昔 (リータス視点)
規律を守って行動しろ。
私がそんな言葉を使うようになるとは、あの頃の俺には想像も出来ない事だろう。
昔から喧嘩が多く素行が悪かった俺は、学生時代の頃になると親も匙を投げるほどだった。停学処分だって何度受けたかも俺でさえ覚えていないほどだ。そんな俺がよく、学院を卒業出来たと我ながら思う。しかし、無事に卒業出来たとはいえ、そのまま家に帰る気にもなれず、かといって就職先が決まっているわけでもなかった。
「リータス・ティーティアだな?」
「誰だアンタ?」
中庭でボーっと空を眺めながら座っていると、不意に声を掛けて来た奴がいた。だが、視線を向けて見ても、全く見覚えがない奴が立っていた。今まで喧嘩した奴のお礼参りかと思ったが、そんな雰囲気は感じない。そもそも、騎士団の制服をきっちり着込んでいるような優等生と俺となんかでは、接点などあるわけがない。
「ある方からの遣いで参りました。一緒に城までご足労願えますでしょうか?」
怪しげな視線を向ける俺など気にもせず、あくまでも礼儀正しい態度を崩さない奴に、俺も崩す気はないとばかりに普段の態度でそのまま返す。
「もし断ったら、お前と、あそこにいるお友達にでも無理やり連行されるのか?」
少し離れた場所に立っている数人を顎でしゃくりながら聞けば、俺のそんな態度にも不満そうな顔さえ見せず、毅然とした態度のまま答えた。
「いえ、客として迎えるようにと言われていますので、そのような事はございません」
「はぁ?きゃく?」
予想外な言葉に、俺は少し呆気に取られながら、相手の様子を観察するが、嘘を付いているようには見えない。だが、記憶を遡ってみても、俺なんかに城勤めするような知り合いはいない。むしろ、俺との関係なんか断ち切りたいと思うのが普通だ。
「……いいぜ。一緒に行ってやる」
しばらく考えてから、俺はコイツ等に付いて行く事にした。どうせする事もなく暇だったのもあるが、俺をわざわざ客として迎えようとしている奴に少し興味がわいた。
俺に声を掛けた奴の案内のまま付いて行けば、やたら豪華な城の廊下を歩かされ、如何にも偉そうな奴がいそうな扉の前まで連れて来られた。
「失礼します。お客人をお連れしました」
部屋の主に俺達の来訪を告げると静かに扉を開けて、俺が中に入るようにと促している。指図されているようでいい気はしなかったが、仕方なしに部屋へと足を踏み入る。そこで待っていた主の顔を確認すれば、直に会った事はなくても、誰もが知るような人物が座っていた。
「やぁ。はじめましてかな?」
「俺を呼んだ物好きはアンタかよ」
「お前!この方をいったいどなただと!」
この口調で喋っていても平然としていた奴が、急に声を荒げて俺に怒りだした。自分に対しては許せるが、コイツに対して無礼を働くのは許せないらしい。だがまぁ、それが普通の対応だな。さっきまでの態度が異常だっただけで、この部屋の主もそうなら、さっさと此処からおさらばするだけだ。
「待て。そう言うのは必要ない。君のその気持ちは有り難いが、会話の邪魔をするのなら、私達の話しが終わるまで外に出ていてくれ」
「し、しかし…」
苦渋の表情を浮かべ、俺と奴の間を交互に視線を動かしながら悩んでいたが、ドアの横で待機の姿勢を見せた。出て行く事と沈黙を守る事を天秤にかけた結果、黙って部屋にいる事に決めたようだ。
「部下がすまないね」
「気にしねぇよ。それで、何で俺を呼んだんだ?」
近くあったソファーに勝手に座りながら、俺はあらためて呼び出した人物に視線を投げる。
学院時代、仲間からこの男に関する話は色々と聞いている。中には荒唐無稽のような話もあったが、全部が全部ウソってわけでもないだろう。それに、部屋に入った時から軽く向けている敵意にさえも、どこ吹く風とばりに表情を崩さないのも気に入らねぇ。
「周りくどいのは好きではなさそうだから、単刀直入で言わせて貰う。君を此処に呼んだのは、私の部下として働く気はないかという勧誘するためだ」
「いやだね。城勤めなんて俺の柄じゃねぇし、アンタの事は信用ならねぇ」
そう言いながらさっきの奴に視線を向ければ、青筋を立てながら怒り狂った形相でこちらを睨んでいた。だが、上司の命令があるからか、命令を守って沈黙を貫いている。何とも忠義心があつい事だ。
「私の噂でも何処か聞いたか?そうであるなら君が断る事にも納得はいくが、何事も話しを聞いてから判断しても遅くはない。君にやって欲しいのは、監査間の仕事だ」
噂通りなら、そろそろ激怒しそうなものなのに、一向にその気配もなく平然とした態度を崩さず、俺に話しの続きを説明してくる。
「監査官?そんなもの、学もない俺に出来るわけがないだろうが」
俺には到底不似合いな単語に、正気なのかと疑いたくなる。自慢じゃないが、俺は毎回テストでは補習行きにしかなった事がない。
「学は特に求めていない。君に求めているのは公正さであり、賄賂になびかない事だ。君は、ただ私が指示する地方に出向いて、不正をしている貴族共から正規の金だけを貰って来てくれればいい」
その話しを聞いて、妙に納得した。監査官なんて聞こえが良い言葉で言ってるが、要するは金の取り立てだ。それぐらいの仕事なら俺にも出来そうではあるが、一つ大きな問題がある。
「傲慢で肥え太ったブタみたいな奴らが、俺のようなガキの言う事を素直に聞くわけねぇだろう。それに、俺みたいなのに任せたら、大変な事になるぜ?」
挑発的な態度を取っても、俺の事をある程度は知っているのか、余裕そうな顔をしていた。むしろ、後ろの奴の方が殺気立ってる。
「そこは、君なりの方法でやっていい。必要なら、好きに私の名を使っても構わない」
「へぇー。俺が、それで好き勝手やって裏切るとか思わねぇのか?」
俺が口にした言葉を聞いて、男は少し冷笑を浮かべた。
「君の報告書を読む限りそうは思えないが、もし裏切るような人間なら私の目が悪かっただけだ。それに…その時は私も容赦しない…」
「!!?」
背中がゾクリとするような寒気が走った感覚に気付いた時には、中腰になり臨戦態勢の姿勢になっていた。勝てる見込みなど感じさせない威圧に、自然と足が後ろへと後退する。
背後から殺気も成りを潜め、俺の呼吸も息苦しく、速くなってくる。椅子から動く様子も見せないのに、それさえも恐怖を煽って来ているように見えた。
「すまない。少しやり過ぎてしまったようだ」
「はっ…!はぁ…はぁ…」
男がそう言った途端、部屋を覆っていた気配がなくなり、俺の呼吸もしだいに戻って来た。
どれくらいの時間だったかは分からない。少しの時間だったのかもしれないが、俺にはとっては長い時間に感じられた。
「詫びのついでに聞くのは申しわけないが、そろそろ君の返答を聞きたいのだが?」
「……答えなんか、既に決まってるんだろ」
俺が問い掛ければ、奴は静な笑みでそれに答える。その様子だけで、全てを物語っていた。
そんなこんなで、俺は監査管を任される事になったのだが、思ったよりも性に合っていた。
最初は不釣り合いとも思いながらやっていたが、賄賂を贈ろうとして来る連中は叩きのめし、俺を下に見るような連中は奴の名前を出して黙らせているうちに、存外楽しくなってきた。
虎の威を借る狐みたいな奴は昔から嫌いだったが、いざ自分がやってみると思いのほか楽でいい。好きに使えと言っていたのだから、思う存分使ってやろう。
この仕事をして数年が経ち、書類の整理なんだという事にも慣れ始めた頃、二度目の転機となる知らせが来た。
「リータス様。城から、お手紙が届いております」
「手紙?」
部下が持っている手紙に目を移せば、見るからに高そうな封筒に、よく見慣れた印で封がしてあった。
定期連絡の手紙は3日前に送ったばかりで、他の連中とも確認して送ったから不備もなかったはずだ。俺は疑問に思いながら手紙を取ると、ビリビリと封を開けてざっと中身に目を通す。
「帰って来い?いったいどういう事だぁ?」
「帰還命令ですか?何か、あったのでしょうか?」
「理由が書いてねぇから、何ともいえねぇな」
此処での仕事はまだ終わっていないのに、帰還命令が出るなんざ滅多にない。急を要する案件かもしれないため、面倒くさくても帰還しないわけにはいかない。
「仕方がない。俺は先に戻るが、後は任せたぞ」
「はっ!」
この数年で出来た部下に声を掛けると、俺なんかからの言葉にも威勢よく返事を返してくる。そんな出来た部下に後を任せながら、王都に帰還するため部屋へと荷物を取りに戻る。
しかし、俺に部下なんぞが出来るとは思ってもみなかった。その事実だけで、俺に年月を感じさせるのには十分だった。
「失礼します」
城に帰還すれば、椅子に座りながら何時もと変わらぬ姿で俺を部屋の主が出迎える。ほんと、変わらなすぎだろ…。
「急にすまないね。少し頼みたい事があるんだ。まあ、話しが長くなりそうだから座って話しをしよう」
「分かりました」
アルノルド様から座るように席を進められ、座らずに立っていた俺は軽く目礼をしてから、静かに席に座る。
「しかし、何度見ても君の礼儀正しい姿は見慣れないな」
「拾って貰った筋は通す…します」
この人に拾って貰っていなければ、今頃は街のゴロツキみたいにでもなっていただろう。敬語で話すのには慣れないせいか、どうして上手くはいかない。
「そのわりには、難儀しているようだが?」
「……すみません」
「敬語など、体を成していれば問題ないと思うが、それでも上手く話せないと言うのならば、最初は誰かの真似をしてみるといい」
その言葉を受けて、俺は目の前にいる男に視線を向ける。敬語を使う事はあっても、いっさい下手に出る事がない男の顔を。
「何だ?」
「いえ…参考にさせて貰…います。それで、要件は何でしょう?」
「君に、今の仕事とは違う仕事を頼みたい」
「仕事…ですか?」
「ああ、学院に行って貰いたい」
「教師の不正の調査…ですか?」
何度か似たような仕事もした事があったため、当たりを付けてアルノルド様に尋ねる。
それにしても、まだそんな奴がいるのか?だから教師なんて、何時まで経っても信用ならないんだ。俺が学院にいる間も、自分が偉くでもなったかのように振る舞う奴や、都合の悪い事を隠蔽する連中と何度揉め事を起こした事か。そういえば、停学から開けたら、その連中がいなくなっていたな?
「違う。君の公正さを見込んで、期間限定で学院の教師をやってもらいたいんだ」
「俺が…教師…?」
「そうだ」
俺の聞き間違いかとも思ったが、聞き返した言葉に肯定の言葉が返って来た。だが、学も何もない俺には、とてもじゃないが無理だ。
「……どれくらい…ですか?」
「10年だ」
「無理だ!」
期間限定と言うので、念のために任務期間を尋ねれば、思った以上の期間を提示されて、敬語も忘れて怒鳴り返す。
「そう言わず、オルフェが卒業するまでで良い。給金も弾む」
「今ので十分だ!…です」
「頼む。私に似ている所があるが、そう面倒は掛けないはずだ」
「……分かり…ました」
拾って貰った恩義がある方から頭を下げられれば、さすがに俺も断るわけにはいかなかった。アルノルド様に似ていると言うのが少し気掛りではあるが、初等部ならば俺でも何とかなる…はずだ…。
お読み下さりありがとうございます
 




