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迷子令嬢は王子殿下のお世話係  作者: 四葉ひろ
本編

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伝説の『王城の迷子』

 王城に勤める者は貴族も多いので、それなりの居住区が敷地内に用意されている。ヘレナは使用人の中でも特に身分が高いからか、独身女性が暮らす居住区に隣接する王城内に部屋が与えられた。

 

「ヘレナ。なんであんな端っこに住んでいるんだ。もっと近い方がいいだろう」


 ヴィルヘルムは方向音痴のヘレナを心配してか、度々そう言ってくれたが、お世話係とはいえ、これから婚約者を決める皇子のそばに一応適齢期の独身女性であるヘレナの部屋があるのはまずい気がした。


 しかし、ヘレナは王城に正式に上がってからも、回数は徐々に減ってきたものの迷子になり続けた。しかも正式に勤めることになり行動範囲が広がったので、とんでもないところに行ってしまうことも増えた。


「――これは?」


 そんなある日、ヘレナは目の前に差し出されたものを見て、そのままその手の持ち主であるヴィルヘルムを見上げた。向かい合って立っているが、背は随分前に抜かれている。


「笛だ」

「ええ、それはわかります」


 見上げたヴィルヘルムは、眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。しかしヘレナには全く意味がわからなかった。

  

「今度迷ったら吹け」

「……」


 ヘレナは視線をヴィルヘルムから笛に戻し、もう一度まじまじと見た。金色に輝く笛は、金ではなくもう少し固そうな素材だったが、精巧な細工が施され、首からかけられるように、チェーンまで付いていた。


「――この笛の音がしたら、ヘレナが迷っているということは皆に伝えてある」

「……え?」

「だから安心しろ」


 なんと、ヘレナの迷子を王子命令で探させようと言うのか。ヘレナは呆れるやら恥ずかしいやらで青くなったが、ヴィルヘルムは満足そうだ。

 

 先日十三歳になったヴィルヘルムの得意そうな顔を見ていると、ヘレナはなんだかおかしくなってきた。


「ふふ。ありがとうございます。殿下。大切にします」

「ああ、でも大切にしすぎて吹くのをためらうなよ」


 ヘレナはそっと笛を首から下げた。繊細な鎖からそっと手を離すとちょうど胸の辺りに笛がくる。その笛からヴィルヘルムの温かい心遣いが沁みてくるように、ヘレナの胸も温かくなった。


 翌日、いつもの「お世話係」で登城してきたカティは、

 

「まあ。殿下も考えたわね」


 と一人前の顔で言った。小さい頃から年上とばかり遊んでいたカティは、時々十三歳とは思えない大人びた発言をするようになっていた。もちろん今でもヴィルヘルムに一番ずけずけと物申すのはカティだ。


 そして、それからしばらくして、また迷子になってしまったヘレナが最後の手段として笛を吹くと、本当に迎えが来た。来てくれたのは巡回中の騎士だった。

 本当にヴィルヘルムから、笛の音はヘレナの迷子の合図だと言われているという。

 ヘレナは恐縮したが、騎士は「新人の頃から聞いていた『王城の迷子』の捜索ができるなんて光栄です!」と言う。

 騎士があまりに嬉しそうだったので、ヘレナは呆気にとられた。

 騎士はそのまま、にこにことヘレナを部屋まで送ってくれた。


 ーー『王城の迷子』って何?



「姉様、今まで知らなかったの?」

「ヘレナ様は有名人なんだよ。今までは、毎日王城にいるわけじゃなかったけど、今は毎日ここで暮らしてるし、殿下も忙しいから、騎士たちにはチャンスだね!」


 数日後、登城して来た弟のアルヴィと、ヨアキムの弟エルモが、ヴィルヘルムを待つ間、それとなく聞いてみると二人は驚くでもなくあっさりそう言った。

 二人はお茶を飲むというよりは、腹ごしらえのようにお腹に溜まる茶菓子を選んで食べながら続けた。


「『王城の迷子』を見つけると、その人に幸運が訪れるらしいよ」

「これまではほぼ殿下の一人勝ちだったから、真偽の程は明らかじゃないけどね」


 二人はそれだけ言うと、お腹も満足したのか、よし時間だ! と模擬剣を片手にヴィルヘルムの所へ行ってしまった。騎士志望の二人は最近登城するとヴィルヘルムと一緒に剣の稽古をつけてもらっている。


「何それ?」


 二人が出て行った扉に向けて呟くのと同時に、ドアに人影が現れた。


「ヨアキム」

「あはは。『王城の迷子』の噂、ヘレナが知らないとは思わなかったな」


 侍女の間では話題になってないの? と言いながら当たり前のようにエルモが座っていた席に座るので、ヘレナは新しいお茶を出す。

 

「そうね。……そう言えば、騎士の間に見つけると幸運を呼ぶおまじないのようなものが流行ってるのはご存知ですかって聞かれたことはあるわ」

「それだね」


 お茶を飲みながら、弟たちが残したお腹にたまらなそうなお菓子を摘んでヨアキムが頷く。


「どうしてそんな噂が流れたのかしら」

 

 自分の迷子なんて城の皆にとって迷惑でしかないと思っていたヘレナは戸惑った。


「何でだと思う?」

「まさかーー」


 揶揄うように見上げて来るヨアキムに向かって呟くと、


「思いついたのは僕じゃないよ」

「えーー」

「あ、広めたのも僕じゃないから」

「じゃあ」

「いや。勝手に幸運のおまじないにしたのは騎士たちだよ。ヘレナを見つけたあとの殿下の様子から、何かいいことがあるんじゃないかってね」


 ご馳走様と席を立つヨアキムは意味ありげに笑って、弟たちが出て行ったドアから出ていった。


 そうか。殿下もだったのかとヘレナは、気持ちが明るくなった気がした。

 笛を用意して騎士たちにそれを知らしめたのは、ヴィルヘルムも成長して、帝王教育が本格的に始まり、以前のように自分が一番にヘレナを見つけるというわけにはいかなくなった。そういう事情も考えての手配なんだろう。


 でも、笛の音で騎士に助けてもらった時、ヘレナはそれがヴィルヘルムでないことに少しだけがっかりしてしまう自分に気づいた。


 ――わがままね。


 ヘレナは自分に呆れてしまった。冷静に考えれば、そもそも迷子になる侍女なんてありえない。『王城の迷子』なんて迷信じみたおまじないにされて面白おかしく伝わっているのがむしろありがたいくらいだ。


 それに、ヴィルヘルムが多忙になったと言っても、ヘレナはヴィルヘルムの身の回りの世話をする侍女だ。城に帰れば、「今日も迷子になったんだって? 大丈夫だったか」と聞いてくれるヴィルヘルムに会うことができる。

 それでも、迷子になって心細い思いをしているときに聞こえるヴィルヘルムの「いた」という声、茂みの向こうから見えた輝く髪、ヘレナを見つけて駆け寄ってくる時のほっとした表情。それらがどれも懐かしかった。


 殿下も、ヘレナを見つけることに喜びを感じてくれているならーー。


 そこまで考えかけてヘレナは首を振った。


 ――最近、ヘレナはヴィルヘルムに対する自分の気持ちに戸惑っていた。


 可愛らしい幼い殿下は既に何年も前になく、思春期の難しい時期を過ぎたヴィルヘルムは、常にヘレナに優しい。

 小さい頃から大好きだったヘレナのことは今も「大好き」なようで、よく慕ってくれていると思う。


 母のように、姉のように慕ってくれるのはわかっている。


 それに寂しさを感じる自分がおかしいのだ。


 ヴィルヘルムは未だ婚約者がいない。しかしこのまま成人することはないだろう。ヴィルヘルムが妃を迎えたあとヘレナはどうしたら良いのだろう。


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