580. 石田刑事への恩返し(6)
僕、ライルが石田刑事の娘、美幸さんの脳内の損傷を癒し始めて約20分が経過した頃、少し美幸さんに変化が現れた。それまでは、眠った状態にありながらも、ずっと緊張した様な、怒っているような険しい顔をしていたのだ。しかし、少し前から、顔が紅潮し始め、それに伴い美幸さんの表情が緩くなった。
緊張が解けて安堵した様な穏やかな表情だ。
更に10分、こんなに一人の治癒に時間をかけたことはない。しかし、広範囲にわたるダメージは細かい細胞と細胞の繋がりの修復や、壊れてしまった組織の再構成など簡単にいかない事ばかりだった。
マリアンジェラは飽きたのか、子供の姿に戻り、未徠の所に行ってしまった。
その様子を見た石田刑事は目を白黒させながら驚いた。
「い、今、その…お、大きさが…変わった。」
「あぁ、石田さん、今更…そこですか?マリーは別の人には変化できませんが、自分の大きさを自由に変えられるんです。」
そんな話をしながら、治癒を続けていると、美幸さんの目がうっすらと開いた。ぼーっとしながら周りを見渡す。
こめかみ辺りを癒していた僕の手を美幸さんが掴んだ。
「ねぇ、お父さん。この子でしょ?前に話してくれた、天使って。」
「み、美幸…。俺のことがわかるのか?」
「当り前じゃない。その顔、どうしたって忘れられないわよ。」
「いや、お前はもう三年も俺の事を忘れていたんだ…。今日、このライル君に治してもらうまで…。」
「え?三年?」
美幸さんは苦しそうに頭を抱えた。僕はとっさに彼女に声をかけた。
「ゆっくりでいいから、焦らないで。今、やっと全部の組織が繋がって活動を始めたばかりなんだ。」
「あぁっ。うっ。」
そう嗚咽をこぼし、美幸さんは急に泣き始めた。
そして石田刑事の手に自分の手を伸ばし、言った。
「お父さん。私、あいつを、『片桐雄大』を許せないわ。」
美幸さんは完治したのだった。
少し体と脳を休め、精神的なショックを弱める為、朝まで美幸さんを寝かせることにした。
僕は、自室に行き、石田刑事も美幸さんの休んでいる隣の客間に戻って眠った。
僕は、部屋に入るなり笑いを堪えるのに必死になった。
僕の自室にはアンジェラが使っていたベッドと僕のベッドの2台が置かれたままだ。
アンジェラが使っていたベッドの方にニコラスが体育座りをした状態で固まっていた。
「どうした、ニコラス。」
「ライル~、助けて下さい。マリーが意地悪するんです。僕に動くなって命令して…。そうしたら本当に動けなくなって…。それなのに、自分だけどこかに行っちゃったんです…。」
マリアンジェラは赤い目を使ってニコラスの動きを封じた様だ。
僕が暗示の上書きをすると、ニコラスはようやく動くことが出来るようになった。
「で?どうして固まらなきゃならなかったんだ?」
「マリーがアイスを食べるというので、もう今日は遅いから、明日にしましょうって言ったんですけど…。それが気に入らなかったんでしょうか。」
『キィ…』ドアが開く音がして、マリアンジェラが部屋に入って来た。口の周りにチョコ色のギトギトがたっぷりついている。どうやら今日はチョコレートアイスを食べた様だ。
「マリー、もう夜中なのにアイスを食べたのか?」
「だってぇ。おいしいのがあるって、おじいちゃんが言うから…。」
「だからってニコラスを固めちゃダメだろ?」
「むぅ…。だってぇ、ニコちゃんうるさいんだもん。」
「マリー、ニコラスはマリーのこと心配して言ったんだよ。ほら、おいで。口の周りがチョコの色になってる。」
僕はマリアンジェラを抱き寄せて、ティッシュで口の周りを拭き、浴室の手前の洗面台で歯磨きをさせた。ニコラスは僕とマリアンジェラの様子をチラチラ見ながらため息をついている。
歯磨きを終え、マリアンジェラをパジャマに着替えさせてベッドに寝かせた時、ニコラスが言った。
「マリーはライルのいう事しか聞かないんですね。」
「しょんなことない。パパのいう事もママのいう事もちゃんと聞いてるよ。」
「じゃあ、私のいう事はどうして聞いてくれないんですか?」
ニコラス、本気の抗議中と言ったところだ。
「だって、パパもママもライルも、アイス食べちゃダメって言わないもん。」
あー、そっちか…。ニコラスが急に発言をあきらめ、窓際のアンジェラのベッドにもぐりこんだ。
ニコラスは理解したのだ。確かに、マリアンジェラが何かを食べたいと言って、アンジェラもリリィも僕も止めたことはないと思ったからだ。
僕はそっとニコラスに近づき、耳元で言った。
「ニコラス、ごめん。マリーは食べていないと能力を使えなくなるんだ。悪く思わないでくれ。」
ニコラスは目を瞑ったまま、コクリと頷いた。
次に僕はマリアンジェラが入っているベッドにパジャマに着替えた後、入った。
「マリー、こういうことに能力を使っちゃだめだろ?ニコラスに謝っておいで。ニコラスはマリーがたくさん食べないとエネルギー切れになるって知らなかっただけだよ。」
僕がそう言うと、マリアンジェラは僕の目を見つめて言った。
「チューしてくれたら、謝ってもいいけど。」
「そ、それは…。」
すでにタコチューの口の形になっているマリアンジェラの顔がおかしくて、お腹が痛くなりそうだ。
仕方がないので、マリアンジェラの頬にチュとキスしてあげた。
満面の笑みで起き上がると、マリアンジェラはニコラスの上に馬乗りになり言った。
「ニコちゃん、ごめんねー。マリーお腹がすくと何も考えられなくなっちゃうのよ~。」
ニコラスは、馬乗りになっているマリアンジェラがあまりにも重くて、返事も息も出来ないようだ。
カクカクと首をたてに振ってしきりにわかったとアピールして、マリアンジェラがベッドに戻るのを待っている。この二人、まじで面白い。
あっと言う間に夜が更け、朝を迎えたのであった。




