694. 戻らぬ王太子家族(1)
その後、冬季の長期休みに入った僕は、12月22日金曜日から始まるマリアンジェラとミケーレのウィンターブレイクまでの期間、毎日朝と夕方に二人の送り出しとお迎えを担当した。
僕も数年通ったボーディングスクールの先生達や、まだ生徒で通っている元同級生たちと顔を合わせるのが、少し楽しかったのもある。皆、いつも僕には親切で、少しキャーキャー騒がれるのは恥ずかしいけど、マリアンジェラは自慢の『叔父』と一緒に通えて満足している様だった。
12月10日にはリリィとアンジェラがワールドツアーから戻ってきた。
どの会場にもチケットを買えなかったファンまでもが押し寄せ、大変だったようだ。
とりあえず、事故や事件などは起きず、急遽最終日に1回の公演の予定を2回に増やしたそうだ。ツアーは無事終了し、ツアーの相乗効果もあってか、リリースした曲が話題に上り益々メディアなどでも取り上げられるようになってしまった。
どうやら最近あまり新曲を出さないと思っていたら、忙しくなって家にいる時間が短くなるのが嫌で出していなかったらしい。
アンドレの話では、ライエンホールディングスはエンターティンメントの他に高級ホテルやリゾートのチェーン展開と、金融業、主に銀行などがグループの中でも大きなウェートを占めており、アンジェラが自ら芸能活動をせずとも順調に利益を生み出しているとのことだ。
それなのに、ここ数日は連日の取材とかでニューヨーク本社やら、東京支店やら、イタリア支部やらに行っては何件ものインタビューを受けているらしい。
おかげであのCMのジュエリーは売れすぎて在庫が足りなくなり欠品が続いているらしい。
それでもどうにかいつも通りの日々に戻りつつある。
アンジェラとリリィがいなかったせいもあるが、リリアナとアンドレは生活の拠点をしばらく日本の朝霧邸に移していた。そうはいってもアンドレの仕事の中心はニューヨークであるため、日本ではいつも夜の遅い時間に出かけて朝戻る生活になっているようだ。
そんなリリアナとアンドレも幼稚園の冬休みが始った12月18日にはイタリアに戻ってきた。
戻って来たと同時にアンドレはクリスマス&年末年始のイベントのためにドイツへと出張に行ってしまった。
2週間を予定している親戚一同の長期滞在を円滑に進めるため、連日の食事メニューから設備の点検など全ての準備の総括を担っているというのだ。
今まではアンジェラが全てをやっていたが、今年からはアンドレが担当するらしい。
ニコラスの話では、アンジェラはアンドレをライエンホールディングスの副社長にした際、重要な業務も一部アンドレに任せることにしたそうだ。
アンドレは文句も言わず、積極的に黙々と業務をこなし、最初は重役クラスの社員から批判的なことも言われていたが、今では批判する者などいない。
そして何より社員のほとんどが元々アンジェラの熱烈なファンであり、そのアンジェラに生き写しの彼にも知らず知らずのうちに皆服従している。
12月21日、木曜日。早朝、4時頃。
まだ外は真っ暗で家の中は静まり返っていた。そんな中、ベッドで眠る僕の肩を揺する者がいた。
『ん?まだ暗いのに…誰だろう』
そう思いつつ目をこすると、そこにはアンジェラとリリィが暗い顔をして立っていた。
僕はもぞもぞとベッドから這い出し、ニコラスを起こさないようにジェスチャーで部屋の入口を指さして、二人と一緒に出るよう合図した。
二人はコクコクと頷き、僕と一緒にそーっと部屋を出た。
向かった先はアンジェラの書斎ではなく、完全防音された地下のレコーディングルームだった。
「二人とも、なにか様子が変だけど、どうしたの?」
アンジェラが僕の問いに少し言葉を詰まらせてからガウンのポケットに入っていた手紙を取り出し僕に渡した。
「さっきユートレアの王の間で見つけたのだ。」
あ~ぁ…ユートレアの王の間で夫婦生活の営みをしたときに見つけた、ということね。
さすがの僕もちょっと顔が赤くなったかも。
「読んでいいの?」
「あぁ、読んで意見を聞かせてくれ。」
僕は手紙を読んだ。古い茶色に変色した紙が3枚、その全てにびっしりと文字が書かれている。
そこに書かれた日付から、今から500年より少し短いくらいの年代のものだ。
手紙はアンドレの父王、アーサーと王妃からのものだった。
そして手紙の内容が少し変だった。
アンドレとリリアナ、そして二人の王子が過去のユートレアに訪問しなくなってからもうすぐ1年が過ぎるというのだ。
ユートレアの本城はすでに別の場所に移転済みで、僕たちがいつも行き来しているユートレア城は王太子であるアンドレのための城となって数年が経ったのだが、彼らは先週も過去のユートレアに出掛けている。
先に読み進むと、王太子が失踪ということで国中で大騒ぎになっており、収拾がつかないのだというのだ。
このままでは次期王の勢力争いの激化が予想されており、もし何か問題が起きて戻って来られないのであれば無事であることを知らせて欲しいと書かれていた。
「アンジェラ、これアンドレに見せた?」
「いや、まだだ。」
「見せるの待ってくれる?」
「何かわかったのか?」
「いや、全然わからないけど、もしかしたら、この先何か起きて、過去に行けない事情ができるのかもしれないなって思ったんだ。」
「うむ。どうしていいのか全く判断がつかないのだ。」
「そうだよね…。ちょっと、僕調べてみるよ。それからアンドレと話して決める。それでいいかな?」
「あぁ、頼む。」
「これ、ちょっと預からせて」
僕はそう言って手紙を預かった。
一度ベッドに戻ってから、朝、何もなかったかのようにニコラスと一緒に起きた。
「ふぁ~、今日がマリーとミケーレのスクール最終日かぁ」
「ライル、毎日すまないね。代わりに行ってもらって。」
「そんな、全然大丈夫だよ。それよりちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
僕は、まずニコラスから聞き取りを始めた。
ニコラスは、アンドレが現代の時間軸に初めて来た時よりも15年以上後にこっちに来ている。
ということは、さっきの手紙が書かれた時にはまだ500年前にいたはずだ。
僕は1つ1つ質問をした。
過去にいた時にアンドレとリリアナ、そしてライアンとジュリアーノと交流があったかどうか。
それに対して、驚くべき返答が帰ってきた。
子供の時に王の後継者としての教育をされていた頃にはアンドレと顔を合わせることもあったが、二人が18歳の時にアンドレが正式に後継者に決まり、ニコラスが教会に入った後は、アンドレの息子である王子二人の洗礼式に大司教として参加した時に顔を合わせただけだという。しかもそれは現代のニコラスが過去に行ったのであって、当時のニコラスはレイナに監禁されていたため実は行方不明だったと言う事らしい。
その後も数回だがアンドレの依頼で大司教として過去に戻って仕事をしたのだという。
「ニコラス、アンドレが過去で失踪したという話は聞いたことあるか?」
「あ、そうだ…。思い出したよ。私はレイナの所にいたから知らなかったのだが、記憶が戻って逆にレイナとのことをすっかり記憶から無くして教会に戻った後だ。私の事を父王が必死で探していたのだが、それは後継者が不在になったためだと聞いたよ。私が戻った時にはすでに後継者は妹になっていて、近隣の国から婿養子をとった後だったんだ。」
そうだ、僕が見たユートレアの歴史が書かれた文献には、確か天使を求めてどこかに行ってしまった王太子は帰って来なかったというような事が書いてあった。
ニコラスに聞いたことと手紙の内容、そして僕が見た歴史の本の内容を全部一つにまとめると、アンドレとリリアナ達は、いずれ過去には行かなくなる。いや、行けなくなるのではないか…。
僕はそんな疑念を持ったまま、リリィに手紙に書かれていた日に行ってくると告げ、朝食を皆と済ませ、お昼頃にマリアンジェラとミケーレをスクールに送った後に過去のユートレアへと出かけた。
手紙に書かれていた日付のユートレア城へと時間を超えて転移した僕は、王の間で僕が持っているのと同じ手紙が隠し引き出しに入っていることを確認した。もちろん、こちらのはまだ新しく変色もしていないが。
ユートレア城の中を歩き回り、誰かいないかどうかを確認すると、従者が庭園でバラの手入れをしていた。
季節は初夏というところだろうか、雪は完全にとけ、薔薇の葉は若い緑の葉とつぼみでいっぱいだ。
「あ、あのぉ、こんにちは。あ、おはようございます…かな。」
「あわわっ、天使様!お待ちしておりました。ずっとお待ちしていたんです。」
従者は慌てながらも、喜びで顔をほころばせながら、僕にこのままここで待って欲しいと言った後、城の中に走って行った。
数分後、城の中からアーサー王と王妃が急いでやってきた。客間に滞在していたようだ。
「おぉ、天使、いやライル殿。以前アンジェラ殿の家に伺った時以来ですな。ずいぶんと大きくなられて。」
「アーサー陛下、それは僕が赤ちゃんになってた時の話ですか?」
「いやいや、あのどこか東洋の違う国の長い城壁のような場所に連れて行ってもらった時の話です。」
「あぁ、そんなこともありましたね。挨拶はさておき、手紙を受け取ったのでこの日に来てみたのです。」
「ライル殿、実はアンドレは何も私達に告げないまま、もう1年も戻って来ていないのです。王妃が心を病み、毎日悲しみに暮れているもので、以前リリアナに聞いた王の間の引き出しの話を思い出してな、手紙を入れてみたのだ。」
「そうだったんですね。実は僕、この日から498年と半年ほど先から来ているんだけど、アンドレは先週もユートレアに行ったと言っていたし、皆元気にしているのですよ。ただ、僕が聞いている話では、彼らはちょうど500年前に行っていると言っていたので、僕がきた時間とは1年半のずれがあることになるんです。」
「うむ。私も500年の隔たりがあるとは聞いているが…」
「実は、僕たちは過去には行くことはできますが、未来へ行くことは禁止されているんです。もしかしたら、僕達が暮らすに時間軸よりも先の未来に何か起こるのかもしれません。」
「ライル殿、もしやアンドレに命の危険や問題が起きるのではないか。」
王妃が不安そうな顔でアーサー王の横で顔を伏せる。
「わかりません。でも心配しないでください。もし、仮に彼らがこっちに来られない事態になっていたとしてもアンドレもリリアナも二人の王子も危険にさらされたりしているわけではないと信じて下さい。」
「しかし…」
アーサー王の顔が曇る。
「アーサー陛下、僕、アンドレと話してきます。少し待っていてもらえますか?」
「承知した」
僕は一度元の時間軸に戻り、アンドレに状況を説明してどうするか相談することにした。




