52. 帰還
私は、崖の上で血に染まった服を着た女の遺体を抱きかかえる男の髪を右手で掴んだ状態で空中に羽ばたいていた。
蒼黒い美しい髪の、肌の色の透けるような美しい男だ。
男は私の顔を見上げ、優しく笑って言った。
「待っていたよ。あきらめるところだった。」
男は数歩下がると、女の遺体を抱いたまま地面に跪き、私に微笑んだ。
「おかえり。」
私は、掴んでいるその男の髪の隙間に見える左耳の赤いピアスに右手の小指で触れた。
男が抱きかかえる女の遺体の首にかかっているチェーンに
通された指輪の赤い石に左手の人差し指で触れたとき、私の体に何かが走った。
私は、その男に自分からキスをした。
「ただいま。」
私の体は金色の粒子になり、徐々にまとまり金色の炎を纏った球となり、最後に女の遺体の腹に開いた穴に落ちる。
この世の物とは思えない痛みと、苦しみが私を襲う。
ビクッ、三時間前に美術館の屋上で発見された女性の遺体がみるみる再生し、息を吹き返す。
「あぁ、帰って来てくれたんだね。」
男は私の頬をなで、やさしく抱きしめてくれた。
その後、私は病院に搬送された。
私は、自分が誰だかよくわからなかった。
でも、側にいてくれる男のことが大切だと思う気持ちは覚えていた。
他の誰にも反応しなかった。
そして、一か月の入院後、家に戻った。
その男の名は徠人だという。
徠人が私を抱き上げ家の中まで、運ぶ。
中には三人の男が待っていた。
「おかえり、ライル。」
「…。」
「待ってたよ、ライル。」
「…。」
「本当に無事でよかった。」
私は、翼を広げ、ホールの中央に飛び、目を金色に光らせ手を大きく広げてその者たちに宣言をする。
「我は、破壊の天使 ライラ。」
私の周りには稲妻が光り、風で髪が舞う。
「おいで、怖がらなくていいよ。ほら、こっちにおいで。」
徠人が私を呼ぶ。徠人の元へ飛び、徠人の後ろに隠れる。
徠人に連れられ、彼の部屋へ移動した。
彼に着替えさせてもらい、ベッドに横になる。
「おいで。」
彼の背中にくっついて眠る。
その日の夜、徠人は彼女が眠ると、ダイニングで徠夢とアズラィール、そしてアンジェラと話し合うために集まった。
「徠人、どうなっているんだい?入院中も会ってもらえなかったけど、よくなっていない様だよ。」
「徠夢、これは俺の想像なんだが、あれはライルじゃない。本当にライラなんだと思う。」
「え?どういうこと?」
「これから聞いてみようと思う。ライルがどこにいるのか…。彼女のこと、ライラって呼んでくれないか。」
「わかったけど、じゃあライルはどうなっちゃうんだよ。」
「大丈夫だよ。きっと。」
「その自信、何か根拠があるの?」
「彼女はライルの中にいたもう一つの何かであるのは間違いない。だから少し待っててくれよ。な。」
「わかった。」
その日から、奇妙な生活が始まった。
ライラは徠人にしか懐かず、徠人に体を洗ってもらい、食事も全て食べさせてもらっている。
髪をといたり、爪を切ったり、とにかく全て徠人が面倒を見ている。まるで人形のようだ。
他の者には敵意をあらわにし、度々家の中でも嵐を起こして床を水浸しにする。
ライルには嵐を起こす能力など、なかったはずなんだが…。
家に戻ってきて2週間が過ぎた頃、ライラに少し変化があった。
アンジェラがライルのピアノ演奏をスマホで録画したものを見ていたときだった。
部屋からすごい勢いで空中を飛び、ライラが下降してくる。
「ライラ、ダメ。おいで。」
徠人が声をかけるとアンジェラの直前で止まったライラがまたすごい勢いで返って行く。アンジェラは野生動物に襲われたみたいな顔をして床にへたり込んでいた。
徠人から声がかかる。
「アンジェラ、それ、ライラが見たいって言ってるんだけど、スマホに送って。」
「え、あ、いいけど。」
十分ほどして、アンジェラがサロンで午後のお茶を飲んでいると、ホールのピアノの音が聞こえてきた。
「徠人、それって…。」
「あぁ、多分だけどな。ライルの能力使って弾いてるんだと思う。」
しかも…ライルが弾いていた時の何倍もの光の粒が、集まって踊る。
「すごいな。」
ピアノを弾き終わると、羽を広げすべての光の粒をライラが吸収した。
「え?それは、何をしてるんでしょう?」
「力の源を吸収してそうだよな。」
「はぁ、そう言われるとそうかもです。」
また違う日、ライラは徠人がいつものごとく身の周りの世話をし、服を着せて、髪をとかしてあげ、最後に抱きしめたときのことだ。
彼女が、ふと振り返りニコリと笑い聞いたのだ。
「ねぇ、私とライル、どっちか選ばなきゃいけなかったら、どっちにする?」
徠人は、初めての長文にやや戸惑ったが、やさしくぶれない感じでささやいた。
「お前とずっといっしょだよ。約束しただろ。」
「ん。」
ライラは満足げに徠人の唇にキスをして笑った。
夜、ライラが寝ている横で、徠人が添い寝をしているときだ。
ライラが頭に直接話しかけてくる。
「ねぇ、徠人。起きてる?」
「あぁ。起きてるよ。」
「思い出すのが怖い。」
「そうか、じゃあ思い出さなくていいよ。」
「…。」
「おまえ、俺がおまえのことどれくらい愛してるか知ってるか?」
「…。」
「いいんだよ、全部好きにして。ただ、終わらせるときにはライルを徠夢に返してやってくれ。」
「…。」
「さあ、こっちにおいで。」
徠人がやさしく抱きしめると、ライラは安心して眠った。
その日、徠人は夢を見た。
ライルかライラかわからないが、今自分の腕の中で眠ってる彼女が、薄暗い中で何人もの生贄にされた者達を癒し、その能力を手に入れ、皆を金色の光の粒子にしてどこかにやり、最後に自分の腹部から黒い心臓と化した核を取り出し、悪魔の目の前でそれを渡すことなく握りつぶした夢だ。
徠人は涙を流してライラを抱きしめた。
「頑張ったな。おまえ。」
「徠人。」
「愛してるよ。これからもずっと。」
「…。」
徠人は目を覚ました。深夜の三時だ。
腕の中にいるはずのライラがいない。
家中探し回る…。
ライラはライルの部屋にいた。
ライルの机の引き出しに入っている徠人の髪の毛の束を手にしていた。
「どうした?ライラ、こっちにおいで。」
ライラは徠人をまっすぐ見て聞いた。
「私とライル、おまえはどちらを望むのだ。」
「お前だよ、ライラ。」
「それがおまえの答えだな?。」
ライラは翼を広げサロンのガラス戸を突き破り、外へと出た。
慌てて徠人が追いかける。
大声で徠夢、アンジェラ、アズラィールを呼ぶ。
「ライラが外に出てしまった。皆助けてくれ。」
みんな慌てて外に出る。
真っ暗闇の空中に金色の粒子に包み込まれたライラが翼を広げて浮いている。
「我は、破壊の天使、ライラ。悪魔の核を破壊した我の分身をおまえたちに返してやろう。」
「え?分身?」
ライラが大きく両腕を上げるとそこにいた徠人、徠夢、アンジェラ、アズラィールの四人の周りに白い閃光が走った。
一瞬の後、四人は真っ暗だが少し広い穴の中にいた。
目を凝らすと、そこには発光する金色の楕円形の繭の様なものが、天井から十個ぶら下がっていた。
かなり大きなものも、それほどでもないものもある。
ライラが右手を高く上げると、それらが吊るされていた糸を切断され、地面に落ちた。
ぐちゃと嫌な音がして、液体が流れ出る。
「どうした、返して欲しかったのではないか?」
徠夢は慌てて、そのうち一番近くにあった繭に走り寄り、手で外殻を剝がしていく。
中から金色に光る液体があふれ出し、裂け目が大きくなったとき、中に入っている何かが見えた。
「手…。手が、手があった。」
徠夢は無心で手を引っ張り、その根元にあるであろう顔を確認する。
穴を広げ、その中にいる誰かを引っ張り上げる。
「誰だ…?」
まるで自分と同じ顔の人物だが、年齢が少し上のようだ。
徠夢は他の繭を開けて欲しいと、他の三人に頼み、三人も手伝った。
そして、少し小さい繭の中にライルを見つけた。
全部の繭を開け終え、全員を出した時、ライラはまた大きく腕を上げその場が全て閃光で白く見えなくなる。
次の瞬間、家のホールに十人の人間を横たえていた。徠夢、徠人、アンジェラ、アズラィールは茫然と立ち尽くした。
生きてるのか、死んでいるのかもわからない。十人の身体。
「ライラ、みんな生きているのか?」
ライラは片側の口角を上げ、小さく笑いつぶやいた。
「ふっ、それぞれの時代に戻すか、この現在で生かすか、選択せよ。」
徠人はライラに質問をした。
「もう、こいつらは命を狙われたりすることはないのか?」
ライラは答えなかった。代わりに小さくニヤリと笑った。
「徠夢、アズラィール、アンジェラ。皆をそれぞれの時代に返してもらおう。」
「そうしてもらおう。」
「そうだね。」
「うん。」
徠人はライラに向かって言った。
「それぞれの時代へ…。」
家の中に落雷がいくつも落ち、その都度横たわっている体が一体、また一体と消えていく。
最後には、ライルの体だけが残った。ライラが歌うように皆に示す。
「ライルを一番愛している者が責任を持て。」
徠夢が走って近づく、そこへアンジェラがタックルをかまして先にライルを掴んだ。
「え?」
アンジェラ以外のみんなは、よく理解できなかった。
アンジェラはライルを抱き上げて走って逃げた。
「え?」
アンジェラは自分の部屋に入り、鍵をかけ、クローゼットにライルを連れたまま入り、クローゼットのドアを閉めてしまった。そして、大声で叫んだ。
「その女は徠人のだから、ライルは僕が責任を持つ!別々にだ。」
なるほど、元々一個体に2つの人格?が入っていたとすると、また合体してしまう可能性があるわけだ。
アンジェラはクローゼットの中でライルの濡れた体をタオルで拭きながら、自分のパジャマを着せ、小さい声で歌を歌って聞かせた。
やさしく、自分の気持ちを込めて。
初めてのライブの時の様に、サビの所でアンジェラには翼が生える。
飛んできたアンジェラの羽がライルの唇に触れた。
「この歌、大好き…。アンジェラ、あったかい。」
ライルがアンジェラに言った。目を覚ましたのだ。
アンジェラは徠人にスマホで電話をかけ、ライラがどうしているかを聞いた。
徠人はアンジェラに安心するように言った。
今、忙しくてそれどころじゃないらしい。
「え?」
アンジェラの予想に反して、ライラはいなくなるどころか、徠人といつもより濃厚なキスの最中の様である。
徠夢はちょっと傷ついたようで、アズラィールと二人で夜中まで酒を飲んでいたらしい。
そして、新しい朝霧家の朝はもう少しでやってくる…。
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