670. 軌道修正計画
10月20日、金曜日。
あっという間に週末を迎えた金曜日の夕方、僕は前日にアンドレから送られてきた週末のスケジュールを再確認していた。
『土曜日の朝8時からフロリダで追加の撮影』
そういえば、追加で撮影するって言っていたか…。先週末の撮影後にルームメイトたちが心配していたようなマリアンジェラと僕のスキャンダルはほんの少しの騒ぎ程度で収まった。
その理由が、あの緑の瞳の『彼氏』が、マリアンジェラと一緒にフロリダのアミューズメントパークでデートしていたのを目撃され、そしてその写真がネット上に上がったからだった。
皮肉な話だが、それが理由で僕とマリアンジェラの恋人説は消えたのだ。
講義を終えた僕はいつもの通り、リュックに最小限の物だけ詰め込んで徒歩5分のアメリカの家に向かった。
最近では、僕の姿もキャンパス内で見慣れたせいか騒がれることもなくなり、外を歩いても迷惑な行為を受けることも少なくなった。
足早に家へと向かい、すぐに家の中に入った。
入ったのだが…まだ誰も戻っていなかった。
いつもなら、子供達やニコラスが大騒ぎで出迎えてくれるのに…なんだか寂しく思っている自分に気づき少し恥ずかしい。
数分後、『バタン』と大きい音がガレージから聞こえたかと思ったら、すごい勢いでマリアンジェラが走ってきた。
「うわーーーー、ライルーーーーー、つっかまえたっ。」
そう言って僕の首にぶら下がる。重さで首がもげそうである。
「ぐえっ。マリー、つかまえたじゃなくて、おかえりとかただいま…じゃないか?」
「あ、しょっか…えへへ、ただいまーーー」
「おかえり」
マリアンジェラが嬉しそうに頷いて地面にストンと着地した。
マリアンジェラの後に続くようにアディも登場した。テトテトとかわいらしく歩いてきて、マリアンジェラの真似をして僕の首にぶら下がろうとしているのか、僕の足元でぴょんぴょんと跳ねている。僕がしゃがむとアディが僕の首に手をまわして僕の頬に『ちゅ』とキスをした。
「アディ…」
「らいりゅ、だいしゅき。」
「僕も大好きだよ」
アディは満面の笑みで僕の頭を撫でてくれた。マリアンジェラは特に気にした様子もなく自分のリュックをミケーレから受け取って子供部屋に置きに行った。どうやらニコラスが子供たちを連れてスーパーで買い物をしてきたようだ。
左手にルーを抱っこし、右手に買い物袋をぶら下げてガレージから家に入って来た。
「ライル、おかえり。早かったね。今日はバーベキューをするというので、足りないものを買いに行ってたんだよ。」
「それでいなかったのか…。」
「アンドレは本社でアンジェラと会議中だそうだ。リリィとリリアナは日本の朝霧の家に行っているんだよ」
「え?朝霧の家?」
「ほら、ライアンとジュリアーノが幼稚園のプリスクールに通い始めたんだ。それで昨日から泊りで行っているのさ。アンドレが仕事で行けないからリリィが一緒に行っているんだよ。」
「そうだったんだ…。みんな忙しいんだね。」
どう見ても一番大変そうなのはニコラスなのだが…文句も言わずもくもくと子供の世話をしている。
『ガチャ』と上の階のドアが開く音がして、リリィとアンジェラが出てきた。
「ニコちゃん、ごめんね~。助かったわ」
「おや、リリィ…今日は朝霧の家じゃなかったのかい?」
「あ、うん。アンドレの仕事が終わったからって連絡が来たのよ。だから交代したの。ライアンとジュリアーノは親子遠足なんですって。」
泊まり込みで行っていた原因は親子遠足だったらしい。
「ライル、明日の撮影にはアンドレも戻るはずだから、よろしく頼むよ。」
「あ、うん。大丈夫だよ」
アンジェラが僕に気を遣って声をかけてくれたのがわかる。
子供達が自分の部屋で荷物を片付けたのか、二階から手を繋いで階段を下りてきた。
ミケーレがルーと手を繋ぎ、マリアンジェラがアディと手を繋いでいる。
しっかりお兄ちゃんとお姉ちゃんをしている感じだ。ほのぼのしている。
「パパー、早くバーベキューしよーよ。マリーね、お腹ぺっこぺこ。」
マリアンジェラがアンジェラをせかすと、アンジェラは嬉しそうに準備を始めた。
バックヤードでアンジェラがバーベキューの準備をし、リリィがキッチンで他の料理をしている時、ミケーレがテレビをつけた。
ニコラスとゲームをしようと思ったようだが、また今日もタイミングよく、画面に『速報』の文字が表示され、政府の記者会見が始まったのだ。
ニコラスが慌ててアンジェラを呼びに行った。
家族で見守る中、テレビに映し出されていたのは、あの小惑星『アポフィス』に向けて航空宇宙局が数か月前に打ち上げた計12個の人工衛星のうちの一つがアポフィスに衝突するところをこの生放送で中継するというものだった。
アンジェラが家の中に戻ってきた。
「これは、以前見た放送で言っていた対策ということか…。」
「パパ、これね、実験も兼ねてるって書いてある。けっこう前から打ち上げて準備していたみたい…。」
アンジェラのつぶやきに対し、ネットで調べた情報をミケーレが補足する。
テレビの画面には、今回衝突予定の人工衛星を発射した時のVTRが流れ、その衛星が完全リモートで最速の移動を行い、『アポフィスの軌道』の上に誘導済であることが説明された。
小惑星が現段階で計算された軌道のまま進めば、月に衝突するという仮説があるため、月に衝突しないよう方向を少しばかり変えようというチャレンジなのだが…前例がないため、全てが手探り状態のようだ。
画面には天文学者達がシミュレーションしたと思われるアニメーションの様な動画が再生されており、その画面の左上の小窓には現在の人工衛星から撮影されている実際の状況が映し出されていた。
映し出されている映像は定期的にアングルが変わり、どうやら衝突する予定の人工衛星の他に、2機の人工衛星が少し離れたところから撮影のみを行っているようだった。
シミュレーションの動画によれば、『アポフィス』の通る予定の軌道上に当該の人工衛星が現在静止している状態で、そこに『アポフィス』を衝突させようとしているのだ。
『アポフィス』の直径は340mを超える大きさであり、それに対し今回の人工衛星は一辺の長さが20mほどの物だ。そして、『アポフィス』は秒速約17.27kmという高速で移動しているため肉眼でその動きをとらえることはかなり難しいと思われる。
同じ映像が繰り返し放送されている中、急に画面の映像が四分割され、1つには衝突する人工衛星から送られている映像が、そして別の2つには少し離れたところに位置した人工衛星からの映像が流れている。4つ目の枠にはカウントダウンの数字が表示された。
衝突まで約3分と表示されている。
いよいよカウントダウンの数字も残り3秒というとき、1つ目の枠の映像が一気に砂嵐になった。そして、2つ目と3つ目の映像も少し遅れて映像が乱れた。
画面には中継先の航空宇宙局と思われる管制室の映像に切り替えられた。
待機している学者の声だろうか、現在の状況を説明するような音声が流れた。
『アポフィスに人工衛星が衝突したことを確認しました。しかし、あまりにも高速であったため肉眼での観測は難しく、現在撮影した映像を分析しています。』
そして約10分ほど経った後、その映像が公開された。
スローモーション再生をした状態でほんの一瞬、1コマか2コマに写りこんだ小惑星アポフィスが確認できた。
「わぁ…これって、ものすごいスピードで飛んでるんだね…」
ミケーレがソファに座って画面を見つめるアンジェラに言った。
「そうだな、想像以上に速いし大きいようだな…。」
画面いっぱいに岩が映し出された次のコマはすでに砂嵐の状態だ。
このような高速移動している物体の軌道を割り出し、衛星が当たっただけでもすごい快挙と言えるのかもしれない。
管制室の映像に切り替えられたところで、航空宇宙局のスタッフ達が拍手をして喜んでいる様子が見えた。
放送の解説者によると、今後残りの衛星をぶつけるかどうかは、更に観察を続け軌道が変わったかどうかによるらしい。
移動距離が長い衛星であるため、ほんの少し変わっただけでも大きく通る場所が変わるということだ。
すぐに結果は出ないというので、今後も報道に注目していくしかない。
ほぼ終盤に差し掛かっていた『アポフィス』関連の報道が終了するのと同時にミケーレがゲーム機のスイッチを入れ、画面が切り替わった。
「にいちゃま、アディもゲームしゅる」
アディがニコラスの膝に座ってコントローラーを持っている。
「アディにできるかな…。これ結構難しいやつだよ。」
軽くミケーレに否定された後、アディは頬っぺたを膨らましてふてくされているようだ。
「むぅ」
そんなやりとりをしているうちにリリィがバーベキューが出来てるから食べに来てと言いに来た。
「あでぃ、うぃんにゃ~たべりゅ」
「たべりゅ~」
アディと起きたばかりのルーがニコラスに抱っこされてバックヤードに移動した。
子供達には小さなテーブルと椅子が用意されていた。
大人たちは皿を持って立食形式で食べ始めた。
焼かれている食材を見たアディが別の食べ物もオーダーした。
「パーパ、あでぃね、おっきいろぶすたーもたべりゅ」
「さぁ、いっぱいお食べ」
アンジェラはそう言ってステーキやロブスターを小さく切り分け子供たちの皿に盛りつけた。
「いっただっきまーす。」
「ま~しゅ」
マリアンジェラのいただきますの後に、アディも便乗したようだ。
子供達はたくさん食べて、たくさん遊んで、夜8時には皆就寝となった。




