672. 音源とレポートと洗濯物
10月23日、月曜日。
土曜日の朝から午後にかけてCMの追加撮影があったのが2日前だ。
どこからどう見ても、家族を含めた悪だくみ要素の強いドッキリ企画だと思ったのだが、撮影の後に種明かしも何もなく、普通に解散となった。
どうも腑に落ちない。しかし、僕の心配をよそに、撮影したCMは編集され、シリーズの4本目の最後の部分に追加されていた。
プロポーズ後にどうなったかわかるようなカットとして、誓いのキスのシーンと二人で退場するシーンがわずかだが使用されていたのだ。
エキストラとして撮影に加わったニコラスはじめ家族たちの姿は、顔以外の部分的な映り込みはあったが、誰なのか判別できない程度のものだった。
そして、なによりオカシイと思うのは、その時の写真やVTRをまるで娘の本当の結婚式の記録のように見つめる家族の姿だ。
VTRが送られてきたのは今朝の事らしい。CMとは関係のない、結婚式の最初から最後までを撮影したものを、なぜかCM撮影の監督がアンジェラに送って来たそうだ。
アンジェラから僕にメッセージが届いたのだが、その内容が意味不明で、思わず講義終了後に慌ててイタリアの家に戻ってきたところである。
最近はアメリカの家で皆で集うことが多かったため、イタリアの家で皆に会うのは久しぶりだ。僕は自室のクローゼットに転移して、まずは自室の中に入った。
部屋は現在ニコラスが一人で使っているのだが、ニコラスは部屋には居なかった。
部屋から出てアンジェラの書斎を覗いたが、アンジェラもいない。
書斎の向かい側のアトリエを覗くと、ミケーレが真剣な顔で絵画の制作中だった。
アンジェラもそこに同席していて、あれこれとアドバイスをしている。
「ただいま…」
「おっ、ライル、どうしたのだ?」
「あ、アンジェラにちょっと聞きたいことがあってさ」
「ん、なんだ?」
アンジェラがソファから立ち上がり僕の方へ歩いている時にふとミケーレが製作中の絵画に目が行った。
「あ、あれ?この絵ってアメリカの家に飾っているのと似てるね。」
「気づいたか?実は、あの絵は出来上がってから過去に持って行ったのだ。家のお披露目に間に合わせるために、リリアナのアイデアでな。」
「そうだったんだ…。なんだか複雑なことをしてるんだね…。」
僕とアンジェラはそのままアンジェラの書斎に移動して話をすることにした。
「で、話とはなんだ?」
「アンジェラが今朝メッセージを送って来ただろ『お前の選択を支持する』って…。あれどういう意味?」
「…。うむ。あれはだな…私が徹夜で仕上げた曲をお前が歌うか歌わないか…選べという意味だ。」
「はぁ?」
どうやらCMの音源を結局頼まれたらしく、急遽作った曲を誰に歌わせるか悩んでいたらしい。
曲はデモ音源が出来てから判断するということで、その場では返事をしなかった。
正直に言うとアンジェラが歌った方がヒットするのだから、僕がわざわざ恥ずかしい思いをすることはないだろう。
その後、アンジェラのタブレットに保存されている結婚式の様子を撮影したビデオすべてを見せられた。
CM用に撮影されたVTRなどはアンジェラの会社が所有権を持つらしく、CMで使用された部分以外は世の中に出回ることはないらしい。
よかった…。16歳で結婚とか黒歴史になっちゃうよ。
恥ずかしさが絶頂に達した頃、マリアンジェラ達が帰宅した。
どうやらミケーレは絵画の制作のため一足先に帰宅し、他の子供達とニコラスとリリィはアメリカのスーパーで買い物をしてからの帰宅だったようだ。
「やっほー、今日はでっかいチキン~」
マリアンジェラの声である。
「マリー、それはチキンじゃなくてターキーですよ」
ニコラスの声である。
「およっ。毛が生えてないと同じにしか見えないよねぇ」
「毛じゃなくて羽ですけどね」
「あははーーーー、そだった。毛生えてるのは、ネコとかパパとかだね…」
いやいや、お前も毛くらい生えてるだろう…。心の中で大笑いしつつ、アンジェラをチラッと見ると、なんだかニヤニヤしている。いや、誉められてないから…。
僕は、終わらせなきゃいけないレポートもあったので、今日は食事は寮の食堂で済ませると言い残し、寮に戻ったのだった。
寮の部屋でレポートをどうにか終わらせ、気づくとすでに深夜2時。
夕食どころではない時間になってしまった。
そんな時、『ピロリン』と音がして、スマホにメッセージの着信があった。
アンジェラからだ。夕方話していたCMのデモ音源ができたので聞いてほしいというものだった。
その直後、ファイルも送られてきた。
曲は静かで寂しげな落ち着いた曲だ。
シンプルにピアノだけで演奏されており、歌も入っていた。
アンジェラが自ら歌っている。
♪いつもの朝 いつもの笑顔 いつものぬくもり
♪いつまでも変らない そう信じていたあの頃
♪いつかまた 君にふれることが かなうのだろうか
♪いつまでも変らない そう願っていたあの頃
♪別々に時が流れ 心が離れたとき
♪ささいなことで 口をつぐみ 目をそむけた二人
♪きっと僕の弱い心が 君を傷つけて
♪取り返すことのできない何かを 手放してしまったのだろう
♪もし神がいるのならば 最後に聞いてほしい
♪僕の願いはただ一つ 君の笑顔なのだと
♪夏の日差し きらめく波 こぼれるあなたの笑顔
♪いつまでも変らない そう信じていたあの日
♪いつかまた あなたとともに 笑い合えるかしら
♪いつまでも変らない そう願っていた二人
♪気が付けば時が流れ あなたが遠くなった
♪ただすれ違いが お互いを 傷つけ合った二人
♪きっと強すぎる想いが あなたを縛り付けて
♪取り返すことのできない何かを 手放してしまったのだろう
♪もし神がいるのならば 最後に聞いてほしい
♪私の願いはただ一つ あなたの幸せ
♪どんな言葉 投げかけても もう元には戻れない
♪いつからかわかってた その日がくることを
♪時には気づかぬふりで ただあなたを想い
♪たった一度の勇気さえ ふるうこともできずに
♪きっと私があなたを 愛しすぎていたのね
♪うまくいかない言い訳を 作り出してしまったのだろう
♪もし神がいるのならば 最後に聞いてほしい
♪私の願いはいつまでも あなたに愛されること
♪もし神がいるのならば 最後に聞いてほしい
♪僕の願いはいつの日か また君を抱きしめること
以前のCMの時みたいな短いフレーズではなく、結構な長さだ。あのCMのストーリーから連想した内容なんだろうけど、重い感じが伝わってくる。相変わらずアンジェラの曲は聞くと切ない気分になる。
『悲しいけどいい曲だ。僕にはこんな心情わからないから、歌うのは無理だよ。アンジェラのヴォーカルが最適だと思う』
僕は速攻でそう返信した。アンジェラからはそれに対して返信はなかった。
数日が経ち、また週末を迎えた。
10月27日、金曜日。
いつもならアメリカの家で皆と一緒に過ごすところなのだが、レポートが多すぎて時間に余裕がなかったため、寮の部屋で講義の後も食事もとらずに必死で調べものをしながら机に向かっていた。
しばらくは良かったのだが、彼女と夕食をとったルームメイトが部屋に彼女を連れ込んでいるようで、ひそひそと話す声が気になって仕方がない。
僕は集中力の限界を感じ、朝霧の自分の部屋に移動することにした。
アメリカでは金曜の夜8時だが、日本では土曜の朝9時だ。おじい様の医院も父様の動物病院も土曜の午前は診療があるため、出払っていることだろう。
自室に転移し、机に向かう。
最初はよかった。静かである。調べものもはかどり、レポートもいい感じで書き終えた。
丁度書き終えた時、ふと視線を感じた。
ドアの方を見ると、徠紗がすき間から覗いていた。
「あ…。」
僕が声を発すると、徠紗はドアをパタンと閉めて逃げて行ってしまった。
うちの積極的な子供達ばかり見ているせいか、徠紗がものすごくシャイなようで心配である。僕は追いかけはせず、レポート類を片付け、そろそろ寮に戻ろうかと立ち上がった時、またドアが開いた。
すき間からまた徠紗が覗いている。
「徠紗、驚かせてごめん。僕もう帰るところだから…。」
僕がそう言った直後、徠紗は大きな声で泣き始めてしまった。
「うぅええぇえーん」
「え?なに…、えぇっ、泣かないでよ~。」
僕が徠紗の扱いに困っていると留美がやってきた。
「徠紗、どうしたの?あ、あらライル君、来ていたのね。」
「あ、うん。ちょっとレポートに集中したくて、寮がうるさかったもので…。」
「よかったらご飯食べて行かない?徠紗が起きたばかりでこれからなのよ」
「あ、でも…。」
「自分の家なんだから遠慮しちゃダメよ。リリアナ達はほぼ毎日来ているわよ。」
「あ、そうなんだ…。」
なんだか話の流れで朝ごはんを頂くことになった。
久しぶりのかえでさんの作った和食の朝ごはんだ。
食事を用意してもらい、留美と徠紗と食べながら少し話をした。
留美が言うには徠紗は朝起きた時、プリスクールから帰ってきたとき、寝る前に僕の部屋のドアを開けて、僕がいないかどうかを確認するのが日課なんだそうだ。
「徠紗は自分のお兄ちゃんがすごくカッコ良くて大好きだからいつも会いたいって思っているのよね。だからせっかく来たのにすぐ帰っちゃうって思って泣いちゃったんでしょ?」
留美の言葉に徠紗が少し顔を赤くしながらもコクコクと頷いている。
「あはは…」
ここは苦笑いするしかないよね。
「そういえば3週間くらい前にも来ていたでしょ?」
「え?」
「部屋の中から声が聞こえたから徠紗が覗いたらしいんだけれど、マリーとライル君がお話してたって言うのよ。だから中に入らずにいたらすぐにいなくなっちゃったって…。」
「ん?来た記憶ないけどな…。」
徠紗がモジモジしながら口を開いた。
「おにいちゃま、目が緑になってたからびっくりしたの」
「僕の目は青いよ」
「そうよねぇ…、徠紗が見間違えたのかしら…。」
「見間違えてないもん。マリーちゃんが『ライル』って呼んでたもん」
「…マリーもいたのか…」
むむっ…なんだか違和感しかないんだけど…。
結局ゆっくり一時間ほどかけて食事をとり、留美と徠紗と世間話をして過ごした。
留美にはもう少し頻繁に朝霧邸にも顔を出してほしいと言われた。
自分の部屋に戻り、寮に帰ろうとしている時、ふとクローゼットの扉が少し開いていることに気づいた。
扉を開けると、一度着た服がぐちゃっと丸めて放置されていた。
僕がまだ日本の中学に通っていた頃の少し今よりサイズの小さい服だ。
イタリアに行く前まで使っていた部屋のクローゼットの中は当時のまま、服も靴も全てそのまま保存されているのだが…。
一応ここからイタリアに行くときに全部洗濯に出したよなぁ…。
不思議に思いながらも、そのままクローゼットの扉を閉め、僕は寮に戻ったのだった。




