636. 突然の訪問(2)
アンジェラが僕に家の鍵を渡して言った。
「ライル、これはこの家の正面玄関の鍵だ。そして、こっちがガレージのリモコンスイッチだ。お前の車は家の中を見た後、あっちの家に取りに行くとしよう。」
「あ、うん。でも…僕まだ今日大学でやらなきゃいけないことが結構残ってて…。」
「大丈夫だ。今日は私がついているからな。なんでもわからない事は聞きなさい。」
「え…う、うん。」
正直、ものすごく不安である。アンジェラが僕と同じ大学出身というのも正直なところ驚きすぎて胃袋が口から出そうだった。アンジェラって芸術系には秀でているけど、勉強なんてしているの見たことないし…。
僕としては、半信半疑だが、それを言うとアンジェラを傷つけてしまうかも知れない…。
そんなことを頭の中で考えている時だ、またしても僕の手をまるで子供を連れているように引き、アンジェラが家の中に半ば強引に僕を引き入れた。
ガレージの横のドアを通って少し暗い通用口から室内に入ると、そこはとても明るい大きな部屋だった。
「う、うわっ、明るいね。そして広い。」
少し弧を描いたような中央の窓には8枚ものガラスがはめ込まれており、太陽の光を室内に取り込んでいる。
その窓の横の壁にも大きな窓があり、まるで外にいるかのように錯覚するほどだ。
そんな感想を頭の中に巡らせていると、アンジェラが残念そうに言った。
「この辺りでは、せいぜいこれくらいの家しかなかったのだ。すまん。」
「い、いや、アンジェラ。ここ、すごくきれいだし、明るいし、僕、気にいったよ。どこがダメなのかわからないよ。」
アンジェラは、僕の顔をまっすぐ見つめ言った。
「お前は優しい子だ。だがな、私はこの景色が気に入らんのだ。」
そう言ってアンジェラが指さした窓の外には、近所の家の裏庭や壁、低い家の屋根が見えた。
「あ、あぁ~、そういうことか…。確かに、どこの家も窓の外は海とか、湖とか、見える範囲が全部敷地とかだもんね。」
「致し方あるまい。すでに開発が進んでいる土地であるゆえ、あるものから選ぶしかなかったのだ。」
「うん。ありがと。十分だよ。それにバックヤードが芝で広いから。子供達も遊ばせられそうだ。」
「そ、そうか?」
アンジェラが急にバックヤードに興味を持ったようだ。
「確かにうちには芝のバックヤードはなかったな。」
そう言いながら窓の側に立ち、外を眺めるアンジェラのまるで雑誌の一ページのような完璧なお姿に見惚れるリリィを肘でつつき、僕は早く戻りたいがために、先を急がせた。
「いたっ。何よぉ。」
「リリィ、早く。話切り上げてくれない?車取りに行ってくるからさ、僕大学に戻りたいんだよ。」
小さな声で言ったつもりだったが、アンジェラには丸聞こえだったようで、アンジェラは苦笑いをしながら言った。
「ライル、そう焦るな。私がサポートしてやると言っているではないか。」
ニヤリとずるい笑いを浮かべ、アンジェラがリリィに耳打ちした。
「え?あ、うん。わかった。じゃあ、2時間後でいいかな?」
「あぁ、頼んだよ、リリィ。」
そう言って、リリィを抱き寄せ額にキスするアンジェラ…。ここでもいちゃついてくれるわけだ。
一瞬後、リリィは何の前触れもなく、その場から転移しどこかに行ってしまった。
「え?何、何?リリィ、行っちゃったよ。」
「あぁ、私が頼んだのだ。」
「はぁ…。」
変な間が僕とアンジェラの間に流れ、アンジェラが口を開いた。
「ライル、お前の車を取りに行こう。」
「あ、そうだった。」
僕とアンジェラはガレージのもう一台分の空間に移動し、アンジェラの指示を伺った。
「車の前方をシャッターの方へ向けて置くようにな。」
「あ、うん。そだね。出にくいよね。」
そう言って、二人でアメリカのニューヨーク近郊の家に転移した。
転移用の部屋からガレージに下り、僕の赤いスポーツカーに二人で乗り込む。エンジンはかけずに、ただ念ずるだけだ。さっきのあのスペースにきれいに収まるように。
ガレージの中は置いてあるものが少ないせいか、特にどこにもぶつけたりすることもなく車を移動できた。
「ライル、いいか?もし、必要ならここから車を出して使うといい。もし、あっちの家から使うときにはあっちに移動させて使うのだ。そのための拠点だ。いいな。」
「そっか…何もないところにいきなり出たり、消えたりするリスクを減らしたってことね。」
「あぁ、そうだ。さあ、お前の部屋はどこがいいか、決めなさい。」
さっきは、居間と思われるとても大きな中央の部屋に行っただけだったが、この家は3階建てで、ベッドルームが6つもあった。その中でファミリールームと呼ばれる大きな部屋はアンジェラと子供達で使うことになった。
僕は3階の中くらいの部屋にした。
小さい部屋を選ぼうとしたらアンジェラが言うのだ。
「ライル、お前、その小さなベッドでンニコラスと寝るつもりか。」
「え?ここでも僕とニコラスは一緒の部屋なの?」
「い、いや。そのニコラスがいると眠れると聞いたのでな…。」
「あ、そっか。」
結局、大きなキングサイズのベッドがある部屋を僕の部屋と決め、その後にアンジェラの言うサポートが待っていた。
どうせ、たいしたことはできないはずとタカをくくっていたのだが…僕は間違っていた。
「ライル。まず、お前のタブレットと授業の予定を書いてあるものを寮の部屋から持って来なさい。」
早速、新しい家から寮の部屋に転移だ。
一応、スマホから操作し、設置したセキュリティカメラで、僕の部屋の前と、室内に誰もいない事を確認した。
転移し、言われた物を取り、すぐに新しい家に戻る。まだ場所になれないせいか、違和感がある。
アンジェラに誘導されるままに、僕は2階の角にある少し小さな部屋に入った。
そこは壁一面が本棚になっている書斎だった。
この家はどうやら家具付きで販売されていたのか、アンジェラでは選ばないような割と近代的な家具が多い。
そのせいか、新しくてきれいなのだが、なんだか無機質でヒンヤリした印象が強い。
「この家、新しいの?」
「内装は新しくしたらしいが、趣味が悪すぎる。こういいうのは落ち着かない。そのうち改装するつもりだ。」
そう言いながら、アンジェラはペラペラと僕が持って来た講義の資料をめくった。
「よし、これと、これと、これと…それからこれだ。」
アンジェラは引き出しの中から取り出した赤ペンで、講義のリストの中から4つに丸をつけた。
「え?そんな簡単に決めていいの?」
「ライル、あの大学ではな、1、2年では専攻は決めないのだ。一般的な講義のうちおさえる必要のあるものに丸を付けたぞ。私がいた時とさほど変わってはいないこれさえ受けて落とさなければ、2年になったときに困ることはない。」
「そうなの?」
「あぁ、もしこれでは足りぬというなら、これなど追加で受けるのもいいだろう。しかし、4つ受けていればもうそれだけで、目が回るほど忙しいはずだ。」
「えー?そうなの?」
意外にもとてもしっかりと教えてくれたアンジェラに少し驚きを覚えた。
「さぁ、タブレットで登録してしまいなさい。」
アンジェラの言う通りに登録を終え、ものの5分で今日の午前中、いや、昨日のオリエンテーションからの悩みは解消された。
「アンジェラ…ありがと。すごく、助かった。」
「そうだろう、言ったではないか。」
何気にドヤ顔ですましているが、嬉しそうだ。
そう言えば、僕はリリィと完全に分離してから少しアンジェラとリリィから距離を取るようになった。そのせいもあり、アメリカでの中・高校生活を一定時間以上過ごすことで、家族と過ごす時間を避ける結果になった。
いや、僕がリリィを自分自身ではなくて別の人間だと認識した瞬間に、変に意識してしまったのが原因だ。
今考えるとものすごく恥ずかしい…。
今となっては、あんなに恋焦がれた相手のアンジェラも、自慢の義兄としか思えないし。あんなに離れて寂しく思ったリリィは、あり得ないくらいそそっかしくて豪快な姉として生温かい目で見るのが精いっぱいだ。
何かやらかすんじゃないかと非常に心配ではあるが…。
時々アンジェラが、僕の額にキスしたりすると、『これ絶対子供扱いだ』と確信する。
だって、ニコラスにはやってないけど、ミケーレにはいつもそうしている。
まぁ、考えてみれば、僕が最初にアンジェラに会ったのは小学3年の時だ。子供扱いされても仕方ないとは思うけど…。
なぜ、そんな回想をしたのかと言うと、すごく明るい書斎の中で、アンジェラの顔を真正面でまじまじと見た時に、どうして僕はここにいるんだろう…。なんて、ちょっと思ってしまったからだ。僕は、アンジェラにお礼を言い、そして帰り支度をして言った。
「さぁ、車も移動できたし、講義の方もスムーズにいったし。僕、もうそろそろ寮に戻るね。」
しかし、僕がそう言って振り向いた時、開けっ放しの書斎の入り口の先に、ずらりと並んでいる皆が奇声を発した。
「「「「ライル、大学入学、おめでとう~。」」」」
「めめれとー」
「らいりゅ、めれと」
「あいしてる~」
僕は、持っていたタブレットを落としそうなほど驚いた。
リリィがいなかったのは、リリアナとアンドレ達や、マリアンジェラ達を連れてくるためにあちこち行っていたからだったのだ。
「あ、ありがと。それ言うためにわざわざ集まってくれたの?」
僕があっけにとられた顔でそう言うと、リリィがニヤニヤ笑いながら言った。
「そんなわけないでしょ。一階にご飯用意したから、これからライルの大学進学祝いパーティーするのよ。」
「えっ?これから?」
「そうよ。マリーなんか、ランチタイムにいつもの半分しか食べないで我慢したんだから。ねぇ」
「むふふっ。ママ、違うのよ。今日は、胸がいっぱいで、全然食べられなかったんだから。」
マリアンジェラはそう言ったが、横で苦笑いをしているニコラスを見る限り、普通に食べたんだろう。
その時、アディとルーがトコトコ歩いてきて、僕の足にしがみついた。
「らいりゅ、ぱーちーしゅりゅよ」
「パァパとマァマがね、まるやきたべりゅって」
「アディ…丸焼き?え?何の丸焼き?」
マリアンジェラがニタァと笑って言った。
「ヤギじゃないわよ。でーっかい七面鳥よっ。」
どうやら、アンジェラが経営するニューヨークの高級ホテルチェーンのレストランにアメリカっぽいパーティー料理として大きなローストターキーを注文していたようである。
抱っこをせがむアディとルーを抱き上げると、皆でゾロゾロと階段を下り、一階の大きな居間の真ん中に置かれた長いテーブルに所狭しと並んだ豪華な料理が僕を圧倒した。
どうやらアンジェラとリリィは家を購入すると決めた時に、ここで僕のお祝いのパーティーをしてくれることを決めたらしい。




