53. Case1 祖父 朝霧未徠
ライルが、目を覚ました後、病院で全身の検査を行った。
度々意識がもうろうとし、意識が混沌とすることがあった。
検査結果では、脳の中に空洞がが出来ており、一時的に記憶障害や言語障害が発生しているのではないかということだ。
医師が言うにはそこには元々かなり大きな腫瘍があったが、それが消えたために空洞ができたのではないかとのことだった。
入院して二週間ほど経った頃のことだ。アンジェラとアズラィールが入院中のライルに毎日付き添い、面倒をみていた。
「ライル、何か食べたいものない?プリンとか?ケーキとか?」
「アンジェラ、それにしてもケーキ買い過ぎじゃないか?」
「だって父上、ライルがどれを食べたいかわからないんだもん。仕方ないでしょ。」
二十種類ものケーキを買ってきて、病室でライルに少しでも食べさせようとアンジェラは必死だった。
「ねぇ、ライル。ライルが食べてくれないと、これぜーんぶ私が食べなくちゃいけなくなって、大変なことになっちゃうんだよ。」
アズラィールが小さく笑いをこらえている。
「そうだぞ、アンジェラは徠人にデブ白鳥って言われてたな。くくくっ。」
「父上、それはばらしちゃだめだよ。ひどいなぁ。」
その時、ライルがアンジェラの手を掴んでゆっくりと目線を上げ、アンジェラの目を見つめた。
「ライルがお家に帰りたいって言ってる。」
二人は徠夢と医師と相談し、誰かが常に付き添うことを条件にライルの退院を許可された。
ライルは家に帰っても、目を半分開けた状態でぼーっと外の景色を見つめたり、寝ていることが多かった。
時々飲み物を口元に近づければ、一口飲むことはあったが、ずっと食事もとらなかった。
身の回りの世話はアンジェラとアズラィールが二人で付き添って行った。
ライルの部屋にもう一台ベッドを持ち込み、ライルのすぐ横で二人は交代で寝起きを共にした。
退院から二週間ほど経ったある日、その日付き添って寝ていたアンジェラのベッドにライルが潜りこんできた。
その日まで、自力で立つことも歩くこともままならなかったライルが自分でそこまで来たことにアンジェラは驚いた。
ライルが言葉を発したことにはもっと驚いた。でも、あえて驚いていないふりをして優しく応えた。
「アンジェラ、いっしょに寝てもいい?」
「いいよ。どうしたの?」
「こわい夢見たから。」
「かわいそうに。おいで。」
アンジェラはライルを赤ちゃんみたいにとんとんしてくれて、眠るまで見守ってくれた。
ライルは安心したように目を瞑ると、スヤスヤと寝息を立てて眠りに落ちた。
そのうち、アンジェラもライルの体温を感じながら穏やかな気持ちで眠りに落ちた。
廊下から聞こえるものすごく騒がしい声でアンジェラは目を覚ました。
まだ、朝五時過ぎ。外はまだ真っ暗だ。
誰が騒いでいるのだろう。
アンジェラはさっき自分のベッドに入って来たライルがいなくなっていることに気が付いた。
自分のベッドに戻ったのだろうか。
部屋の中は暗く、ライルを確認するために照明を点けようかと上体を起こした時、ライルのベッドの上のブランケットの中が光り、光がその隙間から漏れている。
「わーーっ。ライル。何?」
アンジェラが慌てて叫びながら飛び起きたとき、徠人も部屋に飛び込んで来た。
「ライラはいないか?」
徠人もブランケットの中で丸まり光っているそれを見て、慌ててブランケットを剥いだ。
「ライラ!何やってるんだ!」
「ライル!」
ブランケットの中でライラがライルの首を絞めていた。そのライラの手首をライルが握っている。
ライラとライルは目を瞑ったままだ。
アンジェラがライルを抱えて引っ張る。徠人はライラの腕を掴んでライルから放そうとする。
「あぁ、ライル。ライル…。」
アンジェラはライルを抱えたまま、半狂乱で徠夢のいる部屋へ急いだ。
「徠夢、起きて!ライルを助けて。」
慌てて出てきた徠夢がライルの首についた痣を癒し、他にも傷ついているところがないか確認する。
「げほっ、げほっ。」
ライルの息が戻ったようだ。
どうやら無事の様だ。アンジェラはライルを抱えたまま床にへたり込んでしまった。
ライルを徠夢に預け、アンジェラは徠人の所へ戻り徠人をぶん殴った。
「おまえ、ライルに何かあったらおまえもその女も殺すぞ!」
アンジェラの目が紫に光る。鬼気迫るアンジェラの様子にさすがの徠人も謝った。
「わかってる。悪かった。まさかこんなことするとは思っていなかったからな。」
徠人は眠ったままのライラを抱きかかえ自分の部屋へ戻って行った。
二時間ほど経った時、アンジェラはライルをベッドに寝かせ、自分はその横の椅子に座り、ライルの寝顔を見つめていた。
「ごめんな、ライル。守ってあげられなくて。」
アンジェラがライルの前髪を撫でた時、ライルが目を覚ました。
「アンジェラ…?」
「ライル。」
「ここ、どこ?」
「お前の部屋だよ、」
「僕、生きてるの?」
アンジェラはライルの頭を撫で涙を流しながら頷いた。
ライルは安心した様子でアンジェラの手を握り、そのまままた眠ってしまった。
「あの女は一体何者なんだ…。」
アンジェラはライラに対する憎しみさえ感じるようになっていた。
ライルはその翌日の朝、目を覚ました。
「アンジェラ…。ずっとそこにいてくれたの?」
アンジェラは椅子に座ったままライルの手を握っていた。
「まぁね。トイレに行くときはアズラィールと交代したけど。」
「ありがと。」
「これくらいどうってことないよ。」
ライルがにっこり微笑んで言った。
「お腹すいた…。」
「何?そう?本当に?よし、すぐ食べに行こう。ね。」
ライルは小さく頷いた。
アンジェラはライルを抱きかかえてダイニングに行き、かえでさんにライルが食べられそうなものを作ってもらった。
温かいおかゆとポテトサラダを少し、アンジェラが少しずつライルに食べさせる。
「ねぇ、赤ちゃんじゃないから自分で食べられるよ…。」
ライルがそう言うと、アンジェラがショックを受けてたので、ライルは仕方なく食べさせてもらった。
ライルはアンジェラが喜んでくれているのを見るのは自分もうれしく思った。
ライルは少し食べては少し休みを繰り返した。
そこへ、徠人がライラを連れてやってきた。
徠人はチラッとライルの方を見たが、何も言わずにライラを座らせ、自分もその横に座りライラに朝食を食べさせ始めた。
「おはよう、徠人。」
ライルが小さい声で徠人に声をかける。
「あぁ、おはよう。」
バツが悪そうに徠人が返事をすると、ライラに翼が出た。そしてライラが椅子の上に立ち上がる。
「ダメだ…。ライラ、大丈夫だ。な。だから、おとなしくしろ。」
徠人がつぶやき、ライラを抱きしめる。
アンジェラがライルを抱き上げ、無言でダイニングを出て部屋に戻った。
「アンジェラ、あれは誰?」
「そうか、ライルは覚えてないのか…。」
アンジェラは少し表情を曇らせながら、説明してくれた。
僕がアンジェラのチョーカーを外した状態で目を見たら、僕は変身できるようになった。
しかし、さっきの少女の姿になった後、不安定になってしまったということだ。
何回かは元に戻ったけれど、戻らなくなってしまった時に徠人とアンジェラと少女になってた僕は美術館に行ったらしい。そこで、ある絵の前で少女の姿だった僕がその絵の中に入って消えてしまったというのだ。
その後、警察にも捜索願いを出し、大騒ぎになり居場所を探したら、数時間後、美術館の屋上で腹部に大きな穴が開いた状態で血まみれの少女の遺体が発見されたのだと。
遺体が病院に搬送され、死亡確認の後、遺体安置所から徠人が遺体を持ち出し、うちの裏手にある崖から遺体と一緒に飛び降りようとしてたらしい。
その時、いつも僕がみんなの所に行ったみたいに、光の粒子になって翼の生えたあの少女の姿の僕が徠人の所に現れて、遺体の中に光の球になって入って行ったというのだ。
みんなはそれが僕=少女だと信じて疑わなかった。
それから一か月、その一回死んだ少女が退院して、家に戻ってから、少女は徠人以外には狂暴な態度で手に負えなかったらしい。
それからまた少し経って、少女は急に家の中で嵐を巻き起こしたり、ガラスを割って外に出て、みんなを変な場所に連れて行き、そこで繭の様なものに入った十人の体を見つけたことも話してくれた。
その後、家の中に転移した十人を、それぞれのを時代に戻すという選択をしたら、僕以外の人はどこかに消えたそうだ。
アンジェラは保存してあったセキュリティカメラの映像を見せてくれた。
少し遠いけど、転移してきた十人は全部同じ人に見える。本当だ…。僕もいる。
「ねぇ、じゃあさ、この少女は結局僕じゃないってことだよね?」
「そうだと思う。自分が変身した時の顔も覚えてない?」
「確か、アンジェラがでっかい白鳥になっちゃったときのことだよね?」
「…。それは覚えてるんだね?」
「ふふふっ。あれは忘れないよ…。」
「ライル、笑わないでよ。それで、あの女の顔は?」
「女になったって言われたのは覚えてるけど、後は殆ど覚えてないかも…。あ、でも学校で羽が出ちゃって、トイレに隠れた後、迎えに来てくれるってメッセージが来たのが最後の記憶かも…。」
「本当か?」
「…。うーん、あ、でもその後に変な部屋でさっきいたたくさんの人を治したような気はする。ちょっとだけどみんなと話したような…。」
「そうか、やっぱりお前がみんなを治したんだな。」
「多分。」
アンジェラは僕の頭を撫でてやさしく微笑んだ。
僕は、アンジェラにどうして徠人が僕にやさしくなくなっちゃったのか聞いた。
アンジェラは困った顔をして俯いた。
「あいつは、最初からお前の中のあの女に話しかけてたみたいなんだ。」
「え?僕の中の?どういう意味?」
「あの女、ライラが興味を持っているのは徠人だけだ。そして徠人もお前じゃなく、あの女にしか興味がない。」
なんだかちょっと寂しい気がするけど、そういうことなんだな~となんとなく思う。
だって、異常な執着心を時々感じたもんね。で、結局あの女の人は誰なんだろう?
「今、徠人に話しかけるとお前じゃなくてもあの女に襲われるからな。話しかけないようにした方がいい。」
「そ、そんなにすごいんだ。こわいね。」
僕は、その日から自分の部屋かサロンに食事を持ってきてもらってアンジェラと一緒に食べるようになった。
自分の家なのに遠慮するってちょっと変な感じだけど。
僕は体力回復に努め、一週間ほどで歩けるようになった。
学校に行くにはまだ不安があったため、しばらくは行かなくていいと父様が言ってくれた。
せっかくだからアンジェラとアズラィールの勉強に時間を充てることにした。
一緒に勉強し始めたことは、少し思い出したけど、やっぱり記憶があいまいだ。
週に一度は病院で診てもらうように言われていたため、その日も午後からは病院へ行った。
その日、頭部のCTスキャンを撮った。
頭に出来ていた空洞がほぼ塞がって脳にも問題ないという。
改めて医師は僕にも脳に空洞ができた仮説を説明してくれた。元々大きな腫瘍があり、それが消えたために空洞ができたというものだ。
腫瘍が原因で、めまいや意識の混濁などが見られたのではないか、しかし、腫瘍が無くなったことで改善されたと考えられるということだ。
アンジェラは僕が快方に向かっていると知って自分の事のように喜んでくれた。
帰りにショッピングモールでみんなにお土産のケーキを買った。
ショッピングモールの通路の壁に美術館のポスターが貼ってあった。
「あ、美術館で西洋の絵画展がやってるんだね。」
僕がそう言った時、アンジェラの顔が恐怖で青ざめた。
「どうしたの、アンジェラ?」
「その絵画展に展示してあった絵を見て、お前がいなくなったんだよ。」
「それを見たら謎が解けるかもしれないね。」
僕がそう言うと、アンジェラはちょっと怒って僕の手を引いた。
「ダメだ。絶対に。またあんなことになったら…。」
どうやら、連れて行ってはくれなさそうだ。
でも、なんだかすごくその絵を見なきゃいけない様な気がした。
その日の夜、アンジェラがお風呂に入っている間、代わりにアズラィールが僕についていてくれた。
その間は二人で勉強をして過ごした。
アズラィールはものすごく優秀だ。なんでも一回で覚えるし、余計な感情を持っていないのか常に冷静で物静かだ。
冷静なアズラィールなら頭から否定せずにアドバイスをくれるのではと思い、美術館の絵を見たいと言ってみた。
しかし、こればかりは彼もアンジェラと意見は同じだった。
ただ、スマホで撮った写真なら父様とアンジェラの同意を取ってから見せてもいいということだった。
よーし、一歩前進だね。
アンジェラがお風呂から上がって僕の部屋に戻って来たので、さっきの話をしてみる。
アンジェラは依然頑なに渋い顔だ。
でも、本物でなければ大丈夫じゃないかというアズラィールの言葉もあって、父様の許可を得られれば、三人の前で見てもいいと言ってくれた。
父様にアンジェラがメッセージを送り、部屋まで来てもらい説明する。
父様も最初は渋っていたが、結局僕の希望を聞いてくれた。
多分、三人ともライラの素性は知りたいのだと思う。
僕たちは何かあってはいけないので、ビデオをセットし状況を後で見られるようにしてから、スマホに保存されている絵画の写真を開いた。
僕は思わず声が出てしまった。
「うわっ、本当だ。あの子と同じ顔してるね。」
父様がこの絵の由来などを問い合わせて調べた内容を教えてくれる。
「この絵は今から五百年くらい前に遺跡で発見されたものらしいんだ。
どうも宗教団体がその遺跡を勝手に使っていたらしく、摘発されたと言う話だ。絵のタイトルは「破壊の天使」。十二人の賢者の能力を奪って世界を征服するとかいう物騒な天使様らしい。」
「ふ~ん、宗教団体に天使かぁ。僕を拉致した人たちと繋がってたりしてね。」
「そうかも知れない。でも五百年も前の話だから、他に有力な情報がないらしい。」
その時、僕の目がある一点に止まった。
「これって、イヴにそっくりだ。」
その破壊の天使が持っている杖には白い蛇が絡まっている。
「あっ、こっちの後ろ描かれているのは、アダムにそっくりだ。」
そこには蒼黒い毛並みのオオカミが描かれていた。
やはり共通点がありそうで恐い。
「かわいい顔しているのに、破壊の天使ってなんだかかわいそうだね。」
みんなの顔が曇った。アンジェラは苦笑いしている。
絵画の写真をても特に異変は起こらなかった。
絵を見た後に、なぜだか僕はなんだか自分が以前の自分と違っているのではないかと感じていた。
とても不思議な感じだ。なんだか力が漲るような、充電された感じ。
思ったことを試すべきだと、自分で自分に暗示しているような…。
「あの、ちょっと今ついでに確かめたい事があるので、付き合ってもらえますか?父様は父様の部屋の浴室に行ってみてください。」
何を言ってるんだと言いつつも、なぜか従う父様。
「じゃあ、行ってくるよ。」
「何を言ってるんだライル、試したいことって…。」
アンジェラの言葉をそこに置き去りにして、僕は光の粒子になってその場から消える。
「ギャー!ライルー。」
アンジェラの悲鳴のその瞬間、父様のいる浴室に僕は転移した。
「ヤッホー。」
「うおっ。びっくりした。」
「やっぱり、思った通り。」
「何がだい、ライル。」
「何かを触ったりしなくても転移が出来るようになってるんだ。」
「え?」
「じゃ。」
そう言って、僕は元の場所へ。
そこでは、鼻水垂らしてぐちゃぐちゃに泣きまくるアンジェラと困り果ててるアズラィールが…。
「ひぇ。」
「え?」
「あーーん、ライル、ライル~、どこに行っちゃったのかと思ってぇ。あーん。」
「大丈夫、自分の意思で行って帰って来られるようになったんだ。何かを触っても、いつでも戻れるんだと思う。これってすごいことだと思う。でしょ?もうちょっと、テストしたいから、付き合ってくれる?」
「え?」
アンジェラは目が点で、でも僕の事を信頼してくれている目だ。
「じゃ、今から徠人の部屋の手前に行って隠れて、動画撮ってくれる?大体3、4分くらいかな…。」
「う、うん。わかった。」
「じゃ、お願いね。うふっ。」
くるっと回った僕はライラの姿に変身し、翼を生やし、ホールのピアノへ飛んだ。
着ているものも一瞬で変えられる。謎のオプションだ。
思わずガッツポーズをとってしまった。
それを見た時のアンジェラとアズラィールの間抜けな顔はちょっと説明できないほど面白かった。
ピアノの蓋を開け、ピアノを弾く、幻想協奏曲だ。
弾き始めてすぐに、あいつ=ライラが反応したことがわかる。
来た。よし。このままキープだ。
ピアノの演奏が始まって数秒、ライラが徠人の部屋から異常な警戒心を持って急に出てくる。
アンジェラは別の部屋の入り口の陰から徠人の部屋を動画で撮影する。
ライラが部屋から出た。徠人の部屋の入り口から中を撮影する。
えっ?どういうことだ…中にライラがいる。さっき出て行って、そこのピアノの上を飛んでいるというのに、そうアンジェラが思った時だ。
徠人に部屋の中のライラが話しかける。
「もう、私の事嫌いになったの?」
「おまえ、どうして。早く部屋に帰れ。殺されるぞ。ライル、頼むから、今は待ってくれ。」
「ふーん。わかってるんだ、僕と彼女の違い…。」
「早くいけ。」
徠人の目の前のもう一人のライラが消える。
直後、ピアノの演奏が途絶える。ホールを見るとライラが、ピアノを弾いていたライルを…。
「え?ライラがピアノの周りをグルグル回っている…。」
どうやら狙いを定めたターゲットが消えて行き場がなくなったようだ。
その時、後ろからアンジェラの背中をつんつんする指が…。
「アンジェラ、もういいよ。」
「んが?」
「今、面白い音出たね。ふふっ。僕、やっぱり前より出来ることが増えてるみたいだよ。」
アンジェラとライルは部屋に戻ってから徠夢とアズラィールを呼び、種明かしをした。
「多分だけどね、僕、行ったことがあるところや、知ってる人の所にいつでもどこでも行けるようになったんだと思う。」
みんな信じてない様だったけど、さっきの動画を見ながら種明かしをする。
まず、変身だ。僕は写真を見ただけの人物や、知っている人物にも姿を変えられるようになっていた。
そして転移先だ。
現在も未来も過去もどこでも行けるはずだ。
ただ重複した場合、僕の存在しない時間が発生する。それだけだ。
どれくらい先の未来に行けるのか、どれくらい過去に行けるのか、どれくらい遠くに行けるのかはまだわかっていないけれど。
この能力をコントロールできれば、僕に起こった謎の事件も解明できると思う。
「それを証明するために、一つ提案があるんだ。」
「ライル、何だよ提案って…。」
「だれか一人、僕と一緒に来てくれないか?」
父様が真剣な顔で僕を見つめ、そういうことなら自分しかいないと訴えかける。
「そうだね、じゃあ父様に一緒に行ってもらおうかな。」
徠夢が返事をする間もなく、僕と父様が金色の光の粒子に包まれ消える。
そして、転移先はそんなに寒くない季節の夜の屋外。
「もうすぐ来ます。」
僕がそう言った時、目の前の建物の中が白く光ったのが窓からの漏れた光でわかった。
僕は父様の手を引いて建物の入り口付近へ近づく。
そこは古い教会の様だった。もう、使われていないのか、建物全体が痛んでいる。
「中に入りましょう。」
僕は父様と一緒に中へと転移する。
教会のホールの真ん中に半径三メートルほどの魔法陣の様な絵が描かれており、そこに裸のおじい様が横たわっていた。
「父さん…。」
「父様、連れて帰りましょう。」
僕は父様におじい様の体を支えてもらい、二人の手を掴む。
ほんの一瞬の後、自宅のアンジェラとアズラィールが待つ自分の部屋へと戻った。
アンジェラとアズラィールが待っていたのはほんの三分程度の時間だった。
父様と僕が金色の光の粒子に包まれ一瞬で消え、また同じように一瞬で返って来た。
しかも、別のもう一人を連れて。
「ライル、これは誰?」
アンジェラが驚きながら聞いたが、それには父様が答えた。
「僕の父さんだよ。生きてた。」
「え?どこにいたの?」
アズラィールも驚きの表情だ。
「とりあえず、それは後にして。おじい様を寝かせましょう。」
未徠をベッドに寝かせ、体のベタベタした汚れを拭いた後、徠夢は自分のパジャマを着せた。
「父様、この件、石田刑事に相談しませんか?アンジェラとアズラィールは生まれた年代が違い過ぎてドイツの親戚を頼りましたが、おじい様は日本で九年前に死んだこととにされたんですから。」
「そうだな。」
「もし、他の人もあのような状態で失踪した時代に戻されているとしたら、放っておいていいものか、疑問です。」
「確かに、そうだな。寒い時期なら凍死や、場所によっては発見されない場合もある。」
「そうですね。」
父様は石田刑事に連絡を入れて、家に来てもらうことにした。
僕はいなかったので聞くのは初めてだったが、美術館で少女姿の僕がいなくなった時、説明がすごく大変だったようだ。あれは誰で、何故いなくなったのか…。
その時も石田刑事に美術館のセキュリティカメラの映像を見てもらって協力を仰いだらしい。よくぞ信じてくださいました…。
しかも数時間後、美術館の屋上でその少女が屋上で発見されたものだから、アンジェラと徠人が疑われたようだ。疑われているのに、徠人は遺体を持ち出して崖から飛び降りようとするし…。結果的に少女は生き返って別の大騒ぎになったわけで。実は父様、僕が少女とは別に家に戻ってきたことを報告していなかったらしい。
エントランスに石田刑事が到着して、かえでさんが対応した。
かえでさんは父様の指示通り石田刑事を僕の部屋に通す。
石田刑事は部屋に入って来るなり僕の顔を見てニコニコしながら言った。
「おっ、ライル君、元に戻ったのか?」
「あ、それが、ちょっと違いまして…。」
僕が、そう答えると、父様がスマホのセキュリティカメラの映像を見せる。
「実は2週間前にこんな事がありまして。」
一つ目の映像は裏庭でライラが嵐を起こし、雷を落としたあと、急にその場にいた四人と共に消える映像だ。
「あ?またなんかあった?」
「はい。さっきの映像から十分後なんですが…。」
と、ホール内で父様はじめ大人四人と十体の体を出現させるライラが写っている映像を見せる。
「ここに映っているのが、ライルです。」
「え?」
そして、映像は続く、並べられた体は一体、また一体と雷に打たれ消えてゆく。
最後にアンジェラが父様にアタックして僕を奪い取る形で終わっていた。
その後僕を入院させていたことも説明した。父様達はあの少女を僕だと思い込んでいたけれど、違った様だと石田刑事に説明した。
僕の体調が優れず、今日に至ってしまったが、今日、僕の能力を使って、また別の問題が発生してしまったことを知らせた。
「こっちです。」
「ん?この人は…?朝霧さんにしてはちょっと年取ってる?」
「僕の父、朝霧未徠です。九年前にタクシーの爆発事故で亡くなったと思っていた父が帰ってきました。」
石田刑事も返事さえできないようだ…。
一呼吸おいてから石田刑事が父様にその証拠はあるのかと聞いた。
僕は、そこで、一つ提案をした。
「石田刑事さんも見に行きますか?」
「なっ?そんなことできるのか?」
僕は小さく頷いて、石田刑事の手を取った。
「いいですか?何を見てもしゃべらないでください。」
僕と石田刑事は金色の光の粒子になり、その場から消える。
僕と石田刑事は、僕がさっき父様と来た教会の中に転移した。
物陰に隠れるように石田刑事の手を引く、そして唇に人差し指をあて、しゃべらないように促す。石田刑事も小さく頷く。
僕が祭壇前の広い場所を指さしたとき、その場に描かれている魔法陣のようなものの真ん中に、光の粒子に包まれ一人の男が全裸で現れた。
意識がないようだ。三十秒ほどして、金色の光の粒子に包まれた二人がそのすぐ前に現れ、最初に現れた男を抱きかかえ、また光に包まれ消えて行った。
石田刑事は息をのんだ。
僕は無言のまま、スマホを取り出し、魔法陣や室内の写真を撮る。そして現在時刻の確認をする。僕たちの生きている時より七年前の四月だった。
現在位置の確認を地図のアプリを使って行う。一応GPSは動いている様だ。それらの画面をデータに残し、僕らはまた元の次元に戻った。
その時間、約四分というところだろうか…。
金色の光の粒子に包まれて、僕と石田刑事が戻って来た。僕は石田刑事の手を離した。
「ライル、大丈夫なの?あまり力を使うと、具合が悪くなるかもしれないよ。」
アンジェラが心配そうに僕の顔を覗き込む。
「大丈夫。自分でちゃんとコントロール出来てるし、疲れてもいないよ。」
「石田さん、どうでしたか?何が見えました?」
父様が石田刑事に確認する。
「あんた方が、教会に現れる前に、そのベッドにいる人が出てくるところから脇で見ていたんだよ。ありゃ、いったいなんなんだ。」
「そこにいる朝霧未来が、あの教会でなんらかの儀式によりどこかに転移させられていたんだと思います。だからあそこに戻ったのかと…。
僕たちは、さっきおじい様を助けた時に一つ確信を得ました。そのまま送られた場所にあの状態で帰っても、下手をすれば命を落としかねないと。」
父様が説明してくれた。そして石田刑事に父様の更なる考えを話し出す。
「他にも八人いるんです。放っておくと、彼らの命も危ない。その場ではうまく発見されても、また拉致されるかもしれない。徠人みたいに二十四年も監禁されたらかわいそうだと思うんです。一度ここへ連れて来てから、環境を整え元の彼らの時代へ返そうと思います。あるいは安全のために、ここに留まってもいいと考えています。」
「ちょっと、私は普通にずっと自分で生きてきたわよ。」
石田刑事は話は分かったが、手助けできるのはおじい様の拉致関連だけだと言った。
僕はさっき撮った写真やスクリーンショットを石田刑事に送った。石田刑事は何かわかったら連絡をくれると言った。今後、タクシー爆発事故で処理された遺体が誰なのかなど、色々と調査の必要性を感じると言い石田刑事は帰って行った。
少し僕たちが騒がしかったせいもあり、徠人がライラを寝かせてから僕の部屋にやって来た。
「おまえら、全員で何こんな狭い所に集まってるんだよ。うるせえし。」
そして、朝霧未徠の存在に気付いた。
「おい、これ誰だよ。」
「お前の父親。」
アンジェラが冷たい感じで言う。
「なっ。タクシー事故で死んだって言ってたじゃねえか。」
「この前あの女がホールに並べた中にいたんだよ。ライルが探しに行かなかったらあぶなかったぞ。」
「くっ。」
「徠人、目が覚めたら呼ぶから、それまで待ってて。」
僕がそう言うと無言で去って行った。
おじい様は、丸二日眠っていたが、目を覚ますと普通に会話が出来た。
ただ、二年間くらい麻酔で眠らされていたと考えられるため、やはり病院で検査をした。
筋肉が衰えていてしばらくリハビリが必要だと医師から説明されたが入院は必要ないと言われた。
父様は状況を少しずつおじい様にも説明した。
うちの家系、正しくはアズラィールの家系にまつわる能力の話と、それを悪用しようとする宗教団体に拉致された可能性があるということ。アズラィールやアンジェラがうちに来た経緯など。
徠人も拉致されてて、無事に発見されて今家にいること。
他にも八人拉致された人がいること。
おじい様が徠人に会いたいというので、父様がおじい様を車いすに乗せサロンに連れて行った。その後、父様が徠人に電話をかけて呼び出す。
でも、徠人はライラを連れて行くのを躊躇しているようで、今すぐは難しいと言っているらしい。
「僕、ライラの気を引いててあげようか?」
くるっと回って、ライラに変身する。
おじい様が初めて見る光景に固まっている。
「あ、ごめんなさ~い。驚かせちゃった?」
バサッと翼を出して、サロンからホールへ飛び出す。
サロンからもガラス張りで見える場所だ。
ピアノの前に降り立ち、ピアノを弾き始める。
「ショパン 革命のエチュード」
十秒もしないうちにライラが飛んでくる。
「よし、かかった♪」
すかさず徠人に頭の中から話しかける。
「徠人、僕ちょっとライラと遊んでるから、サロンに行っておいでよ。」
徠人がサロンへ向かうのが見えた。返事もなしか…。
ライラは聞いたことのない曲と、僕が自分と同じ姿をしていることへの興味でピアノの前に浮いたままガン見している。
うー、ピアノ弾くのって結構楽しい。盛り上がるところで、翼がバッと開き、なぜか着ている服まで変わる。わぁ。自分でもよくわかんないオプションだ。
今日は青色のキラキラがいっぱい集まってきている。
よし、ここいらへんで試してみっかな。
その瞬間、ライラの後ろにもう一人の僕。
そう、少し後の時間からライラを捕まえるために転移してきた僕だ。
でも乱暴はしない。やさしく手を掴む。
「おいで、一緒にピアノ弾こう。」
ライラは不思議そうに二人の僕を交互に見て、おとなしくついてきた。
ピアノの椅子の半分にライラを座らせる。
「できる?」
ライラはじっとピアノを弾く手を見ている。
もう一人の僕が横からライラの顔を覗き込む、にっこり微笑んでライラの頬に両手を
添える。
うわっ、ライラの記憶が流れ込む。
ライラの目を見る。僕の目が赤い炎様に光る。
「ライラ、今後一切の乱暴を禁止する。食事は自分でとり。ちゃんと言葉で話す。
誰とでも喧嘩したりしない。そして、一人で自分のベッドで寝る。そして、許可なく翼を出して飛ばない。質問にはきちんと答える。いいな。」
ライラの目に赤い輪が浮き出た。
「はい。」
ライラがしゃべった。
もう一人の僕はそこで終了。転移して消える。
ピアノを弾いている僕は、ライラに話しかける。
「自分で弾いてみる?革命のエチュードっていう曲だよ。」
「うん。」
ライラが返事をしたので、僕は椅子から降りサロンへ飛ぶ。
サロンに着いたときに自分の姿に戻った。
「父様、ライラ対策うまくいったかも。」
「おい、ライラにおまえ何したんだ?」
「冷たいなぁ、その言い方…。乱暴しないで、ちゃんとお話ししてってお願いしただけだよ。」
そこへ、ピアノを弾き終わったライラがよろよろと歩いてきた。
「おい、大丈夫か?」
徠人が駆け寄ってライラを支える。
「おい、どういうことだ!」
「あぁ、家族以外に見られたら困るから翼は出さないようにね。ってお願いしたんだよ。」
「ライラ、そうなのか?」
「ん。」
「全然歩いてなかったからよろよろしてるんだね、きっと。」
「ライラ、ねぇ、アンジェラが買ってきたケーキがあるけど、食べる?」
「ん。食べる。」
僕はケーキがいっぱい入ったボックスを持ってきてライラの前で開けて選ばせた。
すごい目をキラキラさせて、ケーキを選んでた。
「はい、じゃこっちのお皿にのせて食べてね。はいフォーク。自分で食べられる?」
「ん。」
ライラは口の周りにクリームをくっつけながら、嬉しそうにケーキを食べていた。
アンジェラの白目がちな目がすごく怖かった。
ケーキの恨み?それともただライラの豹変ぶりにびっくりしているだけ?
ケーキと奮闘中のライラを放置して、おじい様と徠人が二十四年ぶりの対面だ。
実際はおじい様は実年齢より七歳若いので、三十七歳をちょっと過ぎたあたり、父様や徠人と八歳くらいしか違わないので、親子って感じじゃないけど、おじい様はとてもうれしそうに徠人の頭を撫でていた。
ただ、その後おじい様は徠人とアンジェラがあまりにも似ていて衝撃を受けていたけど、その説明はまだしていない。
心のリハビリも少しずつの方がいいからね。