491. 年末の親族旅行(6)留美の黒い影に隠れた記憶
徠夢の記憶を全部見たところで、亜希子が涙を流しながら僕をアンジェラから奪い取り更に号泣した。
「ごめんね、側にいてあげられなくて…。」
僕は『おばあさまは悪くないよ』と言ったつもりだったが、僕の口からはまた変な言葉が出た。
「ばぶ、あぶぶぅ。」
これ、やっぱり、キツイわ。何かの変なプレイだと思う。しかも体をスキャンする能力しか使えないって、どんだけひどい仕打ちだよ…。足腰だって、ただの6カ月の乳児並みだ。掴まってないと、立つことさえ出来ない。
「あっぶ。あぶ。あっぶ。」
変な言葉しか出てこない。
マリアンジェラが僕の方を見て言った。
「ライル、もうちょっとだからちょっと待っててね。」
「ばぁぶ」
『ちょっと…』の意味である。
そこでアンジェラがマリアンジェラに言った。
「マリー、部分的に記憶を戻すことは出来るのか?」
「パパ、それは無理だよ。一塊だから。」
「じゃあ、私は二個目の記憶だけを戻し、その暗示を解いてあげたらよいと思うのだが…。」
アンジェラはそう言った。僕には全部見えた上で、父様が感情までを操作され、我が子を、僕を嫌い続けて来た根幹に関する部分だ。
それ以外の所は、確かに微妙だ。留美との出会い、妊娠…。そして再会、結婚…そこまでを操作さえていたと知れば、この二人の未来、そして徠紗の未来は無くなるかもしれない。
僕はどうにか自分の意見を聞いてもらおうと、アンジェラに向けて両手を広げた。
「あにゃ、だっぷぅ。」
『アンジェラ、同意するよ』と言ったつもりである。
アンジェラは僕を抱っこしてくれたが、全く伝わっていない。
「あにゃ、ばぁぶ。」
『アンジェラ、ちょっと』と言ったつもりである。
アンジェラが身をかがめ顔を僕に近づけた。すかさず、頬にチューをして気を引く。
「おぉ、ライルは私の意見に賛成らしい。」
やった!奇跡的に通じた。マリアンジェラも発言する。
「そうね。1つ目と3つ目は別の影響が出るかも…。じゃあ、2つ目の記憶だけ、完全に元にもどすね。」
マリアンジェラは急に僕をくすぐった。いや、ちょっと何?
「ぎゃはははは…うきゅ~。」
笑わされたのだ。マリアンジェラは指先から白い光線を出したかと思うと二番目の黒い影にそれを当てた。
黒かった影がドンドンと晴れて行き、その部分が薄い紫の色に変わる。
おぉ、変った…。と思った瞬間、目の前に父様が、両目からあふれる涙をぬぐおうともしないで僕に両手を広げて言った。
「あぁ、会いたかった。私の、私のライル…。」
身構えるより先にアンジェラから僕を奪い取り、あばらが折れるかと思うくらい抱きしめられた。
「う、う、うぇぇ~ん。」
僕は泣いてしまった。痛くて…。今まで生きて来た中で初めての本気泣き。
「徠夢、お前、加減ってものを知らないのか…。」
父様はおじいさまにそう言われ、おろおろしながらも、おばあさまに抱き方を聞き、素直に従っている。
また、何度も抱きしめては頬に、額に、何度もキスをされた。
僕は愛されていなかったわけじゃなかった…。全てが誰か別の者の仕業だった。
マリアンジェラが言うように洗脳されていたんだ。
父様はマリアンジェラに促され、僕をアンジェラに渡し、座っていた場所に戻った。
マリアンジェラは次に留美の頭の中の黒い影の1つ目を光で当てた。
僕達にもその情報が全て流れ込む…。
それはかなり以前の記憶だった。
中学生だろうか、高校生だろうか、留美はまだ十代半ばで、そして、憧れの先輩がいた。それは、徠夢だ。小学校の時から一学年上の先輩、男女誰からも好かれ、他の男の子とは全く異質のその容貌。サラサラの金髪に透き通るような碧眼。小学生の時に、留美は一度校庭で遊んでいて転び、膝に怪我をしてしまった。その時に優しく声をかけてくれたのが徠夢だった。それ以来、留美は徠夢に恋をして、ずっとずっと思い続けていた。中学の頃、留美の親が見つけて来た家庭教師をつけられた。
噂で、徠夢が進学校に進学すると聞き、自分も同じ高校に入りたいと言ったことがきっかけだった。でもいくら勉強しても、なかなか成績は伸びずにいたのだ。
留美は親から紹介された家庭教師の事を信じ、必死で勉強した。
その家庭教師は、親身になって勉強以外の事でも相談に乗ってくれた。
そう、片思いのことも…。
留美は努力して徠夢とおなじ高校に進学することが出来た。しかし、徠夢の周りには、いつも美人ぞろいの女の友人たち、美男子ぞろいの男の友人たちがたくさんいて、留美が入る余地などなかったのだ。
何も起きないまま、大学へ進学することになるが、たまたま幼少期から続けていたピアノで国内のコンクールで入賞し、進学先を音大にしないかと担任に提案された。
周りの意見に流され音大を受験し合格。徠夢は有名私立の獣医学科に進学していたのを知っていた留美は、もう、この恋はあきらめるほかないと考えていた。
しかし、あの家庭教師からこんな提案をされるのだ。
「留美ちゃんはかわいいから、アプローチ次第ではその彼も自分のものにできるかもよ。」
「え、でも徠夢さんは男も女もなくお友達がいっぱいで…きっと彼女もいて…。」
その時、家庭教師の女性がカバンから何かを取り出した。
「いいもの、見せてあげる。願いが叶うのよ。」
留美が見たのは黒い袋から取り出された瓶。それを見た瞬間、家庭教師の女は言った。
『手紙を書きなさい。留学前に一度だけでいいからデートをして欲しい』と。
留美は手紙を言われるまま徠夢に宛てて手紙を書いた。
書き終わった手紙を家庭教師の女は受け取り持ち去った。
数日が経ち、留美の所へ家庭教師の女が来た。また黒い袋から瓶を取り出した。
女は静かに言った。
「あなたの愛する人があなたに会いたいと言ってるのよ。
私の言う通りにすればすべてうまく行くわ。まずは彼を私の指示通りに運ぶのよ。
そして明日になれば、あなたは私が指示したことを全て忘れ、自分でやったと思い込む。」
留美は、いつの間にか来たこともないカフェにいた。
そこに徠夢がやって来た。『え?どうして?うそ…神様が私の味方を・・・?』
そんな風に思ってしまったのが留美の運の尽きだった。
直前までそこにいてコーヒーに睡眠薬を盛った家庭教師の女のことなど、考えられないほど目の前の徠夢の事が気になって仕方なかった。
気がつくと、留美はホテルの部屋で徠夢と一緒に下着姿で眠っていた。
途中、何があったのか、全く記憶がない。話した内容も全く頭になかった。
何が起きたかわからないまま、慌てて逃げるようにその場を後にした。
留美は徠夢と会えたことだけで舞い上がっていた。一緒にコーヒーを飲んだ。
もしかしたら、ホテルで…。何も記憶がないのに、妄想は膨らむばかりだった。
もしかしたら、日本に留まれば徠夢とつきあったりできるのではないだろうか?
そんな淡い夢も見た。
しかし、徠夢から連絡が来ることは無かった。そもそも徠夢は留美の連絡先を知らないのだ、当然と言えば当然だが留美にはそこに思い至る心の余裕がなかった。
三か月後にオーストリアの音大への留学を控え、準備で忙しく次第に気持ちの高ぶりもおさまっていった。
次にマリアンジェラが光を当てた二つ目の黒い影…。
そこから映像が僕達に流れ込む。
それはオーストリアの留学先でのこと、生理が来なくなり、さすがに不安になった留美は薬局で妊娠検査薬を購入した。
ルームシェアで一緒に生活していた女性がいないときに検査をし、妊娠していることがわかった。
留美は衝撃を受けた。ホテルで目を覚ました。下着姿ではあったが、乱れた様子はなかったし、本当にそんな行為を行ったかもわからない。それなのに、妊娠しているなんて…。ショックで自殺まで考えた。
そんな時、あの女から電話がかかってきたのだ。
家庭教師をしてくれていた女に思わず妊娠を打ち明けた。
女は楽しそうに笑った。
「あら、おめでとう。愛する人の子供を身籠ったんですもの、お祝いしなきゃ。
すぐに会いに行くから、体大事にしてね。」
その言葉を聞き、不思議と不安がなくなった。一週間ほど経った時、女が本当にオーストリアまで会いに来た。
そしてあの黒い袋から瓶を取り出し言った。
「子供はどんなことがあっても産め。そして日本に連れ帰り、私に連絡をよこすように。」
留美は、次の日にはその女に会ったことも忘れた。不思議と妊娠している事に関しても不安も無くなった。
そして3つ目の黒い影だ。
留美はルームメイトに紹介された助産婦に助けられ無事出産した。
さすがに春休みに入った頃から学校には行っていなかった。
5月に出産し、出生の手続きを終え、間を開けずに子供も同伴して日本に帰国した。
未婚での出産だったが、留美は赤ちゃんと過ごしたわずかな日々を愛おしく思っていた。暖かく、やわらかな頬。透き通るような深い青いブルーの瞳。
徠夢にそっくりなサラサラの金髪に、赤ちゃんなのにスッと通った鼻筋。
どこを見ても完璧で、瞳を見つめると引き寄せられるようだった。
「かわいい。私の赤ちゃん。」
辛いことがあっても顔を見たらすぐに忘れてしまうほどだ。
空港に着くとあの女が待っていた。女の運転する車に乗り、留美は自分の実家に向かった。両親に出産の事は知らせていなかった。
急に帰国した娘、そしてその腕に抱いている金髪の赤ちゃんに留美の両親は困惑した。
しかし、留美の両親は咎めることはなかった。
留美が幸せそうにその赤ちゃんを抱き、今まで散々聞かされてきた片思いの朝霧青年の子供だというのだ。両親は出来れば留美をその青年と結婚させてあげたいとさえ言った。
ところが、留美と一緒に実家に上がり込んだあの女が黒い袋から瓶を取り出して言った。
「今すぐこの赤ん坊を連れてアサギリに乗り込み、押し付けてこい。この子がいると留美は不幸になる。今後一切の関係を絶ち、押し付けた後は赤ん坊は死んだと思え。
それが終われば、お前たちは私との関わり、やり取りを一切忘れる。」
女はそのまま留美の家を後にした。
それまで穏やかに赤ちゃんを抱いていた留美の父が怒って朝霧に電話をかけ、その足で朝霧に乗り込んだ。
罵声を浴びせ、赤ちゃんを徠夢に押し付け、留美の両親と留美は家に戻って来た。
朝霧の家で起きたことはもう、何も思い出せなかった。
留美は何故帰国したのかさえ、オーストリアに戻った後でルームメイトに言われるまで思い出せなかった。
ルームメイトには『赤ちゃんが日本で死んでしまった』と言った。
ここまで見たところで、未徠が泣き崩れた。
「そ、そんな事が誰かの悪意でなされるなんて…。」
未徠の背中を亜希子がさする。僕は『おじいさまは悪くないよ』と言いたかったが口からは次のように発せられた。
「じっぷぅ、あぶぶぅ。」
アンジェラが僕をそっと抱きしめた。アンジェラ…あったかい。
次に見せられたのは、4つ目の黒い影だ。
結局留美は、手に怪我を負い留学をやめ、すぐに日本に帰国した。
その時に、教師になれるようにと教育課程を取り、日本の大学で学生生活を再開したのだ。そこにあの女が近づいてきた。
教員になるなら、ライルが通うであろう地元の小学校に勤めるようにあの瓶を見せ、仕向けたのだ。もちろん留美は覚えていない。
次に5つ目の黒い影だ。
小学校でライルの担任になった。その頃、偶然を装いまたあの女が近づいてきた。
留美は自分の子供は死んだのに、同じくらいの金髪の男の子が朝霧にいて母親の名前も家庭調査書が戻って来ないのでわからずにいた。徠夢は自分以外の人と結婚したのだろうか。そんな事を考えていた矢先のことだった。
女はあの瓶を見せて言った。
「私は、朝霧徠夢に騙されて捨てられたの。徠夢と同じ大学に通っていたのに、子供まで産んだのに、捨てられたの。悔しい。だから、あなたがあの家に入り込んで息子の息の根を止めて、あの家族が不幸に苦しむ姿を見せて欲しい。さぁ、これを貸してあげるわ。これを見せて、徠夢に『息子を殺せ』と命令するのよ。あなたは私が誰かをもう思い出せない。」
そう言って、手に黒い袋を持ったまま、いつの間にか家の前で立ちすくんでいたのだ。
家に帰り黒い袋の中を見た。
瓶に入った赤い目の白い蛇の頭から、チロチロと赤い舌が出ている。
マリアンジェラがため息をついた。
「ちょっとおじいちゃんと留美さんには眠っててもらおうかな…。」
そう言うと二人の前に転移し、二人の首筋を触り眠らせた。
「おじいちゃま、おばあちゃま…、マリーはこの三つ目を留美さんに思い出させてあげたいと思うのよ。でも、他のは微妙…。もし、思い出したら二人の結婚が終わっちゃうかも…。」
「賢いな、マリー。私もそう思う。」
「あにゃ、だっぷぅ。」
未徠も亜希子も首肯した。
マリアンジェラは三つ目の黒い影に光を当て、その色を変えていく。黒い色が晴れ、今度がそこがオレンジ色に変わった。
マリアンジェラは徠夢と留美を眠りから覚めさせた。




