569. ブロンズ像とシャルロッテ(1)
3月26日、日曜日。
たった二日間しか留守にしていなかったのに、なんだかとても精神的に疲れた。
僕、ライルはテンションが下がりつつも、どうにかいつも通りの日常に戻ろうとしているのだが、どうも周りが騒がしい。
朝方、ニコラスの夢に便乗して眠り、少しは休息が取れたかな…と思っているところに、うちのちびっこ二人が登場した。双子のライアンとジュリアーノだ。
「もしもし。おあよー。にいちゃま。」
「ライルにいちゃまとニコたん、おはよー。」
「あ、おはよう。二人とも、起こしに来たのか?」
「「うん」」
「ミケーレにいちゃまのぉ、おいわいするんだって。ね。」
「ねー。」
なんだかよくわかんないが、双子が起こしに来たのでニコラスと二人で起きてダイニングに行った。
アンジェラがニコニコしながら僕たちに朝食を運んでくれた。
「ミケーレのおいわいってなに?」
「お、ジュリアーノとライアンもちゃんと伝言ができるようになったのか、偉いぞ。」
アンジェラはまず二人を褒め、頭を撫でてから話し始めた。
「この前、工房に出していたブロンズ像が出来上がってきたんだ。そのお披露目をしてから兄上の店に運ぼうと思っているのだ。」
「え、早いね。」
「あれを原型にして全部で4体作成してもらったんだ。正直、できの良さに驚いているよ。」
アンジェラ、バリバリの親ばかである。マリアンジェラとミケーレは、すでに朝食を食べ終わり、リリィと一緒にアトリエで、天使像の梱包材を外していた。
そこに、リリアナ、双子、ニコラスを含むアンドレ以外の家族が全員集まった。
アンジェラが、もったいつけてミケーレに言った。
「ミケーレ、ほら、その最後の布を外して、皆さんに披露しなさい。」
「うん。」
ミケーレは少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、少しモジッとしてはいたが、堂々と布を引き剥した。
「「おおっ。」」
それは、リリィそのものだった。今にも動き出しそうな、生き生きとしたブロンズ像が出来上がっていた。
「ん?ちょっと待って…。」
僕はそのブロンズ像の土台の四角い部分に書かれている『M.A.R』の文字に目が止まった。
どこかで、見たことがあるサインなのだ。
首を傾げて考えていると、アンジェラが僕に聞いてきた。
「どうした、ライル。どこか変なのか?」
「いや、とても立派だよ。素晴らしい出来た。ただ、このサインをどこかで見たんだ。どこだか思い出せなくて。」
「え?同じサインの人がいるのかな?」
ミケーレも首を傾げている。
僕は、指でそのサインをなぞった。すると、僕の体が金色の光の粒子になって、サラサラと崩れ落ち始めた。
「あっ、ライル!行っちゃダメ。」
マリアンジェラが悲壮な面持ちで僕を止めようとしたが、僕の意思でなったわけではないのだ。
僕の目の前が一瞬真っ白になった後、僕は、さっきと同じ体勢でミケーレの作った天使像のサインをなぞっていた。
「あれ?」
そこは、屋外だった。ブロンズ像はこじんまりとした円形の噴水の中央に置かれ、そこへは歩いて行けるように飛び石が通路の様に少し間隔を置いて配置されている。ちょっとした庭園の様にも見えるその真ん中に、その天使像が置かれている噴水があった。サインの書かれている後方から前を覗き込むと、お供えができるようにと少し広めに作った四角い土台が少し削れて変色している。
僕は未来に来たのだろうか?
ブロンズの色も時間が経っているようで、緑色が濃くなりかなり年月の経過を感じる。
その時、後ろから声がした。
「あの…こんにちは。」
年は4、5歳と言ったところだろうか、女の子である。プリンセス系のコスプレをしている。
「こんにちは。」
僕が振り返って返事をすると、女の子は嬉しそうに微笑み、どこかに走り去って行った。
僕が、この場所がどこかときょろきょろと見て観察していた2、3分の間に、女の子は大人の女性を伴って戻ってきた。
「あ、あぁ…。本当に見つけたのね。」
僕がキョトンとしていると、女性はそう言うと仰々しく礼を取り、僕に挨拶をした。
「初めまして、天使様。ずっとあなた様を待っておりました。」
「え?僕を?」
「はい。」
僕は翼も出していないし、空を飛んできたわけでもない。確かに急に現れたと言えばそうかもしれないけど…。
「うーん、どうして僕を天使だと思うの?」
そう言った僕にその女性が手渡した物は…そう、あの天使について描かれている絵本の一冊だった。
僕に手渡されたその絵本は、表紙が真っ赤で、題名も表紙の絵も無かった。僕がそのページを開くと、涙を流している顔の絵がいきなり現れた。
「え?」
それは、どう見ても僕の顔だった。でも、子供の時の顔という感じだ。
文字は書かれていない。
次のページをめくると、鏡に写った女の子に話しかける子供が描かれていた。
思いっきり、僕とリリィの事が描かれている気がする。
次のページには、男の子の背中に翼が飛び出し、またその次のページには、寝ている子供に手を当てて癒している様子が描かれていた。
その後ろは真っ白のページだ。
僕は触らないように気をつけて絵本を閉じると、その女性に聞いた。
「僕は、ライル。あなたは、誰ですか?」
女性は顔を紅潮させて言った。
「天使様はライル様というんですね。私はコルネリア。この城の管理をしています。」
「城?」
「はい、ここは以前ユートレアという名前の国でした。今では帝国に吸収され、国としては残っておりませんが、このユートレア城は私の祖母が、その兄のために残してあるものです。」
「え?もしかして、その祖母の兄ってアンドレのこと?」
「ラ、ライル様…アンドレ様の事をご存じなんですか?」
「あ、あぁ、まぁ。それで、アンドレがどうかしたの?」
「もう、ずっとずっと以前のことですが、週のうち1、2度は戻って来られて公務をされていたのですが、急にお戻りにならなくなりました。」
「うーん、わかんないな…。コルネリアは王族ってこと?オスカー王の子孫なの?」
「はい。私の祖母はオスカー王の長女でございます。」
アンドレとニコラスには確か妹が生まれるって言ってた気がするな…。その子孫にユートレアの城をアンジェラが譲り受けたっていう話は聞いたことがある。その人達に繋がっているんだろうか…。
その時、コルネリアの横からさっきの女の子が顔を出した。
「天使ちゃま、絵本かえちて。」
「あ…あぁ、この絵本…。途中までしかないけど…。」
「いいの。シャルロッテのたからもの。」
どうやら、この小さなお姫様はシャルロッテと言うらしい。
「あ…じゃあ、ちょっと待ってて。」
僕は、ポケットからスマートフォンを取り出した。絵本の写真を撮っておこうと思ったのだ。
でも、今の情報だと大したことは載っていない。僕はシャルロッテに絵本を手渡し、こう言った。
「シャルロッテ、この絵本の続きを見たい?」
「え?絵本の続き?」
僕はシャルロッテに絵本をしっかり持つように言うと、表紙に手を当て、全体的に触ってみた。
青色の光が絵本の表紙から現れ、シャルロッテは目を大きく見開いて絵本を見つめている。
何も絵のない表紙に後ろ向きに翼を広げる天使の絵が現れ、タイトルが浮き出て来た。
『悲しみの天使』
それを見た途端、シャルロッテは驚いて尻もちをついた。
「きゃ」
「大丈夫かい?」
僕が手を引き立ち上がらせると、シャルロッテは僕の顔をじーっと見つめて言った。
「天使様が描いた絵本なの?」
「いや、違うよ。この絵本は色が違うものが何冊もあって、天使が触ったときにだけ絵や文字が浮き出て読めるようになるんだ。一度出れば、消えないけどね。」
僕がそう言うと、期待した様子でシャルロッテは表紙をめくった。




