プロローグ
「……おい、これは一体何事だ」
時刻は夜。
肥えた肉体を隠そうともしないスーツの男は呟いた。場所は男の所有する邸宅内部であり、室内には豪華なカーペットや巨大な絵画が飾られていた。
一目で男がそれ相応の地位につき、莫大な富を築き上げていることが分かる。しかし、男の顔に余裕は無い。
否。余裕がないどころか、怒っている。
「いや、その……。我々にも分からないと言いますか。何が起こったのか、存じ上げておらず……」
男の声に返事をしたのは、傍に立っていた執事のような男。何度も頭を下げては、弱気な態度と弱気な言葉を返す。
そんな態度が癪に触ったのか、スーツの男はさらに激怒する。
「これだけ派手に盗まれておいて、分からない訳がないだろうが!!何があったかとっとと説明しろ!」
言い放った後、彼は部屋を指し示す。
そこにははたしてーーーー既に手遅れの様相の部屋があった。
カーペットや絵画、テーブルなどの家具に関してはいたって普通の状態だ。しかし、その部屋にあったはずの装飾品、宝剣、衣服等々……は全てなくなっていた。
「その、説明しようにも……。見回りの者がたまたま気づいただけなので、何があったのかは私も分からないのです。見回りの者も、物音はしなかったと言っておりますので……」
「物音がしないわけないだろ!装飾品や衣服ならまだしも、宝剣まで持ち出されているのだぞ!必ず音が立つ!」
「しかし見回りの者も、警備の者も何も聞いていないと」
「ふざけたことを……!」
スーツの男が執事の胸ぐらを掴もうとしたところで、扉が開かれた。
「あれ、主様。さっき倉庫に来ませんでした?」
入ってきたのは、眠たそうに目をこする帽子の男。その男の発言に、その場の空気が凍る。
「……おい貴様。今、なんと?」
「いや、だから。さっき主様が私を起こしに来たではありませんか。倉庫に用があるから鍵を開けろと。こんな夜中に起こされるこちらの身にも……」
「それは私ではない!!」
「……はへ?」
帽子の男を押し退けて、スーツの男が廊下に出る。他の二人も後を追い、やがて辿り着くのは館内最大の面積を誇る倉庫。
何事かと起きてきた使用人達も加え、大所帯となった一行はついに倉庫の門前へと到達。
誰かの唾を飲む音がいやに響き、ついに倉庫の門が開く。
はたしてそこにあったのはーーーー
「……ない」
がらんどう、であった。
「宝物がなあぁぁぁぁい!!!」
真夜中の館に、男の絶叫が鳴り響いた。
▽▽▽
「ヒャハハハハハ!!大・成・功!!楽しいなぁオイ!」
真っ暗闇の森の中を、三人の男女が駆け巡る。
月もなく、星もない。灯火も、街灯も、僅かな頼りさえない。
そんな中を、三人は縦横無尽、自由自在に動き回る。重力という縛りから逃れるかのように。
「あー、生きてるって実感するわー!富豪共の泣き面想像するだけで、飯三杯はいける!なぁシシド」
愉快そうに声を上げるのは、白髪の老年の男。片手に大きな荷物袋を携え、楽しくて仕方がないといった様子で話しかける。
返事をしたのは、シシドと呼ばれた金髪赤メッシュの少女。ひどく怠そうに言葉を返す。
「レンドウ、少し静かにしてくれない?アンタの声、大きすぎて普通に耳障り」
「任務成功した時はテンションブチ上がっちまうんだよ!この金でイイ女三人は抱ける!こりゃいい夜だ」
「……クソ爺。とっとと死んで土に還れ」
「うーむ。圧倒的年下から投げ掛けられる罵倒。こりゃ中々に甘美かな」
シシドの方から飛んでくる様々な暗器を掻い潜り、白髪の老人ーーーーレンドウはしみじみと言う。
「ジンバ、どうにかしなさいよ。アンタあの爺の弟子でしょ」
「俺かよ。面倒くせんだよあの爺さん」
シシドが助けを求めたのは、長身で筋骨隆々の男。その男は軽く羽織を纏っており、顔を"眼"が描かれた布で覆っていた。誰よりも多く宝物を抱えるその男の名は、ジンバといった。
「ま、本気でやりゃどうにかできんこともないが……そうすると森が消し飛ぶからな」
「勝率は?」
「六割」
「ならいいじゃない」
「よかねーよ。何の為に手際よく館に侵入したと思ってんだ」
「見つかってもどうにかなるでしょ」
「それとこれとは話が別なんだよなぁ」
ジンバは振り返り、今度はレンドウへと話しかける。
「おい爺さん。いい加減にしとけ。そろそろ正妻に言いつけるぞ」
「っ!おいジンバ、それだけはよせ。そんなことをする人間に育てた覚えはない!」
「俺が悪者みたいな言い方やめろ。亡者を真人間に戻すのは善行だろーが」
「いーや駄目だ!それは神の教えに反する行為だと書物に記されている!貴様、歴史を愚弄するか!」
「なんだその都合のいい書物。その都度記述が変わるんだろうな」
「じゃあかしい!とりあえずその、なんだ。言いつけるのだけは止めろ。な」
「オメーがシシドにセクハラまがいのことしなけりゃ考えてやるよ」
「ぐぬぬ……しかしだな」
「え、そんな悩むとこ?」
「悩むとこ」
ジンバはレンドウが大人しくなったのを確認すると、シシドに気になっていたことを問う。
「そういやさ、あっちの三人は上手くいったかな」
「大丈夫でしょ、あの哲学野郎がいるんだし。……まぁこっちが過剰戦力だってのは分かるけどね」
「一番手二番手四番手だしな。はー、強いってホント罪だわー……って危な!」
「やっぱアンタあの爺さんに似てるわ、苛つくところが」
「あいにく俺の師匠連中、マトモなのは一人だけだったしな」
ジンバには師と呼ぶべき人物が三人いる。
その内の一人が今なお思案し続ける老人、レンドウだ。
「まあなんだなんだ夜業衆の人間なら心配いらんか。六番手でも城砦級の実力はあるし」
夜業衆。
それは、夜に身を捧げた傑物達。
それは、災害とも称される集団。
それは、夜ごとさらう大盗賊。
夜業衆に狙われたが最後、何一つ逃がれる術なし。
これは巷に流れる大盗賊団"夜業衆"の噂だ。
だが、噂は時として真実を含む。つまるところ、この噂はそのまま真実というわけだ。
六人の人材から構成される大盗賊団"夜業衆"
それは夜の時間帯にのみ活動し、盗みをただ繰り返す。ただそれだけの集団だ。どこに属するわけでもなく、誰に従うわけでもない。
己の欲望のみを原動力とする彼らは、神出鬼没という言葉を体現していた。
巷では何百人規模の集団だとか、教会お抱えの部隊だとか言われているが、実情は違う。精鋭六人からなる、欲望丸出しで好き放題する自由集団。それこそが夜業衆の真実である。
そしてその中でも随一の実力を誇り、"災害級"を冠する人物こそがこの男ーーーージンバである。
「そういうこと。ていうか心配するなら……アンタの方でしょ、ジンバ」
「え、俺すか。何かヘマしたっけ」
「そういうことじゃなくて。アンタ最近……やけに上の空じゃない」
「おぉ、流石はジンバの女房。こやつの些細な変化にも気づきおるーーーーちょんぼ!」
「クソ爺は参加してこないで。あと別に女房じゃない」
復活してきたレンドウに獲物を投擲しつつ、シシドは微かに不安そうな目を向ける。
「何か悩みでもあるの?……あるなら聞くけど」
「はーマジでたまらんなこのヤンキー女房。悩みを聞いてあげたいけど素直になれないこの感じ。おいジンバ君、据え膳食わぬは男の恥って言葉知ってる?知らないならおじさんがーーーーぴょんた!」
「あるなら早く言って。この爺ダル過ぎる」
「あ、はい。じゃあ言わせていただきます」
シシドの剣幕に押され、ジンバは大人しく白状することを選ぶ。
悩む素振りを見せたが、それも数秒。意を決して見えない口を開く。
「実は……」
「実は?」
「ヘイヘイジンバ君。もったいぶらずにとっとと吐いて……」
「騎士に転身しようかと」
その言葉が紡がれた瞬間、時が止まりーーーー
「へ?」
「ぴょ?」
間抜けな返事が二つ、帰ってきた。