554. 後遺症
2月7日、月曜日。
僕、ライルは今日から通常通りの時間割だ。
午前中は家で過ごし、昼過ぎにアメリカの家に転移し、学校へ行く。だが、帰りは別行動となる。高校の授業の後にはスポーツの時間が2時間ほどあるからだ。
学園に到着し、いつも通りミケーレとマリアンジェラがキンダーに、ニコラスは図書館のボランティアに、そして僕は通常の授業を受けた。
ランチタイムに三人と合流し午前中にあったことなどを聞いた。
この前暴走した工事現場のトラックが壊したジャングルジムが今日から工事に入るので、園庭がしばらく使えないと言う話だった。
外遊びが出来ない期間は2週間ほどで、その間は学園の中学・高校の体育館を使うかもしれないと言っていたらしい。
「ライルに途中で会えちゃったりするの?」
期待を込めた瞳でマリアンジェラが僕を覗き込む。
「残念だけど、マリーがいる時間帯で体育館を使うことは無いんだよね。」
そう言うと、がっかりした顔でため息をついた。
「キンダーの子達って幼稚なのよぉ。ミケーレはあの中ではマジで神レベルに落ち着いているんだから。」
「そりゃ、ミケーレはうちの中でも落ち着いているじゃないか。リリィやリリアナよりも。」
僕がふざけて言うと、マリアンジェラが真顔で頷いて言った。
「あっ、しょっか…。そうでした。」
あっという間にキンダーのランチタイムが終わり、ニコラスと少しの間二人きりになった。
ニコラスが少し躊躇しながら僕に話しかけてきた。
「あの…ライル。これは私の妄想かもしれないので、聞き流してほしいんですけど…。」
「ん?どうしたの、ニコラス。」
「実はここ2、3日なんですが…毎晩のようにとても怖くて悲しい夢を見るんです。」
「え?あれじゃないの?予知夢、確かニコラスには少しだけ未来を視る能力があるって言ってたような…。」
「いいえ、それとはちょっと違うんです。」
ニコラスが夢に見ていたのは、すでに僕が変えてしまった過去で起こったエピソードの断片だった。
「最初は私がユートレアの大聖堂で、ドクターと呼ばれる男の描いた魔法陣の様なものの真ん中で何かで刺されて消える夢だったんです。」
「ドクターユーリか?」
「あっ、そうです。それです。もしかして、実在する人物なんですか?」
ニコラスが強張った表情で僕の手を握る。不安な気持ちを拭ってあげるためには教えてあげた方がいいのかもしれないが、それを全部話すことでニコラスにどのような影響があるか、僕一人では決められないと思った。
「ニコラス、今日の夜、家に帰ってから寝る前の空いてる時間にアンジェラと一緒に話したいことがあるんだ。」
「この変な夢に関係のある事ですか。」
「うん。その夢のこともそうだし、色々とね。一緒に住んで行くなら知っておいた方がいいと思うんだ。」
「わかりました。じゃあ、今晩、聞かせてください。」
僕とニコラスはそこで別れた。
その日は特にトラベルもなく、子供達を連れてニコラスはアメリカの家に徒歩で帰り、そこからはマリアンジェラが三人でイタリアの家に転移して行った。
僕は授業の合間にアンジェラにメッセージを送っておいた。
『ニコラスが、あの紐の影響か、僕が変えた過去の夢を見るようになったようだ。今晩、三人で話せないかな。あくまでも安心させるために教えてあげたいんだ。』
アンジェラからすぐに返信がきた。
『不安を取り除くためなら話すべきだな。おいしいつまみを用意しておこう。』
ん?なんだか楽しそうに感じるのは僕だけか?
その後、スポーツの時間をこなし、寮の部屋でシャワーを浴びてから帰宅した。
アメリカでは夕方でも、イタリアではもう午後11時だ。
子供たちはすでに就寝しており、自室のクローゼットに転移した僕はそのままダイニングに向かった。
ニコラスとアンジェラがすでに待ち構えていた。
アンジェラはもうワインを飲み始めており、僕の姿を見た途端、満面の笑みでダイニングテーブルから大きなトレーを持ち上げ、スタスタと暖炉の前のソファとローテーブルの方へ移動した。
「二人ともこっちへ来なさい。」
そうアンジェラに言われ、僕とニコラスはそれぞれ一人掛けのソファに移動した。
トレーの上には色とりどりの『つまみ』がのっていた。
「どうだ、うまそうだろう。ピンチョスだ。食べろ。」
「どうしたの、これ?」
「スペインのつまみだ。見よう見まねで作ってみた。」
アンジェラはグラスにワインを注ぐと、ニコラスに渡した。
僕にはコーヒーを淹れてくれた。味がしないのが残念だ。
座って落ち着いたところで、昼間にニコラスから聞いた話からアンジェラに説明した。
「アンジェラ、ニコラスがユートレアの大聖堂に描かれた魔法陣の真ん中でドクターユーリに何かで刺されて消えた夢を見たそうなんだ。メッセージにも書いたけど、あのこの前の紐のせいで、僕の記憶がニコラスに流れ込んでいるのかなと思う。」
「そうかもしれないな…。ニコラス、他には何か見たか?」
「えっと…頭に蛇がいっぱいついてる羽の生えた悪魔っぽい女が大聖堂に現れるのを…。」
「やはりな…。ライル、お前の記憶を見ているのかもしれないな…。」
「そうだね。じゃあ、ニコラス。まずね、何も心配しなくていいよ。今ここにいる僕たちには、これらの夢に出てきたことは現実として起こっていないことだからね。」
「え、でも、ライル…さっき記憶って言いましたよね。」
「うん。それを今から説明するよ。」
僕は順を追って説明した。時々アンジェラと記憶の相違が無いかを確認し合いながら。
「ニコラス、封印の間に行っただろ?」
「はい。あの大天使の像が二つあるところですよね?」
「かなりややこしいんだけど…。実は、僕の人生、最初と今では内容が違うんだ。」
ニコラスが首を傾げて全くわかっていない様子だ。アンジェラが補足した。
「ニコラス、ライルと私の最初の記憶では、あの場所には悪魔になりかけてるルシフェル一体しかなかったんだ。」
「それと私の夢と関係があるんですか?」
「うん、まぁ、そうなんだよ。その、悪魔になりかけてるルシフェルには、天使の魂を12個集めて祈ると、どんな願いも叶うって言うのがあってね。天使を狩ってる者たちがいたんだ。」
「え?天使を狩る?」
「そう、僕とアンジェラ、アズラィール、父様…この4人以外はその時はいなかった。
もう、死んだことになっていたんだ。」
「死んだこと…というのは?」
「捕らえられて封印の間で仮死状態でいたんだ。」
二コラスは変な汗をかきはじめた。ペーパータオルで汗を拭きながら、僕の次の言葉を待っている。
「でも、安心して。僕がみんなを助けた。そして、ちょっと別の理由で過去が変わっちゃったんだ。」
「別の理由って何ですか?」
「本当は言いたくないけど、これからも一緒に暮らしていくニコラスには知っておいて欲しいから、見せるよ。」
僕は断片的に僕の記憶を見せた。
ドクター・ユーリに捕まって転送される者達、それを助けるために帆走した日々。
自分の分身体にリリィをやらせ、自分は日本に帰った経緯。そして、アンジェラや子供達と離れて暮らし、寂しさの中で精神の崩壊を迎えた自分。
全てに絶望し、自分の核を、12人分の天使の能力を吸い込んだ核をルシフェルに入れ、自分の望みを叶えた結末。
結果として、『神々の住む場所』で殺されるはずだった大天使アズラィールの代わりに僕が消滅し、ルシフェルが悪魔になるのを回避したところで、元の年齢のところまで戻ったこと。
でも、それまでの過去について、同じこともあれば、全く違うことも多かったこと。
イタリアのこの家に住んでいて、同居していた家族には元の記憶もあるが、それとは別の記憶も多いこと。
そして、一番の違いは、誰も捕らえられておらず、子供の時に誘拐されて死んでしまった徠人だけいないが、他の皆が死ぬことは全て回避したことなどだ。
ただ、新たに出てきた問題もある。
今度は天使を捕まえて食べようとしている新興宗教が最近出てきたことや、リリィが別の個体で生まれたこと。
そこまで見せたところで、ニコラスの様子がおかしくなった。
顔を両手で覆い、ぶるぶると震えている。
「どうした、ニコラス…大丈夫か?」
アンジェラがニコラスの手を掴んで引いた。ニコラスは両目から滝のように涙を流していた。
「ニコラス、怖かったのかい?大丈夫だよ。もう、これは無かったことになった過去なんだ。今の幸せな生活だけ考えればいいんだよ。」
僕がそう言ってニコラスの背中に手を回すとニコラスが立ち上がって、僕を抱きしめた。
「辛かったでしょ。ごめんね、今まで知らなくて…。」
どうやら慰めてくれているらしい。
「そうそう、それで肝心なことを忘れていたよ。」
僕は前日のベッドの中で見えた僕とニコラスを繋いでいるキラキラでできた紐の記憶を見せた。
「これ、昨日マリーと言ってたものですか?」
「そう、僕とマリーにはこういう風に見えていたんだ。そして、これのせいで僕の記憶の一部が見えたんじゃないかと思うんだよ。」
「これは何ですか?」
「それは僕たちにも解らない。だけど、赤ちゃんニコラスが僕が小さくなっている時に合体しようとしたのは覚えてるよね?」
「はい。」
「あの後遺症かもしれない…。」
「後遺症…。」
「このままだといやだよね?」
僕はニコラスに聞いた。




