敷を見上げていたら、何の前振りもなく、その声が辺りに響き渡った。
「アルノルド!」
金切り声に近いような怒鳴り声に驚いてそちらを向くと、痩せて細って目つきの鋭い年配の女性が、足音も粗くこちらへとやって来るのが見えた。ワインレッドのドレスを来たその顔は何処か青白く、乱れた白髪のせいで窪んだ赤い目もそれを強調させていて、まるで鬼みたいだった。
「これは母上、随分とお久しぶりですね」
仕草や言葉使いは丁寧な様子を見せているのに、声だけは僕が今まで聞いた事のないような白々しさを醸し出していた。相手も分かったのか、気に入らない者を見るような目を向けていた。
「白々しい挨拶はお止めなさい!それよりも今直ぐ!今直ぐ!アレをどうにかしなさい!」
「さて、アレとは何でしょうか?私は今到着ばかりで、何の事だかさっぱり理解できないのですが?」
「お前が理解出来ないはずがないでしょう!!?」
「そんな事を言われましても、全く理解できませんね。周りからは、すっかり腑抜けたと言われる程ですからね」
「アァーーッ!!」
半狂乱になって叫び声を上げる姿は狂気地味ていて、恐怖すら感じる程だった。そんな様子を薄っすらとした笑いを浮べて見下ろす父様は何処か冷たく、まるで別人みたいな雰囲気を放っていて、母様も含めて誰も何も言わない。そんな緊張感が漂う場面で、この空気には不釣り合いな、のんびりと声が聞こえて来た。
「あら~?思ったよりも、到着が速かったのねぇ~?」
「!!?」
声が聞こえた方を見れば、何時来たのか分からないほど近い距離に、銀髪に薄紫色の目をした女性が、ふんわりとした笑みを浮かべながら立っていた。顔は父様と少し似ていて、綺麗な顔立ちに何処かおっとりとした雰囲気をまとっていた。服は、白を基調にしたふんわりとしたドレスは、雰囲気や口調と相まって似合っていた。
ニコニコと笑っている様子は父様と一緒で優しそうな顔をしていたけれど、真っ先に振り返った女性は、何故か青ざめた顔をしながら、徐々にこちらへと近付いて来る様子を静かに見ていた。
「も~う、遅れるなら、もっと速く教えて欲しかったわぁ~。せっかく、食材とも頼んでおいたのに~。私、泣いちゃうわよ~?」
「姉上が、そのような事で泣くとは思えませんが?」
「ひど~い」
顔が似ているなとは思ったけれど、やっぱり父様のお姉さんだったようで、変に間延びした声で鳴き真似をしていた。父様のお姉さんだから、父様よりも年上なんだろうけど、それを感じない外見をしていた。だけど、鳴き真似が下手すぎて、誰が見ても嘘だっていうのがバレバレだった。
「話しが前に進まないので、いい加減、下手な演技は止めて、それをどうにかして欲しいのですけどね」
「あぁ~、お母様がいたの忘れてたわ~。駄目ですよ~?お客様がいらっしゃる前ではしたない真似しちゃ~?大好きな面子は守って下さいねぇ~?」
少し苛立ったような父様の言葉に、お姉さんは今気付いたような視線を女性に向け、しだれ掛かるように身を寄せる。そして、耳元に口を寄せて囁くように話すと、ただでさえ青白かった顔色がさらに悪くなり白くなって行く。
「あ、後で私の部屋まで来なさい!良いわね!!?」
父様の事を指差して叫ぶと、来た時と同様に足音粗く去って行く。その後ろ姿を呆然と眺めていたら、一緒に眺めていた父様のお姉さんらしき人が、不思議そうな顔を浮かべながら父様を振り返る。
「ねぇ?お母様から呼ばれてたみたいだけど、アルノルドは行くの~?」
「ふっ、行くわけがないでしょう」
楽しそうに微笑むお姉さんの横で、父様は軽く鼻で笑うと、冷めたような視線を去って行った方向へと向けていた。
「なぁ、お前の所のオバサンって、俺の母さんよりも何かキツそうだな」
「ちょ!失礼ですよ!?」
耳元でこっそりと呟いたバルドの言葉に、コンラットは声を落として注意するけれど、僕も無言のまま頷いた。僕達がそんな会話をしている間も父様の話しは進んでいて、母様もお姉さんに挨拶をしている所だった。
「エレナの隣にいるのが息子2人と、その後ろにいるのが友人達です」
「ちょっと!アル!お姉さんに失礼よ!?」
全く紹介する気がないような、完結過ぎる父様の紹介に、母様が慌てて注意するけど、お姉さんの方はのほほんとした態度のままだ。
「別に怒ってないから良いのよ~。それに、昔から素っ気ない子だったから、今さら気にしないわ~」
「ふんっ」
「アル!」
お姉さんからの言葉を鼻で笑う父様に、母様は困惑と動揺を隠せない声で叫ぶ。母様がこんな態度を取っていたら、何時もたったら気遣うような素振りを父様は取りそうなはずなのに、そんな素振りもなく不機嫌そうにしていた。
「わ、私の方から紹介させて頂きますね!息子のオルフェとリュカ。その友人のバルド君、コンラット君、ネア君です!」
この険悪な空気をどうにかしようと、母様が父様に変わって僕達の事を紹介してくれた。何と言えば分からなかった僕は、兄様を真似して軽く頭を下げると、後ろにいた3人も揃って軽く頭を下げいた。
「ふふっ、それなら次は私の番ね~?私は姉のシェリアって言うの~。よろしくね~?」
「よろしく…お願いします…」
戸惑いを隠せないまま返事を返し、そのまま見つめていたら、そんな僕の様子が楽しくて仕方ないみたいな顔で笑っていた。
「ふふっ、お名前も可愛いけど、リュカ君達は本当に小さくて可愛いわぁ~」
そう言って僕達の方へと足を踏み出そうとするお姉さんとの間に、割って入る影があった。
「姉上、必要以上に近寄らないで下さい」
「え~?近寄っても、減ったりしないでしょ~?」
「減りはしませんが、不快です」
父様のきっぱりとした拒絶に、お姉さんはほっぺたを膨らませて、拗ねたような態度を見せていた。けれど、父様は意にも返さない。
「それと、ご自身で引き取った物の管理は、しっかりとしておいて欲しいものですね」
「ふふっ、ごめんなさいねぇ~。泳がせてから捕まえるのが、何だか楽しくなっちゃってぇ~」
「父様?泳がせてるって、魚でも飼ってるの?」
僕が質問をすると、お姉さんはきょとんとした顔を浮かべてから、楽しそうな笑顔で笑い出した。
「ふふっ、そうよ~。無駄に口をパクパク動かしているだけのお魚さんを飼ってるの~。見てみる~?」
「リュカ。絶対に見に行かないように。姉上も、決して見せようなど思わないで下さいね。そんな事をすれば、私にも考えがありますよ…」
「もう、本気にしないでよ~。リュカ君はまだ小さいから速いわよねぇ~?それじゃあ、そっちの子はどうかしら~?」
「姉上…」
小首を傾げながら、一歩引いて成り行きを見守っていた兄様へと視線を向けたお姉さんに、父様は険しい表情を浮かべていた。
「そんな怖い顔しなくても、今のも冗談よ~?」
「冗談…なの?」
「そうよ。私、冗談を言うのが好きなの~」
クスクスと笑うお姉さんは、何とも掴み所がない様子で、話していると何が本当なのか分からなくなって来る。でも、冗談が上手くない所は、父様と一緒だと思った。そんなお姉さんに、後ろからそっと近寄る影があった。
「シェ、シェリナ…」
緊張で掠れぎみの声で話し掛けたのは、身なりはしっかりしているけれど、屋敷にいる年配の使用人みたいな、どうにも覇気のなさそうで、弱々しい雰囲気の40代の男性だった。
「手紙に書いてあったのは、コレですか?」
「そうよ~。私の旦那様~」
「ど、どうも…」
ビクビクと怯えた様子でこちらとは一切目を合わせようとしない男性を、お姉さんはうっとりとした目で見つめ、楽しげな顔をしていた。
「虐めがいがある男性って、可愛いわよねぇ?ふふっ」
「そうですか、良かったですね」
「そういう意味では、昔からアルは可愛くないわぁ~」
「姉上からそう思って頂けているのなら、私としてもとても光栄ですよ」
「本当に可愛くなぁ~い」
棒読みで言った父様の言葉に、お姉さんは拗ねたような様子を見せるけど、父様は小馬鹿にした様子で返していた。2人でお互い楽しそうに笑っているのに、笑顔で殴り合っているように見えるのは何でだろう?
「姉上、私達は疲れているんです。ですから、中に速く案内して頂けるとありがたいのですけどね」
「そうだったわねぇ~。すっかり、忘れてたわぁ~。アナタも、言ってくれれば良かったのに~」
「だ、だから…声を掛けようとしたんだけど…」
「そうだったの~?気付かなかったわ~」
「姉上」
「はい、は~い、分かっているわよ~。もう、せっかちね~」
考え事をしている時の兄様みたいに、父様の眉間に深いシワが寄っており、そんな父様の様子を面白がっているような顔をしつつも、お姉さんは父様に促されるようにして、やっと僕達を屋敷へと案内してくれた。
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