変化を楽しむ (アルノルド視点)
「泣かせるななどと、彼奴は、私の事を無法者だとでも思っているのか」
少し前に去って行った奴に私が不満を募らせていれば、こちらを伺うような控えめの声が隣から響いた。
「殿下達も、ただの冗談で言っただけだと…」
「そんな事は知っている」
「すみません」
「謝罪を求めた訳ではない」
「…すみません」
攻めた訳ではないと言うのに、私の言葉に謝罪の言葉だけを口にする。急な呼び出しで席を外している間、レクスから、彼女の相手を頼むとは言われたが、未だに対処の仕方が分からない。
最初のお茶会から数カ月が経ち、その間、レクス共が開くお茶会に何度か参加させられているが、私への態度が、レクス達といる時と全く異なっている。先程までのただ騒がしいだけのお茶会でも彼女は笑っていたというのに、私と2人だけにならば俯くだけで、笑う様子すらしない。まるで、あの日の出来事が嘘だったような静かさだ。
人払いがされ、静寂が漂う庭園で、チラチラとこちらをただ伺うような視線を感じた私は、仕方がなしに声を掛ける。
「退席したいなら、席を外しても構わない。レクスには、私の方から伝えておく」
「え……っ?で、ですが…」
「構わん。私が許可しているのだ、何の問題もない。それに、私といても退屈なだけだろう」
彼女が言い出せずにいた事を許可したつもりだったが、戸惑ったような様子を見せるだけで、席を立とうとする気配がない。
「レグリウス侯爵様の方が…私よりも退屈なのではないですか…?」
「何故だ?」
「何度かお茶をご一緒させて頂きましたが、お笑いになった所を1度も見た事がありませんので…」
聞き返した私の言葉に、何処かかしこまった様子を見せながら答えた。
「それは杞憂だ。誰といたとしても、私は笑った事などない」
「ないんですか…?」
「ない」
私の言葉に、彼女は何か言いたげな顔をしていたが、何かを言う気配はない。レクスならば、それを理解出来たかもしれないが、私にはそれは出来ない。また黙り込みそうな気配を察し、再びこちらから声を掛ける。
「後学のために聞くが、人とはどんな時に笑う」
特に話題もなく、無難な事を問いかけようとした結果、私らしからぬ意味のない問いをしてしまった。だが、彼女はそれを気にした様子もなく、少し考えるような仕草をした後、口を開いた。
「えっと、それは人それぞれだと思いますけど、普通に楽しい時とか、嬉しい時に笑うと思います。私は、天気が良い時とか、道に咲いている花を見つけた時とか、日々の変化に気付いた時も笑いますかね?」
「………」
質問したのはこちらだが、全く理解も共感も出来ない。天候しだいては日照りや水害が発生するため、日頃から気を配りはするが、それ以外には何も感じない。それに、変化が生じれば、その都度、その誤差を修正しなければならず、手間と時間が掛かり、煩わしいだけとしか思えない。
「変化など、良いものではないと思うが?」
意味のない問いに答えて貰ってなんだが、理解できなかったために、再び疑問の言葉を口にする。
「私の実家は、王都から離れた位置にあるせいか、王都と違って周辺には娯楽施設とかもあまりなくて、それに、そこまで裕福な家系ではありませんでしたから、日々の楽しみと言えばそういった小さな変化くらいだったんです。だから、王都に来てからは大きな変化が大きくて毎日が楽しいです」
本心からそう言っているのだろう。その証拠に、彼女の顔には、罪人が浮かべるような悲壮感というものがなかった。あって当たり前の私からすれば、何もないという環境が想像出来ない。もし仮に、私がそのような環境下に置かれたとしても、彼女と同じ考えには至らないだろう。
自信が持つ価値観の相違を感じ、彼女の目を見ながら考え込んでいると、彼女の顔がみるみるうちに赤へと変わって行き、突然立ち上がった。
「で、殿下の分の紅茶がありませんね!私!少し頼んで持ってきます!」
「何故、行く必要がある?頼めば済む話しだ」
顔を赤くしたまま挙動不審な態度を取り続ける彼女に疑問を感じつつも、離れた位置に待機していたメイドへと目線を向ければ、直ぐにこちらの意図を察し、軽く頭を下げて下がって行った。
「時期に届く」
「そ、そうですね…」
彼女へと視線を動かせば、未だに立ったまま、顔を赤くしていた。屋根もあり、私は特に気にはならないが、夏の初めという事もあり、彼女に取っては熱いと感じるのかもしれない。それとなく、魔法で周囲の温度を下げていれば、こちらへと近付いてくる気配を感じた。
「エレナ嬢。お待たせして申し訳………何で、君がまだいるんだい?」
「頼むと言ったのは、貴様の方だろう」
彼女の背の影から出てきた奴は、さも驚いたようお顔を浮かべながら、私の事を見下ろしていた。自身で命令したにも関わらず、それを忘れたように言うレクスの言葉に苛立ちが募る。
「確かにそう頼んだけど、てっきり君の事だから、紅茶を飲み終えたら直ぐに帰ったと思っていたよ。でも、女性を立たせて置くのは、どうかと思うよ」
慌てる彼女を人当たりの良さそうな顔で席に座らせ、さり気なく隣に座った奴の椅子を、何故か無性に蹴り飛ばしたくなった。ただでさえ、最近、彼女の前でも素を出すようになっている事に、若干の不快感を感じていると言うのに。
「アル。もしかして、今、魔法使ってる?」
「…………」
私の意識が他に逸れた事によって、僅かに周囲を覆っていた魔力の揺らめきに気付いたようだ。日頃から目ざとい奴だとは思っていたが、此処まで感が良いとは予想していなかった。
「へぇ~、そうか~。他人の事なんか気にも止めようともしなかった君がねぇ~」
にやにやとした笑いを浮かべているレクスの顔面を殴りたくなり、私が殺意を向けながら睨んでいれば、座らずに後ろで控えていた奴が、口を挟んできた。
「アルノルド。殿下に対して不敬だ。態度を改めろ」
「黙れ。お前の指図は受けない」
「まぁまぁ、何時もの事だし、別に良いよ。しかし、アルの変化は望んでいたけれど、まさか此処まで変わるとはねぇ。アルも、少しは人間らしくなったんだねぇ」
まるで、私が人間ではなかったかのような物言いに、それとなく不快感を感じるも、奴の言う通り、前までの私ならば、他人のために魔法を使おうとする所か、さっさと此処を立ち去っていただろう。
変化する事を煩わしいと思っていた私が、知らず知らずに変化していただけでも滑稽だが、それを他人に指摘されるまで気づかないなど、何とも滑稽過ぎて笑い者にしかならないだろう。そんな自身に嫌気が指していいれば、私が何も言わないのを良い事に、少し調子づき始めた。
「だけど、私達の分の紅茶を飲み干すほど、此処に居たかったとはねぇ~」
ボットのお湯に気付いたレクスが、再び、ニヤけたような笑みを浮かべる。だが、私が口を開く前に、ほのかに顔を赤らめた彼女が口を開く。
「そ、それは…私が…、で、ですが!レグリウス様が追加の紅茶を手配して下さったので、もう少しで届くと思います!」
「はぁ!?君が!?私達の分を!?紅茶に何か入れる気か!?」
「こんな目立つ場所で入れるわけがないだろう。そんな物を入れるくらいなら、直に首を取った方が速い」
彼女の言葉に驚愕した奴が、失礼な事を言って来たため、私もそれに応じて言葉を返す。そうすれば、別の方面から応酬が返って来た。
「私の前で、よくもそのような事が言えたな。そのような事をすれば、その前に、私がお前の首を切る」
「ベルンハルト。私の首を、そう簡単に取れるとは思わない事だ」
日頃から私に難癖を付けて来る奴とは、1度、じっくりと話し合いたいと思っていた所だった。私達静かに睨みあっていれば、原因を作った奴が、間へと割って入って来た。
「お前等、エレナ嬢が戸惑っているだろう」
幾分落ち着きを取り戻した様子の奴が、余裕そうな態度を取り繕いながら、善人ぶったような笑みを浮かべる。
「すまないね。これは、2人の挨拶のようなものだから、軽く聞き流してくれて構わないよ」
「そう…なんですか…?」
「そうなんだよ。アル。さっきのは、ただの冗談だろう?」
「………冗談だ」
有無を言わせないような気配を漂わせている奴を前に、私も、此処は無理に押し通す必要を感じず、素直に引く事にした、奴の言葉を受け入れた。そうすれば、小さな笑い声が耳に響く。
「ふふっ、レグリウス侯爵様も、冗談を言われたりするのですね」
そう言いながら、彼女は小さな笑い声を上げながら笑っていた。言わされただけの言葉だったが、彼女が私の言葉で笑ったのかと思えば、先程まであった苛立ちが消え、今まで感じた事がないような感覚が広がる。
「……っ!?君…もしかして…今…笑ったかい…?」
「はい。僅かでしたが、上がっていました」
「見間違いじゃなかった!」
ベルンハルトの同意を得たからか、レクスからは散々煩く喚き散らされた。その時のうんざりした気持ちを思い出していれば、私を呼ぶ声が聞こえた。
「父様?さっきから、黙ってどうしたの?」
「ああ、すまない。少し考え事をしていたよ」
昔の事を思い返していたら、余計な事まで思い出してしまった。余計な記憶を振り払うように首を振ると、リュカの方へと向き直る。
「そんな事があったから、エレナと一緒ならば、私でさえも、日々の変化すらにも、穏やかに笑えるような気がしたんだ」
余計な事を省きながら、説明していた私は、あの時感じていた気持ちを思い出す。あの時感じたあれは、おそらく穏やかさというものだったんだ。それまで、何かに対する執着心もない私が、日に日に、この時間を手放したくないと思った。
「だから、卒業する際、エレナには一緒にいて欲しいと伝えたんだが、直ぐに断られてしまったよ」
断られた後、レクスにその話しをすれば、何が原因だったのかを挙げ連ねられた。だが、卒業したばかりの身ではどうしようない事だった。エレナの卒業までにと、平行して色々と準備はしていたが、間に合う事はなかった。
合わせる顔がなかった私は、エレナに手紙だけを送ったが、その事でレクスからアホ呼ばわりされ、ラザリアからは小言を言われる羽目になった。そのうえ、ラザリアの一芝居を打つのに協力させられたりと、その後も散々な目に合わされたが、その件が邪魔な連中を一掃するのには役にたったため、未だに恩着せがましく言ってくる事がある。
それらの後始末も何とか終えて迎えには行ったが、王都へと到着して暫く経った後、エレナから叱責をされた。ラザリア達から事前に指摘を受けていた通り、それに対する対処方法は考えてはいたが、予測していた事柄であったため、機嫌を持ち直して貰うのに苦心する事になった。
「母様は、父様にそんな素振りがなかったって言ってたけど?」
苦い記憶を思い出しながら、リュカには言葉を選んで答えていたが、ふと思い出したかのように疑問を口にした。
「その頃の私は、本当にエレナの事が好きなのか、それともただの好奇心や執着心から来ているものなのか、自分自身でも、まだ自信が持てなかったんだ。まさか、他人の心を理解するよりも、自身の感情を理解するのが難しいとは、思ってもいなかったよ」
「ふ~ん?それなら、今は分かるの?」
「今なら分かるよ」
「それなら、今から母様にそれを言いに行こう!」
「えっ?い、今から…かい…?」
「うん!」
今ならば言葉には出来るとは思うが、今更それを本人に伝えるとなると、いささか気恥ずかしいものがある。それに、リュカが聞いている前だと言う事が、それに拍車を掛けていた。
「父様!速く!」
「分かったよ」
そんな私の気など知らず、急かすように手を引くリュカに従い、私も大人しく席を立つ。
今でも感情というものには不慣れであり、自身が感情があるのかと、自身でも疑いを持つ時さえある。それでも、この時間を、この温かさを手放したくないと思う感情だけは、紛れもない私の中の真実だ。
私は、手の中にある温もりを握り返しながら、部屋を後にした。
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