573. 本日の一大イベント(1)
3月31日、金曜日。
もう一つの世界に行き、戻った途端に過去に引き寄せられ、そして、どうにか自分の家に戻り、数日が経った。
実は今日はとても大きなイベントがあるのだ。
何を隠そう、僕が受験している大学の合格発表だ。
合格発表と言っても、日本の大学の様に掲示板の前で自分の番号を探すようなことではないらしい。
登録済のメールアドレスに結果が送信されてくるらしいのだ。
今回ダメでも、実際はまだ15歳の僕にはまだまだ時間はある。そんなには心配していない…けれど、1つくらいは合格していて欲しい…、これは本音だ。
朝、今までの慌ただしい日々が嘘の様にゆったりとした朝食を終え、ニコラスと二人でサンルームでチェスをしていた。
「チェックメイト」
僕がそう言って駒を置くと、穴が開くほどチェス盤を見つめたニコラスが言った。
「ライル、何かズルしてないですか?」
「ニコラス、なにを言ってるんだよ。そんなことして何かいいことがあるか?」
「し、しかし…おかしいじゃないですか。今まで300回はやっているのに、一度も勝てないなんて…。」
ニコラスの真剣な顔がおかしい。
「僕よりミケーレの方が強いよ。」
僕のその言葉を聞いた後、ニコラスはガックリと肩を落とし、チェス盤をキャビネットに片付けた。
そこにアンジェラがやって来て言った。
「二人とも、時間があるなら久しぶりに外に散策に行かないか?今日はなかなかの陽気で外は気持ちいいぞ。」
そう言えば、冬の間は散策というより、温室に野菜を取りに行くという感じだ。
「いいねぇ。僕はパエーリャが食べたいな。」
「は?ライル、何を意味不明な事を言ってるんです?道端にそんな食べ物が落ちているわけないでしょう?」
「まぁ、行ったらわかるさ。」
僕とアンジェラは思わずニヤリと笑ってしまった。
10分ほど経った頃、アンドレとリリアナがライアンとジュリアーノを連れてサンルームにやって来た。
続いてリリィとアンジェラがマリアンジェラとミケーレを連れてやってきた。
天気がいいと言ってもまだ3月末だ、しかし、子供たちはなんだか真夏のリゾートにでも行くかのような短パンにTシャツ姿だった。
「寒くないんですか?」
そう聞いたニコラスにマリアンジェラが軽く答える。
「あ、ニコちゃん、濡れなかったら大丈夫よ。」
「そうですか…。」
サンルームのガラスの扉から勢いよく出た子供たちは、大人の制止する声も聞かずに、あっという間に砂浜への階段を下り、崖下の岩場を歩いている。
「子供達だけで大丈夫なんですか?」
「私は先に行っているぞ。」
そう言って、アンジェラが翼を出し、崖下まで一気に飛んで行った。
「う、うわぁ…。」
ニコラスはいきなりのことに驚いた。何に驚いたかと言うと、アンジェラの翼の大きさに圧倒されたのだ。
万里の長城に行った時は、余裕が無くてそんなところまで見ていなかったのだ。
「ニコラス、僕たちも行こう。」
僕はそう声をかけ、ニコラスの肩に手を置いて転移した。
「う、うわ…。」
今度はぐらついて驚いたようだ。
「大丈夫か?」
「あ、はい。はい…大丈夫です。」
ニコラスが体勢を整え、周りを確認すると…早速子供達の狩りが始まっていた。
マリアンジェラは翼を出し、まるで大型の猛禽類が何かを狙っているように、真っ逆さまに海の中に突っ込んで行く。
「ひ、ひえぇ~。マリー、マリーが…。」
動揺するニコラスの肩にアンドレがポンポンとなだめるように手で合図し、言った。
「ニコラス、大丈夫だ。マリーは獲物を狩ってるんだ。見ていればわかるさ。」
「獲物?狩る?え?」
次の瞬間、『ザッパーン』と水しぶきをあげて少し小ぶりのマグロと思われる魚の尻尾を掴んだマリアンジェラが海の中から飛び出した。
「ヤッホー、これ、マグロ?パパ、これ…お寿司で食べた~い。」
アンジェラは頷き、どこかに電話をかけている。アンジェラが電話を切った後、リリアナに何かを伝えたら、リリアナがマグロと共にどこかに転移して行った。
次に動いたのはミケーレだ。ミケーレは双子と手を繋ぎ、そのまま海の方へ歩いて行く。
「お、おい。危ない、ミケーレ何してるんだ?」
ニコラスが慌ててミケーレを止めようと海の方へ走りだそうとした時、アンドレがニコラスの腕を掴んだ。
「ニコラス、あっちも大丈夫だ。少し静かに見ていなさい。」
「え?大丈夫って…。溺れたりしないのかい?」
アンドレは黙ったまま頷いた。ニコラスは信じられないと思いつつも、僕がいるのだから、きっと何かあればすぐに助けるつもりなのだろうと見守ることにしたようだ。
それからがニコラスの驚きの連続だった。ミケーレは5分ほどで双子を連れて帰ってきた。
三人共腰に結んだ網状の袋にパンパンに何かを詰め込んでいる。
ジュリアーノがニコラスに近づいてきた。
「ニコたん、えびしゅき?」
「えび?う、うん。」
「あい。ニコたんにあげる。」
ジュリアーノは網から大きい立派なイセエビを取り出してニコラスに渡した。
「す、すごいなジュリアーノ、こんな大きいの獲ったのか?」
「お水の中にいっぱいいるんだよー。ね、たべてー。」
大きなイセエビを手に、『え?今?ここで?』と言いながら戸惑うニコラスにアンジェラが助け船を出した。
「ジュリアーノ、皆がお前のように生でイセエビをバリバリ食べられるとは限らないぞ。ニコラスには無理だろう。家に戻ってから食べるそうだ。わかったな?」
「あい。パパアンジェラ。」
ニコラスはイセエビを手にしたまま、ポカンである。
そんなこんなで、たった30分の間に持って来た網はパンパンで、しかもマグロはリリアナと共に旅に出ている。
ニコラスは夢でも見ているような気分だったが、僕の言葉を思い出した様だ。
「パエーリャ…」
そうだ、パエーリャに入れる魚介…ムール貝とエビだ。
それはライアンがちゃっかり大量にゲットしていた。ライアンが褒めてほしくてアンドレの前に立った。
「パパドーレ、見て~。」
「おぉ、すごい量だな。ムール貝とアサリもあるのか…。アンジェラに頼んでアヒージョにしてもいいな…。」
頭を撫でられながらそう言われ、ライアンは嬉しそうだ。
ミケーレは小ぶりだがタコを4杯も獲っていた。
そのタコを見るなり、リリィがため息を漏らした。
「早く食べたい…。私もマリーに賛成。お寿司がいい。」
大きく育ったお腹を抱えながら、なんだか本当にお腹が空いてそうだ。
「アンジェラ…私先に帰って何か食べててもいい?見てたらお腹すいちゃった。」
「あぁ、気をつけてな。あ、ライル一緒に行ってやってくれ。」
「あ、うん。」
僕は久しぶりにリリィと二人きりで家の中に戻った。
ずいぶんと長いこと二人きりで話していなかった。そうだ、リリィが妊娠して以来だ。
「何食べるの?」
「へへへ…これ。」
リリィはパントリーの中から大きな缶を持って来た。チョコチップクッキーが大量に入っているやつだ。
「そんなの食べて大丈夫なの?」
そう言う僕の言葉が終わる前に、すでに3枚のチョコチップクッキーがリリィの口の中に入って行った。
「マジ、うま…。たまんないわ…。」
マリアンジェラの言葉遣いはどうやらリリィから来ている様だ。
美味しそうに食べるリリィに最近の様子を聞く。
「リリィ、どう?最近は…。僕忙しかったからさ…。」
リリィは一瞬こちらを見て、またチョコチップクッキーに視線を戻した。
「うん、お腹が重たいこと以外は普通だよ。でも楽しみなんだ。赤ちゃん達に会うの。」
「そうだね。あと一か月と少しだ。」
「うん。」
僕は元気よく答えたリリィの姿を見て、リリィは立派な一人の女性として生きているなと感じた。
今までみたいに二人で一人ではない。
リリィがクッキーの缶の半分ほど食べ終わったとき、皆が戻って来た。温室に寄って、野菜も採ってきたようだ。
大量の魚介類をすぐに下ごしらえして冷蔵庫へ次々と入れているのはアンジェラだ。
ちょうどすべての下ごしらえが終わったとき、リリアナが大きなお皿にマグロの刺身がのっているものを持ちかえって来た。
「アンジェラ…握るのは面倒だから、手巻き寿司にしなさいって徠神が言ってたわよ。」
「それもいいな…。」
どうやら今晩は手巻き寿司に決定のようだ。
ここからが大変だった。大量の酢飯を作り、刺身を細長く切ったりなどだ。手巻き寿司用ののりは徠神が用意してくれた。なんだかパーティーのようだ。




