562. 石田刑事の願いごと(4)
僕、ライルは、石田刑事の娘、美幸さんの記憶を見て、知らないうちに涙を流していた。
僕は全てを把握したのだ。
それは、およそ三年前のこと。大学生だった美幸さん当時二十歳は、大学の夏休みの間、職業研修という名目で、知り合いのツテで小さなWEBデザインの会社で働き始めた。
そのWEBデザインの会社を経営しているのが、当時26歳で大学を卒業後たった二年で会社を立ち上げ、小さいながらも会社の社長という肩書の石田刑事が連れて来た男、片桐雄大だった。
恋愛経験のない美幸さんには少し年上の片桐が眩しく見えたのだろう。恋心を抱くのにそんなに時間はかからなかった。
そして、二人はすぐに恋人同士となり、一か月も過ぎるころには片桐の方から結婚の話を出していたほどだ。しかし、そんな幸せの時期にも関わらず、片桐は美幸さんにこんな話をしている。
『僕は、一度結婚を前提に付き合っていた婚約者がいたのだが、裏切りに合い婚約を解消した。その人とまだ揉めていて決着がついていないから、それが済むまで僕との関係はご両親にも友人にも内緒にしてくれないか。』
美幸さんはそれを信じ、片桐からもらった小さな石のついた指輪を心の支えに求婚されたことは心に秘めた。
そして、更に数ヵ月。大学の夏休みは終わったが、その後も継続して平日の夜は片桐の会社で無料奉仕する日々が続いた。
そんな時、片桐から話があった。『そろそろ目途がつきそうだ。お互いを名義人にして生命保険に入ろう。そして、来年の春には結婚しよう。でも、また内緒だよ。両親にはサプライズで知らせよう。』
美幸さんは何も疑わず、生命保険の契約書にサインをした。
『もうすぐ幸せな結婚生活を始められる』と信じて疑わなかった。
更に数ヵ月経ったある日、美幸さんは、『翌日は私の母の誕生日なので、家でご馳走を作るから会社に来られないわ』と言った。
その翌日、午後の時間だった。美幸さんが家でお料理を何種類も用意するためにキッチンで腕をふるっている時、インターホンの音が訪問者が来たことを知らせた。
料理は私が作るから、と母親を座らせていたのだが、その母親が訪問者に対応した。
『バタン』と何かが倒れるような音が玄関の方から聞こえて、美幸さんがその方向へ向かうと、廊下へ出るドアの先に黒いスウェットの上下を着た黒いマスクの男が包丁を手に持って美幸さんを襲った。
首や、腹を何度か刺され後ろに倒れながら意識が遠のいていく中、男がマスクを下げた。
それは、紛れもなく、自分と結婚の約束をした片桐雄大だった。
美幸さんは、そのまま意識を失い、目覚めることはなかった。
僕は、最後に美幸さんが感じた絶望感を胸に、この人を強く『生かしたい』と思った。
この人は死ぬ必要がない。僕は過去に行って運命を変えるわけじゃない。今、流れている現実の時の中で、この人の治癒力を最大限に高めてあげるだけだ。
この人は、美幸さんは『生きたい』と願っている。
僕は、美幸さんの記憶から見えた損傷個所を一つ一つ深部に至るまで細かく修復されるよう、治癒の能力を使い癒していった。
刺された箇所は本人の記憶にないところまでを含め18カ所。
確実にとどめを刺したつもりだったのだろう。
しかし、彼女は死ななかった。僕は、最後に首の神経の束の損傷を癒し、その先の血流が悪くなったことで損傷してしまった脳の一部を最後に治した。
石田刑事はずっとその様子を見ていた。
僕が触れるか触れないかのすれすれのところを体中撫でまわしている時、刺された箇所に行くと白っぽい光が体から発光するのが見えた。
病室の部屋の中は枕元の小さな電気しかついておらず、少しの光でもわかるほどだった。
石田刑事は最初は僕が何をしているかわからなかったようだったが、パジャマをめくって手を当て出してから何をしているのか把握したようだ。力を使えば使うほど、僕の体も白いオーラを帯びて輝いていった。
しかし、石田刑事は、最後に首と脳を癒し終わった後、訪れる奇跡は予想していなかったようだ。
美幸さんの指が、ピクッと動いた。
「なっ…。」
石田刑事が、慌てて美幸さんの手を取った。美幸さんは弱々しくも手を握り返した。
彼女に生命維持装置の数値が乱れ、アラームが鳴った。
慌ただしく医師と看護師が病室へと駆けつけた。
病室の照明が点けられ、医師が驚きの声で叫んだ。
「こんなことが、起きるなんて…。」
美幸さんは目を開け涙を目に溜めながら石田刑事の手を握った。
その後、僕と瑠璃は部屋の隅でその状況を見守っていた。
自発呼吸が確認され、人口呼吸器は取り外された。
取り外された呼吸器の傷口を処理され、意識も記憶もあることが医師によって確認された。
しばらく話は出来ないが筆談は可能な様だ。
僕は、石田刑事に美幸さんとのやり取りを撮影するように言った。
石田刑事がスマホで撮影を開始した。僕は美幸さんに質問した。
「美幸さん、あなたを刺したのはWEBデザインの会社を経営する片桐雄大ですか?」
美幸さんは頷いて、病院で用意されたノートにボールペンで『間違いありません。片桐に刺されました。』と書いた。
僕はもう一つ質問をした。
「片桐雄大はあなたに結婚を申し込み、生命保険に加入させましたか?」
美幸さんは驚いた顔で目を見開いたまま頷き、メモにも書いた。
『片桐に結婚しようと言われ、生命保険に加入しました。』
石田刑事は、美幸さんが片桐の会社でインターンをしており、就職の相談などを頻繁にしていた親しい友人とばかり思っていたため驚きを隠せなかった。
また、死亡しなかったため、保険金の請求も行われず、表面に出ることはなかった。
死亡保険金は会社が受け取ると設定されており、他の従業員にもかけられていたようだと美幸さんはノートに書いた。
僕は石田刑事にアドバイスをした。
「石田刑事さん、盗聴器、鑑識に回してください。あと、音声が聞こえなくなったことで、あわてて本人が盗聴器を回収に来ると思います。そして、美幸さんが意識を取り戻したと知ったら、美幸さんを狙うと思います。それは、警察の方で対応してください。」
「わかった。必ず捕まえて罪を償わせてやる。」
石田刑事は僕とリリィにそう言った。
僕たちは少し経ってから、その日は瑠璃の住む朝霧邸で一晩を過ごすことになった。
僕には、僕の世界ではアンドレとリリアナが使っている2階の一室を使うように言われた。
石田刑事の事件に付き合っていたため、すっかり遅くなってしまった。
僕と瑠璃は病室のトイレから朝霧邸の瑠璃の部屋に転移した。
時刻は夜の11時半。ダイニングでかえでさんが作り置きしてくれたおにぎりと豚汁を温めて食べた。すっかり遅い時間だ。しかし、瑠璃は、僕が来る前までぐうたらしていたらしく、全く眠そうではない。
「瑠璃、眠くないの?」
「あ、だいじょぶよ~。いつも夜更かししちゃって、ほら、今、春休みでさ…することないしね。」
「そうなんだ…。」
「あ、でも、でもぉ。明日はね、おでかけしなきゃなのよ。明日はアンジェラが東京のホテルでシークレットライブをやるの。それで、お呼ばれしててね。あ、ライル君も行かない?」
「え…っと、う~ん。僕、遊びに来たわけじゃないしなぁ…。」
「そう言うと思った。でも、アンジェラはお礼がしたいって言ってたよ。」
「う~ん。でも、僕、着替えも持ってきてないよ。」
「あ、じゃあ。明日の午前中にお洋服買いに行こうよ。私、ママにおこづかい出してもらうよ。
だって徠紗を助けてくれたんだもん。それくらいいいでしょ?」
なんだか断れない雰囲気になってしまった。
僕は、眠れないまま、用意してもらった部屋で、アンジェラが貸してくれたスマホを使い、こちらの世界と僕の世界の何が現在で違うかをチェックして時間をつぶした。
あの小惑星『アポフィス』についての記述も見つけた。
そうだ、2029年4月13日に地球に最も接近するとは書かれていたが、衝突に関しては何の記述もなかった。僕は持って来た自分のスマホで、その記事を写真に撮った。
他にもいくつかの時事ネタを検索し、その画面を写真に撮った。
どうやら、世の中で起こっていることは大筋ではほとんど変わらないが、スポーツ選手などは見たことも聞いたこともない選手もいたりするようだ。
もしかしたら、僕の世界の石田刑事の娘にも同じような不幸が起きているのだろうか…。
戻ったらすぐに訪ねてみようと思うのだった。




