634. 二日目の出来事
僕は自宅に転移した。自室のクローゼットの中だ。アメリカ東海岸はまだ午前7時前だが、自宅のローマは昼を過ぎ、午後1時前というところだ。
暗いクローゼットの中に転移すると、急に僕に抱きついてくる人物が…。
「ライル、つっかまえーたっ。」
ノリノリで僕の足にしがみついている。マリアンジェラだ。
「マリー、ただいま…。というかすぐにまた行かないといけないんだよ。」
「わかってるもん。ただ、ちょっと今のマリーにはライルが不足してて、『キキテキジョウキョウ』なのよ。」
一生懸命難しい言葉を使ってみたぞ、というドヤ顔で見上げられると、こっちもつい気を緩めてしまう。
マリアンジェラを抱き上げ、自室に入ると。ベッドに腰かけたニコラスが泣き叫ぶアディーとルーを両腕に抱きかかえてあやしていた。
「ニコラス、大丈夫か?」
「ライル、どうにかしてくださいよ。もう、こんな時に限って、アンジェラとリリィは仕事で出かけているんですよ。
昨日もどうやら仕事だったようで、二人で外泊して、朝食の時だけ戻ってきたんですよ。こんな小さな赤ちゃん二人を放置して行くなんて…信じられません。ほら、アディ、ルー、ライルが戻ってきましたよ。」
アディとルーは僕の声を聞くなりこっちに来ようとすでにニコラスの腕から逃れようともがいていた。
マリアンジェラを下ろして、アディとルーを抱っこすると、二人は小さなモミジの様な手のひらを僕の頬に当てて、僕にもたれかかった。
「らいりゅ、おかーり。」
「だいちゅき、らいりゅ。」
赤ちゃんの口でそう言われると、ついつい、ほのぼのしてしまう。
「えっと、それで、ミュシャを治すんだな?」
コクリと二人がうなずいた。
僕は二人を抱きかかえたまま、サンルームに移動した。マリアンジェラとニコラスが僕の後ろに続いた。
すぐにミュシャの胃袋の中身を取り出しにかかる。
「二人は、そこのソファに座って待ってて」
アディとルーを下ろし、そう声をかけると二人とも声を揃えて返事をした。
「「あい。」」
横たわったまま目を閉じているミュシャの頭を撫で、声をかけた。
「ミュシャ、少し眠っててもらうよ。」
ミュシャはほんの少しだけ目を開けた。相当苦しそうだ。
僕は、床に腰を下ろし、首すじに手を当てミュシャを眠らせてから、前回とは違い、胃袋の中にある異物をミュシャの体を透かして探った後、物質転移の要領で、その異物を外に出した。
『ガチャッ』
どうやら、スプーンと金属の靴ベラまで飲み込まされていたようだ。
「うわっ、きもっ。」
マリアンジェラが思わず言ったが、誰も咎めたりはしなかった。
胃液の様なベタベタの液体にまみれたそれは、確かに気持ちのいいものではない。
ニコラスがそれらを回収し、洗いに行った。またそれ使うのか?…そう喉元まで出かけてその言葉を飲み込んだ。
ミュシャを目覚めさせると、ゆっくりと起き上がり、何事もなかったかのように僕にすり寄って来た。
「ミュシャ、お前に命令だ。食べられるもの以外を口に押し込まれそうになったら拒否して逃げるんだ。いいな。」
僕は赤い目を使って命令した。ミュシャの目に赤い輪が一瞬浮かび消えた。
「マリー、多分もうないとは思うけど、これはマリーにもできるだろ?」
「あ、そだね。手突っ込むのは無理らけど、それはできるかもね。」
「じゃ、もしその時は頼むよ。」
「うーん、まぁいっか。うん、わかった。」
ずいぶんと素直である。
「マリー、優しいな。もうミュシャに怒っていないのか?」
「ん?怒ってるけどぉ、気持ち悪いことさえしなかったら、マリーは大丈夫だよ。」
何か裏がありそうな気がするが、それは追及しないでおこう。あっという間に30分が経った。もう戻らなければ。
「じゃ、悪いけど。僕もう行くよ。」
ルーが立ち上がり、トコトコと歩いて僕の側にきて僕の頬に手を当てる。
『忙しいのに、すまぬな。』
ルーがそう言って僕の頬から手を離した。
「ねぇ、ルー。アディも…どうして僕にだけ念話っての?それで話しかけるのさ。他の人にだってできるんじゃないの?」
アディとルーがキョトンとしてお互いを見つめ合った。
「らいりゅ、さいちゅーかくしぇーで、みんなちがーの。」
ぷっ。いきなりのバブバブ赤ちゃん言葉で説明され笑いを堪えるのに必死だ。
「え?最終覚醒…ってマリーもしたんじゃなかった?」
「え?」
「あ?」
「ほぇ?」
どうやらアディとルーはマリアンジェラが最終覚醒済だということをすっかり忘れていたらしい。
まだ微妙におぼつかない足取りでアディがマリアンジェラの前まで行き、抱きつくように両手を首に絡ませた。
「へぇ…アディってちゃんと頭の中は大人なんだぁ。」
妙に感心した様子で呟くマリアンジェラと状況が飲み込めないニコラス。
「マリー、何か聞こえるんですか?」
「うん、アディが、ミュシャがいたずらしたのを代わりに謝ってくれた。あ、それから、お昼ご飯、まだかって。」
『ぎゅるる~』
アディのお腹が盛大に鳴った。ニコラスは笑いながらも、アディとルーを抱っこしてダイニングへ移動するようだ。
「僕は、もう戻るよ。」
僕も、そう告げてその場を後にした。
寮の部屋に転移した直後、『コン、コン、コン』ドアをノックする音だ。
しまった、スマホを忘れて行ったからセキュリティカメラに何かが映っても通知を受け取れなかったのだ。
「ライル~、大丈夫?そろそろ朝飯食いに行こうと思うんだけどさ…」
カールの声だ。僕はドアを開け、言い訳をした。
「あ、ごめん。ちょっと音楽聞いてて…気づかなかった。朝食、うん、行ける。」
僕は昨夜と同じく、椅子の背もたれに掛けてあったパーカーを羽織って部屋から出た。
「体調悪いのかと思ってちょっと心配したよ。」
「あ、ごめんごめん。全然問題ないよ。」
僕はルームメイト達と朝食を食べに食堂へ出かけ、寮生活2日目がはじまったのだった。




