90. 変化の民
八月二十日土曜日。
前日に探ったニコラスの動向から、鹿に変化することの出来る女性の後を追うことにした僕たちは、その姿が消えた方に飛びながら見失わないように後をつけた。
鹿は度々休憩を取りながら四日間移動を続け、ドイツの大きな山の麓にある小さな町に到着した。
木々の生い茂る森と町のちょうど間と言ったところに、小さな小屋の様な家があり、その裏手には小さな沼があった。
沼の周りの草が生い茂る場所で、女性は変化を解き、人間の姿へと戻る。
女性はずいぶんと大きくなったお腹をかかえ、その小屋へと入って行った。
「ただいま。」
「おかえり。レイナ、どうしたんだいそのお腹。」
「母さん、助けて欲しい。」
「…。」
女性は、行倒れている男性が記憶を失くして困っているのを助け、面倒を見ているうちに恋に落ちたが、ある日そこで過ごしていた記憶さえ失くしてしまった。
その人を山の中から解放し、自分は母親を頼ってここへ戻って来たという事らしい。
うーむ。ニコラス、知らないとはいえ、罪なことを…。
女性の名はレイナというらしい。
ワイルドな感じの美人であるが、どうも既視感のある能力を使う。
「そうだ!アンジェラ。マルクスの家の人たちって女性は全員変化が出来るようになるって言ってたよ。」
「確かに聞いたことがあるな。」
「ということは、女性たちには天使の能力ではなく、代々の受け継がれている能力があるという事でしょうね。」
「なるほどね。じゃあ、アンジェラのでっかい白鳥はここの女性からの遺伝?」
「リリィ、でっかい白鳥って言うんじゃない。めっ。」
「え?いやだったの?うそ~、かわいいと思ってたのに。」
「え、ほんと?かわいい?」
「ここで、イチャイチャするのやめてくださ~い。」
アンドレの視線がとっても怖い。
とりあえず、一か月後、二か月後、と少し調べては先に転移し、まずは子供の誕生を見届けることにしたのである。
結局、後を追いかけてきて約四か月後、レイナは金髪で碧眼のニコラスにそっくりな男の子を二人産んだ。ってやっぱり双子だ…。
その子たちはそれぞれ フィリップとルカと名付けられたようだ。
この二人が帰還者の中で回収できていない二人なのか?
しかし、それだと計算が合わない、マルクスが生まれるのはこの時から二百七十年も先なのだ。いくらなんでもそんなに長生きはできないだろう。
ところが、レイナの子供たちの様子を見守っている時、異変が起きた。
子供たちが一歳ちょっとの時だ。小屋の裏手の沼の傍で遊んでいるときに、子供たちに毒蛇が襲い掛かった。そこで、フィリップはたまたま棒を振り回していた。毒蛇はその棒に引っ掛かり、ずいぶん遠くまで飛んで行った。
フィリップの瞳が紫色に光った。すごい、齢一歳にして偶然とはいえ、覚醒するなんて…。
しかし、その年齢ゆえに予期せぬ自体が起きた。
フィリップは度々姿を消しては三日後に現れたり、長い時は何週間も先まで消えていたりと同じ場所での意図せぬ時間の転移してしまうようだった。
気付けば、ルカは順調に五歳児の大きさになっているのに、フィリップは二歳の大きさのままだという事もあった。
そして事件は起こる。
フィリップがようやく五歳の大きさになった時に、レイナは能力を使わないようによく言い聞かせたのだが、やはり理解が追いつかなかったのか、たまたま手を繋いでいたルカを連れて転移し、帰ってこなくなってしまった。レイナはまた数日したら戻ってくると思っていたが、戻ってきたのはフィリップだけで、ルカは戻らなかった。
フィリップの話では、すごく先の時代に行ってしまい、そこで家の外に出てしまったため、ルカが迷子になってしまったという。
レイナが母親のシェリルにフィリップの能力を制御する方法について相談すると、意外にも自分達変化のできる人達には人前で急に変化してしまうことを抑えるための道具があると教えられた。
ただ、シェリルが考えるには、フィリップの能力は自分達変化の民の能力とは異なる未知なる能力ではないか、それに対してその道具が有効かは疑問だと言うのだ。
レイナはそれを承知で、道具を手に入れてほしいと言った。
シェリルは遠い親戚にあたる人物を訪ね、その道具を譲り受けてきた。
それは、レイナたちが住む町はずれの山に入ったすぐの場所にある洞窟でのみ採掘される特殊な黒光りする金属でできた腕輪だった。
フィリップの腕にその腕輪をはめた後は、フィリップは転移することがなくなった。
しかし、不思議なことに体の成長も遅くなり、実際は十歳で五歳の大きさだった彼は、さらに長い間子供の姿のまま過ごすことになった。フィリップはおよそ百年かかって成人するくらいに成長し、祖母シェリルの家に同居していた叔母、従姉妹とその家族たちと支え合いながら暮らしていく。
途中、祖母や母、叔母たちもこの世を去り従姉妹たちの子孫と生活を共にしていた。
フィリップが生まれてから約百八十年、家も随分と前に改築し、少し大きな家となった。フィリップはこの頃には、従姉妹の孫にあたる娘と結婚し、封印の腕輪をした状態でも能力をコントロールできるようになっていた。その能力を使い、しばしば未来に行っては情勢を把握し、
戻ってはその知識を元に地元の政治家にアドバイスをする占い師のような仕事もするようになっていた。家業は従姉妹の子孫が営む薬草を売る薬局である。
そんな時、思わぬことが起こった。
過去のほんの子供である自分が、双子の弟ルカを連れて転移してきたのだ。
しかし、フィリップの能力は非常に限定的で、未来に転移しその場所で過ごした時間が経過した過去に戻るというものだった。
そう、意図して過去のいつに戻りたいと念じてもそれは叶わなかったのだ。
フィリップは自分が犯した過ちと気づき、ルカを自分の子として育てることにした。
ルカはその時約十歳、その後成人し大きな川を利用した輸送の船を所有する商人となる。
フィリップはルカに封印の腕輪と同じ素材で作った首飾りを渡した。
ルカはその時まだ覚醒していなかったが、もし能力が覚醒し、暴走するようなことがあれば、首飾りを着けるようにとフィリップは言った。
ルカが二十代半ばのころ、川で商品の輸送を行っているときに、溺れた子供を見つけ川に飛び込み救助を行った。それによりルカは覚醒し、天候を思いのままに操ることができるようになった。しかし、普段は必要のない能力であるため、封印の首飾りを着けていた。ルカもその年齢から老いることがなくなった。
ルカも従姉妹の子孫の娘と結婚した。
フィリップが二百五十歳を過ぎたころ、先のことがわかる占い師と評判になり、王の元で大臣を務めるよう命令が下された。
その国こそがユートレア小国だった。フィリップは家を出て城内に住まわねばならなくなった。
現代から約二百三十年前、フィリップが城に住むようになり五年が経過したころ、ルカは七十五歳になり、しかし見た目は二十代半ばのまま、親族の中から妻をもらい静かに暮らしていた。妻は結婚して間もなく双子の男児を産んだ。ルカにそっくりな金髪で碧眼の元気な男児達だ。兄はマルクス、弟はアズラィールという名をつけられた。
フィリップは城に住むようになった後も年に数回は帰宅していたが、ルカの結婚の時期と同じ頃に政治的な失敗を理由に死刑になったと家族に連絡があり、封印の腕輪だけが帰宅した。
ところがだ、フィリップが傷だらけになりながらも突然自宅に戻った、そしてルカに言ったのだ。
「ルカ、よく聞いてくれ。今すぐ逃げろ。俺たちは殺される。同じ場所に留まらず、常に場所を変えて生きろ。」
「父さん、何を言っているんだ?訳が分からないよ。」
「俺はお前の父ではない。双子の兄だ。今まで言わずにいてすまない。そして、命を守るためにアズラィールをもっと先の時代へ連れて行くつもりだ。マルクスには、赤ん坊が家に来たら息子として育てるように言っておけ。いいな。」
そう言ってフィリップはアズラィールを連れて光の粒子となり消えて行ってしまったのだ。
ルカはマルクスを育てながら、あちこち転々とした。それはそれは長い人生だった。
しかし、ルカは船を出して荷を運ぶ仕事をしている時に、忽然と姿を消してしまった。マルクスはまだ十歳だった。
マルクスは母方の親戚をあちこち渡り歩くような生活を強いられた。
父の残した船や財産で、特に金に困る様なことはなかったが、目立たないように努め、七十五歳の時に親戚の娘と結婚をした。結婚直後、元々父親が住んでいた家に戻ってきているときに、父親にそっくりだが祖父の名:フィリップを名乗る男が赤ん坊を抱いて現れ、その赤ん坊を自分の子として育てるように伝え、消えた。
マルクスは母や叔母からそのことを小さい時に何度も聞いていた。
自分の双子の弟を自分の子として育てて欲しいと言われたことが現実となった。
マルクスはアズラィールを育て、その後女の子も授かった。
そして、マルクスは拉致された。
ここまで調べ上げるのに僕とアンジェラとアンドレは三か月を要してしまった。




