679. マリアンジェラの秘密の彼氏(4)
僕がイタリアの家に戻った時、倉庫から自分の部屋のクローゼットに転移して着替えを手に取り、自室内の浴室へ行きシャワーを浴びた。転移をすれば、基本的には汚れや濡れたものも全て元通りになるはずなのだが、どうも先ほどのユートレアの城の大量の埃を思い出すと、自分が汚れているような気分になったからだ。
浴室から出ると、何やら廊下で話し声が聞こえた。
ふとベッドのサイドチェストの上にある時計を見ると、まだ夜の9時だ。
僕とニコラスの部屋には誰もおらず、もしかしたらまだ皆ダイニングにいて食事をしているのかもしれない。そう思った僕は髪を整え、服を着て部屋を出た。
『ドスン』と僕の体に何かが当たった。
「ん?」
「あっ、お兄ちゃん。」
僕を見上げるその緑の瞳と濃い金髪は、つい最近見た『マリアンジェラの彼氏ノア』の姿だが、声は聞きなじみのある声だった。
「お、おまえ…なんでそんな色の目と髪に…」
「あっ…」
慌てたその子は僕の手を一瞬ギュッと握ってすぐ離したかと思うと、子供部屋の方へあわてて走って行った。その一瞬で僕は理解した。ノアという名でマリアンジェラが連れて来た子は過去の僕だということを…。この前自力で解決できないことを成すために現在の僕が呼び出されたあの頃の僕、ライルだ。
しかし、もしそうだとしたら、おかしなことが多い。僕にはあの年齢の子供の頃に、このイタリアの家で大きくなった自分とぶつかった記憶も、ましてや、マリアンジェラとフロリダのテーマパークで遊んだ記憶もないからだ。僕は内心、これについてはこっそりと調べる必要がありそうだと思った。
ダイニングに行くと、マリアンジェラ以外の皆が席に座ってデザートを食べ終わり、食器を片付けているところだった。
「ただいまー。」
僕がそう言うと、一瞬皆の動きが止まり、僕の方を一斉に見た。
「お、おかえりライル…ずいぶん早かったじゃないか…。うまくいったのか?」
そう言って立ち上がり僕に近づいてきたのはニコラスだ。少し声が上ずっている。
「いや、全然ダメだった。コネもないし、やたらとメディアは危機感だけ煽っているようだったよ。」
「それで、何か他に収穫はあったのか。」
アンジェラが心配そうに僕に聞いた。
「うーん…一応あっちの朝霧の大人たちとは話し合いをしたんだ。それで、こっちでは封印の間に避難するって話をしたんだけれど…」
「そうか、あっちにも封印の間はあるのだな…」
「あるにはあるんだけど…」
「何か問題でもあるのか?」
「あっちの世界では、JK瑠璃しか転移できないんだけど、どうも能力が限定的すぎて、自由にどこにでも行けるわけじゃなさそうなんだ。」
「だが、封印の間ならユートレアの王の間からでも入れると言っていなかったか?」
「そ、それが…」
僕は、あっちの世界のユートレア城が廃屋同然で、中は荒れ果て、しかも徠太やおばあ様や留美は室内からのルートでは入口が開かないことを説明した。
「ふむ…確かに試したことはなかったのだが、それは困ったな。」
「そうなんだ、まさか自分達だけ避難して、おばあ様、留美さん、徠紗や徠太を置いて行くなんてことできないだろ?」
僕がそう言うと、皆もがっくりと肩を落とした。
「やはり、干渉できることには限りがあるな。きっと彼らもわかってくれるだろう。」
アンジェラがそう言ってこの話題は一旦終了となった。
廊下でバタバタと走る足音が聞こえたかと思うと、マリアンジェラがひょこっと顔を出した。
「およ…帰ってくるの早かったね、ライル。」
「マリー、どこに行ってたんだ?」
「自分たちのお部屋よ。」
「ふーん」
僕はさっき廊下でぶつかった小さいライルを連れてきたのがマリアンジェラだと確信して敢えて聞かなかったのだが…マリアンジェラはまるで気にしていない様子だ。
「ねぇ、パパぁ、今年のクリスマスってどこでパーティーするの?」
他の者のことなどお構いなしにマリアンジェラがアンジェラに質問した。
「うむ…まだ決めてはいないのだが…聖マリアンジェラ城はどうだ?また親戚を呼んで全員で集まるのがいいのではないか?」
マリアンジェラの表情が『ぱあぁ』と明るくなった。
「わーい、マリーのお城でクリパ~、やっほーい!」
「やっほーい。」
「ほーい」
アディとルーの合いの手である。多分、意味は解っていない。
「あ、それ私も賛成~。洗い物とか買い物とかしなくていいって最高~。できれば1週間くらい行きたーい。」
リリィがアンジェラの腕に頬をこすりつけてアピール中だ。
「おぉ、そうだな、スケジュールの調整をしておかなければいけないな。アンドレ、出来るか?」
「承知した。12月22日あたりから年明けくらいまででいいだろうか…」
「詳細はあとでメッセージを送ってくれ。あと城の管理者にも通達を頼む」
「わかった。」
僕が適当に空いている席に座ると、僕の前に小さい歯型がくっきりとついた切り分けられたターキーレッグが載った皿がリリィによって置かれた。
「ライル、ごめんね。ライルにとって置こうって言ったんだけど、ルーがどうしても味見をするって聞かなくて…。」
「ははは…。僕さっきご飯食べたよ。でもありがとう。」
「今お腹空いてなかったら、このターキーでサンドウィッチでも作っておこうか?」
「そうだね、お願いできる?」
「もちろんよ。」
リリィはルーの歯型のついたターキーレッグをスライスし、やわらかめのフランスパンにバターとマヨネーズなどを塗り、レタスやスライスチーズをのせてサンドウィッチをいくつか作った。リリィは皿に載せたサンドウィッチにラップをかけ、冷蔵庫に入れたよと僕に言うと、半分夢の中に突入してうとうとと揺れているアディとルーを抱きかかえ、二人を寝かせてくると言ってその場を離れた。
リリアナも子供達を連れて自室へ戻り、ミケーレとマリアンジェラもアンジェラに言われて部屋へ戻った。
気づけば、大人の男プラス僕という状態でダイニングに残っている。
シーンと静まり返った空間で、急にニコラスが咳ばらいをした。
「ご、ごほっ。あ、えーと…ライル。いつもすまないね。君にばかり負担をかけてしまって。そ、そのなんだ…自分の非力さに嫌悪感を覚えるよ。」
かしこまった感じでそんなことを言われ、拍子抜けしたが、僕はなんだかニコラスの言葉が少し嬉しかった。
「ニコラスだって、アンドレだって、アンジェラだって、自分の出来ることを精一杯やってくれてるじゃないか。僕は僕に出来ることをやっているだけだよ。」
「ライル…。」
僕の側にそっと近づき、ニコラスは僕の肩に手を乗せた。手を乗せたところがすごく温かいと思った。
そんなニコラスが、スマホを片手にライルに動画を送ってきた。
『ピロンッ』
「ん?何、動画?」
僕がニコラスの顔を見てそう聞くと、ニコラスは少し目を伏せて頷いた。
時は少し遡り、僕がもう一つの世界に地球への接近が予測されている惑星についての現状確認をするため行った直後、アンジェラとアンドレ、そしてニコラスはアンジェラの書斎で話し合いをしたのだった。アンジェラが二人に懸念している内容をぶつけた。
「なぁ、最近だが…マリーがよく過去、9年前と言っていたか、その頃のライルによく会いに行っているだろう。」
「アンジェラ、そのことなんだが、ライルにそのことを言おうとすると、自分が何を話そうとしていたか忘れてしまうんだ。」
「ニコラス、おまえもか…」
「アンジェラもそうなのか?」
「あぁ、二人の動画をライルに送ったんだが、そのことをさっきまで忘れていたり、さっきもそうだ…。マリーに、もう過去のライルを連れ回すのはやめるよう言おうと思い話しかけたのだが、そこにあの子がいると言葉が出て来なくなるのだ。」
「マリーに暗示をかけられているのではないか?」
最後にそう言ったのはアンドレだ。
アンドレが最近日本の朝霧邸に週に3度は子供たちの幼稚園への送り迎えで行く機会があるのだが、未徠に誘われ夕食を共にすることも多いのだと言う。
その滞在している時に知り得た事実というのが、徠紗がライルの部屋から勝手に持ち出したライルの日記帳の存在だ。
「その日記帳なのだが、丁度9年前くらいの時期の事が書かれていて、必ずマリーが出てくるんだ。そしてチェキで撮った写真が貼り付けてあったり、楽しそうにその日あったことを綴ったりしているのだが…」
そう言いながらアンドレは顎に手を当てて考え込んだ。
「どうした。アンドレ…その日記が何か変なのか?」
「あぁ…、チェキが貼ってあるのにも関わらず、ライルは『マリーと遊園地に行った夢を見た』と書いてあったんだ。他の日付のものも同様に、『マリーと遊ぶ夢を見た』『父様がやさしく抱っこしてくれた夢を見た』という風に全部夢だと書かれているのだ。」
「では、過去のライルは全ての事をただの夢だと思っているのか?」
アンジェラがそう言うと、ニコラスが『ハッ』とした顔をして立ち上がった。
「いや、きっと何も覚えていないんだと思う。マリーの仕業に違いない。」
「うぅむ…、どう対処すべきか…難しいところだ。マリーは私達が何人束になっても相手できるような子じゃないからな。」
アンドレがそう言うと、アンジェラとニコラスも同意した。
「なら、私からライル本人に話してしまう…というか、本人を前にしなければ今みたいに話せるかもしれないならば、ビデオでも撮って送ればいいのではないか?」
三人の意見は一致した。
アンドレやニコラスの様に過去から現代に連れてきて生きている場合とは違い、過去に生きているライルに与える多大な影響を考えると頻繁に接触するのは控えるべきだと判断したのだ。ニコラスは少し照れながらも、その場でアンジェラにビデオを撮ってもらい、ノアという名で度々マリアンジェラと交流している男の子が過去のライルであるという事実を伝えるように話したのだ。
僕がニコラスから送られてきたビデオを見終わるまでの時間、せいぜい2分ていどだったが、三人の男たちがじりじりと僕との間を詰めて近づいてくるのがわかった。
「はー…見終わったよ。えっと…ノアが過去の僕だってのは、気づいてたけど…」
「な、なにー、知っていたのか?」
アンジェラが目をぱちくりして動揺を隠せない様子であたふたしている。
「ははっ、実はさっき廊下でぶつかったんだ。過去の僕と…でも僕は当時、未来の僕にイタリアの家の廊下でぶつかった記憶なんてないからね。」
「…さっき…、さっきか?あの子はいたか?」
アンジェラがそう言うと、ニコラスもなんだか曖昧な記憶を辿りながら言った。
「確かに席は全部埋まっていたような気もしますね…。」
「どうやら私達全員が、完全にマリーに精神操作をされていそうだな…。」
アンドレは冷静にそう言った。
「はぁ…どうしたらいい?」
アンジェラは一呼吸おいてから、目を瞑って、誰に問うでもなくそう言った。
「じゃあ、僕がマリーに過去の僕に会いに行かないように暗示をかけるよ。」
「大丈夫だろうか?」
「任せてくれていいよ。それに、実は大天使から、命の危険にさらされていない限り、未来には行かないように釘を刺されているんだ。それを破ったことになるぞと言えばマリーでも言うことをきくはずだ。」
「そ、そうだな…。ではライル頼むぞ。」
三人は少し申し訳なさそうで、少しホッとした表情をした。




