643. 家族からの贈り物
ホールで後片付けを手伝っていると、飲酒を控えめにしていた父様とおじい様が近づいてきた。
「ライル、遅くなってしまったが大学進学おめでとう。私達もとても鼻が高いよ。よくやったな。」
そう言って僕の肩をポンポンと叩くおじい様の笑顔を見た時、少しだが胸の奥が熱くなった気がした。おじい様がそのすぐ後ろにいた父様へ何かを指示すると、父様が荷物の中から、手のひらに乗るくらいの小さな箱を取り出して僕に手渡し言った。
「ライル、おめでとう。これは私と父さんからの祝いの品だ。受け取ってほしい。」
それまで黙って見ていたおばあさまが、早く開けてみてと催促するので、僕は少し恥ずかしいと思いながらもリボンを解き、箱を開けた。
そこには、加工されたガラスのケースに細い皮の紐が取り付けられており、チョーカーになっていた。そのガラスケースの中には淡い金色に輝く石が1つ入っていた。
「これは?」
僕がそう聞くと、おじい様が説明してくれた。
日本の朝霧家には、地下の書庫に隠し扉があった。確か、それは変わってしまう前の現実で見たことがあったと記憶していたが、今となってはあいまいである。
その隠し扉をおばあさまが偶然見つけ、中を皆で確認したというのだ。隠し部屋は江戸時代後期の緑次郎の時代からの物で、あの天使が舞い降りて娘を助けたという話が、緑次郎の日記として実際に残っていたり、緑次郎の孫に当たる徠牙が自宅の前で通りすがりの侍に鬼の子と言われ斬られ、その後神隠しにあった話など、細かに記されていたそうだ。
そして、緑次郎の娘婿であるアズラィールが息子徠牙を失った後、我を忘れ妻である鈴と、もう一人の息子を残しドイツへと帰国してしまったこと、そして数年の後、病死したと連絡があり、ドイツの親族から形見分けとしてこの石が送られてきたのだという。
元々は木箱の中にさらに瓶に入れられていたこの石には箱の蓋の裏にいくつかの注意がドイツ語で書かれていたそうだ。
「ライル、この石の入っていた箱の蓋に、変なことが書かれていたのだよ。」
おじい様が少し笑いながら言った。
「変なこと?」
そう聞き返した僕に答えたのは父様だ。
「あぁ、まず、これの名前は『神の涙』というそうだ。」
僕は、見たことのあるようなその石に、その名前を聞き思い当たったのだ。
「これ…多分、僕知ってますよ。僕たちは涙の石と呼んでいますけど。」
僕がそういうとおじい様と父様が顔を見合わせた。
「そうなのか?実は、左徠が研究所に持ち込んで調べてみたのだが、害がない程度の微弱な放射線を放っている以外は全くの未知の物であり、地球上に存在する物質ではないと言われたそうなのだが。」
「確かに…鉱物ではないですからね。本当に涙なんです。」
「そうなのか?」
「はい。あの封印の間で天使が流した涙が石になるんです。色は天使によるようですけど。」
「なんともそれはよくわからなくて当然というわけだ…。他にも、いくつか注意が書かれていたのだよ。直接触れぬこととか…」
「あはは…確かに触ると大変なことになるから…。」
そう、変わってしまった過去で経験したことは、彼らの記憶には全く残っていないのだ。
今回は涙の石について説明する必要がありそうだ。
「大変なこと?」
「えぇ、涙が止まらなくなるんです。そして、その涙を吸って石が大きくなり、異次元へ飛ばされます。」
「なんと…そんな危険な物だったのか…。」
そこにいた朝霧の家族全員が僕の発した予想外の言葉に驚いたのは言うまでもない。
父様が確認するように僕に質問してきた。
「じゃあ、ライル…知っていたら教えてくれないか。その注意書きには続きがあって、許されし者のみが使うことができると書かれていたのだ。これを使うとはどういう意味なのか。」
「うーん…異次元に飛ぶ以外に使い道があるとは思えないですね。」
「そうなのか…、異次元となるとかなり危険な物である気もするが…。」
父様はそれが危険な物であれば、渡すべきではないと考えているようだった。
石はガラスの容器に入っており、割って出さなければ直接触れることもない。この状態なら特に問題がないと判断し、僕はそれを受け取ることにした。
「おじい様、父様、ありがとうございます。」
「ライル、本当に大丈夫なのか?」
僕はクスッと笑って何の躊躇もなくそのチョーカーを首に着けた。
「お、おい。ライル…石が…石の色が…。」
慌ててチョーカーの石の部分を指さす父様の指さした先を、そう、僕は自分の首元を見た。さっきまでただの金色の球だった涙の石が、動いている。
いや、実際には動いているのではない。まるで惑星のガスが、惑星の表面を覆い流れるように流動しているのだ。
「あっ…、僕、それ色違うけど見たことあるよ。」
急に声をあげたのはミケーレだった。
「ミケーレ、説明してみなさい。」
それまで黙って見守っていたアンジェラがミケーレに説明するよう言うと、ミケーレが少し小声で話始めた。
「パパのね、涙の石も同じようにぐるぐるって回ってるのがひとつあったんだ。すごくきれいだから触ってみたくなって、触っちゃったの。そしたら…」
「「そしたら?」」
おじい様と父様が食い気味に同時に聞いた。
「ここに、石が飛んできて…」
ミケーレはそう言って自分の額を指さした。
「「それで?」」
ミケーレがアンジェラの方をチラッと見た。怒られるのではないかと思い、言うのを躊躇しているようだ。アンジェラはそれに気づいたのか、優しい声で言った。
「怒らないから言ってごらん。」
「う、うん。あの…石がおでこにグーッって食い込んで行って、取れなくなったの…。」
おじい様達は皆、理解できていないようでキョトンとしている。
「あー、僕から説明しようか?」
僕は、ミケーレの言葉を補足するつもりでミケーレの前髪をサラッとよけ、ミケーレの額を皆に見えるようにして言った。
「アンジェラの涙の石が、ミケーレの額に吸収されて、それによってミケーレの新しい能力が発現したんだよ。ほら、ちょうどこの辺り、よく見ると少し丸く盛り上がっているだろ?」
おじい様がミケーレの額を触って、固まっている。
「確かに少し膨らんでいるような…。しかし、大丈夫なのか?」
「当時はちょっと混乱したけど、制御できるようになってからは特に問題はなさそうだよ。」
僕がそう答えても二人は心配そうに僕の方を見つめている。
「ううむ…。やはり危険なのではないか?」
そのおじい様の言葉に、ちょっと皆が反論できずにシーンとしてしまった時だった。
ミケーレに異変が起きたのだ。
「ううぅ…」
そう言って、少しのけぞるような体勢を取ったかと思うと、体がむくむくと大きくなり、突如として空中に浮きあがった。
「み、ミケーレ、大丈夫か?」
まさしく、額に埋まった涙の石の影響で、ミケーレが青年へと成長した姿になり、髪も伸び、そして第三の目の様に、額の皮膚が上下にぱっくりと割れ、青い涙の石がまるで大きな瞳の様に目の前に現れた。
空中に浮いたミケーレは、本人の意思とは関係なく言葉を発し始めた。
『ライルよ、決断の時が迫っている。』
「決断って?」
僕は思わずミケーレに聞き返した。
『…』
しかし、ミケーレが次に口を動かした瞬間、目の前にすごい勢いで何かが飛んできて、ミケーレの額を抑えつけた。
「な、なに?」
それは、翼を出した状態で飛んできたルーだった。ルーはミケーレの首にしがみつき、額を抑えている。そして、ほんの数秒後、みるみるうちにミケーレの体のサイズが縮んで元の大きさに戻り、浮いていたからだがゆっくりと床に落ちた。
「ルー、何をしたの?ミケーレは大丈夫なのか?」
僕が駆け寄ってミケーレを抱きかかえるとルーはミケーレの額から手を離した。
そこにはもう青い石は見えなくなっていた。
ルーが僕の手を触って頭に直接話しかけた来た。
『ライル、すまない。ミケーレに入り込んでいた石は消滅させた。これは起きてはいけないことだったのだ。』
「で、でもミケーレのこの能力のおかげで、今まで何度も助けてもら…」
僕の話の途中で、ルーは僕の唇に小さな手をのせ話を遮って言った。
『まれに発現するこの石を体内に取り込んでしまうと、すぐにではないが、おのれがおのれではなくなってしまうのだ。』
「でも、ミケーレが使っていた能力はどうなるの?」
『先ほどのミケーレの大きさにまで成長した時に得る能力なのだ。失われたわけではない』
「ルー、じゃあ、この金色の石も危険なのか?」
僕がそう聞くと、ルーは僕の首にかかっているチョーカーのヘッドの部分に手を当てた。
そして、少し眉間にしわを寄せて小さな声でつぶやいた。。
『…。わからぬ。』
その後もルーが少し涙の石について話してくれた。あの、『涙の石』は強大なエネルギーを固めた物質と言っても過言ではないそうだ。僕たちが知っている通り、天使があの異空間である封印の間で流した涙であることは間違いない。しかし、地球の地上に下り生活している僕たちのような天使にはそれを生み出す能力はなく、最低でも最終覚醒状態になければ涙が石になることはないというのだ。
まぁ、アンジェラの様な例外もあると知り、逆に驚いたそうなのだが…。
涙と言うだけあって、天変地異や戦争、普通の人類には対応できないような事件や精神を崩壊させるほどの悲しみにでも直面しない限り封印の間の天使の像に触っても何も起こらないのが普通らしい。
そして、ルーからの注意点が1つ。
自分の涙の石を吸収しても悪いことは起きず、その場限りの強大な力を発揮できることがあるが、他の者の涙の石を吸収してしまうと、ミケーレの様に、今後発現する予定の能力を前倒しに使えるようになる半面、他の者の精神が侵食してしまい、精神を崩壊しかねないというのだ。
ここで触れた『強大な力』について、ルーは少し言葉を濁した。
神がその時々で必要と思う力に変換されて何かが起きるのだと。
その神、本人であるはずのルーでさえ、どんなことが起きるのかはわからないというのだ。
周りの人にはルーの言葉は聞こえてはおらず、僕が一人で赤ちゃんに難しい話を問いかけているように見えるのだろう…。アンジェラが僕の肩に手を置き、そっと耳元で言った。
「そろそろルーは寝かせないといけない時間だ。」
「あ、あぁ、ごめん。僕がルーを子供部屋に連れて行くよ。」
「そうか…頼んだぞ。」
僕はルーを抱き上げ、子供部屋の方へと向かったのだった。




