654. 夢から覚めて
白い光が収まり、僕が目を開けるとそこはアメリカの新居の自室のベッドの上だった。
僕はベッドに入った時と同じ猫柄のパジャマを着てベッドの右側に横たわっていた。
その横ではニコラスが柄違いのパジャマを着て、すやすやと寝息を立てていた。
『夢だったのかなぁ…。まぁ確かに子供の時の記憶にあんな事件はなかったから…。』
僕は脳内でそうつぶやき、ベッドのサイドデスクに置いてあるスマホの時刻を見た。
時刻は午後3時…深夜過ぎに眠った記憶があるので15時間ほど経っている。
『うえーっ、これは寝すぎだよなぁ』
横に眠っているニコラスをそのままに、ベッドからそっと出てダイニングへ向かった。
家の中はシーンと静まり返り、まるで誰もいないようだ。
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、グラスに注いで飲んでいると、後ろから強烈なアタックを受けた。
『ガツッ』
「痛ってー…」
それは、涙で両方の目をパンパンに腫らしたマリアンジェラだった。
明らかに怒っている。
「マリー、急にその重いパンチくらわすのやめてよ。僕がなにしたっていうのさ」
僕が振り返りながらそう言うと、今度は両目からダバーと涙を流して僕に抱きついてきた。
「ら、ライルのバカぁ…」
「マリー、怒らないでよ。寝すぎて遊んであげなかったから怒ってるのか?」
「う、う、うぇっ、うえっ、死んじゃったかと思って、マリーも死んじゃうとこらった。」
「えー?何わけわかんないこと言ってるのさ。寝てただけだろ?」
そこにリリィが入って来た。
「あ、ライルいつ戻ったの?大丈夫だった?」
そう言ってリリィは僕の体をあちこち確認する。
「え?何が?マリーのパンチ?」
「何言ってるのよ、あなた一晩行方不明になってたのよ。」
「え?」
「え、じゃないわよ。夜中に体が半透明になって、核が見えなくなってて、息もしていなくて、みんな大騒ぎだったんだから。」
「なんのことかわからないよ…あ…えーーー?さっきのって夢じゃなかったのかな?」
僕はマリアンジェラとリリィに夢の中で過去に転移して小さいライルを助けたことなどを話した。
「そうだったの…。小さいライルに新しい能力が発現したのかしら…。しかも未来の自分を召喚するなんて…。ちょっと危険な感じがするわね。」
そう言いながら、リリィはマリアンジェラの目の周りの腫れに手をあてて治している。
「もしさっきのが夢じゃないとしたらだけど、かなり能力の使用に制限があったんだ」
「制限ねぇ…、それでよく戻ってこれたわね。」
「うーん、自分で戻ったわけじゃないみたいだ。過去の僕が満足したから解放されたという感じかな…。」
「そうなのね…。血液に触れるとその人の命の危険があるときに飛ぶのとちょっと似てるわね。あれも命の危険を回避したら勝手に元の場所に戻るでしょ?」
「そうかも…。あ、ねぇ他のみんなは?」
僕が効くとリリィが苦笑いをして言った。
「あはは…実はね、大丈夫だって言ってもみんなぐじゅぐじゅ泣き始めてライルのベッドの周りでお通夜みたいになっちゃったから、面倒になって眠らせちゃったのよ。」
「ええぇぇ…。」
「でもマリーには効かなくて、さっきまでライルのベッドでニコラスにしがみついて泣いてたんだけど、ニコラスが気持ちよさそうに寝てるの見たらムカツク~って言って私の寝室に来たのよ。」
マリアンジェラがティッシュで鼻をズビーッとかみながらコクコクと頷いた。
「だって、ライルが死んじゃうかもと思ってたら、ちびっこが来て連れて行っちゃったんだよ。どこに行ったか全然わからなかったんだもん。」
「ごめんよ、マリー」
「ライルのせいじゃなかったから、マリーもごめんちゃい。」
そんなこんなで一件落着となったのだ。リリィは家中に集まっている親戚一同を起こしに部屋を回っている。
僕が自室に戻った後、真っ先に僕の部屋に駆け付けたのはおじい様と父様だった。
「あの時のライルが今日のライルだったなんて…。」
父様はそう言いながら僕を抱きしめた。僕の子供のころの記憶にその事件がないのは謎だけど、どうやら悲惨な結末は迎えなかった様だ。
しかも、その後父様とおじい様が話してくれた事件の後日談には驚いた。
警察がGPSを使って臓器の運ばれた先を特定したが、それは中国の上海にある高級病院だった。いわゆるセレブがプライベートで高額の診療代金を支払って利用する病院だ。
国家間で犯罪摘発の協力関係を持たないため、臓器を受け取った方の立件は出来なかったが、城跡の地下で臓器を摘出した大学の研究者たちは拉致および殺人未遂、そして臓器売買で10年ほどの実刑が課せられたようだ。
当然のことだが、豚の内臓にすり替えられた臓器は人に移植されることはなく、移植を受ける予定だった4人は内臓疾患を治し更に不老不死を得るという誘い言葉に乗って一人10億円相当もの大金を払った挙句、無駄に自分の内臓に傷をつけ、危なく豚の生きの悪い臓器をつけられるところだったということだ。
C国国内ではニュースとして移植臓器が紛失と話題になったらしい。
日本で捕まったやつらはやはり怪しい宗教団体に関係しており、誰も臓器を奪った経緯などは白状しなかったらしい。尋問した担当刑事の話では、全員がまるで覚えていないかのように身の潔白を主張した様だ。しかし、臓器取り出しの映像が残っており、それが決定的な証拠になった。
本当に怖いやつらだ。多分、首謀者が実行犯を洗脳、あるいは記憶操作しているのだろう。
そして、城跡にある地下の建物についてだが、戦時中に防空壕だった場所をその宗教団体が見つけ勝手に構築したものらしいという情報が入った。
石田刑事がおじい様と父様の体が元通りになっていることは伏せたまま事件を捜査してくれたようだ。当然、あの時のビデオは石田刑事が持ち帰り誰の手にも渡らないように処分したとのことだった。
本当に起こったことだったんだ…。何だか、まだ少し夢の中での話のような気がしてならない。
ちなみに…聖ミケーレ城に用意されていて僕が着ていたスーツは、僕のベッドの中から脱ぎ捨てられた状態であるのをニコラスが見つけた。
そのスーツだが、リリアナがアンジェラに頼まれて城の建築時から定期的に過去の聖ミケーレ城へ送るよう手配していたそうだ。
ユートレアの時代から、相当な額の資金を従者の家門へ渡し食材を調達したり、男性用のスーツや洋服だけではなく、女性用の衣類や下着、子供服などはリリアナが幅広く用意して配置しているらしい。
なぜかとアンジェラに聞いてみたが、ニヤリと笑ってこう言った。
『急に天使がくることもあるかと思ってな。』
全く理解できないのだが、確か食べる物もいつでも用意できるような従者の話だった。
僕は結局その後でダイニングで夕食の準備をしていたリリアナにこっそり理由を聞いた。
リリアナは顔色一つ変えずにあっさり答えを教えてくれた。
『あぁ、それね。2つのお城は私達の言わば避難所みたいなものじゃない。全員で押しかけても1か月以上生活できるよう常に整えておくようにっていう話よ。元々はアンドレのお父様の指示だったんだけど、結局お金を出してるのはアンジェラなのよね。まぁ、勿体ないからもっとジャンジャン使った方がいいのよ。』
なるほど…知らないところでずいぶんと経費をかけていたんだな…。
リリアナもお取り寄せ番長だけかと思ったら、色々と仕事してるんだな…。
僕がリリアナから色々と聞き出していた時、マリアンジェラはちゃっかり僕の膝に座り黙って話を聞いていた。ただ話の内容には興味を示さず、僕にべったりと張り付いていた気がするけれど…。
リリィが全員を目覚めさせ少し経った夕方、みんなが変な時間に眠らされていたせいで、せっかくの親戚一同揃った休日を取り戻そうと深夜にかけてパーティーが始まった。
ゆっくり休んだせいか、全員充電しすぎなのかというほどのワイワイガヤガヤ大騒ぎの盛り上がり様だった。
特に盛り上がりを見せたのは、ダイニングの壁一面に掛けられた肖像画のお披露目だった。
食事をとりながら、アンジェラが皆に注目するように呼びかけ、壁にかかっていた布を取り払った。そこには、ミケーレがここ数か月をかけ描いた家族の肖像画があった。
アンジェラの指導のもと、ミケーレは巨大なキャンバスに、この新居を購入した時に撮った写真をを元に油絵を描いていたのだ。
中心に椅子に腰かけたアンジェラとリリィがそれぞれアディとルーを抱き、左手にアンドレとリリアナとその子供たち、右手にマリアンジェラとミケーレ、そして僕とニコラスがその背後に立っている。これはプリントして寮に飾っている写真とは立ち位置が違うものだ。
アンジェラは親ばか丸出しの誉めようで、ミケーレの芸術家としての素質を嬉しそうに語っていた。確かに7歳の子供が描けるような代物ではない。
アンジェラが持つ才能と同じものをミケーレが持っているのだろう。彼も将来画家として大成するのだろうか…。
大騒ぎの中、リリィがそわそわと行ったり来たりしていることに気が付いた。
「リリィ、どうしたの?」
僕が聞くと、リリィが僕の手を引いてキッチンのパントリーの中へ連れて行かれた。
他の者に聞かれたくないことでもあるのだろうか。
「ライル、ねぇ…マリー見なかった?」
「え?そういえば、夕食が始まってすぐにどっか行ったな…。上の子供部屋とかじゃないの?」
「それがいないのよ…。さっきから転移もできないの。」
僕等の能力の転移は、行きたい場所を思い描くか、会いたい人物を思い描くか、それに行きたい時代をつけ加えるのだが、人物を思い描いてそこへ到達できないというのは、今この時にその人物が存在しないということである。
念のため、僕も転移を試してみるが、リリィと同じようにどこへも転移できない。
マリアンジェラが消えたのだ。僕はリリィと二人でニコラスにもこのことを伝えた。
ニコラスは少し困惑した顔で僕たちに言った。
「多分、多分ですけどね。マリーは昔のライルに会いに行ってます。」
「え?なんで?」
「実は、さっき未徠と徠夢が話してるところを聞いちゃったんですよね。」
おじい様と父様があの『拉致』と『臓器摘出』の話をしていたのをたまたまダイニングで聞いたのだ。二人はその事件の直後のことを話しており、聞いていたマリアンジェラがガクガクを震えていたのを見たそうだ。
「どんな話をしていたんだ?」
そう聞いた僕に、ニコラスは少し目を伏せて話してくれた。
「事件の後、ライル…あの小さいライルが、それはそれは怯えてしまい、クローゼットの中から出てこれなくなったことがあったそうなんです。眠っている時もうなされて、気づけばクローゼットに隠れていたそうで…。マリーはそれがいつ頃だったか、二人に聞いていたんです。」
「マリー…その時のライルに会いに行ったのね。」
「多分…。」
それは、僕の記憶の欠落と関係しているとすぐにわかった。
僕たちは騒ぎ立てないで少し様子を見ることにした。マリアンジェラはしっかりした子だ。
きっと無事に戻ってくるはずだ。
1時間ほど経った頃、子供部屋の方から子供の泣き声が聞こえた。
マリベルが泣いているのだ。
リリィが慌てて子供部屋に行くと、子供のおままごとテーブルの上にドカンと置かれたフライドチキンの入ったお持ち帰り用のバケツと泣いているマリベル…そして口の周りが若干脂ぎっているマリアンジェラがいた。
「ちょ、ちょっとマリー、どこに行ってたの?黙ってどっかに行っちゃだめでしょ、もう。それに、なんでマリベルが泣いてるの?マリー、何があったの?」
「むぅ…。らって、マリーのチキンなのに、マリベルが黙って食べようとしたんらもん。」
「い、いや…チキンってどこから持ってきたのよ…。」
「かえでさんが持って行きなさいって言うからもらったの。」
「マリー、ちゃんと説明して、どこに行ってたの?」
マリアンジェラは隠す様子もなくリリィと駆けつけた僕とニコラスに話した。
過去のあの事件解決の翌日に転移して、朝霧の家に行ってきたこと。そこで小さい頃の僕に暗示をかけ、事件の記憶を消し、もう怖くないって思わせるようにしてきたこと。
ついでに小さい頃の僕と一緒にかえでさんと外に出かけて、チキンの大きいバケツを買ってもらったんだそうだ。
「ちびっこと一緒にチキン食べてたら、かえでさんに帰らなくて大丈夫なのって聞かれて、ちょっと慌てちゃった。」
それで、口の周りがギトギトのまま帰ってきたらしい。
どうやらチキンのバケツは2個買って、1つお土産で持たされたようだ。
「マリベル、ここで食べちゃダメらから、ダイニングで食べるんだよ。」
マリアンジェラはお姉さん口調でそう言うと、マリベルの手を引きチキンのバケツをもう片方の手で持って、ダイニングへと移動して行った。
その後は、当然のことながら、アディとルーを交え、チキン争奪戦が繰り広げられたことは言うまでもない。




