551. アンジェラと天使の絵筆(2)
アンジェラのクラスメイトが、公園でアンジェラの画材を焼いているところに遭遇した僕は、残念な気持ちでいっぱいだった。しかし、アンジェラ以外の子供に、これ以上関わるのはどうかとも考えていた。
そんなときだ、煙が周りに立ち込めた。煙が僕の鼻をつく…。
『へっ、へっ、へっぷし』
くしゃみが思いっきり出て、木の中から外に出て、ついでに翼がブワッと出て広がった。
「えっ?」
クルト少年は僕の方を見て思いっきり固まっている。僕も固まった。
でも、すぐに僕は開き直って少年に言った。
「君、どうしてアンジェラにそんな嫌がらせをするの?天使が居ないからそんな絵を描くなとか、おかしいじゃない?アンジェラは、ただ僕に会いたいから僕の絵を描いているだけなのに。」
「て、天使…。」
「僕が天使以外の何に見えるって言うんだ。それ、返せよ。」
僕はクルトが手に持っている、すでに折れてしまっている最後の一本の筆をむしり取り、空中に飛び立った。
僕はそのままアンジェラの家に行った。アンジェラの部屋を窓の外から覗くと、アンジェラはベッドの上で泣き疲れて寝てしまっていた。
僕は、折れた筆をバラバラにならないようにヘアゴムで結わいてアンジェラの机の上に置いた。そしてアンジェラの泣きはらした瞼にキスしてその場を後にした。
僕はそのまま、その日の深夜のクルトの家に転移して行った。
そして、彼の父親の寝室に入り、首筋にそっと手を当てた。
夢の中でクルトがアンジェラの画材を盗み、焼き捨てたのを見せた。
そして、夢の中で僕は今の僕の姿そのままの天使として登場し、クルトの父にアンジェラへの謝罪と画材の弁償を約束させたのだ。
僕は翌日、屋根裏に潜み、一部始終を確認した。朝起きた瞬間にクルトの父が大声でクルトをたたき起こし、アンジェラの画材を盗み燃やしたことを白状させた。
そして、確認した上でクルトに言った。
「私は、夢の中で天使様に約束したのだ。お前がアンジェラ君にきちんと謝罪し、お前が盗んだものと同じだけの物を弁償するとな。今すぐ支度をしろ!」
その日は学校が無い日であったが、クルトの父親はまだ開いていない画材店の店主を無理やり起こし、画材を購入し、アンジェラの家にクルトを引きずって行った。
クルトの父はアンジェラのことを少しだが覚えていた。
学校へ参観日に行った時に、教室の壁に飾ってあった美術の時間に描いた絵の中で、アンジェラの絵がダントツで上手かったからだ。しかし、そこに飾られていたのは、あくまでも学校で決められたテーマについて描かれた絵だ。その時に見たのは風景画だった。
そして、この日、クルトの父はアンジェラのおばさんの家を訪ねた。
おばさんは二人をアンジェラの部屋に通したのだ。
クルトの父はすぐに謝罪した。
「アンジェラ君、申し訳ない。うちのバカ息子が、君の絵の道具を台無しにしてしまったようなんだ。」
「え?君がやったの?ひどい。あれは、僕の天使様が買ってくれたものだったのに。
世界で唯一の僕の宝物だったのに…。」
アンジェラはベッドの脇に立て掛けてあった描きかけの絵を取り出して、それを見つめ、涙をポタポタ落とした。
「うっ、うっ…、僕…この絵を完成させられない…。」
絵を描く道具は繊細だ。筆や絵の具が違っては絵が変わってしまうかもしれないという事もあるだろう。
悲しみにくれるアンジェラの持つその絵をクルトの父は覗き込んで驚愕した。
「こ、これは…。」
そう、そこに描かれていたのは、まぎれもなくクルトの父の夢に出てきた天使そのものだった。クルトもそれを見てブルブルと震えている。
「や、やっぱり。天使はいるんだ…。」
クルトはそう言ったかと思うと、アンジェラの両手を握りしめて心からの謝罪をした。
「ごめん。僕が悪かった。君の絵は素晴らしいし、天使は絶対にいる。僕、君のためにこれからは何でもするよ。」
アンジェラは、不思議な気分だった。
そして、もっと驚くべきは、クルトの父の反応だった。
「アンジェラ君、これの他に描いた絵があったら見せてもらえるかい?」
「え、いいけど…。見せるだけだよ。」
そう言ってアンジェラは何枚もの絵をキャビネットの中から取り出した。
半数はスケッチブックと色鉛筆で描かれたものだったが、残りの半数は、キャンバスに油絵の具で描かれていた。
今すぐにでも飛び出してきそうな天使の姿が描かれていた。
「アンジェラ君、この絵を私に売ってくれないか?」
「え…、見せるだけって言ったじゃないか…。僕は売るために絵を描いているんじゃないんだ。リリィちゃん…この天使様が、僕のこと『絵が上手だね』って言ってくれて、道具を買ってくれたから、次に会った時に見せようと思って描いているんだ。」
「アンジェラ君、でも、もし絵が売れたら、天使様に恩返しができるかもしれないよ。お金が無いと何もできない世の中だからね。」
アンジェラは少し考えてから、クルトの父親に聞いた。
「お金があった方が結婚してもらえる?」
クルトの父親はニッコリ微笑んで言った。
「もちろんだとも。」
アンジェラはその日、とても大きなスポンサーの心を掴み、その後も親子2代に渡ってアンジェラの絵画を独占販売する画商との契約を行うことになるのだ。
僕は窓の外でこっそりそれを見守りながら、なんだかうれしい気分になった。
アンジェラはいつの間にか机の上に置かれていた折れた絵筆と薔薇のモチーフがついたヘアゴムを宝物を入れる木箱にしまった。もう使うことは出来なくなってしまったが、アンジェラにとってはとても大切な宝物だったのだ。
僕は、そこまで見届けてから、現代の自分の家の自室のクローゼットに、行く前の時間より少し後に戻った。廊下を『バタバタ』と走る音が聞こえる。
ニコラスが僕を探し回って家の中を走っているのだ…。
クローゼットの中で、自分の姿に戻っていると、ニコラスが大きな声で叫びながら抱きついてきた。
「ライル~、良かったぁ…。心配しましたよぉ。あれ、元に戻れたんですね。」
思いっきり、さっきと同じパターンである。ニコラスに手を引っ張られながらアンジェラの書斎に戻った。
彼らにはわずか30分だろうが、僕は解決までに、丸二日かかっているのである。
僕は、『もう疲れたので、絵筆を修理したら、すぐに寝る』と宣言してから見守った。
ニコラスはペンダントの時と同様、丁寧に絵筆を扱い、折れた位置からだいたいの向きを予測して合わせ、手をのせた。
「元通りの形になって下さい。」
ニコラスがそう言うと、絵筆は金色の粒子で包み込まれ、元通りよりも新品な状態になった。
「おおっ。素晴らしい。」
アンジェラは、愛おしそうにその絵筆を触ると、宝物を入れている木箱にそれをしまった。アンジェラは、僕たちに向き直り話してくれた。
「この絵筆がきっかけになって、私の絵を売ってくれる画商と知り合うことが出来たのだ。」
「知ってる。クルトがやったんだろ?」
「ん?ライル、どうしてお前がその名前を知っているのだ?」
「アンジェラの筆を燃やしているところを見たんだよ。」
「もしかして、お前…お前が絵を売り込んだのか?」
「まさか…そんなことしてないよ。画材を弁償しろって夢で見せただけさ。
絵が素晴らしかったのはアンジェラの実力…。そして謝罪に来たクルトの父親が画商だったってことだよ。」
「そうか…ライル…お前が…。」
「多分、僕がいてもいなくても、そのうち誰かの目に留まってアンジェラの絵は売れるようになったと思う。だって素晴らしいもの。」
「ライル…。」
「ニコラス…僕、お腹が空いた。」
「そういうことは、ニコラスではなく、私に言いなさい。」
アンジェラが立ち上がって、すぐに夜食を作ってくれた。
さっき見た可愛い男の子がこんな風に大人になるんだな…なんて不思議な気分なんだろう。泣きはらした瞼にキスをしたことは内緒にしておこう。
そして、今日のニコラスの実験はここまでとなった。
毎回毎回どこかに行ってしまうと、僕の精神力が持たない…。




