619. 二人がやらねばならぬこと(1)
マリアンジェラとミケーレのキンダーは8月いっぱいまで夏休みだ。
キンダーに行く前とさほど変わらない日常なのだろうと想像していたが、アディとルーが誕生したこともあり、とんでもなく大人には忙しい日々となった。
僕、ライルは、9月から表向きは、大学の寮で生活することになっている。どうにか、自宅への転移が容易にできるように寮の一人部屋を確保できた。
しかし、中高のボーディングスクールとは違い、やたらと積極的に交わることの多い大学生活では、転移したり能力を使うところを人に見られないように気をつけなければいけない。
せっかく入学できた世界最高峰の大学ともいえる学校なのだ、しっかり学んで将来の役に立てたいと思う。
ますます日差しが強くなった6月25日、日曜日。
午前中は少し遅れていたアディとルーの赤ちゃん一カ月検診で、アンジェラとリリィは二人を連れて車で病院まで行ってきたところだ。
アディとルー、二人の体重は既に10kgほどに成長しており、病院の先生も驚くほどだ。
出生時の体重が6kgほどだったのだが…1歳を超えたばかりのライアンとジュリアーノが普通の1歳児よりも大幅に大きく、3歳児以上の大きさと言われている。
それに追いつく勢いの成長具合に、両親であるアンジェラとリリィはハラハラものだった。
もう、すでにつかまり立ちは習得し、手を繋げば自力で歩けるほどだ。
言葉は、イマイチ…と言うか、この月齢でしゃべっちゃまずいのでおしゃべりは封印中。
歯が生えてきたので、どこでもかじる。これもマリアンジェラにこっぴどくディスられてからはあまりやらなくなったが、何かをかじっていたい衝動に駆られるらしい。
まるでハムスターだ。
そして、今、二人はダイニングテーブルの上の皿にのせてあったドイツのカチコチパンを見つけ、共同作業でどうにか椅子の上に立ち、そのパンを1つずつ手に取って、ソファの陰で
ガリガリとかじっている最中である。
それを見つけたミケーレがアンジェラに報告した。
「パパ…アディとルーがパンをかじってるんだけど…。」
「おぉ、そうか…すごいチャレンジ精神だな…。大人でも歯が折れそうなパンなのに…。」
アンジェラが笑いながらパンを取り上げた。
「歯が折れたら困るからな、そんなに食べたいならサンドウィッチを作ってやる。待てるか?」
その時のアディとルーの満面の笑みとキラキラの瞳と言ったら…アンジェラもさすがに二人の可愛さにデロデロである。
パントリーの中からふわふわのパンと冷蔵庫からハムとチーズを取り出し、薄く切ったふわふわのパンにほんの少しだけマヨネーズを塗ってサンドウィッチを作った。
アンジェラは、マリアンジェラとミケーレも歯が生え始めたらすぐにミルクを卒業したことを思い返し、これ以上制限するのは可哀そうと思ったのである。
ベビーチェアに座らせてもらい、『バン、バン』とテーブルを叩いて待つ。
その音を聞いたマリアンジェラは小さく『ちっ』と舌打ち。アディとルーの背筋に冷たい衝撃が少し走った。
サンドウィッチを細長く切り分けてもらい、もぐもぐ両手で持って食べる様はまさしく小動物そのもの。
ミケーレは心の中で『こんなに可愛いのに中身はものすごいじいさんなんだよね…』と、少し残念に思ったのだった。
そんな午後のことだ。初夏と言ってもいいほど気温が上がって来た。
マリアンジェラとミケーレは海へ狩りに行ったが、さすがに赤ちゃんにはまだ早い。
そこで、ニコラスと僕が近くのホームセンターへ行き、空気で膨らませる水遊び用のプールを買ってきたのである。
空気で膨らませると周りが立体的になり、なおかつ、小さな滑り台までもついているものだ。まだつかまり立ちしか出来ないのに、これはちょっと早かったか?と思ったが、足踏みポンプで空気を入れている最中から興味深々の二人は行ったり来たり。
途中、僕の腕を掴んでは、話しかけてくる。
『ね、これ何するもの?』
『ねぇー、これ何?』
と二人でずっと大騒ぎだ。表面上は赤ちゃん語でしゃべっている。
『ばぁぶぅ』
『うっきゅ?』
『ばばぁぶぶぅ』
『ううーぶぅ』
正直、全くわからない。ようやく膨らみ、足踏みポンプ担当のニコラスが離脱した。
「暑い…もう外は無理です。ターフを張らないと外に居られません。」
確かに、日差しはものすごく強かった。
そんな中、ビニールプールに浅く水を張り。アディとルーも投入。
二人の歓声が遠くまで聞こえるくらい響いていた。
『きゃっ、きゃーも』
『ひゃっぷーーー』
30分ほど思い切り遊んで、一度撤収した。
赤ちゃんの肌が赤くなってきたからだ。
僕は着替えさせた二人の皮膚を少しずつ癒しながら髪も乾かしてあげ、疲れ切った二人をベビーベッドに寝かせた。
今までで、一番静かな午後のひと時だ。
中身は神様でも、外側はただの非力な赤ちゃんだと認識した出来事だった。
8月に入ると、朝霧の祖父、未徠からよく電話が来るようになった。
日本の伝統にのっとって、100日のお参りを神社にしに行かないかという誘いだ。
アンジェラはその誘いを最初は断っていた。
何しろ、同じ日に生まれた徠太と比べると普通の人ではない事がばれてしまいそうだからである。特に、朝霧邸の外に出るとなると心配が多くなるのだ。
しかし、その日アンジェラは妙な夢を見た。
あの、神々の住む場所の邸宅に招かれ、お茶を飲みながら雑談をするという、なんとも変な夢だったのだが…、その中で大天使アズラィールが言ったのだ。
『アンジェラ、私達はやらなければならない事がいくつかあってあなた方の世界に一時的にお降りる事にしたのです。その中での最初の一つがもうすぐ行動の時を迎えます。
もし、未徠に誘われたなら、拒まず従いなさい。私たちは、その地へ行く必要があるのです。』
その言葉と同時にアンジェラが目を覚ますと、赤ちゃんのアディはスヤスヤと寝息を立て眠っていた。だが、なんだか夢の中で飲んだハーブティーの味がしたような気がしたのだ。
翌日の午前中、またしても未徠から電話が来た。
『もしもし、アンジェラか?』
『わかった、行く。時間と場所をメッセージで連絡してくれ。他は任せる。』
『お、おぅ…。わかった。』
アンジェラは未徠がまだ何も話していないというのに、行くと告げたのだ。
当日、8月19日、土曜日。日本時間の午前十時、朝霧邸に集合したのは、アンジェラ、リリィ、マリアンジェラ、ミケーレ、アディとルー、そしてニコラスと僕。
未徠夫婦と徠太も一緒に、事前に衣装を貸し出してくれる店に寄り、着替えてから神社へ行くという。
衣装を貸し出してくれるお店に着くと、お店の人が困惑気味に言った。
「100日のお参りですよね?」
「あ、あはは…ごめんなさい、ジャンボベイビーで…。」
結局アディとルーは七五三の三歳用の服を着せられ。やたらとカッコよくなってしまった。
ついでに…と未徠に言われ、なんと、ミケーレとマリアンジェラまでも七五三の衣装を着せられて、ついでにお参りすることになった。
小さな碧眼金髪の貴公子のようなアディとルー、そしてまるで外国の美少女モデルの様なマリアンジェラに、アンジェラ・アサギリ・ライエンを小さくしたような美男なミケーレ…注目されないはずがない…。
最初にフォトスタジオを兼ねているそのお店で家族写真を何枚か撮った。
その後、徠夢とアンジェラの父・アズラィールが車を出し、皆で神社へ移動した。
神社は朝霧邸のすぐ裏手の、朝霧の先祖が持っていた土地、現在は公園として開放している旧朝霧城跡地に隣接していた。
車を降り、駐車場を抜け神社の敷地内に入ったあたりから周りがざわめき出した。
『ねぇ、あれ、アンジェラ様じゃない?』
『やだ、嘘っ、ほんと?』
『きゃあ、何あの子達、作り物みたいに完璧な容姿じゃない?』
『今日、たまたまここに来たこと、神様に感謝するわ…』
てな調子だ。
予約してある祈祷まで時間があったため、皆でお賽銭を入れてお参りすることにした。
赤ちゃん達にも賽銭箱にお金を入れさせ、『ガランガラン』と鈴を鳴らし、参拝した時だ。
ニコラスに抱かれていたルーが手を伸ばし、僕の頬に触って言った。
『ライル、今だけ私達の封印を解いてくれ、やらねばならぬことがある。』




