49. ハプニング
十一月二日火曜日。
勉強を始めるなら準備しなさいと言われ、本屋さんへ参考書などを買いに行くことにした。
まだ中学生~高校生くらいの女の子の状態だったので、アンジェラに買ってもらったワンピースに着替えた。アンジェラが自分の衣装スタッフに頼んで背中のところに縦に切り込みを入れてそれを上からケープの様に隠すデザインに変えてくれていた。
これで、翼が生えても破れない。思わず僕は呟く。
「すごいね、アンジェラ。」
アンンェラが試してみなさいと言うので、恐る恐る試す。
翼の出し入れは問題ない。ん?さっきは翼をしまえなかったのにな。
自分で出した時はしまえて、勝手に出てしまった時は戻せないのか?
着替えてるときも、部屋の前を徠人がウロウロしている。。
「おい。」
「な、なに?」
「ちょっと、こっちに来い。」
徠人の部屋に連れて行かれた。
「どうしたの?」
あ、あっ。やだ、また唇にキスを…。しかも濃厚なやつ。
翼が出た。え?なにこれ、スイッチ?
や、やだ、また、キス…。んんっ。
あ、縮んだ。
「面白いな、おまえ。ふふっ。」
「僕で遊ばないでよ。」
「馬鹿だな。遊んでるんじゃないぞ。俺、本気だから。」
あっ、また。キス…。どうして拒めないんだろ?
ん?あれ慣れてきたのかな…翼が出たり入ったりしなくなった。
「よし、慣れてきたな。これで外でもキスできるな。」
「何考えてんだよぉ。バカ!」
結局、アンジェラは家で留守番をさせられ、僕と徠人が本屋さんへ行くことになった。徠人の推しが強烈すぎた。
徠人は僕が誘拐されたら困るからと言って、手をつないだまま離してくれない。
どんだけ過保護なんだよ。
途中、壁に美術館でやっている西洋の絵画展のポスターがあった。
「僕、見てみたいな。西洋の絵画展。」
「今度、一緒に行こう、な。」
徠人が連れて行ってくれるみたい。うれしい。
ん?うれしい?なんだか女の子の体になってから情緒が不安定なのか、自分の感情がおかしい気がする。
しかも、度々記憶が飛んでいるような気もする。
本屋で何冊か使えそうな参考書やドリル、そして模擬テストを購入した。
しかし、徠人はまだ帰る気なさそうで、あっちこっち見てまわっている。
「徠人、もう帰ろうよ。」
「あ、ほら。これ買ってやる。」
徠人がジュエリーショップでかわいいルビーの指輪を指さした。
「やだなぁ、女の子みたいだよ。」
「だって、今は女の子で、俺の大切な人だからな。」
「ははは。本気に聞こえてこわい。」
「買ってくるから、その後、ドーナツ食べてこ。」
「う、うん。」
どうして、徠人に何か言われると断れないんだろう…。
「ねぇ、徠人。僕、徠人に何か言われると嫌だって言えなくなってるんだけど何かの能力使ってるんだったら、やめて欲しいんだ。」
「馬鹿だな。そんなの使ってねえよ。」
「本当に?」
「当たり前だろ。そんなことしても嬉しくないだろ。こっちだって。」
「そっか…。じゃあどうして嫌って言えないんだろう…。」
「愛だろ、愛。ふふっ。」
「キモイよ、それ…。」
「心配だったら、お前が俺に能力を自分に使うなって命令すればいいじゃないか。」
「あ、そっか。」
試してみよう。
「徠人、こっち見て。」
心の中で、僕が徠人のいいなりになるような能力は使わない、いいね。と念を押す。
徠人の目に赤い輪が浮き出る。
「満足か?」
「うん。」
「何か変化あったか?」
「人の前ではキスとかやめてよ。」
「おーし、じゃあ家に帰ったらいいんだな。ふふっ。」
「そうじゃない!」
ドーナツを食べたときに、徠人は僕の首にさっきのルビーの指輪を通したチェーンをかけてくれた。
そして徠人自身には同じルビーから削り出された石で作られたピアスを左の耳にだけつけた。
「これ見たら俺の事思い出せよ。いいな。」
と、徠人は小さな声で言った。
そして、みんなの分もドーナツを買って、手を繋いで家まで帰った。
家に帰ると、すでに午後三時半、いつもなら学校から帰ってくるくらいの時間だ。
アンジェラがアダムの散歩から帰って来たところだった。
「アンジェラ、外大丈夫だった?」
「あぁ、あんなのいつものことだから、平気だよ。
ひどいときには家に侵入してたやつもいるからね。日本じゃないけど。あ、教材買ってきたね。」
「うん、いいのあったよ。明日の朝からお勉強開始だよ。」
「わかった。そういえば、前から聞きたかったんだけど、あのグランドピアノって誰のなの?」
「わかんないけど、二代前くらいからあるんじゃないかな?結構いい音するよ。アンジェラはピアノ弾けるの?」
「少しならね。ライルは?」
「僕のは、他の人の能力のコピーだけどね。」
「え、聞いてみたい~。」
「いいけど、まだ三曲くらいしか弾けないよ。」
やってやって、とアンジェラが僕をのせるので、ついついピアノを弾いてしまった。
ピアノの蓋を開け、椅子に座り鍵盤に両手を乗せる。僕の全身が緑色に一瞬光る。
僕が弾き始めたのは「幻想即興曲」だ。
勝手に指が動く、軽やかに、時に重く…。
どうしてかわからないけど、最近はピアノに触ると気分がいい。
体が勝手に動くから、無になれる感じ、そして自分も解き放たれる。
バサッ、と翼が開いてしまったが、僕はそんなこと気にも留めずに弾き続ける。
力がみなぎるようだ、空中からすごく小さい金色の光の粒子が僕の周りに発生し、音と共に周りに飛び散る。
ふぅ、完璧に弾けたかも。うふっ。
アンジェラの方を向くと…。アンジェラが固まっている…。あれ?
その視線の先には…。げげげ、なんで玄関が開いてて、北山先生と橘ほのかがいるんだよ!
「て、天使様…。ほ、本当にいた…。」
橘ほのかが両方の目から涙を流して立ちすくむ。
僕は躊躇なく二階に飛んで逃げた。
アンジェラが冷たい視線で玄関を開けた張本人に言う。
「徠人、なんでこのタイミングで玄関を開けるんだよ。」
「だって、学校の先生がプリント持って来たっていうからさ、こんなクソガキがくっついてきてると思わなかったし。」
北山先生と橘は僕の方を見て、茫然と立ち尽くしたままだ。
「あ、ライルはちょっと入院してるんで。プリントは俺が預かっておきます。」
そう言って徠人が二人を追い返そうとした時だ。
橘ほのかは猛ダッシュして二階に走った。
「アンジェラ、そいつを捕まえろ。」
「ん。当然。」
アンジェラも翼を出し、階段を上っている途中の橘の首根っこを掴んで玄関前に下ろす。
橘はアンジェラにも本物の翼が生えたのを目の当たりにして目が点になっている。
「徠人、これなんとかできるか?」
「あぁ、当然だ。忘れてもらおう。」
徠人は後ろから橘の首を触り、眠りに落とす。そして、耳元でささやいた。
「お前はドアの前で眠ってしまった。家にも入っていない。何も見ていない。いいな。」
アンジェラがにこりともしないで北山先生に言った。
「北山先生、すみませんけどね。事情が事情なんで。こんなやつ連れてこないで下さいよ。」
そこで、徠人が大きい声を出す。
「アンジェラ、こいつだ、このガキだ。ライルを転ばせて怪我させたやつ。毎日しつこいらしいぞ。
こいつのせいでライルがおかしくなったんじゃないか?先生、お願いしますよ。ライルにこいつを近づけないようにしてくれよ。」
「徠人、ついでにこいつがライルに近づけない様にできないか…。」
「あん?アンジェラ、今日は気が合うな。ふふっ。」
徠人が橘の首に手を置き、またささやく。
「ライルから1m以上離れないと、おまえ、うんこもらすぞ。」
北山先生が少しこわばって話し出す。
「あ、あなた方はいったい…。」
アンジェラは普段のやさしい様子とは違ってちょっとキツイ言い方で返した。
「先生、ライルに助けてもらって、傷まで治してもらって、化け物扱いですか?肝臓の傷ひどかったそうですよ。それを治すために、あいつは半日意識が戻らなかったんだ。
この前だって、わざわざお見舞いに行って傷を治したいとか言って。相手にわかりもしないそんな施しをして…。」
「え?それって…。」
「自分の体のことだ、何のことかわかるだろ?
選ばせてあげますよ、今日の事覚えておきたいか、忘れてしまいたいか…。」
北山先生が、一瞬考えたが、深くお辞儀をした。
「ありがとうございました。今度、ライル君にも直接会ってお礼が言いたいです。」
「おい、ライル~。北山先生が呼んでるぞ。」
「え~、だってさ…。」
「もう、いいだろ。色々バレたし。」
僕は淡いブルーのワンピースに翼のある姿のまま北山先生の前に行った。
「え?」
「先生、僕です。この前学校でこうなって元に戻らなくなっちゃって。しばらく学校には行けそうにないので、ごめんなさい。先生、傷よくなってよかった。またトライアスロンできるね。」
北山先生は号泣してた。
橘を担いで帰ってもらった。
でも。本当に言っちゃってよかったのかな?
後で父様に言ったらアンジェラと徠人がすごく怒られてた。