向かい風
陸から見た時には穏やかに見えた水面も、船に乗っていると思ったよりも波が大きかったんだと感じる。
僕としては、みんなで乗れるような大きな船でも良かったんだけど、それだと自由に動けなくて面白くないや、落ちた時のリベンジがしたいと言うので、最初に見つけた一人用の小さな船に乗る事になった。
だけど、街の人も利用するような小さな船だったから、当然のように支えてくれるような人も近くにはいなかった。だから、一人で乗らなきゃいけなかったんだけど、時々、風に煽られて来る波が船を横から揺らして、なかなか上手く乗れず、足を震わせ、四つん這いになりながら何とか乗った。
もちろん、一人用だからオールも自分で漕がなくちゃ進まないんだけど、漕いでるつもりでも揺れるだけで、前に進んいるような感じがしない。それに、浮き輪もしているから、それに手がぶつかってたりして、上手く漕ぐ事も出来ない。浮き輪をしていないバルド達は、腕に力を込めて全力っで漕いでいるようだれど…。
「こっち来んなって!」
「だって!船が勝手そっちに行くだよぉー!!」
「バカ!!お、落ちる!落ちるー!!」
前に向かって漕いでいるように見えるのに、何故か横にそれるように曲がって行く。止まるようにバルドに言うけど、向きを変える事が出来ずに、漕いでいたままの勢いで、クリスさんの船へとぶっかって行った。その衝撃で、船がグラグラと大きく揺れて、その上では落ちないように必死でバランスを取りながら、慌てふためいている2人がいた。
「落ちても自力で何とかしろよ」
慌てる2人を見ても、ネアは全く助ける気がないようで、僕達はそれに巻き込まれないよう離れた場所で、船の漕ぎ方を教わりながら、漂うように船を漕いでいた。
「今は風がないから、オールを浅く速く漕いだ方がスピードは出る」
ネアに教わったおかげで、ゆっくりとだが確実に真っ直ぐに進むようになって来た。バルド達も、さっき落ちかけたので懲りたのか、素直に教わっていた。
「なぁ!?向こうの岸まで競争しようぜ!」
「うん!やろう!!」
「えっ!う、う~ん……」
早速、漕ぐコツをつかんだようで、スピードも出せるようになったバルド達は、向こう岸まで競争をしようと言い出した。頑張れば向こう岸まで行けない事もないかもしれないけど、バルド達との体力の差を考えたら、僕が勝てる見込みはない。
どうしようかと僕が向こう岸に見える森に視線を向けていたら、後ろにいたコンラットから声を掛けられた。
「リュカ…言っておきますが…向こう岸まで1キロくらいありますよ…」
「えーー!!遠いよ!!」
遠目に見えたとしても、此処からでも向こう岸が見えるから、そこまで遠いとは思ってもいなかった。
「そうか?別に遠くないだろ?毎日通う学院までの片道より近いぞ?」
「それは…そうですけれど…」
馬車で通っている毎日を道を思えば、たしかに遠い距離と言えない事もないかもしれない。
「言っておくが、陸地を行くのとはではわけが違うからな」
「じゃあ!途中で引き返すとして!とりあえず、行けるとかまでは行ってみようぜ!!」
冷静にネアが止めるけど、とりあえず、行ける所までは行ってみようと、向こう岸に向かって漕ぎ出した。
船を漕ぐのは思ったよりも体力を使って汗もかくけれど、時々吹く風や、船を漕ぐ水音を聞きながら進むから、そこまで暑いとは感じない。なにより、漕ぐたびに水面を滑るように進んで行くのが楽しい。
「ここら辺で引き返すぞ」
船を漕ぐのを楽しんでいたら、ネアが突然そんな事を言い出した。
「まだ半分も来てないぞ?」
ネアの言葉に、バルドも物足りなさそうな顔で不満を口にする。
「帰る時の体力を考えたら、此処で引き返した方が良い」
「まだまだ大丈夫だぞ?」
「俺も?」
「こういう時、体力がない奴に合わせるのが基本だろ」
不思議そうな顔をするバルド達にそう言うと、ネアは僕達の方を振り返った。たしかに、思っていたよりも漕ぐのに体力を使って、少し疲れては来たけれど、まだそこまでじゃない。
「……分かった、引き返そう」
何かを感じ取ったのか、クリスさんが真剣な顔で頷いたから、僕達は今までと反対の方向にオールを漕いで、進んで来た道を戻る事にした。
だけど、さっきまではそんなに風が吹いていなかったのに、僕達が引き返し始めた頃から少しずつ向かい風が出始めた。しかも、それは段々と強くなって行った。
「深く入れて、力いっぱい漕げ!」
ネアの言う通り、風に逆ように頑張って漕いでいるつもりなのに、岸に近付いている様子はなく、むしろ逆に遠ざかっているようにさえ見える。僕の息も荒くなって、動かす腕も疲れて上手く上がらなくなって来た。
「……仕方ない…向こう岸を目指すぞ」
「そんな事言っても、あっちには何もありませんよ…」
遠くに見える向こう岸を見ながら、不安げな表情を浮かべながら言うコンラットに、ネアは真剣な面持ちで言った。
「湖の上で体力を使い尽くすよりはマシだ。それに、追い風の方がまだ岸に付ける可能性がある」
ネアの言葉を受けて、僕達は反対側の岸を目指す事にした。追い風に押されて、何とか向こう岸にやって来れた僕達だったけど、どうしていいか分からず途方に暮れる。
「これから、どうするの…?」
「周って帰るにしても、倍以上ありますよ…?」
楕円形が横に広がるように伸びている形をした湖の中腹部分にいるため、湖の端までは今渡って来た距離の倍以上はある。いくら夏で日が長いと言っても、日暮れまで帰るなんてとても無理そうだ。それに、そんな距離を歩いて帰るような体力は、もう残ってない。
「いや、下手に動かず、此処で迎えを待つ。夕方になっても俺達が戻らなければ、街の連中も含めて必ず探しに来る。それに、目立つ奴がいるから、俺達が何処に行ったのか見つけるのにも、それほど苦労もしないはずだ」
こんな事になっても動じる様子もなく寝転ぶネアを見て、僕達も黙って地面に腰を降ろす。することもなくて向こう岸を眺めると、輝く白波の先に綺麗な街並みが見えて、こんな状況じゃなかったら、素直に綺麗だと思えたと思う。
誰も話さないまま、ただ時間だけが過ぎて行っていた時、森の奥の方で、何か叫び声のような怒号が聞こえた。その声を聞いて、座っていたみんなも何事かと立ち上がり、身を寄せ合うにして一箇所に集まる。
その叫び声のような物が、段々と僕達の方に近付いて来ると、クリスさんはみんなの盾になるように先頭に立ち、その後ろにネアやバルドが並ぶように立って森を睨んだ。すると、ガサガサと言う大きな音を響かせながら、森から大きな影が2つ飛び出して来た。
「!?おい!!何でガキがこんな所にいるんだ!!?」
「知るかよ!?」
ネアが背で僕を庇うように動いたため、何が飛び出して気たのかはよく見えなかったけれど、人の声が聞こえて来るから、魔物ではなさそうだ。
「誰だ!?」
突然現れた2人組に、クリスさんが威嚇するように大きな声で問い掛けるけど、それを気にする余裕がないのか、男達も慌てたように声を張り上げる。
「今は悠長に説明してる場合じゃねぇんだよ!!」
「さっさと逃げろ!!」
「はぁ!?何言ってか分かんねぇんだよ!オッサン!!」
「議論してる時間はねぇ!とにかく逃げろ!!」
逃げろと言うばかりで、状況が全く飲み込めない僕は、様子を伺うため、ネアの影からゆっくりと顔を出した。すると、僕と目が合った冒険者らしき格好をした人達が、目を大きく見開きながら僕らの方を指差して、さらに慌てたような声を出し始めた。
「おい!あれって!!」
「まさかかコイツ等例の御一行様か!!?どうすんだよ!?」
「だから知らねぇよ!!お前も少しは何か考えろよ!!」
「と、とにかく今は逃げるしかねぇ!!とりあえず、その船に乗れ!」
「向かい風で、船が進まねぇんだ…」
「そんなもん!俺達が泳いで押してやるから!!」
「来るな!!」
理由も分からず戸惑う僕達を他所に、躊躇う事なく近付いて来る2人組に静止の声を上げるけれど、それでも止まる様子がない。揉み合いになった僕達の耳に、その声は、突然聞こえて来た。
「グゥルルル……」
2人組が出て来た森の方から、恐怖を掻き立てられるような低い唸り声のような声が辺りに響いた。その後に続くように、バキバキと重い何かで枝が折れるような音が聞こえ、ゆっくりとだが、確実にそれがこちらに近付いて来ていた。
僕の手をつかもうとしていた人も動きを止め、さっきの騒ぎが嘘のようにみんな静まり返り、辺りには茂みを掻き分けるような音や、枝が折れるような音だけが響く。隣に見えるコンラットも、青い顔をして固まっていたけど、たぶん僕も同じような顔をしていると思う。
「腹…くくぞ…」
「本気か!?」
「船の上にいりゃあ…格好の標的になる。それよりだったら、足場がしっかりしている此処で踏ん張った方が、まだ生き残れる可能性がある。それに、合流地点からは少し離れているが、合図はもう送ったんだ。こっちに気付いて貰えるまで持ち堪えれば、何とかなるはずだ…」
「持てばいいな…俺達の命が…」
「やらなき死ぬだけだ!!」
「此処を乗り越えても…命はなさそうだけどな…」
「さっきから気が滅入りそうな事を言うな!!」
どういう状況かを理解する前に、状況だけがどんどん先に進んで行く。2人組の男性は、覚悟を決めたような顔で僕達に背を向けると、森に向かって武器を構え始める。
「……追いでなさった」
いつの間にか音が止んだ森の方を見れば、生い茂った藪の中から、こっちを見る光る2つの眼が見えた。
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