683. それぞれの土曜日(2)
どこに行こうかと二人であれこれ思案し始めて30分ほど経った。
「ねぇ、ライル…フロリダのアミューズメントパークは?」
「うーん…また写真を撮られてSNSにアップされるだろうね…」
「まぁ、そだね。せっかくのお休みだから、そういうの嫌だよね…」
「マリー、いっそ二人で変装してどこかの街に出かけちゃう?」
僕がそう言うとマリアンジェラが不思議そうな顔をした。
「へんそう?」
「そう、変装…。髪色の違うカツラを被ったり、眼鏡をかけたり、あとは男の人が女の人の服を着たり…」
「あー、マリーね、それ知ってるよ。オカマちゃんでしょ」
「ぷはっ…。マリー笑わせないでよ。」
「え?違うの?」
「オカマは変装してるんじゃなくて、素でそういう服を着ているんだよ。」
「…ん?」
「変装っていうのは…自分だってわからないように姿を変えることだよ。」
「あ、にゃるほど…。そっか…マリーもライルも顔を知ってる人に騒がれちゃうもんね。」
「そうなんだよね、気づかれなければゆっくりお店を見て回ったりできるかなと思うんだけど。」
「うんうん、それやってみたい。」
僕とマリアンジェラはクローゼットの中で変装する目的で着れそうな服を物色した。
しかし、いつも着ている様な服しかなく、イメージを変えるほどではない。
それに眼鏡もなければ、カツラもない。
「いいのがないなぁ…」
「これじゃ、変装できないね」
「うーん…」
二人で頭を抱えていると、アンジェラから電話がかかって来た。
どうやらアンジェラの会社ライエンホールディングスのニューヨーク本社で、この前CMに提供したアンジェラ楽曲のプロモーションビデオを撮影しているらしいのだが、いつもならアンドレがマネージャーとして取り仕切るところ、今日はお休みのため段取りがうまくいかず大変なことになっているとのことだった。
「ライル、休みのところ申し訳ないのだがアンドレの代わりに行って状況を把握して来てくれないか。状況がわかれば私が何をするか指示できるのだが…。」
「あー、うん。マリーも連れて行っていいなら僕は大丈夫だよ。」
「そうだったな…マリーを一人置いてはいけないな、二人で行ってくれるか?」
「わかった…。じゃ、あっちから連絡するね。とりあえず社長室に転移して行けばいいかな。」
「あぁ、内側から鍵をかけてあるのでそうしてくれ。担当者は秘書から聞いてくれ。」
電話を切り、ちょっと残念そうなマリアンジェラに事情を説明して、二人でニューヨークの本社に転移することになった。
結局二人は黒のパーカーと白いジーンズというペアルックでまとめたのだが、当然マリアンジェラは5歳児のままである。僕は前回撮影した時の短髪の髪型へと変化し、行くことにした。
どうして髪がすぐに伸びるのかとか、騒がれそうだからね。
社長室に到着し、内線電話で秘書に連絡すると、1分も経たずに秘書が走ってきた。
「あ…社長ではなくライルさんがお見えになるとさっき社長に聞いていたのですが、ずいぶんお早い到着で…。」
「え…うん。たまたま近くにいたんだよね。」
「お、お嬢様もご一緒だったんですね…。」
「今日は家に二人しかいなくて、一人で置いてはおけないからね。で、どんな状況なの?」
「では、まず屋上にてご説明いたします。」
僕とマリアンジェラは秘書に促され屋上に行った。
そこには数人の俳優と本格的な映像機材とスタッフがおり、何やら喧嘩腰の話し合いをしていた。
「こんにちは。」
僕が話しかけると騒いでいた人たちが一瞬で静かになった。そして、一人の中年の男性が僕に向けて言った。
「あ、ライルさん。社長に言ってくださいよ、今日の撮影はもう無理です。」
「撮影チーフのロンさんでしたっけ?何があったんです?」
僕が名前を憶えていたことを嬉しそうに思ったのか少しはにかみながら頭をかきつつ、事の次第を説明してくれた。
「下の歩道を閉鎖して上からハリボテの神様をワイヤーで下ろしながら撮影する予定になっていたんですよ。ところが、そのハリボテが想像以上に重量があって、ワイヤーでほんの少し下げたところで強風のためビルにぶつかって翼の部分が粉々になっちまったんです。」
「それは、危ないね。」
「そうなんです。歩道は閉鎖してますが、高層ビルの上からの落下物がどこまで飛んで行くかもわからない上に、ハリボテも破損してますのでね。ハリボテの制作からやり直しをしなければ…」
「なるほど…絵コンテとか台本ってあります?」
僕がそう言うとささっとアシスタントが台本を持ってきた。
僕は台本をパパッと読み、一応内容を把握してから言った。
「その神様のハリボテは上から下に下りるの?下から上に飛ぶの?」
「本来のイメージでは両方撮影したいんですが、このハリボテでは下に向かって行くイメージは撮影できそうにないんですよ。」
ブルーシートをはぐって、撮影スタッフがハリボテの神様を見せてくれた。
石膏で出来たような教会とかにありそうな像だ。長髪、長い白い布の装束、そして大きな翼を広げ、手も両方に広げている、全部が真っ白である。翼が片方折れて骨組みの針金がむき出しになりぶら下がっている。
「えっと、それから…この俳優さんたちはどんな役なの?」
「彼らは飛び立つ神様とビルを見上げるエキストラで…」
「わかった。ちょっとアンジェラに連絡取ってみるね」
僕はその場から少し離れ、アンジェラに電話をかけた。マリアンジェラが心配そうに僕の顔を覗き込む。
アンジェラに内容を説明したが、アンジェラはとても困った様子で言った。
「実はな、今日がプロモーションビデオの元データの提出期限なんだ。本来ならその像はとっくに出来上がっていたはずなんだが…。ニコラスに頼んで像を直してもらうことはできないか?」
「あー、それなら…僕にも出来るかも、試してみるよ」
「すまんな、また何かあれば連絡をくれ」
僕はアンジェラとの通話を切った後、ブルーシートの陰に移動し、神様の像の折れた翼を触って修復を試みた。これはニコラスの物質修復の能力なのだが…どうも壊れた時にどこかに飛び散った部分があるらしく、折れた部分は元通りになったが、欠けた部分はそのままとなってしまった。
僕はまたアンジェラに電話をかけた。
「修復を試みたけど、欠損部分はダメそうだ。今日はあきらめた方がいいんじゃないかな」
「うぅむ。困ったな。」
「延期するのがダメな理由は何なの?」
「もうプロモーションビデオのローンチする日をあちこちで公開してしまっているんだ。」
「うーん、でも無理なものは無理だと思うよ」
「そうだな…」
心なしかアンジェラの言葉に勢いがない。二人の会話を聞いていたマリアンジェラが僕に耳打ちした。
「神様って、あのお人形じゃなきゃらめなの?」
「え?」
「ライルが変装して神様やったらいいんじゃないの?飛べるし。落っこちないし。動けるもん。」
アンジェラにもそれは聞こえた。
「マリー、さすがわが娘。すばらしいアイデアだ。」
「え、でもアンジェラ、待って…。僕の翼のこととか、ばれたら困るんじゃ…。」
「ライル…私にも翼がある事は知っているよな。」
「あ、うん。もちろん。」
「ライブで毎回翼が出てしまうことも…。」
「そういえば…そうだよね」
「そのことは、一部のスタッフには周知されているんだ。誰もそれ以上追求しないし情報を売ったりもしない。私の信者だからな。」
「あはは…わかった。誰に言えばいいの?衣装とか用意してもらうから。」
「ロンとキャロラインに言ってくれ。」
「わかった」
僕はロンとキャロラインという名前のステージ照明のチーフを呼び、その二人にアンジェラの意向を伝えた。
「あの像は今からじゃ使えないから、代わりに僕が神様役をやることになったんだ。キャロライン、急で悪いけどそれらしい衣装とサンダルとか用意してくれないかな。あと…ロン、翼のことを知っているスタッフだけ残して、後は解散させてくれ。」
僕とマリアンジェラはキャロラインと共に撮影用の備品が置いてある倉庫へと向かった。
会社のビルの中には簡単な撮影が可能なスタジオもあり、メイクをするための控室もあった。
キャロラインは記憶を辿りながら以前使用した箱を漁り、いつだったかアンジェラが撮影でルナに使った衣装とサンダルを持ってきた。確かミケーレが城で撮影したときに使った物だ。
女性っぽさを出すために胸のすぐ下に取り付けてあった刺繍入りのバンドを外し、もっと下の位置で結び直した。
あとは髪型だ。キャロラインが手当たり次第に明るめの色のカツラを持ってきた。
マリアンジェラがそれを自分で被ってはゲラゲラと笑い転げている。
「ライル、こ、これ…これ被ったらライルもオカマちゃんになれる…ぷぷっ」
明るい茶色のくりくりカールのロン毛のカツラを手に持ちながら笑いをこらえるマリアンジェラに呆れながらも、そんな彼女を可愛いなと思いつつ、そのカツラは断固拒否した。
「マリー、オカマになりに来たんじゃないの。ふざけると家に帰すよ。」
「ぶえー、ごめんちゃい」
カツラはあまり合いそうなものが無く、キャロラインが席を外している時に、本来の姿である銀髪で長い髪の姿に戻ってみた。
当然のことながら、まつ毛や眉毛も銀色になる。肌の色も透き通るような明るい肌色に変化した。
衣装がワンショルダーじゃなくて良かった。僕の撮影はジュリアンと同様『乳首』はNGだ。
その時、マリアンジェラが言った。
「お目目の色って金色とかの方が神様っぽくない?」
「なるほど…たしかにこのままだと僕だってわかりそうだよね」
「うん」
そこはマリアンジェラの指摘の通りに瞳を薄い金色にして仕上げたのだった。
キャロラインとロンが控室に戻ってきた。
「こんな感じでいいかな?」
クルッと回り、姿の全体を見せると、二人は僕の姿を見てその場にしがみこんだ。
「ライルさん…いえ、ライル様…素晴らしいです。これでワイヤーで吊って撮影して、翼は後からCGでもなんでも付けたら完璧に…」
ロンがそう言いかけた時、翼を忘れていたことに気が付いた。
「あ、そうだった。翼忘れてた…。」
そう言って僕は『バサッ』と翼を出し、いったん広げる。
「う、うわぁ…」
「あ、あぁ、おぉ…神よ…」
「ちょ、ちょっと二人は翼の事、知ってるんじゃなかったの?」
「え?何の話です?」
キャロラインは涙がダバーと溢れてもう話など聞いていない。
どうやらアンジェラは勝手にスタッフがアンジェラの翼を理解していると思っていただけで、彼らはアンジェラが翼を出す装置みたいなものを装着していると勝手に思っていたようだ。
僕が背中の全開になっている衣装でいきなり翼を出したので、二人とも腰を抜かしたようになってしまったのだ。
「他言無用でお願いしますね。特殊メイクだと思って下さい」
「承知しました。」
キャロラインは僕を拝みつつ、撮影現場へと移動した。
ビルのエントランスから少しずれた場所にすでに移動済のカメラなどの機材とスタッフがいた。
皆、僕を見るなり『おぉ』とどよめき拍手をする者もいた。
特殊メイクがすごいと思ったのだろう。翼は折りたたんで閉じた状態だ。
ロンからスタッフと俳優たちに説明があった。
その場所からワイヤーで吊られた僕が上昇するので3人で見上げて下さいというものだった。
僕は手を胸の前でいったん握り、その後少し上向き加減で両腕を広げた状態で上昇するという演技をしなければいけない。しかし、地上20階以上のビルの屋上から吊り下げようのワイヤーを下ろすだけで、また何かしらもめているようだ。
やはり風で煽られて吊り下げようの金具が窓にぶつかったりして危険があると言っている。
僕はロンに耳打ちした。
「ワイヤーは屋上に上げちゃっていいよ。下りてくる方の撮影もするって言ってたでしょ。どうしたらいいの?」
ロンが説明してくれたが、神様が逆さまになった状態で地上の人間に手を差し伸べるシーンらしい。
「うーん逆さまになるとさ、重力で衣装がひっくり返ったり髪の毛が顔にかかったりしちゃうよね。斜め上横からのアプローチでもいい?」
ロンがハッとしたような顔で頷いた。重力の事を考えていなかったようである。
「じゃあ、下りてくるところは屋上で撮影でもいいかな?ここだとすでにヤジウマが集まってきているからさ。ここで撮影する上昇部分、今からスタートでいいですか?」
クレーンに乗ったカメラと、その他にも3台ほどのカメラがすこしずつアングルを変えて撮影を開始する。僕は両手を胸の前で組むと、少し力を込めた。
体全体から淡い金色の光の粒子がにじみ出し、体全体を覆った。
「あぁ…神よ」
「おぉ…」
「主よ…」
3人のエキストラが両目いっぱいに涙を溜め、無いはずのセリフを発した。僕は動じずにそっと目を開けた。
半分より少し大きいくらいに開かれた僕の瞼の内側から、キラキラと金色の光を放つ瞳に皆釘付けになっている。ふとスタッフと共に少し離れた正面に立っているマリアンジェラが僕の視界に入った。
『ぶっ』僕は心の中で大爆笑中である。少し我慢できずに顔がうっすら微笑んでしまった。
マリアンジェラがさっきの明るい茶色の髪色のくりくりカールのカツラを被って立っていたのだ。このままではNGを出してしまう。そう思った僕は少々ぷるぷると震えながら翼を大きく広げ、両手をゆっくりと広げると、台本通りに大きく羽ばたきゆっくりとその場から浮上した。そして少し上向きに顔を上げ、ビルの屋上まで上昇したのである。
ほんの十数秒だった。屋上では下から上がってくる僕の姿を撮影していた。
『ストン』と屋上に足を下ろすと一斉にそこにいたスタッフが拍手をした。
『え?拍手するところだっけ?』そう思いながら、次の指示を待つ。
マリアンジェラとロン、そしてキャロラインがエレベーターで他のカメラさんと共に上がってきた。マリアンジェラはまだカツラを被っていた。
「マリー、笑わせようとしただろ?ひどいな」
「え?」
マリアンジェラ本人は、キョトンとしながらキョロキョロとあたりを見渡すが何のことかわからない様子で首を傾げている。引き続き笑いをこらえ、上空からエキストラへ向けて手を伸ばすシーンを撮影した。
ビルの屋上は風が強い。しかし、敢えて風上の方へ進路をとるように飛ぶことで衣装のなびく様子が綺麗に見えたようだ。
NGを出すこともなく、動画の撮影は無事終了した。
念のため撮影に関わったスタッフには赤い目を使い、僕の翼は特殊メイクとワイヤーによる吊り下げだと思い込ませた。
ロンの合図でスタッフや俳優が解散し始めた時だった。
『バン、バン、バン』と3回、銃声の様な音がして、遠くから『キャー』という悲鳴のような声が多数聞こえた。
屋上の手すりのすぐ横にいた僕は、そこから地上を見た。
かなり距離があり定かではないが一人、横向きに倒れている人がいるように見える。
僕はとっさにビルから飛び降りていた。いや、屋上から飛び立ち、地上で倒れている人の元へ向かったのだ。
倒れていたのは見知らぬ若い男性だった。
その連れなのか、スーツ姿の女性が泣きながらその男性の腹部を押さえていた。
どうやら銃撃を受け負傷しているようだ。撃った犯人と思われる人物は周りに見当たらなかったが、ビルの中から駆け付けた警備員が目撃者の情報を元に警察に通報しているのが遠くで聞こえた。
助けるべきか…。僕は一瞬躊躇した。ここまで屋上から飛んできたこともすでに周りの通行人が大騒ぎを始めている。
僕は倒れている彼の側に近づいた。
もう意識が遠くなって目の光が消えかけたその目が僕を捉えて唇が小さく動いて言葉を発した。
「天使様…、またあなたに会えて光栄です。」
消え入るような声でそう言われ、思わず駆け寄り傷口を押さえた。
治癒の能力を使い一瞬で弾丸を体外に排出し、内蔵の損傷を修復…その時だった。
僕の体は金色の光の粒子になり彼の体に触れている手の先から順にサラサラと崩れ始めた。まだ治癒は完全には終わっていない。
周りで見ていた人だかりから悲鳴に近い叫びがいくつも上がった。
エレベーターで屋上から駆け付けたマリアンジェラは遠くでキラキラになって消える僕を見て叫んだ。
「ダメ!行っちゃダメー」




