56. ごめんねアンジェラ
アンジェラが僕に続いて部屋に入って、ドアを閉めてロックをした。
「ん?なんでロック?」
「もう、戻って来ないんじゃないかと思った…。」
「何言ってるの。そんなわけな…。」
あ、あれ?アンジェラが泣き出してしまった。
「どうしたの?泣かないで…。ね。今度はアンジェラも一緒に行こう。それだったら迷子になっても一緒だし。」
アンジェラは僕に抱きついたままベッドに座った状態で寝息を立てて眠ってしまった。
きっと緊張してたんだろうな。
アンジェラをベッドに寝かせて、自分もパジャマに着替えて添い寝をした。
僕も疲れていたからだと思うけど、そのまま寝落ちした。
ドンドン。というドアをたたく音で目が覚めた。
「アンジェラ、交代して。」
アズラィールがドアをたたいていた。僕があわてて返事をする。
「ごめん、寝ちゃったから五分待ってて。」
「オッケー。」
「ちょっと、アンジェラ。起きて。交代だって。アズラィールが待ってるから。」
「うん。じゃ、行ってくる。」
やっぱり、思った以上に疲労がたまっていたらしく、僕はそのまままた眠ってしまっていた。。
二時間で交代していたようで、アンジェラは夜中にもう一度いなくなった。
四月三日日曜日、次の日の朝、目が覚めたらアンジェラはいなかった。
戻って来なかったのかな?と思ったら、トレーに朝食を乗せて部屋に戻って来た。
「あ、起こしちゃった?」
「ううん、今たまたま目が覚めて…アンジェラがいなかったから…。」
「寂しかった?」
「うん。」
アンジェラはサイドテーブルにトレーを置くと、ベッドに腰かけて僕の頭を撫でてくれた。
「疲れちゃったんだね。ごめんね昨日は取り乱しちゃって。」
「ううん、僕うれしかったから。」
「朝はお部屋で食べよう。二人だけで、ね。」
「うん。」
アンジェラはまた僕を赤ちゃん扱いして、ご飯を食べさせてくれた。
でも、今日はそれがうれしかった。
食事を終えて、またゆったりと部屋で過ごしていた時のことだ。
なんとなくアンジェラと世間話をしていた。
「そういえばさ、アンジェラってどっかに家持ってるんでしょ?」
「あぁ、あるよ。イタリアの海の前の家に長く滞在することが多かったね。」
「何か所もあるの?」
「そこ以外に別荘が三か所ある。」
「すごいね。」
「すごくはないよ。そこにはライルがいないから。」
恥ずかしくなるようなことを平気で言っちゃうところがアンジェラらしい。
「行ってみたい?」
「うん。」
「じゃ、飛行機予約してもらっとこうか…。」
「あ、アンジェラ。そこまで一回で行けるかわかんないけど、僕行けると思うよ。」
「疲れちゃうだろ。」
「大丈夫だよ。どこまで行けるのか試してみたいし。」
「うーん…。ちょっと心配だな。」
「じゃあ、行かない。」
「え、え、そんな~。一緒に旅行できると思ったのに…。」
僕たちは結局、午後の一時間だけ、遠くに転移できるかの実験をすることになった。
インターネットのストリートビューでアンジェラの家の場所を調べておく。
崖とかに出たら困るので、あらかじめ二人とも翼を出して…。
「準備はいい?」
「あぁ。」
手をつないで、転移する。
一瞬だった。遠くても関係ないんだ。アンジェラの家の庭に出た。
「やったー。」
「すごいな。普通に移動したら二十時間はかかる。」
「その分楽しく過ごせるね。」
「あぁ。」
アンジェラがセキュリティを解除して中に入れてくれた。
海沿いの崖の上に立つ白い家だった。
「かわいい~。」
家の中には大きめの絵画がいくつも飾られていた。
「絵も素敵…。」
あっ。これ…。少年天使姿のライルの絵が飾られていた。
「アンジェラ、これって…。」
「子供の時に見たライルの姿だよ。忘れないようにって、ずっとお前の姿ばかり描いてた時期があってな。」
アンジェラが懐かしそうに目を伏せる。
ちょっと恥ずかしいけど、嬉しくなってアンジェラにハグをした。
「おかげで、天使を描かせたら私の前に出る者はいない、というくらいの画家になったんだ。もう八十年くらい前だけどな。絵が売れたおかげで、今でも金には困らない。」
「画家だったんだ…。何も知らなかった。」
「お前のおかげだよ、天使様。」
「やめてよ、それ。それに今はただの女の子だし。」
「じゃあ、その姿で当時の私に会いに行ってみておくれ、きっと、ここにもう一枚絵が増える。」
「どこに行けば会えるの?」
「ここさ、ここでずっと絵を描いていたんだ。」
「一緒に行ってみる?」
「え?」
僕はアンジェラの左手に自分の右手を恋人繋ぎでつないで向かい合わせに立った。
また一瞬の後だった。僕たちはその部屋の過去に転移した。
部屋の中には、たくさんの天使の絵があった。その中に埋もれるように少し離れた所の椅子に男は座って絵を描いていた。
乱れた髪を後ろで結わえて、険しい顔をして。
そして、僕たちに気づいて立ち上がった。
アンジェラはその男の方を向かなかった。僕はアンジェラに向き直って、キスした。
二人の翼が大きく開いた。数秒後、僕らは元の時間に戻って来た。そこでは、絵が二枚に増えていた。
二人の天使がキスしている絵だ。
「うわ、さすが同じ人間だけあって、本当に思考がいっしょだね。」
あれ、繋いでいた手がプルプルと震えている。
アンジェラが泣いていた。どうして泣いていたかはわからないけど…、ぎゅとしてトントンしてあげた。
海が見える庭に出て、ベンチに座ってただ海を見て、あっと言う間に一時間が過ぎた。
「昔のアンジェラに会えてよかった。今よりワイルドな感じだったね。」
「あぁいう方がタイプか?」
「何、意味不明なこと言ってんの?同じ人間なんでしょ?それに、僕は今のアンジェラが好きだよ。」
「…。」
「やだな、また黙るし。」
「また、ここに一緒に来てくれるか?」
「うん、気に入ったからいつでも来たい。もう一回あの絵見てきていい?」
「あぁ。」
僕はさっきのアンジェラと僕の絵を近くで見た。
「アンジェラ、かっこいい。」
僕は思わず絵に触れてしまった。そして、転移してしまった。
家の前の崖から飛び降りた直後の昔のアンジェラの前に…。
翼を出して、アンジェラに抱きつく、「間に合って…。」ギリギリのところで岩への衝突は免れた。彼を家の中に連れ帰る。
ソファに横にして様子をうかがう。体に悪いところはない様だ。
髪をよけて、顔をよく見る。疲れてそうだ。精神的に追い詰められてるのかな?
「かわいそうに…。」
なんだか自分も悲しくなって、背中をトントンしてあげた。
彼が目を開けた。彼の目から涙があふれた。
「ごめんね。何もしてあげられなくて…。でも、僕、待ってるから、死んだりしないで。」
僕は彼にキスをした。
「…行かないで…。」
彼は悲しそうにそう言ったけど、僕はそれは出来ないと言った。
「ごめんね、僕はまだ生まれていないから。それはできないよ。」
そう言ってもう一度抱きしめて、その場から転移した、アンジェラが待っているところへ。
アンジェラが泣き崩れていた。
そこには、もう一枚絵が増えていた。崖から落ちるアンジェラに手を差し伸べる天使の絵だった。
「アンジェラ、ごめん。絵を触ったら勝手に転移しちゃって…。」
「…。」
「あの、昔のアンジェラが落ち込んでたから。何もあげるものがないから、その、あの、チューを…。」
アンジェラが反対側を向いてしまった。
「ごめんね、アンジェラ。」
「…。」
アンジェラが振り向いて、僕にキスをした。
「ずっと前から、ずっと前から、愛してるんだ。絶対にどこにも行かないで…。」
「うん…。」
その日は、そのまま家に帰った。
家に帰るとアンジェラはアズラィールと交代で左徠の付き添いをした。
僕が部屋で一人で勉強して過ごしていると、ドアがノックされた。
「はい。」
そこには未徠がいた。僕はなぜ未徠が僕の部屋を訪ねたかわからず聞いた。
「どうかしましたか?」
未徠の顔に目線を合わせると、彼の眼球が全部真っ黒になっている。何かおかしい。
そう思ったけど、未徠がまさか襲ってくるとは思っていなかった。
ぐっ、僕の首を未徠が全力で絞める。く、苦しい。
間違いない。僕は、死んだ。
物音に気付いたアンジェラが部屋に戻った時には、息絶えた僕と、頭を抱えた未徠がいた。
アンジェラの叫び声が、頭のなかで何度もこだまする。
「ごめんね、アンジェラ。もう、一緒にいられないみたい…。愛してる…。」
声にならない声だった。全部が真っ暗になった。人生が終わった。
そんなに長い人生じゃなかったけど。
「さっきちゃんとアンジェラに愛してるって言えばよかった。」
まだ時間があると思っていたのに…。




