きっかけ (アルノルド視点)
「ねぇ、父様?父様は、どうして母様と結婚しようと思ったの?」
昨日のエレナの様子が気掛かりで仕事が手に付かず、先に屋敷の部屋へと帰宅していた私に、リュカが唐突に尋ねてきた。
「急にどうしたんだい?」
「昨日、母様と話していた時に、父様と出会った頃の話しを聞いたんだと、その時に、父様は自分の何処を好きになったんだろうって、母様が少し気にしているみたいだったから」
「エレナが?」
質問した理由を尋ねれば、昨日から考えていた人の名前が出て来たため、驚きと疑問が顔に浮かぶ。
「うん。後、父様が何も言ってくれない事にも、少し怒っていたみたいだったよ」
「それか、それで昨日は不機嫌だったのか…」
リュカのおかげで、何故不機嫌であったのかという理由が分かった私は、どうやってエレナに謝罪し、機嫌を治して貰えるだろうか熟考していると、リュカから再度、同じような事を尋ねられた。
「それで父様は、母様の何処が好きになったの?」
「何処が、か…」
先程、咄嗟の事で答えられなかったが、改めて尋ねられても、何と答えれば良いのかと言葉に詰まる。今の私の事であるならば答えられるが、リュカが訊ねているのは今ではなく、出会った頃の事を言っているのだろう。何と答えれば良いかと言葉を探していると、そんな私の様子を見ていたリュカの顔が、段々と不安とそうな顔になり、沈んだ顔へと変わって行った。
「とうさま……」
「いや!決して、エレナに好きな所がないと言う訳ではないんだ!そういう訳ではないのだが、あの時の自分の感情をどう表現すれば良いのか未だに苦慮しているだけなんだ…」
消え入るような声で呼ばれ、何か言わなければと口を開くも、私の口から出た言葉は、何とも情けない言葉だった。
「父様は、自分の事なのに分からないの?」
「そう…だな…」
不思議そうに、私の事をただに真っ直ぐに見つめて問い掛けて来るリュカに、私はそれだけの言葉しか返せなかった。
エレナと出会った頃の私は、可か不可か。そういった二者択一での考えしか持っていなかった。感情で判断するのは、愚か者がする事だと切り捨て、相手の気持ちなど考えようともしなかった。だから、他人の感情を理解する事に務め、それに準じようとしている今の私を見れば、昔の私は鼻で笑う事だろう。
「父様…?どうかしたの…?」
「いや、何でもないよ」
何も言わなくなった私を心配するように、じっと見つめて来るリュカに返事を返しながら、私はエレナと出会った頃の事を思い出していた。
私がまだ学院にいる際、私は、レクスやベルンハルトと共に生徒会役員をしていた。それはレクスの思い付きで始まった事だったのだが、奴は学院内をふらつくばかりで、役員としての仕事を全くと言って良い程、何もこなしていなかった。ベルンハルトもまた、奴の護衛のために留守にする事が多く、役員の仕事は私1人で担っているようなものだった。
あの日は、外に出向かなければならない仕事があったため、外出を余儀なくされて出かけたが、仕事を終えて戻る途中、何とも不快な思いをしたために、その時の私は少々苛立っていた。これ以上の問題事が起きる前にと、足早に廊下を歩いている私に、1人の女生徒がぶっつかって来た。その時、舌打ちをしたいのを内心で堪えながら、私は自分の迂闊さを呪っていた。
「怪我はないか?」
そう言いながら手を差し出すが、本心では手など差し出したくはなかった。だが、此処で儀礼的にも声を掛けなければ、対処がことさら面倒になる事は、今までの経験から察しがついた。それに、私へと向ける視線や気配などを感じなかったとはいえ、警戒が疎かになっていたのも事実だ。そう思い、手を差し出したままの姿勢でいれば、予想外の事を言われた。
「いえ!急いでいますので、失礼します!」
その女性は、私の手を取ることもなく、横をすり抜けるようにして背を向ける。
偶然を装って来る者は数多くいた。近付いて来れないよう、連中の足元を凍らせて貼り付かせたとしても、懲りる事はなかった。そのため、こちらが拍子抜けするくらいの態度に困惑し、手を差し出したままの間抜けな姿で、ただ見送っていたのを覚えている。
不可解としか言えない出来事を経験したものの、それでも部屋へと戻るまでには平静を取り戻していたが、そんな時に限って奴がいた。普段ならば、仕事を嫌って寄り付こうともしないというのに、こういう時だけ鼻が聞く。
「何か、あったのかい?」
珍しく仕事を手伝っていると思えば、目ざとく何かに気付いたように、レクスが私にそう訊ねて来た。
「何もない」
「でも、私の手が止まっていても、何も気付かなかっただろ?何時もは直ぐに気が付く君がさ、これで何もないと言う方が無理があるよ?」
レクスの方へと視線を向ければ、何とも嫌な顔で、笑いながらこちらを見ていた。こういう顔をする時は、決まって碌な事を考えていない事が多い。故に、私は知らぬ存ぜぬで通したかったが、奴がそれで諦める訳もなく、仕方がなく奴に話す事になった。奴は、何故か面白がって色々と私に聞いては来たが、その日は特に何もなく、それで話が終わった。だから私も、もうこの話題が出る事はないだろうと思っていた。
「それで、例の女性とは何かあったのかい?」
「名も知らぬ相手と、何かある訳がないだろう」
後日、仕事の邪魔をしに来たとしか思えない奴から、その話題を蒸し返された。私の言葉に不服そうにしていた奴は、髪の色など、相手を特定出来そうな情報を聞き出して、1度部屋を去って行った。その後、部屋へと戻って来たレクスから、ある提案をされた。
「私と、掛けをしないか?」
「掛け?」
内容を聞けば、ぶっつかった女生徒と話す事が出来るかと言ったような内容だった。こちらとしても、提示された報酬が思いの外良かったため、悪い取引ではないと私もその話に乗る事にした。だが、それは困難を極めた。
その時の私には、話し掛ける話題などなく、相手は私を見ては逃げ出していた。レクスは、私が怖い顔をしているからだと笑っていたが、今まではどんな顔をしていようと、人とは自分によって来るものだと思っていた。だからこそ、逃げる理由が理解できず、苛立ちを感じていた。
そんな日が数日続いた頃、私はふと我へと返った。私は何をしているのかと。
報酬が良かったとしても、こうも無駄な事に時間や労力をつぎ込むなど、何と愚かな事をしていたのだろうかと、私は自身の行動を改め、滞っていた書類の整理をする事にした。だが、またしても邪魔者が、私の前へとやって来た。
「アル。此処に、お茶会の招待状があるんだけど?」
「私は行かん。お前が勝手に行け」
一切顔を上げる事なく、奴からの提案を切り捨てるが、そんな私に構うことなく話しかけて来た。
「君のためのお茶会なのに、君が行かないと意味がないだろ?」
「頼んだ覚えはない」
「まあ、騙されたと思って行って来なよ」
「騙されると分かっていて、素直に行く馬鹿が何処にいる」
その後も、執拗にお茶会に行かせようとする奴の言動に嫌気が差し、嫌な予感を感じながら指定された場所まで行けば、既に見知った顔がそこにはいた。
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