8. イヴ
僕たちが家に到着すると、動物病院の駐車場が満車になっており、動物病院が少し混雑している様子がわかった。
母はあわててドーナツを僕に渡すと、動物病院の仕事に戻っていった。
「本当にうちの動物病院はいつも混んでるよなぁ。他にもいっぱい動物病院はあると思うんだけど。」
僕が独り言を口に出して言うと、アダムがそれに答えるようにこちらを見る。
「ライルのお父上は特別でちゅからね~。」
「え?どういうこと?」
「まぁ、そのうちわかるでしょ~」
アダムは全てを語らず、その場は会話が終了した。
午後一時、動物病院が休憩時間に入る時間だ。
かえでさんが僕の部屋に昼食の用意ができたことを知らせに来た。食事は家族全員でとるのがうちの日常だ。
アダムの席はダイニングの入り口近くになったようだ。
ちゃんと犬用のボウルにドッグフードと水が用意されている。さすが、かえでさん仕事が早い。
手を洗い、席についていると、父様と母様が疲れた様子で入って来た。二人が席に着くと、母様が父様に話しかける。
「朝はあんなに静かだったのに、どうしてこんなに急に混んだんでしょうね。」
母様が言うと、父様がそれに答えた。
「朝のショッピングモールの交差点での事故で、二時間以上も通行止めだったらしいよ。朝から来たくても来れなかったんだそうだ。」
「そうなんですか…。ドーナツ買いに行ったときにはそんな様子ではなかったのですが。」
「トラックの運転手と乗用車の方が二人、亡くなったそうだよ。」
「まぁ、こわい。手前で駐車場に入ってよかったわね。」
「あぁ、ライルの我儘のおかげで助かったよ。」
父は僕の目を見てやさしく微笑みながら僕の手に手を重ねた。
父様の体が淡い白銀色の光で包まれる。
ギュイーンと頭が締め付けられるような感覚、あ、あああああああぁぁぁ。
僕の頭の中に父様の頭の中の情報が流れ込んでくるのがわかる。一瞬の後、父様の碧眼が白銀色の炎の様に揺らめいて元に戻った。
ぐらっと体が揺れた。気を失いそうになったところをぎりぎり堪えた。
「どうしたんだ、ライル?」
「あ、ちょちょっとトイレに行ってくる。」
「早く行っておいで。」
僕は、心臓のドキドキが聞こえちゃうんじゃないかと心配しながらトイレに逃げ込んだ。
今のは、一体何だったんだろう。
そこに、トイレのドアの外からアダムの鳴き声が聞こえた。
「くぅん。」
僕はトイレのドアを開けた。
「アダム、ついてきたのか。」
「大丈夫でちゅか?」
「何か、変な感じだったよ。グラグラして、父様の目が光ったんだ。」
「それ、多分ギフトでちゅよ。こわがらなくて大丈夫でちゅ。ごはん、たべよっ。」
「え?ギフト?う、うん。」
僕は、かなり不安になりながらもダイニングに戻り、父様、母様、そしてアダムと食事を共にした。
食事が終わり、両親は動物病院へ戻り、僕は自室で暇を持て余す。夏休み二日目、特にすることがない。
「宿題でもしようかなぁ。」
独り言を言いながら、机の棚から新しいノートを取り出す。
あ、そうだ。昨日から不思議な事ばっかり起きているけど、これって忘れたら後で困ることになりそうだよな?ただの夢だとは思うけど。覚えている限りの記憶をノートにまとめておこう。
表紙に「ライルの日記」と書いてみる。うーん、ちょっと恥ずかしい。日記デビューだ。
昨日、7月21日水曜日、夏休み初日、地下室で見た写真のこと、誘拐されたという父様の双子の弟のこと、ちょんまげの時代の僕にそっくりな男の子のこと…。
その後、かえでさんを追って外に行った帰りに仔犬を見かけたこと。僕が帰ってきてから夜に嵐になり、その仔犬が心配になって探しに行ったこと。
夢の中で黒い球が話したこと。
父様と母様が嵐で帰って来られなかったこと。
今日7月22日木曜日になり、父様と母様が事故に遭う幻影を見たこと、そしてそれを電話で回避したこと。その事故は本当に起きていたこと。
仔犬をアダムと名付けたこと、そしてアダムが人間の言葉を話すこと。遠くの音が聞こえるようになったこと。
父様に触れたとき、父様の体が白銀色の光に包まれ、碧眼が白銀色に燃え上がるように見えて色んな情報が頭に流れ込んできたこと。
一つ一つ記憶をたどりながら、書き込んだ。
「よし、こんなもんかな。」
日記は誰かに見られると恥ずかしいので、同じような大きさの本二冊に挟むようにして棚に戻す。
気づくと午後三時過ぎになっていた。
コンコン、ドアがノックされ、かえでさんから声がかかる。
「ライル様、先ほどお持ち帰りになられたドーナツでおやつにされてはいかがですか。サロンにご用意しております。」
「あ、はい。行きます。ありがとう。」
寝ているアダムの横をそーっと通り過ぎて部屋を出ようとした。
「うーっ。ずるい。自分だけおやつ?ドーナツ?」
アダムが、ちょっと怒り気味に言う。
「そ、そんな怒んないでよ。犬はドーナツ食べちゃダメなんだよ。」
「(ガーン)そ、そんな…。くすん。」
「というわけで、ちょっと行ってくるね。」
「……。」
僕は逃げるようにサロンへ直行した。
サロンはガラス張りで半分温室の様な部屋だ。ここでは、お茶やおやつを楽しんだり、景色を見ながら雑談したりすることが多い。
もぐもぐ。あぁ、意外とおいしいここのドーナツ。結構好きだな。と思いつつ、一つ目の半分ほどを食べているところで、サロンのドアがバンと開いた。
「あ、あの。僕にもドーナツ…。」
すごくしょぼい小さな声でそう言ったのは、4歳か5歳くらいの、青みがかった黒髪、黒いパーカーとジーンズ姿の男の子だった。
「君、誰?」
「あ、あの、ぼ、ぼく…アダム。」
「アダムって聞いたことある名前だけど、えええええええっ?」
よく見ると、黄色い首輪してるし、しっぽが生えている。
やばいやばい、これはやばい。
「ちょちょ、こっちきて。」
僕はあわてて自室にそいつを連れ帰る。これは本当に夢なのか?マジやばい。正直、精神崩壊状態。
犬のアダムはそこにはおらず、黒髪の男の子はしょんぼりしている。恐る恐る、男の子に聞いてみる。
「あのさ、どういうことかな?」
「犬だとドーナツ食べられないって言うから。人間の形になりたいな~と思ったら、それっぽくなった…。」
「そんなに食べたかったのか…。それにしても首輪ついてたら変なプレイしてるとか思われちゃうかもしれないし。尻尾は人間にはないぞ。」
「あ、あの、ごめんなさい。」
アダムは、犬の時と同じ声だけど、人間の子供の姿だと妙に消極的なイメージでちょっとかわいい。
「その、尻尾どうにかならないの?」
パフパフッ、アダムは自分の尻尾を軽くたたくと尻尾がシュルシュルと縮んで消えた。
「すげー。やるじゃん。」
僕は、アダムの首輪を外してあげた。僕は人間に姿を変えているアダムを連れ再度ダイニングに行った。かえでさんがサロンに戻ってきていた。危なかった。
「かえでさん、友達が訪ねてきたので、一緒におやつ食べてもいい?」
「はい、かしこまりました。あら、初めていらっしゃったお友達ですか?ずいぶんかわいいお友達ですね。」
かえでさんがクスリと笑う。
「あ、あの…僕、ア、アダ…」
「あああああああ、あだち君っていうんだ。最近公園で友達になってさ。」
「そうですか、よろしく願いしますね。アダチ様。」
「こ、こちらこそ。よろしく。です」
アダムがペコリと頭を下げる。
かえでさんがドーナツとミルクを用意してくれた。
アダムの見えない尻尾がちぎれそうなくらいふられているのが見えるようだ。
アダムが満面の笑みでドーナツを頬張る。
「むぅうううぅう。おいし~い。」
ポム、と犬耳が頭の上に出現。
「おい、耳。」
「あ。」
あわててアダムが頭を押さえると耳はシュルシュルと縮んで見えなくなる
ドーナツを2個食べたところでアダムも満足したようだ。
口の周りにミルクとドーナツについてた砂糖がつきまくっているのをふいてやる。そして、僕たちはダイニングを後にした。
自室に戻ってアダムが犬に戻った後、首輪をはめてやる。
どうやら、これは夢ではなさそうだ。僕にいったい何が起こっているんだろう。
とりあえずやんわり問い詰める。
「前から人間になれることわかってたのか?」
「ううん、さっき初めて。ドーナツの事考えたら、なっちゃってて。」
「今後は勝手にやらないようにな。焦るから。」
「う、うん。ごめんなさい。」
割と素直でかわいいやつだ。言葉が段々スムーズになってきている。でも、現実としては未だ受け入れがたい。
「アダム、外に散歩に行ってみないか?」
「うんっ。行きたいっ。」
僕は、アダムを犬に戻らせ、アダムの首輪にリードを付け外に出かけることにした。お散歩デビューだ。
アダムは普通の犬の様に電信柱におしっこをかけたりにおいを嗅ぎまわることもなく僕に歩調を合わせてくれているようだ。
「アダム、電信柱とかにおしっこしないの?」
「え?ちょっと外でそういうのは...。やめとく。」
「犬なのに?」
「はずかしいし。」
「ふーん、そんなもんかね。」
「うん。」
うちの敷地の周りをぐるっと一周して戻ろうとして丁度半分くらい行ったところでちょっとした騒ぎ声が聞こえた。
よく見ると近所の悪ガキ数人が何やら棒でつついたり、踏んづけたりしている。
小走りに進み近づいてみると、小さな白い蛇が踏まれてぐったりとしていた。僕は、後先考えずそいつらに少し強い口調で注意をする。
「お、おいっ。やめろよ。」
「うるさい、おまえ何だよ。外人か?」
「かわいそうだろ、死んじゃったらおまえ、呪われるぞ。」
「何だよ、そんなわけないだろ。バカじゃねえの?」
悪ガキどもはそのまま蛇を放置し去っていった。
正直、僕だって蛇は得意じゃない。
でもたった三十センチほどの小さな蛇がつぶされて殺されるのはかわいそうだと思った。
僕は蛇をそっと持ち上げ家へと急いだ。アダムも無言でついてきた。
自宅の別棟の動物病院に駆け込み、母様に事情を説明すると少し待つように言われた。
一時間ほど待って、他の患者が少なくなってきた頃、父様の使っている診察室に入るように言われた。僕は父様に事情を説明して、手当てをしてほしいとお願いした。
でも、父様は少し悲しい顔をしてこう言った。
「ライル、この蛇はもう死にそうだよ。かわいそうだけれど、このままにしておいた方がいいんなじゃないか?」
「でも、父様。これをやったのは人間だよ。自然になったわけじゃない。かわいそうすぎるじゃないか。」
「やさしい子だね、ライル。そうだね、人間が理由もなく動物の命を奪うのはおかしいと思うよ。」
父様は優しい目で僕を見ると、僕の手の中の蛇を僕の手ごと父様の大きな手で包み込んだ。
ふわっと父様の手のひらから暖かい白色の光があふれ僕の手と白い蛇をじわじわと何かわからないもので満たしていくのがわかる。
その時、蛇がぴくっと動いた。
そして、その時確かに蛇の記憶が僕の頭に流れ込んできた。
その後、父様がそっと僕の手から蛇を受け取り蛇の頭を撫でると僕に言った。
「この子もライルに助けられたね。さぁ、カウンターの横にあるプラケースを使っていいから、完全によくなるまで部屋で世話をするんだよ。」
父様は僕に白い蛇を渡すと、母様にプラケースを用意してくれるように伝えてくれた。
僕は母様からプラケースを受け取るとその中に蛇を入れ、自室へと移動した。部屋へ帰り、出窓にケースを置いた。
無言で蛇を見つめ、ちょっと頭に触ってみる。蛇の体の表面と、黒い目が真っ赤な炎に焼かれたように一瞬輝き、頭をもたげる。
「へっ?」
ちょっと変な声が出てしまった。
「あ、…がとう。」
「え?」
「あり…がとう。命を、助けて頂き、ありがとうございました。」
蛇が小さい女の子のような声で、僕に話しかけているようだ。え?動物と話せる能力なのか、すごい、すごいぞ。アダムだけじゃなかったんだ。
白い蛇は小さな声で僕に話しかける。
「もう少し、ここにいていいですか?」
「う、うん。治るまでいていいんだよ。」
「ありがとう。」
「あのさ、名前聞いてもいいかな?」
「…。」
「え、もしかして、名前ない?それ面倒じゃない?白い蛇さんってちょっと長いし。」
「…。誰ともお話しないから。」
「あ、そっか。」
妙に納得である。
「あ~、でもしばらくうちにいるんだし、嫌じゃなかったらイヴって呼んでもいいかな?」
白い蛇はその瞬間、瞳の中に金色の輪を浮かべたのだ。
うわ、また。目が変だよ~、今日、こういうの出すぎだよね。
ちょっと待てよ。蛇って何を食べるんだろう。元気になるまでと言っても、アダムの様に簡単ではない。そうだ、本人、いや本蛇?に聞いてみよう。
「イヴ、何か食べたいものがあったら言ってね。」
「…。食べない。大丈夫。」
「怪我はどうなの?」
「さっきのお医者様、神の手で治してくれた。」
「ん?神の手?って何?」
そこで、アダムが話に参加する。
「見た見たよ~。白色の光の出たあれ。」
「…え?え?何、それ。マジ?」
「病院にいたみんな、先生はすごいって言ってた~。」
「えー、まじ?そりゃ初耳だし。びっくりするよ。」
正直、自分で目にしているけど、そんな事は簡単に信じることができない。
「見えたよね~?」
さて、どうしたものか。犬や蛇がしゃべるのもファンタジーだが、そんなインチキっぽい眉唾的なものってこの世にあるかぁ?
「手光ってたでしょ。先生の。」
「あ、う。あれはどういうことなんだ。光ってはいたけど、よくわからないよ。」
「ライル、ギフトもらったから、できるはず~。」
え、ギフトって?僕が出来るっていうこと?できるのか?ま、やってみるだけなら別にいいか、夢だと思うし。
僕は手のひらをアダムの首にそっと乗せて心の中で見えるというイメージを広げる。
すると、アダムの体が白っぽい光りで包まれ、体の中がうっすらと透けて見える。
「あ、チップだ。」
本当に見えた。すごすぎる。これはやばい。どんなことに使える能力かと言われると父様の仕事以外考えられないけど。
「さすがにチップの中のデータは見えないな。」
「チップ~?」
アダムがちょっと僕を小ばかにしている気がする。
「で、これが神の手なわけ?」
「違うよ~。神の手は治すやつ~。」
「へぇ~。リアルヒーラーってこと?すごすぎ。人間にも使えるのかな?」
父様、今までフニャフニャしてて頼りないなんて思っててごめんなさい。尊敬の一言です。心の中で独り言をつぶやく。
「先生、ふにゃふにゃ~?」
「え、ちょい待て、ちょい待て…。何考えてるか、ダダ洩れなわけ?」
「きゃはっ。」
また、忘れないうちに日記に書いておこう。今日は、白い蛇『イヴ』を助けた。父様のすごい能力を知った。神眼と神の手と呼ばれる癒しの力だ。あ、あとアダムが食い意地のおかげで人間に変身可能となった。っと、こんなもんかな。
「ひどい~。食い意地じゃない~。」
あ、わかっちゃうんだった。
「ねぇ、アダム。考えてることを遮断することってできないの?」
「できる~。と思う~。」
「ちょっと口がすべるというか、頭の中までダダ漏れは恥ずかしいからさ。」
「ライルが練習して~。」
「う、うん。そうだね。どうやってやるかわからないけど。」
その時、ドアがノックされた。
「ライル~、開けるわよ~。」
母様だ。
「は~い。母様。」
「あと一時間くらいで夕食よ、少しは宿題とかやっておくのよ。」
「そ、そうですね。そうします。」
「あら、アダムはおりこうさんね。全然吠えないし、かわいくお座りして。うふっ。」
そういいながら母様は、机のところにいる僕の所までくると、僕の額にやさしくキスをしてくれた。
「ライルもおりこうさんね。やさしくて、本当に自慢の息子よ。」
母様がキスした瞬間、母様の記憶が僕の中に流れ込む。母様の体と目が緑色の炎の様に一瞬光る。
人により発せられる炎の色が違うのだ。
「母様。母様も僕の自慢ですよ。」
これは本当だ。若く、美しく、やさしい母様。正直言って僕はかなりのマザコンだ。
「あらあら、うれしいこと言うのね、ライルったら。じゃあ、また後でね。」
母様が部屋を去り、僕は夕食の時間まで勉強した。