620. 二人がやらねばならぬこと(2)
ルーこと、赤ちゃんのルシフェルはその少し色の薄い透き通るような大きな碧眼を僕に向け、接触した手を通し意思を伝えて来たのだ。
『ライル、今だけ私達の封印を解いてくれ、やらねばならぬことがある。』
真剣なその瞳に、僕は躊躇せず頷いて、言った。
「ルシフェル、アズラィール、二人の能力を使うことを許可するよ。」
ルシフェルの瞳が青く輝いた。
『ガラン、ガラン』と鳴らされていた鈴の音が、ぴたりと止んだ。
それと同時に、『キーン』という耳鳴りのような音が聞こえ、そして世の中の音が消えた。
「あっ…」
僕は思わず声を出した。僕の頬に手を伸ばしていたルシフェルに青い光の粒子が大量に集まり始めた。すぐ横にいたはずのアンジェラに抱かれていたアズラィールも同様、そちらは金色の光の粒子だ。
そして、ほどなくそれぞれが、神々の住む場所にいた時と同様の姿でニコラスとアンジェラの腕から離れ、実体化する。
「ライル…君だけがこの中で動き回れるんだね。」
「アディ…そうとは限らないんだ、ミケーレがこの能力を使った時は、彼も動けるんだけど…。今のこれは、ルーがやったのか?」
「そうだ、私が時間を止めている。」
「どうして?」
「人々に見られてはいけない物を処理するためさ。私達がわざわざこの地へ来た理由の一つなのだ。さぁ、見ていなさい。」
ルシフェルが神社の社に向い、手のひらを向けると、お札が貼られていた中央の格子の扉がキィーと開いた。
「え?そんなの勝手に開けていいのか?」
「この紙にはなんの意味もない。ここに『あれ』を隠した者が、扉を開けないようにダミーの紙を貼ったのだろう。」
「『あれ』って?」
「まぁ見ていなさい。」
引き続き、ルシフェルが近づきもせず開いていた手のひらを握った。
すると、目の前の賽銭箱や、ニコラス、アンジェラまでもが一瞬で僕たちの後方に移動した。まぁ、僕達が普段使っている物質転移と同じ能力なのだろうが、お見事である。
そして、その後、社の中が白く明るく光ったかと思えば、木材で出来た床の中央に丸い空洞が現れた。一時的に物質を透過させているのだろうか…。
その内側から、黒い布で出来たきんちゃく袋が浮き上がりじわじわとこちらに浮遊してくる。ルシフェルはそれを手で掴むと、きんちゃく袋の紐を緩め、中の瓶を取り出した。
「あ、そ…それってライラの…」
瓶の中には白い蛇の頭約8cmほどがチロチロと赤い舌を出し、赤い目でこちらを見ている。その横にはパチンコ玉ほどのサイズの青い球が2粒と大きめのビー玉くらいの金色の球…いや、これは天使の核だ…。
僕の記憶にある実際に今世で起きたかどうか定かではない頭髪が複数の白い蛇で出来た『破壊の天使ライラ』の出現…その一部と思われる蛇と、何者かの『核』。
「ルシフェル…この核は?」
「ライル、これはアディの双子の妹、ライラの核だ。」
ルシフェルが静かな口調でそう言った。
「や、やっぱり…ライラは僕のこの人生には出てきていないよ。」
「そうだな。お前が神々の住む場所でアディを救い、今世を変えたんだ。ただ、変る前の世界からこれを持ち出し、別の世界に身を潜め、そしてこれを持ち帰った者がいる。」
「そ、そんなことできるって…」
「お前も知っているだろう。他にもいくつもの全く同じ世界があり、微妙に運命を変えているのだ。その別の世界へのゲートが開いてしまった場所を見つけた人間がいたのだよ。」
そこに、スッとアズラィールが近寄り、瓶を受け取りその蓋を開けた。
白い蛇は空気に触れると、白い靄になり掻き消えた。
アズラィールは金色の核を手の上に取り出した。
「ライラ、待たせたね。もうお前の罪は消えたのだよ。次は、この子達の子供として生まれておいで。」
そう言って、金色の球を持つ手を空に向けて伸ばした。金色の核は、音もなく金色の光の粒子に変り、空の中へと消えて行った。
「ねぇ、どうなっちゃったの?」
「ライル、あの子はね、私を殺す計画をしたということで、罪に問われ、メッセンジャーとして神々の住む場所から落とされて、この世界で強制労働を強いられていたんだよ。でも、この世界に出現してすぐにその存在が確認できなくなってしまった。誰かに殺され、核の状態でここに隠されていたんだろうね。」
「…また僕を殺そうとしたりしない?」
「大丈夫だよ。ミケーレを見てごらん。あの子も一緒さ。あの子はミカエル、ルシフェルの弟だ。ルシフェルの事を愛しすぎて、私を奪って興味をひきたかったのさ。どんな形であれ愛されたいんだ。愛されればいい子でいられる。」
二人の話では、元は彼らも大天使であったのに、その権利をはく奪され、この世に落とされたのだということだ。能力はごく一部のみを残し取り上げられ、攻撃などは出来ないようになっているらしい。
「ライル、さぁ、もう時間だ。元に戻すぞ。」
一瞬の瞬きする間に、賽銭箱やアンジェラ、ニコラスの位置が戻り、ルシフェルが僕の頬に手を当てた。
「もう能力の封印は必要ないがな…。」
そう言ってクスリと笑うルシフェルが青い光の粒子になり、ニコラスの腕に抱かれる赤ちゃんのルーに変わった。
大天使の姿で翼を出し、白い布を纏ってオーラを出していたアズラィールも金色の光の粒子になり、アンジェラの腕の中に戻り、大きな深い色の碧眼をゆらゆら揺らす可愛らしい赤ちゃんのアディになってクスリと笑った。その直後…『ガランガラン、ガラン・・・』
マリアンジェラのしつこいくらいの鈴の音が鳴り響いた。
「マリー、あんまり強く引くと柱が折れちゃうんじゃない?」
「そおかな?」
ミケーレとマリアンジェラのすっとぼけた会話が繰り広げられた。
ルーが持っていた黒いきんちゃく袋と瓶は、さわやかな風が吹いた時に白い光の粒子になり掻き消えた。
何事もなかったように、暑い一日の出来事は僕の記憶の中だけに収められたのだった。




