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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雪原の踊り手

作者: ににぎ

クラウは舞い散る雪の中で踊り狂っていた。軽やかに足を振り上げ、胴を捻り、腕をしならせ、踊る。足元ではステップに合わせて積もりかけた雪が派手に散らされ、踵を打ち下ろされるたびに雪の下の氷が硬質で鈍い音を立てている。音楽は無い。ただ、リズムを内包した動きは、それが踊りであることを見るものに否応なしに確信させる美しさを持っている。

彼は踊ることに集中していた。

踊って、踊り狂うことで、何も考えないようにして、全てを忘れ去ってしまいたかった。

(なんで、なんで、なんで…ッ!!!)

クラウは一層激しいステップを踏む。

考えないようにすればするほど、脳裏に記憶が蘇るのが苦々しい。

(なんで、忘れられないんだ!!)

クラウは自問する。

ここひと月ほど、毎日この凍った湖で踊りながらそれでもあの日の記憶も、抱いた感情も消せなかった。




ーーーーーーーーひと月前。

「…いま、なんて?」

クラウは震える声で尋ねた。

目の前に立った金髪の大柄な剣士が、すこし照れ臭そうに鼻を擦り、告げる。

「だから、結婚することになった。」

彼がそのまま、春になったら式をあげる予定であることや、相手の実家の商いを手伝うために冒険者を止めて婿入りすることや、クラウとのパーティーも自動的に解消となることなどをつらつらと述べていく。しかしその声はクラウの耳を左から右に通り抜けてゆくばかりだ。

なぜならクラウは今の今まで、相手と自分は恋人関係にあると思っていたからだ。冒険者としてデビューしたてのクラウとパーティーを組み、同じ宿に泊まるようになってしばらくしてから、求められるようになった。田舎から出てきたばかりで経験のなかったクラウは戸惑いそこすれ、すでに何度か任務として命の危機を共に潜り抜けてきた相手に悪い気はせず、身体を重ねることを受け入れた。そのうちに段々と相手に対する愛情が育まれていった。相手も同じか、それ以上に愛してくれていると思っていたのに。

「なあ、俺との関係は…?」

クラウが震える声でたずねると、

「性欲解消のために冒険者パーティー内で抜き合うのはよくあることだから、嫁さんも理解してくれてるよ!」

と彼はあっけらかんとした様子で斜め上の回答を返した。

(うそだろ。)

クラウは呆然としながら、結婚相手の可愛らしい点を挙げてはにこにこ笑っている相手を見つめた。その、クラウがこれまでに見たことのない柔らかい笑みが、否応なしに現実を突きつけた。

(つまり、恋人だって思ってたのは俺だけだったってことかよ。)

たしかに明確に言葉にして気持ちを確かめあったことは無かったし、甘ったるい触れ合いも床の上でしか無かった。時折それが寂しくもなったけど、でもそれまで恋愛経験のまるで無かったクラウは、男同士ならそんなものかと思い込んでいたのだ。どうやらそういう問題ではなかったらしい。相手にとっては完全に割り切った関係だったということだ。

クラウはなんとか引き攣った笑顔を作って、棒読みの祝福の言葉を投げかけ、すまないけど俺用事があったの忘れてたから行くよ、と話をしていた酒場を後にした。結婚式には必ず呼ぶから来てくれよな、という浮かれた声を背中に受けながら。

酒場から一歩外に出た瞬間、クラウは駆け出していた。



そのまま街にいたくなくて、相手から少しでも遠くへ行きたくて、がむしゃらに走っているうちにたどり着いたのが、この山奥にある湖だった。

雪を被った木々を抜けた先で急に開けた視界に、思わず立ち止まると、なんだか気が抜けてしまった。フラフラと凍った湖の中央に歩き出たところで、ついに立っている気力もなくなってクラウはくず折れた。

膝をつき、腕で頭を抱え、蹲るようにして地に伏して、彼は慟哭した。

目頭が熱い。涙は次から次へと頬を流れた。獣のような唸り声が喉の奥から漏れる。

「くそ、くそ、ばかじゃないのか。」

頭の中がぐちゃぐちゃだった。

恥ずかしくて、惨めで、滑稽で、このまま消えてしまいたい。

クラウは存分に泣いた。

氷術士のクラウではこんな環境では死ねないことくらいわかっているのに、自分が泣いているうちに力尽きて、凍え死んでしまえば良いのにとすら思った。

そうしているうちに夜はふけ朝になり、稜線から朝の光が空を仄白く染めるに至って、クラウの涙はようやく止まった。

彼は氷と雪の上にゴロリと仰向けになって、朝日の眩しい輝きを頬に受けた。泣きすぎて頭が痛い。しかしその痛みと、冬の空気を突き刺す冴え冴えとした光が、クラウに僅かばかりの冷静さを取り戻させた。

(おれは馬鹿だ。)

盲目的に相手を信頼しきって、気持ちの確認もしなかったし、自分の気持ちも伝えていなかった。冒険者としての常識すら全部相手頼りだったから、冒険者がそもそも割り切って抜き合うことが多いことすら知らなかった。その結果があのザマだ。相手は完全に、クラウの気持ちにすら気がついていないで、無邪気に喜んでいる。

(あいつも馬鹿だ。)

クラウはなんだか照れ臭くて、世間の恋人らしい振る舞いをしたことなんてなかったけれど、それでも言動の端々に想いが滲み出ていた自覚がある。薄々人の機微に疎いらしいことは察していたが、クラウの様子に全く気が付かない相手も相手だ。あんなに能天気では、詰るのすら馬鹿らしくなってしまう。

(ばかだなあ。)

怒りや悲しみや失望や、様々な感情が身のうちを駆け巡っている。クラウは再度自嘲した。

つまり、あの場で相手に思い知らせるという選択肢が全く思い浮かばず、無意識に身を引く選択をして湖まで逃げてくるくらいには、自分が相手のことが好きだったのだと気がついたからだった。

自覚すれば、止まったと思った涙がまた溢れ出てくる。

(踊ろう。)

とクラウは唐突に思った。

彼の故郷では自然の厳しさを束の間忘れて人生を楽しむために、夏至の日に踊る風習があるのを思い出したのだ。

(踊ろう、この気持ちを忘れて素直に祝福できるようになるまで。何時間でも、何日でも。)

氷術士のクラウは雪や氷が側にあるだけで体力も法力も回復する。数ヶ月以上の長期間そればかりに頼れば相応のデメリットが生ずるのだが、流石にそれより前には気持ちの整理も着くだろう。雪と氷に閉ざされたここは、踊り続けるための格好の舞台だ。

ゆっくりと彼は立ち上がり、踏み出された足が最初のステップを刻んだ。





あれから一ヶ月。未だにクラウの胸の痛みは消えないまま、彼は雪原で踊り続けている。

降りしきる雪のおかげで腹は空かなかったし、喉も乾かない。流石に眠りはするけれど、最近ではその時間も短くなりつつあった。踊っているうちに衣類は凍ってカチカチになり砕けたあげく、風がその破片を攫っていってしまった。仕方がないので、クラウは下衣だけ雪で織り上げて纏っていた。もとより寒さは感じない。

クラウは首を振り仰ぐ。

今日の空も曇天だった。最近は晴れでも雪でもなく曇天の日が多い。冬の1番厳しいときを過ぎた証だ。段々春が近づいてくる。結婚式の行われる春が。このぐちゃぐちゃな愛と怒りと悲しみの入り混じった感情はまだ消えてくれない。

(こんなので間に合うのか?)

思わず踊りをやめて、ため息をついた瞬間、風を切り裂く鋭い音がして、クラウは咄嗟に身を捩った。

一瞬前まで彼のいた空間を、炎の矢が過ぎ去った。直撃こそしなかったが矢に付随する熱波に焼けつくような痛みを覚える。

「ッ、誰だ!!!」

クラウが瞬時に周囲に氷の盾を展開すると、第二、第三の矢が、それに当たってジュウ…と音を立てながら消えてゆく。

クラウはさらに氷の矢も周囲に展開した。数十にものぼる数の矢は、いつでもクラウの意思一つで自在な方向へ放てる。

「10秒以内に姿を見せろ…理由次第では俺から攻撃しないでおいてやる。」

矢の飛来方向に広がる黒々とした冬の森を睨みつけて、十、九、八、…と大きな声でゆっくり数え始める。四まで数えたところで、襲撃者が木々の間から姿を現した。

「悪かった。言語を解するほどの知性が残っているとは思わなかったんだ。」

襲撃者は上背のある赤い髪の男だった。敵意が無いことを示すように両手を緩く挙げ、余裕のある笑みを浮かべながらも、金色の眼が油断なくこちらを見据え観察している。相当な使い手であることはすぐに分かった。両手を上げていても、おそらく瞬時に攻撃できるのに違いない。

歩み出てきた男とクラウは二十メートルほどの距離を挟んで向かい合った。

「僕に何の用だ。」

クラウは再度問う。

端的に言えば、と男が前置きした。

「今すぐ踊りも、冷気を撒き散らすのもやめた方が良い。自分じゃ気が付かないようだが、あんた半分精霊化しかかってるぜ。」

精霊化とは氷術士を含めた、火・水・風・土・雷・氷・木の七属性の何れかにおいて、人並み外れて高い法力を有する術士が長期間、属性からの回復ばかりにたよって人間的な生活を放棄しつづけることで起きる現象だ。段々と理性を無くし、身体も精神も属性の示す自然現象へと近づいてゆき、最終的には理性のない自然災害を振り撒くだけの災害と成り果てる。滅多に起こることでもないが、そうなれば冒険者ギルドの討伐対象だ。

クラウは思わず目を瞬かせた。

「そんなばかな。俺がここで踊り出してからまだ一ヶ月だぞ?たった一ヶ月で精霊化なんて起こるかよ。」

といいかえす。

相手は呆れたように肩をすくめた。

「一ヶ月ねえ…あんたはそう思ってるわけか。」

「なに?」

「昼と夜の回数はちゃんと数えたか?」

「それは、数えてないが…。」

男が大袈裟にため息をつく。

「オレの受けたギルド任務の内容を教えてやろうか。『二年半前から続く局地的雪氷異常の原因調査および解決』だよ。法力を操る術士が法力頼りになると、真っ先に時間感覚を失うのは常識だろうが。」

クラウは息を呑んだ。

「二年半…?」

(結婚式に間に合わせるどころの話じゃないじゃないか。)

「台風の目みたいに静かなここは兎も角、半径数キロ以内じゃ季節関係なく吹雪が荒れ狂ってるぜ。おかげで並の人間じゃ立ち入ることもできやしない。とうとうS級炎術士のオレに名指しで依頼が入るくらいだ。」

衝撃を受けているクラウの様子を見守りながらも、男は容赦なく事実を突きつけた。

「あんたは間違いなく精霊化しかけてる。いまだに自我が残っているのが奇跡的なくらいだ。今すぐあらゆる氷術を使うのをやめて、人間的な生活に戻らなくちゃ、手遅れになる。」

クラウは呆然としながら雪と氷を通して周囲の様子を無意識に探り、本当にここら辺一帯が雪氷に閉ざされていること、自分がその原因であるらしいことを確かめた。自覚すると同時に吹き荒れていた風も雪も止まる。厚く垂れ込めていた雲もそのうち四散し、積もった雪を太陽の光が溶かしてゆくだろう。周囲に浮かべていた氷の矢も盾も地面に落ちて砕け散る。

慎重に体調を確認すれば、自分がいかに危うい状態にいたのかがだんだんと分かってきて、クラウは力なく男に笑いかけた。

「俺、もどれるかな。もう時間の感覚どころか、食欲も無くなってるし、睡眠欲もなくなりかけてるんだけど。」

「自我がちゃんと残ってるだけ上出来だ。」

男が歩み寄ってきて、クラウに手を差し伸べる。

「オレがあんたを人間に戻してやる。『解決』までが依頼の内容だし……なんせ、莫大な報酬をもらっちまったからな。」

クラウは苦笑いしてその手をとった。自分一人でなんとかなるとはとうてい思えず、パーティーを解消した今、ほかに頼れる相手もいない。

「よろしく頼むよ。…俺、クラウっていうんだ。あんたの名前を聞いてもいいか。」

「ディアス。よろしくな、クラウ。」

それからディアスとクラウは歩き出した。


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