480. 囮大作戦(5)
朝霧邸の自室に転移した僕とマリアンジェラはマリアンジェラが僕を抱えた状態で二階のダイニングを覗いた。誰もいないようだ。
更に一階のサンルームを覗くと父様と留美と徠紗がいた。
マリアンジェラが声をかけた。
「おじいちゃん、来たよ~。」
「おっ、マリーか。今日は大きくなってきたのか?」
「うん、普通の大きさだと抱っこできないからね。」
そう言って腕に抱いている僕を見せる。
『ガチャーン』と金属の何かを落とした音がしてそちらを見ると、留美が立ってぶるぶると震えている。まるで幽霊でも見ている様だ。
「わ、私の赤ちゃん…。」
「え?徠紗なら、そこに座って…」
マリアンジェラが言いかけたのを聞きもせず、留美が僕をマリアンジェラから奪い取った。
「今までどこに行ってたの?あぁ、ずっと探してたのよ。私の赤ちゃん。」
涙を流しながらそう言って、ものすごくきつく抱きしめられる。
何か留美の様子が変だ…。その様子を見てマリアンジェラがキレた。
「ふざけたこと言わないでよ。自分で子供捨てたくせに、どこ行ってたのじゃないでしょうよ。どんだけひどい目に遭わせたと思ってんの。全く。チッ。」
そう言って、僕を留美から奪い返す。
徠夢は何が起きたかわからず右往左往している。そこに未徠と亜希子がやってきた。
何か困ったことが起きていると察した亜希子がマリアンジェラに聞いた。
「マリーちゃん、どうしたの?」
「あ、おばあちゃま。この人、おかしいっ。」
マリアンジェラは留美を指差して言った。
「何があったのか教えてちょうだい。」
「マリーが連れて来たライルを、ずっと探してた私の赤ちゃんとか言って無理やり取ろうとしたの。自分で捨てたくせに。」
留美は泣きじゃくり、うつむいたままだ。
マリアンジェラは今まで見たことがないほど敵対心むき出しで苛立っている。
未徠が仲裁に入るように大きな声で言った。
「留美さん、どういうことだ?君がライルを捨てたのは本当の事だろう?今回結婚の話が出るまで、一度も連絡もしてこなかったじゃないか…。私は君が両親と共に『こんな子供うちでは面倒見れないから』と言ってここに置き去りにしていくのをはっきりと見ている。何か言いたいことがあるなら今すぐに言いなさい。」
留美は唇をかみしめながら言った。
「私、困って…自分の両親に大学を出るまで赤ちゃんの面倒をみて欲しいって頼んだんです。でも、どうしても聞いてもらえなくって。寝ている間に赤ちゃんがいなくなって、探したけど見つからなくて…。」
「じゃあ、あの時にライルを連れてうちに来たのは誰だというんだ?それにライルが小学生の時に同じ学校で教師をしていて自分の子供だと知っていたんだろう?」
「私、赤ちゃんをここに連れて来てません。小学生の時には徠夢さんの息子と知って、私の子供かも…と思ったけど…私に全然似ていないし、家庭調査書には母親は死別と書かれていて…この子はまた別の人に産ませた子供なのかもって…。」
マリアンジェラが僕を亜希子に預けた。そして赤い目を使った。
『動くな』
留美の動きがぴたりと止まった。マリアンジェラが留美の頭をガシッと鷲掴みにした。かなり怒っている。数秒で手を離し、マリアンジェラは口を開いた。
「あなたね、誰かに洗脳されてるわよ。しかも、その誰かのことすらよく覚えていない。髪の少し長い、茶髪で背が高くて、綺麗な女の人。瓶に入った蛇を持ってる。」
「え?何を言ってるの?」
マリアンジェラは僕の側に来て僕の頬にチュとキスして言った。
「こんなにかわいい赤ちゃん捨てるなんておかしいと思ったのよ。自分の子じゃなくても欲しいと思うくらいの可愛さだもの。」
亜希子は赤ちゃんのライルを抱くのは初めてだったが、マリアンジェラの言う通りだと思った。徠夢の赤ちゃんの時に似ているが、もっとずっと瞳が輝いていて愛おしい。
マリアンジェラは『フーッ』と一つ息を吐くと言った。
「どんな結果になっても後悔しないなら、洗脳を解いてあげる。」
「どういう意味だい、マリアンジェラ。」
徠夢が一歩近づいてマリアンジェラに迫った。
「おじいちゃん、私ね、ライルがもう一つの世界のおじいちゃんと留美さんが普通に結婚して普通にJC瑠璃を育てて仲良くしてるってライルの記憶から知ったのよ。どうしてこっちと違うんだろうって…。」
「それは…世界が違えば色々と状況も違うんじゃないのか?」
「おじいちゃま、そこよ、その状況って何が原因だと思う?」
未徠が口を出し、マリアンジェラが質問で返す。
「それは…わからんが…。」
「その原因が誰かに誘導されたものだったら?」
「…。」
「おじいちゃんだって洗脳されてるかもよ。」
「まさか、そんなことは…。」
マリアンジェラはとりあえず留美にかけた赤い目の命令を解き、今日は病院で受ける検診に集中することにしようと提案した。
しかし、この日ずっと留美と徠夢の行動は少しおかしいままだった。
徠夢は元々動物病院があるため検診には行く予定がなかったが、急に午後休診にして同行すると言い出した。
予約の時間もあるため、車で移動した。徠夢が運転する車に、祖母の亜希子と留美そして徠紗が同乗し、病院に到着後ライルの電話に連絡が来て、車の中に転移する手はずとなった。乗員数をオーバーしているからである。
車の中には徠夢だけが待っていた。
マリアンジェラが僕を抱いたまま転移し、徠夢に合流した時、徠夢が言った。
「マリー、その子、ライルを私に抱かせてくれないか。」
「え?どうして?」
「よくわからない。こんなこと言うのは恥ずかしいのだが、胸が熱い。
何か、こう湧き上がってくるような、愛おしさというか…。」
マリアンジェラは不思議な気分だった。さすがに危害は加えないだろうと思い、徠夢に僕を渡した。徠夢、いや…父様が僕の目をじっと見て笑った。そして、ギュと抱きしめた。
「こんなに可愛い子はいないな。マリーの言う通りだ。マリーとミケーレが生まれた時も可愛いと思ったが、この子は特別な感じがする。」
聞いていて恥ずかしい。だが、僕は赤ちゃんに徹していて、今日は話さないように努めている。
父様に抱かれ、マリアンジェラと共に病院の待合室に入った。
すでに受付を済ませている徠紗が呼ばれた。
そして、徠紗は亜希子とマリアンジェラが待合室で保護したまま、中に入らずに待機し、僕を抱いた徠夢と留美が待合室に入った。
徠夢が僕を離そうとしない、ずっと頭を撫でたり、背中をさすったり、本当に赤ちゃんにやるようにしている。
留美が度々抱かせて欲しいと言っても、徠夢は僕を渡さなかった。
数分後、看護師が来て、先に一つ検査があるので、赤ちゃんを預かると言われた。
『来た、もう一つの世界で起きた拉致の犯人と同じ女だ。』
僕の服のポケットには黒い羽のクリップにGPSの付いたタグが入れてある。もし拉致されても場所はマリアンジェラが持っているタブレットに表示されるのだ。
自分達で犯人を排除するのではなく、わざと警察に引き渡すための作戦だ。
父様は僕に何か起きるのではと心配になったのか、急にそわそわしだし、看護師に渡すのをためらった。僕は父様に耳元でささやいた。
「だいじょうぶ、いってくる」
父様はハッとして、正気に戻ったように看護師に僕を渡した。
そして、更に5分、本物の看護師が来て赤ちゃんがもう連れて行かれたと騒ぎ、警察を呼んだ。警察が病院の監視カメラを確認し、赤ちゃんが連れ去られたことが明らかになってからは父様と留美はその対応に追われた。警察には連れ去られたのはたまたま遊びに来ていた親戚の子供『ライアン』だという事にした。
徠紗の診察はその後ちゃんと済まされ亜希子とマリアンジェラに連れられタクシーで家に無事帰った。
マリアンジェラ達が家に着いた頃、警察が家に何人も来ていた。
打ち合わせ通り、徠夢は石田刑事を呼んで欲しいと警察に伝え、程なく石田刑事がやってきた。
「またお目にかかりましたね。」
「いつもすみません。石田刑事さんがやはり信用できると思いまして。」
「それで、今回は赤ちゃんを誘拐されたと?」
「はい、うちの娘の定期健診にたまたま遊びに来ていた親戚の子もついてきていて、病院内で看護師に連れて行かれたのです。」
「うーむ。ちょっと二人で話せますか?」
「はい。」
徠夢と石田刑事は地下書庫へ下りた。石田刑事は素晴らしく勘がするどかった。
「で、朝霧さん。今回はどんな裏があるんです?」
「あ、わかっちゃいましたか…。実は誘拐事件が起きて徠紗が連れ去られると予言の様なモノがありましてね…。ライルが身代わりになってさらわれたんです。」
「ライル君ってあのライル君?」
「はい。」
「彼は何歳?」
「15歳です。」
「連れ去られたのは赤ちゃんですよね?」
「はい。それは無事に犯人を捕まえたら、お話しします。」
「それで、犯人の目星はついているんですか?」
「いえ。でもGPSをつけてあるので、場所が特定できると思います。」
「わかりました。すぐに対応しましょう。」
二人はホールに戻り、石田刑事は警察官に指示を出し、徠夢はマリアンジェラにGPSの場所を見るためタブレットを操作してくれるように頼んだ。




