613. 春の海
5月7日、日曜日。
早いもので、リリィが入院してから4週間が過ぎた。
アンジェラはあれ以来、毎日朝食の後に病院に出かけて行き、夕食の時間には戻って来る状態だ。ただ、いつもいつ眠っているかわからないほど最近は仕事詰めだったのが、リリィの入院先で一緒に昼寝をしているせいか、肌艶もよく、意外に元気そうな気がする。
昨夜など、そのことを食事の時に言うと、アンジェラは嬉しそうな顔をしてこう言った。
「最近は、リリィをいっぱい充電しているからな。」
あぁ…はいはい。チューしてるってことね。ごちそうさまでした。
アンジェラにとっては忙しい日々だったと思うが、この間特に問題という問題もなく無難に過ごしてきたと言えよう。
子供達もアンジェラとリリィがいない週末に慣れてきたせいか、なんとも思っていない様子である。僕とニコラスとアンドレは、今週末はどこに連れてけと言われるかドキドキしながら週末を迎えることもあるというのに…。
そういう本日は、マリアンジェラのリクエストで、久々の海に入っての『狩り』をすることになった。遊園地に行くよりは100倍楽だ。
何しろ、遊園地は他のお客の目があるというのに、子供たちは自分勝手に動き回るし、色々な食べ物の誘惑でマリアンジェラが爆食スイッチを入れてしまうからだ。
あれは正直アンジェラ抜きで行くところではない…。
朝食を終え、アンジェラがリリィの好きなスモークサーモンとクリームチーズを使ったサンドウィッチを作っている時だ。
マリアンジェラがサンドウィッチを横から覗き込んで言った。
「パパはどうしてママだけ特別扱いするにょ?」
「マリー、そんなことは無いぞ。マリーだって私の特別だ。ほら。」
そう言って出来立てのサンドウィッチをプレートにのせてマリアンジェラに渡した。
「ほんとだ…。マリーも特別らった。んふふ」
正直にサンドウィッチが食べたいと言えばいいものを…。まぁ、そんな掛け合いを楽しんでいるようでもあるので放っておこう。
アンジェラが病院に向かい、僕たちは子供達を連れて敷地内の岩場の階段を通り、砂浜…うちのプライベートビーチへと下りた。
ジュリアーノがアンドレに能力の封印を解除してくれとせがんでいた。
まぁ、海で狩りをするなら能力は使えた方がいいので、アンドレも了承して解除する。
「今から1時間だけだ。お前たちは能力を使うことを許された。しかし、火や爆発は無しだ、ジュリアーノ、いいな?」
「あい。パパドーレ、じゅりあーにょ、ちゃんとできるよ~。」
最近、ジュリアーノはずいぶんと聞き分けが良くなり、アンドレの事も馬鹿にしなくなった。ジュリアーノとライアンは、お揃いの紺色のパーカーと短パンを脱ぐと、セーラーカラーの付いた紺と白のヨコ縞の可愛らしい水着を着ている。
リリアナこだわりの双子ペアルックだ。
「ピンクちゃん、その水着お似合いよっ。」
マリアンジェラが褒めると、ジュリアーノも嬉しそうだ。
ところで、マリアンジェラはジュリアーノを時々『ピンクちゃん』と呼ぶのだが…どうやら舌を噛みそうだからそう呼んでいるらしい。そして、当の本人もその呼び方を気に入っている様だ。魚や獲物を入れる少し大きめの網を握りしめて、ジュリアーノが勢いよく飛び出した。
砂浜の途中で、すでに地面にもぐりこんでいる。一体何を捕まえてくるのか…。
マリアンジェラはいつものように、普段着のまま翼を出して上空へ。
暫くの間上空から海面を見つめていたが、急降下して海に突っ込んで行った。
まるで弾丸の様だ。そして、そのまま数分が経過した。下りて行ったのと同じようなスピードで海の中から飛び出したマリアンジェラは、両手に体長6mはありそうなダイオウイカを掴んでいた。
「これ、ぬるぬるして…掴みにくいよ。」
「マリー、すごい、すごいね。今晩のご飯は、お寿司にしたいな。」
そう言ったミケーレはまだ行動を起こしていない。
「ミケーレ、お寿司だったらエビも必要よっ。」
「そうだね…ジュリアーノがエビ捕まえてなかったら、僕行ってくるよ。」
その時、アンドレは心配そうにライアンを見つめていた。
ライアンの能力…『合体することができ、合体時に転移できる』=『アンドレと同じ能力』を持っている。
あとは翼を出して飛べる。そう…他の3人が持っているようなすごい技は使えないのだ。
しかし、ライアンは嫌がることなく小さなプラスティックのシャベルを使い、砂浜でアサリを掘っていた。まぁ正直に言うと、これが一番癒される光景ではある。
アンドレがライアンを気にかけ、一緒にアサリを掘っていると、その穴にアサリではなく、ジュリアーノがにょっきりと顔を出した。
「ちわー。」
「うわっ。ジュリアーノ…危ないじゃないか…。」
アンドレが驚いて叫んだ。
「らいじょび~。ほら、こりぇ。ライアンにあげりゅ。」
穴からスーッと出たジュリアーノが手渡した網には大きなタコが入っていた。
「わぁ、これ…タコ焼きになるやつ?パパドーレ。」
「お、おぅ。そうだな、しかし大きいのを獲ったな、ジュリアーノ。」
「へっへっへー。網もっとちょーらい。」
ライアンが自分の持っていた網をジュリアーノに渡すと、ジュリアーノは、また立っていた場所の地面にスーッと埋まって行った。
「ちょっと怖い能力だな…。」
「おばけさんみたいだね。」
「ははは、そうだな。壁から出てきたらそう思われてもおかしくないな。」
ライアンとアンドレは、アサリ堀りのほのぼのタイムを続行した。
次に動きがあったのはミケーレだ。ジュリアーノがタコを獲ってきたのを見て、エビを取りに行こうと思った様だ。
網目の細かいものを手に取り、ニコラスに話しかけている。
「ね、ニコちゃん。エビってあの大きいイセエビと小さい普通のエビとどっちがおいしいかな?」
「うーん、そうですねぇ。どっちも美味しいんですよねぇ。味が違って…。イセエビはぷりっぷりだし、クルマエビとかは甘くてとろけるし…。」
それを聞いてミケーレは頷いた。
「味、違うんだね。ありがと、ニコちゃん。行ってくるねー。」
ビーチサンダル姿で、スタスタと海に入って行くミケーレをどこか心配そうに見つめるニコラスだったが、ミケーレの周りの波が、ちょうど半円ドームの様にミケーレに接触しない様に空洞を作り上げているのを見てため息をついて言った。
「はぁ…、本当にあの子達はすごいですね。私もあんな風に海の中を散歩して美味しいものを捕まえてみたいです。」
目をやたらとキラキラさせて海を見つめるニコラスを見て、流木に腰かけていた僕は立ち上がってニコラスに近づいた。
「行きたいの?」
「あ、いえいえ、もちろん無理ですから、溺れてご迷惑をおかけすることになっては困りますので、ここで見ています。」
「連れて行ってあげるよ。」
「え?ライルも何かああいう系の技を持っているんですか?」
「ニコラス、知らなかったのか?僕は皆の能力を自分の物にする能力があるんだ。」
「あ…そっか…。」
キョトンとするニコラスの目線に合わせるようにしゃがみ、ニコラスの唇にキスをした。
ニコラスの顔が真っ赤に変色…。僕たちは金色の光の粒子になり、一人の人間に実体化した。
そう、合体したのだ。頭の中でニコラスに指示をだす。
『ニコラス、さあ、網を持って、海の方へ歩いて行くんだ。』
「え?それだけでいいんですか?」
『僕が能力を使った状態でキープするから。』
合体している時はお互いの意思が体を支配できる。それに抗わなければ、先に支配を取った方が優先される。まるで自分にもう一つの意思があるような、そんな感覚だ。
能力は体の動きに関係なく発動できるので、僕は体の方をニコラスに任せ能力を使ってサポートすることにした。
波打ち際に来ると、スッと自分の周り半径3mほどの水が消えた。
実際は水が消えたのではなく、空気の塊の真ん中に自分が位置している状態だ。
「うわ…さっきのミケーレと一緒ですね。」
ニコラスが喜んでいる感情がダイレクトに伝わってくる。そう思うと僕も嬉しくなった。
先に進んで行くが、かすかに波の揺れを見ることが出来るだけで音もほとんどせず、濡れた砂の上をビーチサンダルで歩いている状態だ。まだ浅いところを歩いているので明るさも十分だ。
ニコラスは、子供の様に大はしゃぎで、空気の塊の中に閉じ込められて砂の上でピチピチは寝ている魚を見て大はしゃぎだ。
「これだったら、本当に簡単にエビも獲れますね。」
『そうだな。まるで水族館に来ているような気分になるな…。』
「水族館ってこんな風になっているんですか?」
『行ったことないのか?』
「あ、あはは…ないです。」
現代に来て数年、最近はアンドレの子供達やうちの子供達を連れ色々なところに行く機会も増えたが、確かに今までは目立たないようにひっそりと過ごしていたのだ。
しかも小さな子供でもいなければ水族館には行く機会もないだろう…。
そのまま岩や足場の悪いところを避けながら先に進むと、段々深くなっているのか暗くなってきた。
「深いからでしょうか…暗くなってきましたね。」
『あぁ、左手の制御をもらうよ。』
僕はそう言うと、左手を少し上げて、手のひらを上に向けた。手のひらの上に周りからじわじわとあの光の粒子が集まって来る。
「これは?」
『そこら辺に存在するエネルギー体だろうね。集めると目に見える状態になって光を発するんだ。』
ニコラスが更に先に進むと、少し先に青い光が見えてきた。
『ミケーレだよ』
僕が言うと、ニコラスが少し歩みを早めた。
近づくとミケーレの空気のドームと僕たちの空気のドームがくっついた。
『パチュン』と音がしてまるで大小のシャボン玉二つがくっついて大きな一つの塊に変わった。
「あ、ライル…じゃなくてニコちゃん…?んっ?」
ミケーレが判断に困っている様だ。ニコラスが説明した。
「あ、ニコラスとライルの合体した状態です。略してニコライ?」
「あはは、だっさー。普通にいそうな名前すぎてダサいよ。」
「そうですか?ミケーレ、一緒に獲ってもいいですか?」
「うん、お願い。」
そう言ってミケーレは足元を指差した。水が無くなってバタバタと動いている大きなイセエビが何匹もいる。僕たちのカゴに入れて先に進む…。
「あ、いた。」
ミケーレは僕たちに一度キラキラを消すように言った。キラキラを消すと真っ暗になった。
その後1、2分そのままで、ミケーレが急に青くてとても明るい光を放つキラキラを両手をお椀の様にしてその中に出した。
その直後、その光に魚やエビが集まってきたのだろう、空気のドームの上や横辺りから、ポトッ、ポトッと何かが落ちてきたかと思うと、それは海の生物だった。ミケーレは手に持った目の細かい網に柄がついた魚とり網を上手に使ってキャッチしていく。
中には食べられそうもない魚もいたが、それはキャッチせずに落としていくのだ。
「この魚は獲らないのですか?」
ニコラスの問いにミケーレは真面目に答える。
「ニコちゃん、それはゴンズイと言って毒があるお魚だよ。触っちゃダメなヤツ。」
小さいエビやイワシなどを捕まえては持っているバケツに入れていく。
バケツの中がいっぱいになったので戻ることにした。
途中、僕たちのドームの光に寄ってくるように大きな魚影が見えた。その時だ、上の方から何かが真っ直ぐすごい勢いで下りて来た。
その何かが、大きな魚影の脳天を一発の蹴りで仕留め、ぴくぴくと痙攣しているところを尻尾を掴んでまたぴゅーと上がって行った。
『マリアンジェラだ』
「え?マリー…なんですか?す、すごすぎる大型の魚を食べる鳥かと思いました。
そう言えば、ビーチサンダル履いてましたね。」
「ニコちゃん、面白いこと言うね。今日、冴えてるよ。」
確かに翼を出し、海の中を自由自在に飛び回るその様は水中で狩りをする鳥のようではあるが…。さすがに海鳥はマグロを手づかみでは獲るまい。
そうこうしているうちに浜に着いた。
ビーチサンダルと足元が少し濡れているが、それ以外はどこも濡れていない。
完璧な狩りだ。
「はぁ~、こんな楽しいんだったら、毎回やりたいですね。」
ニコラスが言うと、ミケーレが笑いながら言った。
「そんな…毎回チューしてたらマリーに殺されるよ。」
「ど、どうしてチューしたってわかったんですか?」
「え?だってこの前フィリップ達に連れられて結婚式に行ったのはライルだったでしょ?」
「知ってたんですか?」
「そりゃ見たらわかるよ。ちょっと変なライルだったもん。僕がそう言ったらパパがセキュリティカメラの映像をチェックしていてさ、それ見たんだ。」
「え?え?え?見たんですか?」
「うん。ニコちゃん、ライルの口、舐めまわしてただろ。」
『どういうことだ?ニコラス』
「…。ごめんなさい。」
どうやらあの夢だと思っていた舌を絡めるようないやらしいチューはニコラスが本当に寝ている僕の唇を襲っていたということらしい。
『変態』
「あうっ…」
そのやり取りの最中だ、ライアンが僕たちに向って走って来て言った。
「ん?ライル?ジュリアーノが戻って来ないの。どっかで泣いてる気がするの。
探しに行ってくれる?」
ライアンは涙目だ。
「わかった。ちょっと行ってくるよ。」
僕は、そのまま転移した。海の底の真っ暗闇の中だ。さっきと違うのは空気のドームは身にまとっていないこと。
『ぐぼっ、がぼっ』
ニコラスが溺れている音が聞こえた。忘れていた。ニコラスと合体していたんだった。
『ニコラス、全部のコントロールを僕に渡せ。』
『…』
空気がないから話せないらしい。僕はコントロールを奪い、一度空中へ転移した。翼を広げて空中に留まる。
「ゲホッ、ゲホッ…」
『ニコラス、悪かった。一旦僕の中に入ってくれ、中から外の様子は僕の目を通して見えるはずだ。』
「は、はい…。」
僕たちの体全体が金色に輝く光の粒子に覆われた。
僕はそのままマリアンジェラと同じように先ほどの海の底へまるで飛ぶように泳いで行ったのだ。
海の底について目を凝らすと、海底の岩などが透けて見え、その下にジュリアーノがいて泣いている様だ。実際には岩の下の砂の部分だと思うが…。僕も海底に体をずぶずぶと埋もれさせ、下へ下へと下りて行った。
『ジュリアーノ…僕だよ。ライルだ。僕の言ってることわかる?』
ジュリアーノが頷いた。よく見ると足元から血が出ている。どうやら割れたガラスか何かで切ってしまったことで、動揺してしまったのだろう。すぐに出血箇所を癒し、ジュリアーノを抱っこして空中へ転移した。
「ぐすっ、ライルおにーちゃま、ありがとお…ぐすっ。」
『大丈夫だ。もう痛くないだろ?ライアンが教えてくれたんだ。ジュリアーノが泣いてるから助けてって。』
「らいあんが?」
『そうだよ。ジュリアーノの声が聞こえたんだって。さぁ、帰ろう。』
「あい。」
僕はジュリアーノを連れたまま空を飛んで浜へ戻った。
「ジュリアーノ、大丈夫か?どうかしたのか?」
アンドレが心配そうに聞くと、僕の手から離れ、アンドレにしがみついてジュリアーノが泣きながら言った。
「あし痛くなってぇ、動けなくなった。」
「もう、大丈夫か?」
「あい。ライルおにーちゃまがたしゅけてくれた。」
「そうか、お礼言ったか?」
「あい。ありがと言った。」
「よし、いい子だ。もう大丈夫だ。さぁ、家に戻ろうか。」
ぬっとジュリアーノが持っていた網をアンドレに差し出した。
高級そうなアワビやサザエなどがたくさん入っていた。ただでは転ばないタイプの様だ。
ライアンがアサリ堀りを終わらせて走って来るのが見えた。
「ジュリアーノ、大丈夫?痛いの?」
「らいじょうぶ。なおった。らいあん、あんがと。」
ジュリアーノがライアンに抱きついて頬にキスをした。微笑ましい兄弟愛である。
マリアンジェラが2匹目のマグロを獲ってきたところで、春の海での狩りはお開きとなった。
ニコラスは夢の様な体験をし、ますますライルの事が好きになったのだった。
しかし、その日の夜からライルはベッドの真ん中に大きな抱き枕を挟んで寝るようになった。
なんだか、毎晩唇を襲われそうな嫌な予感を覚えたからだ…。
もちろん、ニコラスは自粛していたのだけれど…。




