556. 騒がしい春休み
2月29日、火曜日。
何事もなく、三週間が過ぎた。
三週間前から毎日繰り返されているが、朝食を終えた時にはいつもアンジェラとミケーレの姿がもうなくなっている。
本当に真剣に天使像の作成をしているようだ。今朝は、しばらくぶりに作業の様子を覗きに行ってみた。
つい立の隙間から覗くと、脚立の上に立ち、高いところの形を整えているミケーレが見えた。
4歳児とは思えない真剣な表情だ。そしてアンジェラは…。そのミケーレが落ちないようにミケーレの腰のあたりを掴んで支えていた。
「あ、ライル。」
ミケーレが気付いて僕に声をかけた。
「ミケーレ、どう、進んだ?」
「うん、結構進んだよ。あとは翼の方をもう少し細かくやったら仕上げにとりかかるんだ。」
アンジェラがニヤッとしてこっちを見た。
「アンジェラ、怖いよ、また何か企んでいるだろ?」
「人聞きの悪いことを言うな。ただ、いいところに来たなと思っただけだ。」
「何がいいところなんだか…。」
「ミケーレが翼の付け根の所がもう少し詳しく見たいと言っていたんだ。ほら、服着替えて、また頼むよ…。」
僕はどうやら地雷を踏んだらしい。仕方がないので、リリィの姿になり着替えてきた。
「ライル、ありがと。どうしても写真だと、翼の付け根がどうなってるかわかんなくて…。」
翼のために切れ込みが入っている洋服を着用しているのだが、翼を出すと隙間が無くなってぴったりとしている。
ミケーレに脇の下からとか翼を上に持ち上げた状態でとか、色々な角度で観察され、またスマホで写真を撮られた。
「ありがと、ライル。すごい参考になった。もっと翼の厚みがあった方が本物に近いね。
あと、意外と付け根の部分の幅が広くて細かい羽がいっぱい生えてるんだね。」
ミケーレはアンジェラに確認するように、『この細かい羽までは表現しない方がいいよね』、などと意見を聞きつつ、粘土をへらで盛ったり、形づくったりしていた。
僕は、てっきりアンジェラが手取り足取り細かくミケーレを指導しているのかと思っていたが、予想に反し、全く技術的な指導はしていなかった。
たまにミケーレの方から『こういう時はどうするの?』と聞かれれば答える程度である。
アンジェラは、創作物は技術よりも作る本人の感性やタッチが大切だと考えているようだ。
3月7日、火曜日。
今日から僕と子供達は学園が春休みに入った、3月26日までたっぷり時間がある。
そしてさらに一週間が過ぎ、どうやら粘土で作成した原型が完成したようだ。
まだまだ石膏で型を取ったり、そこに樹脂を塗って再形成したりなど色々な工程を経て、どうにか鋳物を作成してくれる業者に引き渡した時には、また更に一週間が経っていた。
創作の途中から、アンジェラとミケーレだけの秘密という事で、外注した鋳物業者からブロンズ像として納品されるまでは、お披露目はお預けとなった。
そう言えば、すっかり忘れていたが、この間、2月の下旬に一つ進展があった。
徠紗の代わりに囮になって僕が誘拐された事件のことだ。
日本の警察からその後の捜査の報告があったそうだ。
結局のところ、実行犯は金に目がくらんで話に乗ったチンピラだったのが確認された。
そして、主犯は『由里杏子』と名乗る大学の教授だった。
そう、あの僕が過去を変えてしまう前の僕の母親だった女だ。
杏子は変わる前の過去で、僕の父様と共に自身が研究員をしていた研究室の教授として、遺伝子に関する研究をしていたそうだ。
しかし、不思議なことにその女の経歴は全て本物ではなかったようで、出生地から、何から身元を確認することさえ出来ないでいるという話だ。
しかも、左徠が26歳の頃、同じ職場にいて爆発物を持ち込んだテロの実行犯も同一人物だとわかっている。
更に、杏子は一年のうち半分以上もどこか別の場所に滞在していたようだが、その場所も明らかになっていない。
だが、この場所については、僕とアンジェラには思い当たる所があった。
そう、『もう一つの世界』だ。
僕はアンジェラと共に、継続してもう一つの世界の『ブラザーアンジェラ』と『瑠璃』に手紙ではあるが、連絡を取り続けている。
僕たちも、今回の警察の調査報告を記した手紙を書いて、彼らに送っておいた。
僕たちのいる世界で『由里杏子』が警察に拘束されているという事は、もし二つの世界をあの女が行き来していたとしたら、あっちの世界には今存在していない事になる。
そして、そうなると、どこかにこの家の倉庫の中の絵の様に、両方の世界に重なるように存在するゲートの様な場所があるのかもしれない。
あくまでも想像の範囲だが、『由里杏子』の活動範囲は今のところ日本が主である。
きっと日本のどこかにゲートがあるに違いない。
その事も書き加えつつ、手紙を書いたのだが…すぐには返事が来なかった。
春休みの間、昼間は温かい日も多くなり、三月も下旬になってくるとミケーレの創作も一段落して、家族で過ごす時間が増えた。
ニコラスは、この三カ月ですっかりうちの中に溶け込み、子供からはニコちゃんと呼ばれ、本人もまんざらではないようで、いつも子供達と本気で遊んでいる。
最近の子供達のブームは、日本に出前を取りに行ったリリアナが行きつけの和食屋さんの女将にもらった双六だ。
どうも正月に店に来たお客に配ったらしく、少し大きめのクッションで出来たサイコロを振り、動物の形のぬいぐるみを駒として進めるのだが、ところどころにシュールな罰ゲームが用意されていて、それが子供にウケているようだ。
今日、ニコラスと子供達がダイニングのソファとテーブルの所で双六を広げて遊んでいるところで、異様な光景を目にした。
ニコラスが、ものすごい厚着をしているのだ。
「ニコラス…寒いのか?大丈夫か?」
僕が聞くと、苦笑いをする。その様子を見てマリアンジェラがささっと僕の横に来て耳打ちしたのだ。
「ニコちゃんね、たくさん着てないと、このゲームでひどいことになっちゃうのよ。」
「え?」
どうやら、シュールな罰ゲームの中に、『誰かを指名して一枚着ているものを脱がせる』と言うのがあるらしく、双子は必ずニコラスに脱ぐように指名するんだとか…。そして、やたらとその場所にサイコロを振って止まるのが、ジュリアーノらしい。
マリアンジェラが言うには能力とかは使って無さそうだけど、とにかく勝運が強いらしい。
虫も殺さぬような柔らかい顔をして、暴力的かつ超ドS要素大のジュリアーノだ。
最近は少し聞き分けもできるようになり、おとなしくなってはきているが、実の伯父であるニコラスにも容赦ない。
ちなみに、マリアンジェラが言うには、ニコラスがいないときはアンドレが餌食になるらしく、いつもパンツ一枚までにされてギブアップしているらしい。
「ライルもやる?」
マリアンジェラが期待を込めた目で僕を見つめたが、僕は丁寧にお断りした。
「僕、パンツ一枚にされるのは、ちょっと無理かな…。」
「そうよね。マリーのライルは他の人の前でパンツ見せたりしないもの。うふふ」
ドヤ顔でそう言うマリアンジェラ…。相変わらずである。
そんなこんなで騒がしい春休みも終わりに近づいてきた。




