639. キンダーの発表会
僕が大学の講義に向かっているちょうどその頃、リリィはマリアンジェラとミケーレの着替えを終え、キンダーに向かって徒歩で移動していた。
リリィは、二人のあまりの可愛さにスマホで撮影しまくり、次から次と写真をアンジェラに送信中である。
そして、会議中であるはずのアンジェラからは、それにいちいち誉め言葉が返信されていた。
かなりのバカ親っぷりである。
「もぉ、やだ~、マリー、可愛すぎっ。私もこんなの着てダンスとかしたかったなぁ~。」
「ママ…マジで言ってるでしょ。でも、マリー、この衣装気に入らないのよ。」
マリアンジェラはリリィのことをよく理解している、リリィ外見は大人だが、中身はかなり幼稚なところがある。
多分、本気でそう思っているに違いない。
「ママ、ママはそういうの着なくてもとってもきれいで可愛いから、大丈夫だよ。」
「え?そう?なんだかミケーレに言われるとうれしくなっちゃう。」
ミケーレの本気の誉め言葉に、リリィは頬を赤らめた。
いつも通りニューヨーク郊外の家から5分歩いて到着したキンダーの昇降口は、いつもと違ってにぎやかだった。
通常であれば、ニコラスがキンダーに二人を送ってくれているのだが、さすがに『発表会』に親が来ないということはあり得ないだろうと、ニコラスにアディとルーの世話を代わってもらい、やってきたのだ。
「うわぁ、みんな気合い入ってるねぇ。どんなの披露するんだろ…。」
リリィがそうつぶやくと、ミケーレが昇降口の中央のテーブルの上に置いてあった紙を持ってきた。
「ママ、これ、今日の予定が書かれたやつ。」
「ありがと、ミケーレ。」
リリィが内容を確認している時、キンダーの先生から声がかかった。
『皆様、お待たせしております。只今より、ホールの方へ移動いたします。衣装に着替えて担任の先生のところに集まってから移動してください。』
どうやらこの催しは、ホールで行われる様だ。
マリアンジェラとミケーレに手を引かれ、リリィは一人の先生のところに移動した。
恥ずかしながら、リリィは今年の子供たちの担任とは初めて顔を合わせたのだ。
「マリーちゃん、ミケーレ君、おはようございます。」
「「カレン先生、おはようございまーす。」」
「おはようございます」
リリィが二人に続いて挨拶すると、その担任の先生が話しかけてきた。
「お二人のお母さまですか?ずいぶんとお若いのですね。」
「いえいえ、そんなに若くはありませんよ…。ホホホ…。」
母として場慣れしていないため、かなりぎこちない感じになってしまっている。
「ママ、ちゃんと見ててね。ぼく、がんばってこの役もらったんだから。」
「うん。ちゃんと見ておくよ~。」
演目は当日まで秘密とされ、キンダーの中でのみ練習したそうで、衣装も前日に渡されたのだった。
ミケーレはどう見ても『王子さま』の衣装だ。そして、マリアンジェラは『鳥』?
白いふわふわの鳥の羽がくっついた着ぐるみ状態だ。
リリィはさっきミケーレに渡された式次第の書かれた紙を見た。
『年長さん 演劇 11時から』
どうやら、始まるまで、本気で内緒にしておきたいらしい。ダンスだとばかり思っていたが、演劇だということだけ、わかった。
「全員、そろいましたので、年長さん、移動しますね。」
カレン先生の声に、子供たちが元気よく返事をし、保護者も含めぞろぞろと移動を始めた。
ホールに到着すると、年長さんの座る椅子の後方に保護者は誘導された。
「年長さんの演劇は3つ目の演目なので、それまでは静かにほかのお子さんの演目を楽しんで下さい。」
そう言って、先生はステージの横の方へと行ってしまった。
時刻は午前9時、いよいよ最初の演目が始まった。
まずは、年少さん達の、ダンスが披露された。そんなに人数の多いキンダーではないが、5人ほどのグループに分かれ
別々の曲に合わせたダンスを踊る。
一つは今どきのヒップホップ、そして次はミュージカル風の『ドレミの歌』、チアリーディング…そして、創作ダンスなのだろうか某有名アミューズメントパークのネズミのような耳を付けた子供たちがクネクネと踊る。
クオリティはともかくとして、一生懸命さが伝わってきて、とても楽しい。リリィは子供たちの姿に胸が熱くなるような気持になった。
入口に『ビデオ・静止画の撮影は禁止です』と書かれていたので、撮影ができないのが残念である。
それぞれ5分程度の演目だが、入れ替えや何やらで時間がかかり、予定通り年少さんだけで1時間かかった。
そして、年中さんの演目である。子供たちが舞台の右からぞろぞろと連なって歩いてきてステージに並んだ。
そして、一番左の子から順に、暗記したのであろう文章を、ジェスチャーを交え堂々と発表し始めた。
それは一人ひとり様々だった。
『自分の飼っている猫』のことを話す子もいれば、『将来、医者になってみんなを治す』と宣言する子まで、自由で自主性を感じる発表だった。衣装というほどではないが、ビビッドなカラーのTシャツを着ており、その前面と後方に自分でイラストを描いたそうだ、最初に子供自身の好きな色だと説明のアナウンスがなされた。
日本の幼稚園ではどうなのだろう…リリィは少し頭の中で考えを巡らせたが、何も思い出せなかった。
そして、いよいよマリアンジェラとミケーレの出番だ。
カレン先生ともう一人の男の先生が迎えに来て、年長さん達は元気よく行進していった。
一度幕が下り、そして幕が上がると、大道具というべきなのか、椅子の背もたれにくくり付けられた段ボールには紙が貼られており、木や、お城の絵が描かれていた。
さっそく、ミケーレが登場した。
お城の大道具の前で、ミケーレとそのほかの出演者がスムーズに演技をしていく。
『ミケーレ…さすが、リアル王子様ね。』
心の中で、リリィはそう思いつつ、細かなことでも見逃してはいけないと真剣に演劇を鑑賞していたのである。
リリィはあまり演劇には詳しくはなかったが、途中、ミケーレが演じている王子が、湖のそばで狩りをしようとしたときに、いよいよあの、羽毛が張り付いた着ぐるみを着たマリアンジェラが湖の中央に登場した。
そして、ライトが少し暗くなり、陽が落ちようとしている演出がなされた頃、その着ぐるみ…いや、マリアンジェラが演じる白い大きな鳥は人の姿へと変身したのである。
といっても、着ぐるみのジップを下げて、脱ぎ捨てただけなのだが、手前に生えているように置かれた草の陰にうまく隠れていて、実にスムーズに変身したように見えた。
ここでようやく、リリィにはこの演目が何かわかったのだ。
これはバレエで有名な『白鳥の湖』だった。
呪いで白鳥にされたオデット姫がマリアンジェラ、そしてジークフリード王子がミケーレだ。
バレエの白鳥の湖は全て踊りで表現されるが、さすがにキンダーの発表会では、それはなかった。
セリフと演技でストーリーが展開する。
ほぼ二人の演技で成り立っている状態だ。他の子供たちはその他大勢というか、セリフがない子もいる。
それでも、一人ひとりが注目を浴びるよう、要所要所にミュージカル調の踊りをいれたり、独り言のようなセリフが入ったりしていた。
ストーリーが展開し、いよいよ終盤というとき、リリィはこのお話は悲しい結末であったことを思い出した。
王子が魔王を倒したが、姫の呪いは解けなかった。そして、二人はそれを悲観し、湖に身を投げる。
そんなことを思い返していたその時、意外なストーリー展開があった。
姫にかけられていた呪いと同じものが、死にかけの魔王から王子にもかけられ、二人は仲良く白い着ぐるみを着た状態になってしまった。
草の陰から着ぐるみを着た二人が立ち上がると、場内は明るい笑い声で盛り上がった。
そして、二人は仲良く手を繋ぎ、二羽の白鳥となって遠くへ飛んでいきお話は終了となった。
最後は皆で挨拶をして終了となった。リリィは、自分の子供たちの立派な姿に涙を流していた。
いや、本当は二人の着ぐるみ姿があまりにも可愛くて、写真を撮れないもどかしさに耐えられず涙が出たのかもしれない。
どちらにせよ、感動のうちに演目は終了した。
全ての演目が終わり、カフェテリアで打ち上げのランチが振舞われた。
さっさと持参した私服に着替えたマリアンジェラが、さすがに疲れた様子でリリィに言った。
「ねぇ、ママ…。さっきのお話ってどう思う?」
「あれ、白鳥の湖よね?元のお話は悲しい終わり方だったけど、今日のはそうじゃなくて良かった。二人ともすごく上手だったわ。」
「そお?」
ミケーレは少しドヤ顔でうれしそうだ。
「家に帰ったら、パパに記憶で見せてあげなきゃだめね。」
「あ、先生が言ってたけど、スクールのウェブサイトにアップするらしいよ。」
「なんだぁ、それで撮影禁止だったのねぇ。」
ランチを軽く済ませ、いつもの時間よりは少し早めの帰り道、マリアンジェラがポツリと言った。
「ねぇ、ママ…。『のろい』って何?」
「え?『のろい』?」
「うん、あとね、『まおう』って何?」
どうやらマリアンジェラは『白鳥の湖』に出てくるいくつかの言葉を理解していないようだった。
「えーっと、まずね、『のろい』っていうのは、悪い心を持った誰かが別の人に『こんな風になれ~』って悪い気持ちで願うことかな。」
「ふ~ん。」
「あと、『魔王』ってのは本当にいるのかどうかわからないけど、おとぎ話に出てくる悪役ね。」
「悪役かぁ…。そっか、わかった。ありがと。」
本当にわかったのかは疑問だが、家に到着し、会話はそこで終了した。
門の端末からセキュリティを解除し、3人で家に入った。午後2時を回ったところだ。
家に入ると3人は戸締りを確認し、2階の窓のない転移用に作られた部屋に移動し、アメリカの新居へと転移した。
ミケーレが言った通り、その日の夕方にはキンダーのウェブサイトに動画がアップされた。
その動画がちょっとした騒動に発展するとはこの時はまだ誰も知らなかった。




