623. ライル、ドライバーズライセンス取得に挑戦する(2)
意外とあっけなく筆記試験をパスし、二日後に技能試験を受けることになった僕だったが…。
ちょ、ちょっと待て…なんでも簡単に考えぎてたぞ。僕は車なんて運転したことがないじゃないか…。
このままでは、アンジェラの高級外車をそっちこっちにぶつけてしまうかもしれない…。
内心すごく焦っているのだが、なんだか忙しいアンジェラに負担をかけてしまいそうで僕はその事を言いだせなかった。
そして、翌日のこと。
朝方、ずいぶん早い時間に、ニコラスが具合の悪そうな顔で鼻をかんでいた。
『ズビーッ、ズズッ』
「どうした、ニコラス、風邪でもひいたのか?」
僕はそう言ってニコラスの額に手をのせた。すると、ブワッと身の毛のよだつような悪寒が走り、同時にニコラスの見たモノが頭の中に滝のように流れ込んでくる。
それは、海岸線の一本道で、車を運転する僕の姿だった。
そして、運転している最中に車の真正面に大きな鹿が飛び込んできたのだ。
「ニコラス…これ何だ?」
『ズビッ』鼻をかみながらニコラスが情けない声で言った。
「ライルが…死んじゃったかと思って…ふえっ、ふ、ふえっ…」
どうやら風邪ではなく、泣いてしまい鼻水が止まらなくなったようだ。
「ニコラス、泣かないで…。ほら、僕はまだ免許も持っていないし、ましてや一人で運転なんてする環境にないよ。それに見たこともない場所だった。」
「う…うん。んぐ。で、でも…私も一応…予知夢は見ることがあるんだ。そして、それは、いつも誰かが死んでしまう夢なんだよ…。」
「マジか…。」
「ごめんよ。いつ、どこでとか、そう言うのは全くわからなくて…。でも、どうか気をつけておくれ。」
「そ、そうだね…。」
僕はなんだか歯切れの悪い返事をした気がしたが、ニコラスは涙を拭いて言った。
「絶対だよ。」
そう言って僕をギュッと抱きしめるニコラスだった。
普段よりも早く起きてしまったため、身支度をした後にサンルームに行き、ピアノを弾いた。
ここは防音になっているため、扉をしめてしまえば他の者に迷惑をかけることもない。
一人でピアノに集中していると、アンジェラが朝食が出来たと知らせに来てくれた。
「ライル、食事が終わったら私の書斎に来なさい。」
「え、うん。わかった。」
なんだろう…仕事の事かな…、それともこれから行く大学の事か…、全然見当もつかないけど、まぁ後でわかるからいいか。
朝食の時間、いつもと同じにぎやかな時間だ。
夏休みに入っているため、子供たちは部屋着のまま眠い目をこすりつつ朝食を口に運ぶ。
今朝はクロワッサンとチキンとブロッコリーのクリームシチュー、ボイルされた小さめのソーセージに、コールスローサラダととれたてのラディッシュが用意されていた。
すっかり大人と同じ食事をとることを許されたアディとルーもベビーチェアに座ってすでに食べ始めていた。
アディは横に座っているリリィにどれを食べるかフォークを向けて教えている。
「マンマッ、あぶー。」
「あ、はいはい。これね。アディはソーセージが好きなのね。」
取り分けたソーセージを縦に細く切られ、若干固まっているアディの顔が面白い。
ルーはというと横に座ったアンジェラに向って、まるでヒナの様に口を開けてシチューを食べさせてもらうのを待っている。
「ほら、あ~ん」
言葉に合わせ、フーフーしたシチューを自分まで口を開けて食べさせるアンジェラの顔にニコラスもミケーレもドン引きだ。
その時、マリアンジェラが急にガバッと立ち上がった。そして、ダッと走り、僕の膝の上に座った。
「マリー、どうしたの?」
「むぅ。言わなきゃだめ?」
いやぁ、全然何考えてるかわかんないからね…。内心そう思った時、ちょっと恥ずかしそうに僕の方を向いて口を開けた。
「あ~ん。」
「ぷっ、ぷはは…」
「ライル、なんで笑うのよぉ。」
「赤ちゃんと張り合ってどうするんだよ。アディとルーはスプーンとかナイフを使えないからアンジェラ達が手伝っているんだろ?マリーだって赤ちゃんの時はやってもらってたぞ。」
「だってぇ」
「わかったわかった。食べさせてあげるから、自分の椅子持って来て横に座って。」
膝に座っているマリアンジェラに食べさせるのは、ちょっと体勢が辛そうだったので、横に座らせ延々とスプーンですくって食べさせた。ボウルを両手に持ってザザーッと流し込んだ方が早そうだが、満足そうにニコニコしているので黙って見守る。
それよりもマリアンジェラと一緒につられて口を開けそうになるニコラスが面白いんだが…。
少ししてリリアナとアンドレ達も朝食に加わり、ライアンとジュリアーノも赤ちゃんと同じように食べさせてもらいたいと泣き始めた頃、僕とアンジェラは食事を終え、アンジェラの書斎に行った。
「ライル、この場所に転移で移動できるか?」
アンジェラはタブレットで地図を開き、ある場所を指差した。
僕は地図を少し広域に調整して場所を確認する。
「うーん、一度も行ったことがない場所だから、翼を出して一度その辺りの上空に出て再移動だったらできるかな…と思うよ。」
「おぉ、そうか…。では、私も翼を出しておかねばな…。」
アンジェラが『バサァッ』と大きな音を出し、一際大きな翼を出した。
「え?今、二人で行くの?ここ、人とかいない?」
「そうだ。二人で行く。多分、人はいない。」
まぁ、よくわかんないが…きっと何か理由があるのだろう。僕も翼を出し、アンジェラの手を取った。
『バサッ』羽ばたきながらタブレットに映っていた赤い屋根の建物を探す。
思ったより遠くに出てしまった様だ。
「あ、あった、あそこだ。」
僕が指さすと、アンジェラはニンマリ笑った。翼を広げて飛びながら少しずつ降下してゆく。
ここは、一体どんな場所なのだろう…。
大きくて深そうな湖か池の畔に、少し暗めの赤色の屋根が上から見ると長方形になっている。
アンジェラは躊躇せず、湖とは反対側の広い平らなスペースに下りた。
僕もアンジェラに続いた。
そこには、2階建てのものすごく横に長い、大きな屋敷があった。
中世というよりかは現代的な建物で、大きな窓や飾りのアイアンがついたドアなどが変わった雰囲気だ。
「アンジェラ…ここは何?」
「ここはな、隠れ家だ。」
「え?隠れ家?」
「そうだ、ここは地図には載っているが正式な名称のない島だ。船や飛行機の定期便もなく、住人もいない。」
「ここに隠れていたことがあるの?」
「そうだな…何度かはここに滞在して時を過ごしたことがある。」
「それで、ここにはどうして?」
アンジェラが言うには、ここはずいぶん前に購入した島で、リゾートとして手を入れようと思い建物をたてたんだとか…。しかし、戦争が始まって、出兵した後負傷して戻ったドイツの家は焼けてしまっていて住む場所を検討した際にここを思い出したんだとか…。
週に一度、アンジェラの従者が清掃やメンテナンスのために訪れているというだけあって、建物内も外も素晴らしく整えられていた。
「ここをしばらくアトリエとして使用したのだ。イタリアの家に移り住む前だった。」
何かを思い出しながら、優しく微笑むアンジェラだが、僕に思い出話を聞かせるためにここに連れて来たのではないだろう…。
「それで、どうしてここへ?」
「おぅ、そうだ。こっちへ来い。」
アンジェラが建物の側面へ行くと、そこにはガレージの開閉式シャッターがあった。
「ん?物置?」
「車庫だ。」
アンジェラが持っていたリモコンキーでガレージを開けた。
中には赤いフェラーリが一台置かれていた。
「うわっ、フェラーリだ。」
「毎週この車で島を一回りしてもらっているから、走れると思うが…。」
「ん?」
「ライル、お前車の運転の練習をしていないだろ?」
「あ…。」
「車高が低くて乗りにくかったらスマンが、これで練習をするといい。」
近年発売されたEVのフェラーリだ。いつの間に…。それにはアンジェラが応えてくれた。
「ここを時々撮影用のセットとして貸すこともあるのだよ。車はそのための小道具というわけだ。」
ずいぶんとお値段の張る小道具ですこと…。
僕は、最初にアンジェラが運転する横に座らされ、運転の仕方と、道を教えてもらった。
一周、車で約30分の小さな島だが、途中、2車線のビーチ沿いの道にはヤシの木が植えられ、路駐が可能なエリアになっている。
「車1台しかないのに路駐を考慮した道路設計って…。」
「ライル、この道は滑走路にもなるのだ。」
「あ…あぁ…なるほど…。」
そして、絶対に必要なさそうな信号機が一カ所…。
「これは?」
「万が一人をひかないようにだな…。」
言いながらアンジェラの顔が笑っている。本当は必要なかったと思っているみたいだ。
「とにかく、全て私有地だ。車に乗っても、戦車に乗ってもかまわん。」
「さすがにそれは…。」
「さあ、次はお前の番だ。運転してみろ。」
助手席から運転席に移動し、恐る恐るエンジンをかける。
EVなので、音は静かだ。
オートマなので、ドライブにギアを入れ、そっとアクセルを踏み込む…。
『ジワジワ』とゆっくり前に進み始めた。少し怖い。こんな大きな金属の塊を自分が動かしているなんて。
交差点では『内輪差』に注意し、あまり端に寄りすぎないようにとアンジェラが教えてくれた。
最初の15分は緊張しまくって、超スローな運転になってしまったが、慣れれば案外平気なものである。
アンジェラが指示するまま、言われた方向へと曲がり、いつの間にか海岸線を延々と進む道に出た。
スピードが少し上がり、スムーズに走っていく。
「最高だね。」
「そうか?この車がいいか?」
「あ、いや…そういうことではないよ…。」
なんだかおねだりしたみたいでいやだったので、一応否定しておく。
海岸線のみちの終わり、左へのカーブへ差し掛かった。
「あっ!」
目の前に大きな鹿が飛び込んできた。
僕はとっさに目を瞑った。
「ライル、前を見ろ!」
「え?鹿は?」
「何を言っているんだ。そんなものここにはいない。」
僕は運転席のルームミラーで後ろを見た。そこには、白い光の粒子が集まって大きな鹿の形を作っているものがこちらに向いて立ち尽くしていた。
「びっくりしたぁ…」
「なんだ、ライル…カーブが怖かったのか?」
アンジェラが僕をからかう。
「いや、練習が終わったら僕の記憶を見せることにするよ。」
それから1時間ほど、縦列駐車や、右折、左折の車線取りなどを教えてもらい、へまさえしなければ大丈夫
な位に運転できるようになった。
僕はアンジェラと共に車をガレージに片付け、家に帰ることになったのである。
家に帰る前に、とアンジェラが屋敷の中を案内してくれた。
その建物の中央に位置するホールに入って僕は驚愕した。




