迷子令嬢の悩み
そんな毎日は、何年も続き、ヘレナは二十歳を迎えた。
成長するにつれて、女性の「お世話係」は将来の王妃候補なのだと知った。
一緒にお茶の用意をしてくれる侍女たちとも親しくなり、世間話ができるようになると、「お世話係」が選ばれた事情がわかるようになってきたのだ。
その日は、新しくきた侍女見習いに先輩の侍女が色々と教えながら、王子と「お世話係」のお茶の用意をしていた。ヘレナは、手伝おうとして、部屋に来たのだが、扉越しに自分の名前が出て、思わずノックする手が止まった。
「ヘレナ様は、お世話係の皆様のまとめ役なのよ」
「さすが王都にお住まいの侯爵令嬢様。お美しいですよね」
そうかしら。ヘレナは自分が美しいと思ったことはない。侯爵家の者として恥ずかしくないように、身なりは整えているが、薄い茶色の髪に、同じ色合いの瞳というごくごく平凡な容姿だ。そんな、ヘレナの思いとは裏腹に彼女たちのお喋りは続く。
「それはそうよ。殿下のお世話係なのだもの」
「お世話係の男性は側近候補、女性はお妃候補なのよ」
先輩侍女たちが姦しく話す中に、新人の見習いが素朴な疑問を呟く。
「へえ。でもお妃様は一人だけですよね」
「そうよ。だけど、候補の皆様は見目麗しい方が揃ってらっしゃるわ。それに、皆様、本来はライバル関係のはずなのにとても仲が良くて微笑ましいのよ。ヘレナ様は他のご令嬢方より、お歳が上だから、よく皆様の面倒を見てらっしゃるわ」
「どなたが婚約者として選ばれそうなんですか」
「まあ、家格から言ったら、公爵家の双子令嬢のどちらかの可能性が高いけれど……」
「でも、カティ様とは同い年で仲も一番良いわよね」
「カティ様がお妃様なら、ヘレナ様が本当のお姉さまになられるし、王子殿下も喜ばれるのではないかしら」
それを聞いた時、ヘレナはもやもやとした説明し難い気持ちを感じた。そしてそんな気持ちになった自分に戸惑った。
彼女たちの話している婚約者候補。その候補にはヘレナは含まれていない。歳が離れ過ぎているからだ。
ヘレナは、足音を立てないようにそっと登城した際に皆で使う部屋に戻り、窓から中庭を見下ろした。
ヴィルヘルムと弟たちは見当たらないが、公爵家の双子とカティが木の下で何やら楽しそうにおしゃべりをしている。暖かい日差しの中で、笑い合う年若い少女たち。その姿がヘレナには、やけに眩しく見えた。
もちろん、ヘレナだって、八つも年下のヴィルヘルム殿下とどうこうなりたいと思っているわけではない。ただ、王妃候補にもなれないのに、いつまでもお世話係にしがみついて結婚も婚約すらしていない自分は、おかしいのではないか。そんな思いに襲われたのだ。
「なんだ。元気がないな」
ため息を噛み殺しながら窓から離れ、部屋で一人、テーブルのセッティングを始めたヘレナは、突然の声に顔を上げた。
ヴィルヘルムだった。
庭に出ていた「お世話係」を置いて、一人で先に戻ってきたらしい。
登城し始めた頃は、幼児だった他のお世話係たちも最近は成長して、ヘレナやヨアキムが常に見ている必要はなくなった。二年前に正式に側近として王城に勤め始めたヨアキムは、ヘレナたちが登城しても別行動のことが多かったし、ヘレナも年少組の皆が遊びに出ても、こうして部屋に残ってお茶の用意などをして過ごすことが増えた。
そんな風にヘレナが一人残った部屋に、ヴィルヘルムは最近、しばしば一人で戻ってくる。何かあったのかと聞いても「なんでもない」とそっけなく答えるだけで、ソファに座って本を読み始めたり、書き物をしたり。普段はヘレナに話しかけることは滅多にない。ただなんとなく二人で部屋にいる。
沈黙が気まずいわけではないが、幼い頃、ヘレナ、ヘレナと言って懐いてくれた姿はそこにはなかった。そういった年頃なのかと思っても、少し寂しく感じていたところで、ヴィルヘルムから声をかけられたのは、久しぶりな気がした。
「そうですか?」
ヘレナはヴィルヘルムが話しかけてくれたことが嬉しくて、憂鬱な気持ちはどこかにいってしまったが、ヴィルヘルムは難しい顔を崩さなかった。
「悩みごとか?」
「いえ、そういうわけでは――」
「俺には話せないことか」
被せるように言われて、ヘレナは少し驚いた。
十二歳になった王子は、真剣にヘレナの悩みを聞いてくれようとしているのだ。
誤魔化すような笑顔を収め、ヘレナは王子にソファを勧め、自身も向かいに腰掛けた。真剣に聞いてくれているのだから、真剣に答えなければ。手元に目を落として、言葉を選びながら口を開いた。
「殿下。私、今年で二十歳になりました」
「ああ知っている」
ヴィルヘルムは律儀なところがあり、ヘレナの誕生日には必ず何か贈り物をくれた。それは髪飾りだったりブローチだったり。年齢を考えてのことだと思うが、いつも誕生日といえばお菓子をいただいている弟や妹からは羨まれ、殿下からのプレゼントの内容にとやかく言うなんてはしたないわよと窘めるところまでが一連の流れだった。
「私、いつまでもこのままで良いのかと思いまして」
「……このままとは?」
目線を上げて、真剣に話を聞いてくれるヴィルヘルムに目をやる。最近は目を合わせてくれることも少なかったが、今日は真剣に話を聞いてくれている。十二歳とはいえ、小柄なヘレナに背が並んだ王子は、真っ直ぐにヘレナを見つめていた。
「弟が、――アルヴィではなく、上の弟の方ですが、来年成人します。いまだ婚約者はおりませんが、我が家を継ぐ立場ですので、成人すれば結婚相手を見つけて家庭を持つという方向で進んでいくはずです。下の弟妹はともかく、成人した姉がいつまでも屋敷にいては、いろいろと妨げになるのではないかと」
「――家を出たいのか」
「そうですね。とはいえ、私にも婚約者はおりませんし、今から探すか――」
「――ん?」
「……どうかされましたか?」
「ーーいやいい。続けてくれ」
「結婚ができないのであれば、何か家を出て住み込みでできる仕事を探そうかと思っております」
ヘレナも王城に王子の遊び相手として上がれるくらいの高位の貴族令嬢なので選べる職は少ないだろうが、同程度やさらに高位の家の家庭教師をしたり、孤児院のパトロンという名で実質的に経営者となることも考えていた。もう結婚しないのであれば修道院に入るという手もあるが、家を出るとはいえ、家族に全く会えなくなってしまうのは避けたかったので、できれば選びたくない。
そのことをヘレナが話すと、ヴィルヘルムは時々、家庭教師か――、は? 修道院? などと呟きながらも最後までしっかり真剣な顔で聴いてくれた。
「――なるほどな。話はわかった」
「ええ。聞いてくださってありがとうございます」
ちょうどその時、お茶の用意ができましたと侍女がやって来たので、話はそこまでとなった。
ヘレナはヴィルヘルムに聞いてもらえただけで満足したのだが、そのあとすぐ、事態は大きく動いた。
ヘレナが正式に王宮に上がる事となり、家を出ることになったのだ。直接のきっかけは王妃が病に倒れたことだ。幸い命に別状はないとのことだが、しばらく療養が必要とのことで、十二歳になったばかりの王子を近くで見る人が必要だった。そこでヘレナの名が上がったらしい。
既にヨアキムは十八歳で正式に皇子の側近として勤め始めていたから、同じお世話係として王宮に通っているヘレナに白羽の矢が立ったのは不自然では、なかった。
幼い頃からヴィルヘルムの成長を見守ることはヘレナの生き甲斐だった。それは家族もよくわかっていて、侯爵令嬢が王城に住み込みで働くなど異例のことだったが、反対しなかった。カティを除いて。
「お姉さま、本当にいいの? もう少し今のままではいけないの?」
当時十二歳になっていたカティは、いまだに王子の「お世話係」として城に上がっており、その際はヘレナと共に登城していた。ただ、年齢的に以前のように王子と共に遊ぶというよりは、同じ立場の令嬢同士で過ごすことが増えてきていた。
侍女たちが盛んに噂話をするのももっともで、十二歳を超えても王子の婚約者は決まらないのは城の者たちをやきもきさせているようだった。そろそろ「お世話係」の中から選ばないと、一緒に「遊ぶ」という時期を過ぎてしまう。現にカティはともかく、今年十四歳を迎えた公爵家の双子は、既に登城してもお茶の時間以外はヴィルヘルムとは別行動だ。ヘレナは侍女たちの噂から婚約者は双子のどちらかになるのだろうと思っていたが、今のところ、その気配はない。
「――その辺りは調整中だよ。ヘレナは、あまり嗅ぎ回らないほうがいいね」
心配したヘレナが、ヨアキムに尋ねると、そう答えが返ってきた。何故か、疲れたような目で見られたヘレナは、聞いてはいけないことを聞いたような気がして、自分が出しゃばることではないしとそれ以降はあまり追求しないことにした。
家族は、働き続けるヘレナに何も言わなかった。家を出ると言った時に寂しそうな顔をしながらも何も言わない両親に、この選択は正しかったのだと思った。
「カティ。お城に上がってもお休みには帰ってくるわ。カティもお城に頻繁に上がるんだし、いつでも会えるわよ」
まだ十二歳のカティに、詳しい事情は話しづらかった。カティは納得できないような顔をしていたが。
「お姉さまはそれで幸せなの?」
「――ええ。もちろんよ」
事実、ヴィルヘルムの成長を見守るのは、想像した以上のやりがいと喜びをヘレナに与えていた。母のように姉のように一心に慕ってくれた時期は過ぎ、最近は思春期特有のむずかしさが出てきた殿下だが、ヘレナに心を許してくれている証拠だと思うと腹も立たなかった。
ヴィルヘルムは、ヘレナが王城に住み込みで上がると伝えると、そうかと言って笑顔を見せてくれた。最近は何が気に食わないのか、すねたような態度をとることが多かった王子が、素直に喜びを表してくれたことにヘレナは安堵した。
カティも、
「お姉様がその覚悟なら、私も応援するわ」
と真剣に言ってくれた。
こうして、ヘレナは侍女として王城の一角に住むこととなったのだった。