6. 覚醒
ん、何だかお尻の辺りが冷たい。
はっ、僕は嫌な予感とともに一瞬で飛び起きた。
やっちまったかー。炎に焼かれる夢を見た。そして無意識に消火活動をしてしまったのか?
シーツに世界地図とまではいかないが、おねしょのあとが…。あぁ。恥ずかしい。急いでかえでさんを探さなければ。父様と母様には知られたくない。急げー。
僕はかえでさんを探して僕の部屋まで連れてくると、そっと布団をめくって見せた。
「くぅん。」
「え?」
そこには、昨晩助けた仔犬が恥ずかしそうにおねしょの横で伏せの状態でこちらを見上げている。
「あら、まぁ。この子は何でしょう?」
かえでさんは大きな瞬きを三回すると、驚きの声で僕に問いかけた。
すっかり忘れていた。
「あ、昨日の夜、橋の所で倒れていて。このままだと死んじゃうと思って、連れてきちゃった。」
「言ってくだされば、お手伝いしましたのに。」
「かえでさんを探したんだけど、見つからなくて。一人で夜に外に行ってごめんなさい。」
「そうでしたか、昨夜は旦那様と奥様が嵐の影響で通行止めになり、戻ることができないとご連絡があったものですから、動物病院に入院している動物の様子を見に行っていたのです。」
「それでいなかったのか。」
「お洗濯しておきますね。ライル様もお着換えされて朝食を召し上がって下さい。その子にも何か用意しますね。」
「ありがとう、かえでさん。」
僕は、着替えを終え、仔犬を抱いてダイニングへと移動した。
ダイニングの入り口にある花台の上に父様のスマホが置いてあった。
父様、またスマホを置き忘れて出かけちゃったのかな。
僕はスマホを手に取った。
その時だ、僕は激しいめまいと共に床にしゃがみこんだ。
あっ。同時に意識が飛ぶ。いや、意識が違う所へ向かったのだ。
キーッ、ガッシャン。左の方から大きなトラックが意識の移った先のその場所へと突っ込んでくる。
体が回転する、いや、車が横転している。
ゆっくりとスローモーションの様に周りの様子が目に入る。隣町のショッピングモールだ。隣の座席には母様がいる。車のダッシュボードについている時計には9時20分の 表示。
そして、一瞬の後にバーンという大きな音と共に視界が真っ暗になった。
「くぅん」
仔犬が僕の顔を舐めて気が付いた。ここは家だ。今の映像は何だ。壁掛け時計の時刻を見る。9時18分。
僕は何も考えず、手にしていたスマホで、母様の携帯電話に電話をかける。
出てくれ、出てくれ、今すぐ。
「もしもし~。」
「母様、一回しか言わない、しっかり聞いてその通りにして。一生に一回のお願い。今すぐ、ショッピングモールの駐車場に入って、そこのドーナツ屋さんの限定ドーナツを買ってきて。そこで、曲がって。今すぐ。」
今までの人生で一番の早口でしゃべったと思う。
「ライル?わかったわよぉ。あなた、そこ入って、そこ左。で、車を停めて。」
その時だ、電話の向こうで大きな衝撃音が響き、電話が切れた。
時計の時刻は9時20分。
電話をかけなおしても通じない。
「母様…。父様…。」
涙があふれる。間に合わなかった。
どうしてか、わからない。さっきの映像が今起こったことだと考える以外にない。僕は、床で泣き崩れた。
かえでさんに何があったかかと聞かれても、答えられなかった。ひたすら泣き続けること30分。
玄関のドアが開き、慌ただしい足音が聞こえる。
「ライル。ライル。ドーナツ屋さんは11時開店だから、限定ドーナツは買えなかったの。後で一緒に行きましょうね。」
母様が、いつものやさしい笑顔でそう言った。
「母様、無事だったんだね。事故には遭わなかったんだね。」
「え?どうして知ってるの?さっきライルがドーナツ買ってって言うから、駐車場に入ったら、私たちの後ろを走っていた車に横の道路からトラックが突っ込んできたのよ。車は横転して、乗っていた方たちは救急車で病院に運ばれたみたい。あまりの音にびっくりして携帯を放り投げちゃって、壊れちゃった。いやねぇ。」
「間に合ったんだね。」
「え?」
「いや、なんでもないよ。おかえりなさい、母様。」
「ただいま。ライル。ところで、その子はどうしたの?」
僕の後ろで碧眼の黒毛の仔犬が、お行儀よくお座りしてこっちを見ている。
「あ、あぁ。母様、この子は昨日の嵐の中、橋の所で倒れていたんだ。家に連れてきてしまってごめんなさい。
でも、僕、できればこの子を家に置いてあげたいんだけど、いい?」
「ライル、やさしい子ね。でも、この子には待っている家族や飼い主がいるかもしれないわ。後で、動物病院でチップを確認してみましょう。」
そこに父様が荷物を持って入って来た。
「いやぁ、変な事があったなぁ。危なく事故に巻き込まれるところだったよ。」
「父様。おかえりなさい。」
僕は、さっきの気持ちを思い出し、涙があふれるのをこらえきれずに父様に抱きついた。
「なんだ、ライル。たった一日で寂しくなったか?まだまだ赤ちゃんだな。」
ちっ、わかってないな、父様も母様も。まぁ、どうせ信じてくれることもないだろうけど。
その後、かえでさんが仔犬のことを両親に説明してくれたこともあり、朝食を済ませた両親と僕は、別棟の動物病院へ仔犬を連れていき、父様は仔犬の健康状態をチェックしてくれた。
そうして、今一度父様に確認される。
「ライル。この子は健康状態には問題ないようだよ。それで、この子を飼うつもりなんだね?」
「うん。」
「でももし、飼い主がいたら、返すんだよ。」
「わかってるよ。」
「この子は男の子だね。生後一か月くらいの、犬種はちょっとわからないな。雑種かな?」
「僕ね、この子に名前つけてもいい?」
「うーん、名前は飼い主がいないか確かめてからでいいんじゃないか?」
「じゃあ、飼い主がいなかったらこの子をアダムって呼んでいい?」
父様は苦笑いしながら、仔犬の首の辺りをスキャンする。ペット用のチップを探しているのだ。ビビッと音が鳴り、チップが発見されたようだ。
僕は少し残念な気持ちで、結果を聞く。チップがあるという事は、飼い主がいるという事だ。
「ん?あれ?何だろうね、これ?」
父様の様子が少しおかしい。
「チップはあったの?」
「あぁ、うん。あったよ。」
「それで?」
父様は黙ってパソコンの画面を指さした。
そこには、所有者・朝霧ライル 名前・アダム 犬種・??? と表示されていた。
「ライル、この犬はどこで拾ったんだい?」
沈黙の時が少しばかり過ぎ、父様は僕の頭に手をのせると、真面目な顔で言った。
「最初からこの子はライルの所に来ることが決まっていたんだろうね。かわいがってあげなさい。」
「父様。うん。大切にするよ。」
仔犬の方に向き直り、僕が仔犬の頭に手をのせなでると、手が触れているところが熱くなり、仔犬の碧眼が一瞬白銀色に輝き元の碧眼に戻る。
えっ?なんだろう。気のせい?僕の頭の中に白い羽根が一枚舞うイメージと母犬のぬくもりと嵐の夜の映像が駆け巡る。
ほんの一瞬で違和感はすぐに解消された。
「さあ、おいでアダム。」
名前を呼ぶと、仔犬の碧眼の瞳の中に金色の輪が一瞬浮かび上がり消えた。仔犬は嬉しそうに僕の足元にまとわりつきながら、僕と一緒に父の動物病院を後にした。