635. 突然の訪問(1)
9月7日、木曜日。
入寮して4日目。2日目と3日目に大学構内の施設の使い方や、講義の登録方法など色々なオリエンテーションを受けた。自分が取りたい講義を決め登録するので、僕としては初めての事でもあり、いっぱいいっぱいの状態だ。
幸い、ここ3日ほどは、帰って来いとか今すぐ助けてというようなメッセージや電話はかかってきていない。
まぁ、それはそれで少し寂しい気もするのだが…。
ニコラスは一日に二度ほど動画を撮って送って来ていた。
アディとルーが何かを食べている動画や、マリアンジェラがお手伝いをしている動画だ。
ミケーレは撮影担当のようだが…。動画の様子から、毎朝マリアンジェラとッミケーレが幼稚園に行くときに、ニコラスとアディとルーまで引き連れてアメリカの家に転移し、双子用のベビーカーを押して幼稚園のある学園迄行っている様だ。
アンジェラとリリィは一体何をしていて忙しいのだろうか。ニコラスはどうにか双子の世話に慣れてきたようで、ギャン泣きされることは無くなり、アディとルーも落ち着いている様子だ。
二人がいることで、図書館のボランティアはお休み中の様だが、マリアンジェラとミケーレのランチタイムまでは、学園の隣の敷地にあるショッピングモールの中の子供のための遊び場で二人を遊ばせて時間を潰し、ランチタイムから帰りの時間までは、学園のカフェテリアでアディとルーをあやしながら過ごしている様だ。
時には図書館で絵本を読み聞かせているが、しょっちゅう色々な人に声をかけられるとメッセージが来ていた。
殆どが『双子がかわいい』『ご結婚されてたんですか』という事が多いようだが、中には芸能界に入らないかというようなスカウトまでいたようだ。
それにしても、まだ生まれて4カ月のアディとルーにハンバーガーとかパスタを普通に食べさせているのは大丈夫なのだろうか…。
気になって仕方ないが、自分もやるべきことが多くいっぱいいっぱいなので、軽く返事するのみだった。
もちろん。困ったことがあれば連絡が来るだろうが…。
来週からは、僕も大学での講義が始まる。
早く決めなければいけないのだが、経験が不足しているこういうことはなかなか決めるに決められない。
ルームメイト達とランチを終えた後、寮の自室で悩んでいるとインターホンが鳴った。
ん?訪問者かな?寮の中に入ることが出来るのは、当然のことながら寮生と関係者だけである。
ルームメイトが誰も出てくれないので、僕が共有スペースの先にあるエントランスのドアを開けた。
「はーい…」
『ガチャ』とドアを開けると、そこにはアンジェラとリリィが立っていた。
「ライル、ちょっといいか?」
アンジェラが、僕が何かを言い返す前に半分室内に体を乗り出している。
「うおっ…ちょ、ちょっと…え?何?大丈夫なの?関係者以外立ち入り禁止じゃないの?」
アンジェラはニヤリと笑って僕を抱きかかえるように後ろに押した。
そのアンジェラの背後に、ものすごい数の野次馬がざわめいているのが見えた。動画を撮ってる人もいた。
奇声を発している人も…。
部屋の中に入り、とりあえず共有スペースのソファに座ってもらった。冷蔵庫から買っておいたミネラルウォーターを2本出して二人に渡す。
「はい、これ。」
「お、すまんな。」
「で?どうしたの?大丈夫なの勝手に入って来て…。」
「あぁ、言っていなかったな。私はここの理事長に懇意にしてもらっているのだ。いわゆる私のファンというやつだ。
時々行うVIP用のライブにも呼んでやっている。そして、今回寮の部屋は個室を用意すると私の部下に言ったのもその理事長なのだが、手違いがあり個室が違う者の部屋になってしまったそうなのだ。」
「あ…そう。それは仕方ないとして…ここ入っちゃだめだよ。警備員に捕まるよ。」
「ライル、私を誰だと思っている。警備員がここまで案内してきたのだぞ。」
また嬉しそうにニヤリと笑うアンジェラに、リリィも少し困った顔で話を補足する。
「アンジェラは、この大学の出身なんだって。」
「ええっ?」
知らなかっただろと言わんばかりのドヤ顔をするアンジェラをよそに、リリィが続けた。
「ライルとアンジェラの関係は、合格が決まって、部屋を頼むときに知らせたんだけど、交換条件を出されたんだって。」
「交換条件?」
「うん、個室を用意するから、大学の中のホールでライブやって欲しいって。」
「部屋、用意できなかったのに?」
「そうそう、それでね。文句言いに来たんだけど…。」
リリィがそこまで話したところで、ルームメイト達が僕達の声に気づいて部屋から出て来た。
「ライル~、どうしたの~?」
ケヴィンとスティーブンだ。
「あ、ごめん、うるさかったよね。あの僕の…」
と言いかけた途端、ケヴィンが頭を掻きむしりながら大声で叫んだ。
「キャー…マジ?マジ?本気の本当の実物のアンジェラ様?キャー…」
アンジェラは冷静に立ち上がり、挨拶をした。
「私の大切な家族を、ライルをよろしく頼む。」
二人は白目がちになりながらも、うんうんと頷き、求められるままにアンジェラと握手を交わした。
もうすでに顔が紅潮し、夢の中に行ってそうだ。
そこにカールも登場した。
「ライル…何かあったのか…って…うそだろ?」
「あ、ごめん、姉と義兄がいきなり来ちゃって…。」
「ほぉ、いい体をしているな、アメフトか?」
そうアンジェラがカールに声をかけた時には、カールの目も♥マークになっていた。
「はいぃ、そうですぅ。よろしくおねがいしますぅ。」
やっぱり、アンジェラにはどんな人をも魅了する能力が備わっているのだろう。
挨拶も一段落したところで、アンジェラが口を開いた。
「ライル、お前のために家を買ったんだ。ここ数日そのために少し家を空けてしまったんだが…。」
「えー?家?何やってんのさ、そんなの要らないよ。」
「そう言うな。この大学の寮はな、火気厳禁だし、バーベキューもできん。私がいた頃よりは設備は良くなっているが、駐車場も屋根がないであろう。」
「車は家のガレージに置いてきたよ。」
「あぁ、見たよ。だからだ。ここのすぐそばに家があれば、そこに車を置いておけるではないか。」
「そ、そんなことのために家買うって…どうなの?」
アンジェラの話を聞いていたルームメイトの目がどんどん点になって行く。
「それがな、あまりいい家が無くてだな、時間がかかったのだ。少し不満ではあるが、我慢してくれ。」
「なんか、僕がわがままみたいじゃん。」
リリィがクスッと笑って言った。
「アンジェラがね、どうしてもライルの大学合格祝いにって買いたがったの。許してあげてよ。」
「リリィ…。」
僕が困った顔をしているとアンジェラがおもむろに立ち上がり、僕の脇に手を入れ僕を持ち上げた。
「なっ…」
そして、僕を立たせると、僕の手を引いて玄関へ進み始めた。
体の大きなアンジェラにとっては、僕など子供扱いだ。
「今から、その家へ行く。」
「ちょ、ちょっとアンジェラ、恥ずかしいよ。手つながないでよ~。」
僕の言葉などお構いなしにアンジェラはそのまま部屋の外へと僕と手を繋いでぐいぐいと進んだ。
まるで、外は記者会見場みたいにスマホを構えた人たちでいっぱいだった。
アンジェラは僕の部屋の前で一度立ちどまり、スッと背筋を伸ばした。
大きな体がより大きく見える。僕はまだアンジェラに手を握られたまま、アンジェラの陰に隠れるような感じだった。
「諸君、私のかわいい義弟をくれぐれも頼むよ。さぁ、道をあけてくれ。我々は行かなければいけない場所があるのだ。
ダニエル・ブラウン先導をたのむ。」
アンジェラがそう言うと、部屋のすぐわきの人ごみの中から警備員が飛び出してきた。
「はい、アンジェラ様。こちらへどうぞ。」
警備員が人ごみを両脇に下げさせ、道がひらけたところを悠々と僕を引っ張って歩くアンジェラ…。
見ている人たちはひたすらアンジェラを目で追い、僕のことなど見えていないかのようだった。
出口に到着し、本来であれば駐車禁止の寮の目の前に、アンジェラの車が停まっていた。
「ご苦労だった。理事長によろしく伝えてくれ。」
「ははっ、かしこまりました。」
警備員が深々とお辞儀をし、周りの人々はこちらに注目する中、僕とリリィとアンジェラは車に乗り込んだ。
アンジェラは、軽く片手をあげ、挨拶をすると皆ため息をもらした。
混乱もなく、どうにか寮から離れてきた。5分ほど移動しただろうか、気づけば、また寮の方に向っているように見える。
「アンジェラ、そっちは寮だよ。」
「わかっている。念のためつけられていないか確認しているだけだ。」
「そ、そうか…。ごめん。」
「謝る必要などないぞ。どうしたライル、何か不安な事でもあるのか?」
「い、いや…そう言うんじゃないけど、初めての事で混乱している時にアンジェラとリリィが来たからさ…。
あっ、二人が何日も外出していて少ししか戻って来ないってニコラスが愚痴ってたよ。」
「あぁ、すまぬな。物件を購入するために時差のあるアメリカで交渉していたのだ。夜はどうしてもアディとルーを連れて歩き回るわけにもいかなくてな。」
「え?家買うためにこっちに来てたってこと?」
「あぁ、そういうことだ。まぁ、他にも警察に呼ばれていてな。あの襲撃事件のことだ。」
「そっか…。大変だったんだね。」
「まぁ、この機会にと思いリリィと二人でアメリカの家でくつろいだのはあったがな…。」
げっ、この二人…アメリカの家でいちゃついてたのか…。
そんな話をしているうちに、あっという間に車は止まった。
寮の場所から数ブロック離れ、橋を渡ったすぐの場所だ。徒歩では10分、走れば4、5分と言った所だろうか。
家はさほど広いという感じではない。立派という感じでもない…。
アンジェラがガレージのシャッタードアをリモコンで開け、中に車を駐車した。そして、シャッタードアを閉めた後、車から降り、僕に鍵を渡した。




